第10話:黒曜騎士団




「……嫌な風だな」



 兜を脱ぎ、金色の髪を振り乱す。

 峡谷に吹き荒れる特有の風を肌で受けていた彼は、その不快感に思わず顔を顰め。

 


「―――たいちょ、二分経ちました。第何十次だかの連絡時刻ですよ」

「……了解です」



 部下の言葉を受け、黒曜騎士団第五席、クロードは胡乱うろんげに答える。


 彼の率いる部隊の役割は、補助。

 序列で言えば、幹部の中で最も若輩である彼が率いるという事は……ともすれば、「補欠」の集まりと解釈されるかもしれないが。

 他の部隊を後援し。援軍として、時に総括、諜報、収集、特務……幾重にもその姿を変化させ、求められる任を完璧に遂行する。


 瞬時の状況判断、バランスの良さ。

 総合値の高い彼等だからこそ、出来る事なのだ。 


 今回で言えば、峡谷上部に簡易結界を維持し、部隊が一時退却する本拠を確保しておく事。

 そして、各指揮系統を取り持つこと……それが役割で。


 クロードは、数分と休む間もなく念話を行使し続ける。

 一回の使用で、莫大な集中力と魔力を消費する上位魔術を、だ。


 白兵の才があり、魔力量にも長けた存在。

 有角種と妖魔種のハイブリット、その血筋というアドバンテージは強力なモノである。



「上層、定期報告を。……侵入率30」



「下層近衛隊、定期報告を。……17」



「下層第四隊、定期報告を。……10、有り難うございます」



 定期的に、伝令から送られる情報。

 それをもとに、第二部隊を率いるキースと連絡を取り、各部隊へ指令を出すのも彼等の役割で。



「―――ヴァイスさん」

『えぇ、聞こえておりますよ。ただ、こちらは少し厄介な状況で』



 新たな指令を出すために繋いだ念話の違和感に、彼はすぐ気づく。 

 常に冷静沈着な亜人騎士らしからぬ声色は……焦り?


 現在、ヴァイス率いる第四部隊。そして近衛騎士団は、下層から敵を殲滅している筈だが。



『そちらも気を付けてください。この領域の……峡谷の風は、もしかしたら自然なも、ではない可能性―――組織、途轍もな……』

「あの、通信が」

『近衛―――た避……全滅―――』



『―――――』




『―――――』



 耳をつんざくような、不快なノイズが走り。

 同時に、轟音……何かが砕け、破壊の限りが尽くされているような音と共に、通信が途切れる。

 


『―――――』

「ヴァイスさん? ―――ヴァイスさん!?」



 念話を妨害するのは、難しい事ではない。

 近距離間でのものならば、特定も易く。

 屋内であるなら猶更、通信の妨害自体は容易だ。

 

 しかし、今の爆音は?

 これが単なる通信妨害ではなく、もう一つの可能性として……何か不測の事態があったと考えることも出来る。

 だが、彼に限って……と。


 逡巡など一瞬。

 すぐさま思考を文字通り切り替えたクロードは、再び“念話”の術式を行使する。


 通信路は、すぐに開かれ。



「―――キースさん。第四部隊との連絡が途絶えました」

『……ほう?』

「そちらの分隊がほど近い位置に待機していた筈。状況の確認をお願いできますか」

『……致し方ありませんね。私は、閣下の命により上層へせねばならなくなりましたが、分かりました。丁度幾らかはそちらへ分け……、るので―――』



 一瞬、また通信にノイズが走る。

 あぁ、またか……と。

 そろそろ、彼の背に冷たいものと、良からぬ予感、怖気が走る……。

 


「向かわせましょう」

「お願いしま……」



 が、ほんの一瞬のズレと共に、明瞭な声が返って来る。

 ……念話とは。耳元、或いは耳奥に響くような、不思議な感覚の残る魔術であるが。


 その声は。

 本当に、耳元でささやかれているようにすら感じて……否、本当に耳元で聞こえる。



「え? ―――うわぁぁっ!!?」

「くく……、ふふふッ」



 本当に居る。

 気配一つなく、性懲りもなく、本当に先輩は彼の背後にいた。



「言ったでしょう。とんぼ返りすると」

「……すぐ近くにいるなら念話じゃなくて直接喋ってくださいよ。というか、皆も気付いてるなら言ってくださいよ……!」

「クククッ」

「失礼、隊長のお間抜け……いえ、様子が面白かったので」



 全員、今しがた起きた異常事態―――ヴァイス率いる隊との通信途絶を目の当たりにしていた筈なのに。

 この状況下で本当に自由な者達だ、と。



「本当に……―――ぇ?」



 思わず毒気が抜けた彼は、肩を竦めつつも若干の精神的余裕が戻る。



 ……………。



 ……………。



 ―――その、瞬間だった。



 ひやり、などという表現は適切ではない。

 氷塊を無理やり背に押し込まれたような、冷たいものが走り、彼は本能から姿勢を

 しかし、それを感じたのは、この場では彼だけだったのだろうか?


 全員が、怪訝な顔で。

 キースさえもが、何も感じていないとばかりに問いかけてくる。



「―――どうかしましたか? クロード君」

「……ぁ、……え?」



 だが。

 それは、すぐ言葉には出来なかった。


 この気配だけは。

 それだけは、あり得ないのだから。

 思い出されるは、彼が初めて生まれ育ったカルディナ領から、王都の一大式典へと参加した時の。


 国の頂点に座する存在……、統率者を目にした時の。




   ◇




「閣下」

「―――……いや。合流地点としては、最適だ。総員、作戦変更を言い伝える」



 上層―――第一部隊。


 起動した防衛機構を力業で破壊したマーレらが到った先には、別行動をとっていた団長が待機しており。


 彼は、何を思っていたか。

 騎士たちの辿り着いた先で、何かを呟き。

 

 その思考を払うように剣を鞘へ収める。

 


「……当初の配置では、我々が上層より、第四部隊と近衛が下層より。生じる穴を第二と第五が埋める事となっていたが。ここで合流したのは、僥倖ぎょうこうだ。これより、我々は一挙に中層まで区画を抜く」

「「!」」

「閣下……それは」

「キースへ、既に命を送っている。上層の残った区画殲滅は任せてしまって良いだろう」

「「……………」」



 また、【逢魔】へ膨大な仕事量が押し付けられている。

 だが、これは信頼の表れ。

 それ程、騎士団第二席へ団長が信を置いているという事でもあり。


 

「階層を崩落させた結果、何が起こるかは分からない。複数回に分けられ仕掛けられていた罠が、一斉に襲い来ることも有るだろう。総員、集中を絶やすな」



 言いつつも、彼は収めた武器の代わりに魔術を一つの形へ収束させる。

 振り上げられた双腕へ、彼の纏う鎧と同じ材質、色合いの大槌が顕現し。



「行くぞ」



 是非もなく、分厚い床を穿ち抜く。

 突入時、複数の魔術攻撃すら通用しなかった材質が、一瞬一撃のうちに崩れ去り、彼等の足が浮く。


 たった一瞬なれど。

 その剛力は、或いは龍種にすら匹敵するかもしれず。


 一枚、二枚……。

 次々に階層を超え、床を穿ち抜く黒槌。



 ……………。



 ……………。



「スリリングですねぇ! これは、まことにぃ……!」

「コレだから、黒曜は辞められません。―――三時の方角! 何かきますよ!!」



 一区画当たりの落差は、実に二十、三十メートルはあろうか。

 落ちるのには、ほんの一瞬だが。

 しかし、極限の集中状態である彼等には、何十秒にも感じられ。


 崩落に巻き込まれゆく彼等は、一種のトリップ状態なのかもしれない。

 笑わないとやっていられないのかもしれない。

 

 事実。

 落下していく中で、次々に襲い来る、本来一つずつ対処する筈だった防衛機構の数々。


 火薬の香りと共に、何かを射出する音が耳を劈き。

 矢を遥かに超える速度で無数に飛来する、指先程の鉄の塊。


 照射される、肉を焼き焦がすような光の線。

 雨のように降り注ぐ、細い細い透明な針。



 まさに、一瞬一秒も油断など出来ず。

 時間にして僅かに十数秒……ようやく新たな床を踏んだ彼等は、己でも気付かないうちに荒く息を吐き。

 


「―――はっ……、はァ……ッ」



 山を切り抜けた……と。

 地に足を付けた若い騎士には、己すら気付かない程小さな油断があった。

 この場に、団長や副団長……遥か高みに位置する存在らが居るという心強さも、含まれていたのかもしれない。


 ちくりと。

 意識しなければ、気にもならなかった不快感。


 油断というにも酷。

 彼が今の落下で受けた被害は。

 雨のように降り注いだうちの、たった一本……髪の毛程の細い針が、偶然鎧の継ぎ目に入り込み、皮膚に浅く入り込んだのみで。


 しかし。

 それだけで、騎士の運命を変えるには充分だった。


 一瞬でも気持ちが緩んでいたことに気付き、己を恥じた……瞬間。

 彼は、ほんのわずかな違和感を覚えた腕に、温かさを感じ、己の右腕へ視線を向けた。



「―――え……?」



 本来、そこにある筈のもの。

 生まれた時から己を助けてくれた身体の一部は、小手という堅牢な鎧に覆われている筈で。


 ……そんな筈はない。

 肘より先が存在していないはずなど。


 だが、事実として。

 己の右腕は……鎧に覆われたそのままの状態で、宙を舞っていた。

 纏っていた鎧すらも、まるで薄皮の如く、一切の反発なく、痛みすらなく斬り裂かれていた。


 ……認識。

 それを確認した瞬間、温かさは灼熱へと変わり。


 彼は、絶叫したい程の痛みを何とかうめきにとどめる。



「―――が……ッ、あぁぁ……ぐッッ……!!」

「……………」



 彼の片腕を容易く奪い去ったのは。

 敵などではなく。



「事後報告だが、許してくれ。断りを入れている間に手遅れになってしまえば、詫びる事すらできない」

「……ぅ……ぐッ」



 何が起きたか、理解できない。

 剣を振り抜いていたのは、団長だった。



「―――あーー。この場合、了解をとってから斬るべきなのですかね?」

「いや、そもそも斬るのは……」

「他に方法があれば良いんですが……ねぇ? して、副長。これは……」



 その様子を無感情に見守る仲間達。

 一人の騎士が、屈み……それを拾い上げる。

 光の反射で、ようやく見えるような細いソレは……先程降って来た、細い針の一本。



「―――ヨルムーンの毒ですね。武器に塗布とふしているのではなく、毒そのものを結晶化しているのかと」

「……成程。捨てときましょう」

「その手で触らないでくださいねーー」

「えんがちょ。……時に、ほうきとちり取りは? 角に寄せておきましょう、この破片」

「攻撃は、全て散らしたはずですが、漏れがあったようで……我らの責任でもありますね、これは」



 針に、それが塗られていたのだろう。

 蛇型の魔物であるアングィス種の最上位個体、【月を喰らうもの】

 かの魔物が体内で生成するそれらは、宮廷魔導士団ですら未だ完全な解毒の方法を発見するには至っていない、恐るべき劇毒。


 それを結晶化など。

 殺意のみを煮固めたような武器だと。

 各々が納得する中、大槌を消滅させた団長が、兜の奥でゆっくりと口を開く。



「問題ない。解毒する事は出来なくても、腕を生やす事は容易だ。ベリアス、クロードと連絡を取り、第五部隊に合流しろ」

「……!」

「ヘルガとセオドアも、上層まで同行。その後は、キースに合流、指示を仰げ」

「「は!」」


 

 淡々と下される指令。

 だが、途中離脱など……彼は、認められず。



「いえ……いえ! 閣下! 自分は、まだ……!」

「初任務で、ここまでついてきたのだ。戦果としては十分。恥じることはない……だろう?」


 

 ちらと、周囲の騎士達へ向けられる長の視線。

 彼等は、兜の奥で目を細め……笑みすら浮かべている事が伺え。


 彼等は、何かを示すように己の身体へ。

 頭部、腕部、胴部……まるで統一されない各々の身体へと、手を当てる。



「えぇ。本当に……私は目でしたね」

「腹に風穴」

「……うん? あぁ、私は右半身が派手に吹き飛びました。初任務でその程度なら、軽い方です。緊急搬送先の魔導士団がありますからね、我々には」



 宮廷魔導士団の技術力は魔皇国随一。

 手指の再生は勿論の事、脳などの例外を除き、限定的ながら臓器の再現すら可能としている。



「ベリアス。この程度、決して終わりなどではない。私の身体など。魔術で再生していない箇所の方が、最早少ない。それで尚、私はここにいる。何度でも、舞い戻れる」

「……………」

「魔皇国に必要なのは、最強の個人などでは断じてない。最高の軍なのだ。団員……お前を失う事の方が、魔皇国にとっては多大なる損失だと。理解してくれ」

 


 一人で出来る事など、高が知れている……と。

 英雄と呼ばれる騎士は、事も無げに言う。


 それが、紛れもない本心、本音であると理解できてしまうからこそ。



「……申し訳、ありませんでした」



 若い騎士は、己の強がりを恥じ。

 そんな彼の肩を叩きつつ、先達たちは動き始める。



「さ、では行きますか。私が足場を作りますから、上ルートで良いですよね? “石回廊せっかいろう”」

「不発のトラップが残っていなければいいんですがねーー」

 


 ……別行動を開始し。

 風穴の側面へ、魔術による即席の階段を生成し、上へと去っていく団員達を見送る中で。



「―――ァ……ァ」



 再び、彼等の侵入を察知して現れる敵の数々。


 制式武装を構える騎士達。

 それを認めた団長も、再び腰に携えた武器の柄へ手を掛け。



「百年以上前には、既に知性を維持したまま魔人化する技術を得ていながら、お前は。―――人間種の限界? 適正の低さ? ……否。お前は目的を見失った。己の欲しか見てはいない。発展すら、目指してはいない」



「ならば、裁こう。元より、私の役目だ」



 抜刀すら、誰の目にも映らず。

 彼は、最早異形の存在になど目もくれず、先の通路ごと不死の尖兵たちを吹き飛ばす。


 一帯を撫でるは、破壊の暴風。



「ははは。流石は―――うむ?」

「これは―――まことに、どこもかしこも……」


 

 しかし、そんな衝撃が走ったのはこの区画だけではないらしく。


 轟音と、地響き。

 尋常ならざる何かが起きていると想定するには十分過ぎる情報が、全く別の方角から騎士達の五感を撫で。


 その上で。 

 まことの変化を彼等が感じ取ったのは、次の瞬間。



「―――ッ!! ……これ……は? この気配は……!?」

「……なんと、もはや……!?」



 その衝撃に。


 最精鋭たる、彼等黒曜騎士達が一瞬浮足たち。

 この場には副団長も、団長もが居ることを思い出してすぐに平常心を取り繕う。


 ……だが。

 誰もが、動揺していた。

 副団長であり、常に表情を表に出さないマーレさえもが、だ。


 その中で、只一人。

 この展開を予測していた者のみが、兜の奥で目を細め。

 


「始まったか」



 意味ありげに、呟く。

 だが、その認識を団員達が共有しているという事は決してなく。

 


「……閣下、コレは一体―――……いえ。如何しましょう」



 紛れもない異常事態だと。

 マーレが、混乱の含まれた問いを飲み込み、早急に指示を仰ぐ。 

 


「この衝撃は、更に下層。恐らく、近衛の領域。ですが、第四部隊がほど近い位置に。第二の分隊も、すぐに向かわせることが出来る筈です。両部隊を近衛の増援として向かわせるのが宜しいのでは」

「いや」

「……では、我々が?」

「私達は、こちら側の中枢殲滅に専念する事とする」



 増援を要請する事もなく。

 また、己らが向かう必要もないという事は……。



「発生源は、確かに下層だ。ならば、大事ない」

「ですが……」

「六魔の実力を疑う事、それ自体がおこがましいと。妹である君が、それを知らぬ筈はないだろう」

「……! ……その通りです。差し出がましい事を」



 長の言葉に、副団長は考えを改める。

 近頃の弱気な姿が多く映ってしまっていたとは言え。


 少しでも、疑ってしまった事を恥じた。


 そうだ。

 己の姉妹は……自慢の姉は。

 未だ嘗て、アインハルトの騎士、古き英雄たちの誰も成し遂げる事叶わなかった偉業を成し遂げた、本当の怪物なのだから。


 何も、案じる必要などなかったのだ。



「……問題、ありません」 

「そうだ。向こうは―――彼女が終わらせる」

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