第9話:矢をつがえる時




「―――定刻だ。これより、アンドラス教団の殲滅作戦を開始する」



 大陸北部。

 ロンディ山脈を越えた先に位置する広大にして険しい峡谷には、特有の風が吹き荒び。


 今、まさに剣を抜き。

 矢をつがえた者たちは、宵闇と共に動き始める。


 峡谷を見下ろせる崖上。

 山間に走る切り立った壁面を見下ろし……。

 一人の騎士は、この場に存在する者、存在しない者へと続々と指示を出す。



「……今一度、問おう。我らは、何だ」

「「我らは黒曜のやじり、故国の敵を貫くモノ」」



 彼等騎士団の名の由来となる鉱物……黒曜石とは、火山岩の一種。

 灼熱の溶岩の中。

 急激な冷却によって生成された硝子質の結晶、黒鉄色くろがねの結晶。



「……然り。最後の一片迄も鋭き刃よ」


 

 その鉱物が持つ最たる特徴は、やはり―――鋭さだろう。


 幾ら砕かれても、細かな小片になっても。

 黒曜石が持つその鋭さは決して失われず、また輝き続け、鋭くあり続ける。


 彼等も、同じ。


 どれ程砕け散ろうとも。

 腕が千切れようと足で、足が無くなれば歯で。

 細かな破片になろうとも、命尽きるその時まで、黒曜騎士はに抗い続ける。


 彼等には、死よりも恐ろしいものが確かにある故。

 

 闇色たる岩石の内部は、如何なる光も吸収する性質を有し、決して逃げる事は叶わない。

 全ては、偉大なる暗黒に呑まれるのだ。 


 地獄の鍛錬を積み重ね、強靭な肉体に鋼の意志を宿せし者たち。

 肉体、そして精神。

 彼等が実力至上主義と評されるのは、全体としての訓練が過酷に過ぎるという事では決してなく。


 むしろ、その逆。

 全体の通常訓練、鍛錬ではなく。

 彼ら個人個人が己自身に課した重荷、誓約の過剰さによるものであり。

 それは同時に、彼等が魔皇国……そして何よりも、騎士団の長へ深き忠誠を誓っている証でもある。



「伝え聞く者。実際にその脅威を目の当たりにした者。それぞれ、感じるものは違うだろう。これより我らが滅するは、我が国の生み出した負の遺産。これより先は、我らとて生半可な覚悟で潜り抜けられる領域ではないと知れ。今一度、慢心を捨てろ」

「「……………」」

「クロード、我らの担当する区域は確認できているな」

『はい、団長』

「三十分だ。それ迄、結界の維持を。場合により、第二隊と連絡を取り後援に回れ」


「ヴァイス、作戦に変更はないか」

『問題ありません、閣下。我々の隊は、当初の予定通り、下層より参ります』


「キース、指揮系統の維持は一任するぞ」

「ふふ……お任せを」



「―――マーレ」

「はッ!」

「私に同行してくれ。突入後、別行動をとる」

「承知いたしました。―――第一部隊、前進。騎竜用意! ……閣下、今一度号令を」



 黒曜の騎士達は、身を翻らせ。

 飛び乗った竜の背、その質感を確かめるように手綱を握り、主の言葉を待つ。


 そして、長は。

 鞘から、ゆっくりと長剣を引き出し、掲げる。



「総員……、決して死ぬことは許さん。名誉ある戦死など、殉職など、私は認めない。辞めたいのであれば、辞表を持ってこい。私の元へ、生き汚く戻ってこい」



 ……………。



 ……………。



「散開。作戦を開始する」

「「―――はッッ!」」


 

 呟きにも似た指示を、彼等が確と聞き入れると同時に。長が、掲げていた長剣を前方の峡谷へと突き出し。

 黒鎧を纏いし者たちは、一斉に動きだす。


 ある者は後方へ下がり、ある者は空へ飛翔し。

 その場に残ったのは、騎士団の中でも最精鋭が集う第一部隊。

 風を切り、一斉に飛び立った竜が、真正面へそそり立つ峡谷の壁面へと真っ直ぐに向かう。


 まばらに存在する大樹の根を潜り、岩石を避け。

 峡谷に吹き荒れる暴風をものともせず、隊列を成した竜は正確に空を裂き。


 横一文字に飛翔。

 その背に乗る魔族らが、一斉に同一の攻撃魔術を練り上げる。



「「―――“竜爪しこくノ雨”!!」」



 一斉に放たれた幾本もの線……超高密度の水刃が、数十メートルの広範囲にわたって豪雨と降り注ぐ。

 衝撃に、岩壁が大きく揺らぎ。

 岩に覆われていた周囲の壁面が轟音と剥がれ落ちるも。

 

 それは、大地そのものを相手にしているようなもので。

 肝心の壁面は、未だ健在……否。


 岩々が、地層が剥離し。

 壁面に現れる、冷たい金属の板。

 それは、ただ自然に生成されたものでは決してない事が伺え。


 確認が取れると同時、再び放たれる魔術の雨。

 分厚い金属など容易に貫く攻撃の数々はしかし、防壁をえぐるより早く、大気中で何かに弾かれるように逸れ、深い谷底へと吸い込まれていく。


  

「これは……―――」

「旧魔導士団の技術……。王都周辺を覆う魔導結界と同質のモノ……か。簡単に行くとは思わないが、やはりお前は……」



 それが、魔術的な防御壁であると理解し。

 団員たちの攻撃を見守るように後方で待機していた者が動く。



「アポリオン。今回だけは、私達だけ通してくれるという訳でもないぞ」



 垂れ流される瘴気に覆われた竜の影が、真正面から数十キロは連なるであろう崖へと飛び込み。

 あわや、衝突するかと思われた刹那。


 その背に乗る存在が、武器を抜く。


 

「さぁ……、開戦だ」



 冷たい鉄の刃が空へ走り、一帯に重厚な破砕音が轟き渡る。



「―――“紅焔こうえん”」



 そして放たれる、紅蓮の焔。

 深い闇に閉ざされていた峡谷に、真昼の如き光と熱が去来し。


 炎が掻き消えるのを待つ間もなく、壁面と結界、双方を力技のままに亡きものとした騎士は、出現した穴の中に飛び込み。

 副官が……、そして騎士達が。

 竜の背から次々に飛び降り、続く。


 

「敵襲……! 敵襲ッ!! 迎撃、並びに防衛機構を起動! 直ちに―――ぐぁぁぁッ!?」 



「さ、仕事と行きましょうか」

「……暑いですね―――あつッ!? 派手に熱!」

「それは、まぁ……壁、融解してますからね。恐るべき、閣下の焔」



 混乱が巻き起こるのに、一瞬と掛かる事はなく。

 次々と乗り込み、敵を滅し始める暗黒騎士。



「―――話している暇などありませんよ、二人共。時間との勝負です」



 中でも、【蒼克】の二つ名を持つ騎士。


 彼女は、舞うように敵を斬り裂く。

 その細腕に握られる長剣は、薄く青みがかった銀……蒼銀というべき不思議な配色で。

 血を吸い、朱と蒼に彩られる様は、幻想的とさえ感じられる。


 

「……いつ見ても、惚れ惚れしますね」

「「美貌に?」」

「それは、勿論……ですが。誰も、なぎの美しき水面みなもに、津波の質量が宿っているとは思いますまい」

「ははは、言い得て妙で―――、……!」



 騎士達が、各々の武器を片手に言葉を交わし合う中。

 突如、副団長が武器を高らかに掲げる。



「各員……、制式武装抜刀」



 彼女の言葉に、騎士達が腰の長剣を抜く。


 同色の意匠に統一された鞘、刀身。

 希少魔術“浄化”の効力が刻印されたそれらは、たった一振りが値段の付けられぬ名剣。

 世界中の好事家が手を伸ばしたくなるものだが。


 しかし。

 彼等は、自らの武器が持つ美術的価値など、眼中になく。

 あるのは、使い心地。

 どれだけ鋭く、どれだけ頑丈か……多くの敵を屠れるか―――性能のみ。

 


「言葉を介さず、意思を持たぬ……怪物。来ましたね」

「幼少期の悪夢が蘇るようだ……。では、消えてもらいましょう。夢は、はらわれるものだ」



 この武器の価値など、ただ一点。

 あの怪物を、滅する事が出来るか……それのみで。



「……ァ……ァ」



 不自然に肥大した筋肉、浮かび上がる黒い血管。

 朱い瞳。

 続々と現れる、悪魔の如き異形の存在―――魔人へと、彼等は制式武装を握り、躍りかかる。


 かつて、魔皇国を席巻した一大事件。

 その影で暗躍した組織は、強靭な肉体と長き寿命を誇る魔族へ、更なる力を与えたという。


 首を刈られても倒れず。

 心の臓を抉られても朽ちず。

 どの様な攻撃も意にかえさず、亡びを知らない不死身の身体。


 その上で。

 魔人と呼ばれたそれらは、己の意識を保ち、目的に沿って行動する事が出来た。

 妄執が如き己が望みへ、歩み続けた。


 ……しかし。

 今現在彼等が相対している魔人には、我がない。


 盲目的に、本能的に。

 ただ目の前に映った全てを壊し続けるだけの、獣でしかない。

 違うのだ。

 彼等が幼少期に、或いは大昔に目撃したソレと、これ等はあまりに性質が異なる。


 ある種、改悪も甚だしい。



「ははは。まるで、獣。獣を狩るのは、慣れておりますよ」

「その通り。むしろ、本来の任務だ。さてさて……はは。総務総括でたまったストレス、ここで晴らさでおくべきか」



 練達の彼等は魔人を相手にしながらも、未だ軽口さえ叩く余裕があり。



「ベリアス、無理はしないでください。必要ならば、いつでも第五部隊に合流してもらっても構いません」

「……大丈夫、です」



 逆に、彼はやや疲弊していた。

 日頃の訓練による基礎体力上昇が影響し、肉体的な疲れはさほどでもないが。


 問題は、心理的な疲労。

 彼は、士官学校において常に優秀な成績をおさめていた。

 魔術、剣術、精神力。

 多くの要素において同年代を引き離し、訓練においても敵なしだった。


 

 ……しかし。

 


 敵地。

 たった一瞬とて油断する事叶わず、常に精神力が削られ。

 敵とは言え。多くの者を斬り殺す行為が、屍を積み重ねるという行為が。


 双肩に、重くのしかかり。



「……!」

「―――ゥ……ァァ―――ガァァァァ!!」



 それでも、黒曜騎士。

 彼の動きは、正確だった。


 不意打ちに襲い掛かる複数の魔人へ、振り向きざまに剣を薙ぎ。

 反射的に相手が仰け反る隙に態勢を整え、すぐさま攻撃。


 やや無理な姿勢ではあったが。

 彼の斬撃は、違う事無く、訓練同様の軌跡を描いて魔人を襲う。 


 肩から袈裟に入り。

 腹部の骨に当たって止まった刀身。

 只人であったならば、紛れもなく致命傷であろう一撃に、彼は僅かながら安堵を覚え……気付く。


 ―――武器が、動かない。

 魔人の胴を半ばに斬り裂いた刀身が、抜けない。


 襲い掛かる敵は、まだ他にもいる。

 


「しまっ―――」



 更に、その焦りが武器への魔力供給を妨げ、“浄化”の発動を阻害する。

 剣に貫かれている筈の相手は、自身の身体などものともせずに騎士へ双腕を、鉤爪を伸ばし。



「―――海断蒼うみたつあお


 

 しかし。

 その攻撃が、彼へ届く事はなかった。

 通路の先を行っていた筈の副団長が瞬時に反応し、複数の魔人の命を同時に断ったからだ。



「―――ぁ……副団、長」

「悪くない動きでした。相手が只人ならば、問題はなかったでしょう」



 今日、初めて実戦で目にした彼女の剣技は、あまりに桁が違った。

 この剣技に比べてしまえば……これ程の純度、純粋かつ最短の一撃に比べれば。

 清流の透度すら、濁っていると感じるだろう。


 それ程までに流麗。

 硝子を思わせる繊細さと、大気すら斬り裂けると錯覚するような剣圧、鋭さ。


 あまりに高く。

 それを成した彼女は、息をつく事もなく語る。



「意識するのです、攻撃が通った瞬間には、“浄化”は既に発動していなければならないと。斬ってからでは遅いと。魔人の再生速度は、貴方の想定を遥かに超えるものです。実戦と訓練の違いを、ここで刻み込んでください」

「……は―――はい!」



 彼女は。

 元より、呼吸も乱れていない。

 全身鎧、兵装の重み、極度の緊張状態による精神の消耗。

 歴戦の騎士達ですら、呼吸の乱れはある。

 それこそ、先の、一見和やかにすら感じる軽口……。


 あの緩さ。

 あの緩急こそが、緊張状態を適度に解す潤滑剤で。

 一時の疲労を忘れるために、必要な事だった。


 ……彼女は、違う。

 自然に歩く。激しく動いている時でさえ、その程度の息遣い。

 その上で、一時、一瞬たりとも集中が途切れることはなく、無駄な言葉や冗談を交わす事もない。



「―――総員、警戒態勢!」



 最初にソレに気付いたのも、彼女だった。

  

 副団長の、何処までも響く声。

 それに一瞬遅れるようにして、僅かに聞こえる駆動音。



「隔壁注意! 挟まれたら死ぬぞ!」

「「……!」」



 彼等を―――或いは、彼等の五体を分断するように。

 高速で閉じられゆく通路の隔壁。

 突入時、敵方が言いかけていた防衛機構とは、これ等の事だろう。


 成程。

 拠点防衛において、敵の分断を狙うのは、手段としては至極当然である。


 が、しかし。



射程いてい―――火斬華かざんか

 


 幻想的に煌めく青の刀身が、焔の熱を帯び。

 紫と見紛う妖しげな輝きを放った刃が、分厚い金属の壁を呆気なく斬り裂き。


 何層と連なる隔壁を、次々と焼き融かす。


 

「問題ありません。必要な道ならば、私が焼き切ります」

「……はは」

「流石副長」



 これこそが、【蒼克】……万能のマーレ・アインハルト。

 剣術、魔術共に卓越した、一つの究極。


 彼女が率いるのであれば、何も問題はないと。

 隊長、団員問わず、誰もが識っている。


 それは、彼等の長も認める所で……。



(この程度。姉さんの秘奥に比べてしまえば……―――)



「―――閣下?」

「……………」



 隔壁を切り開き。

 進んだ先で、副団長が率いる第一部隊は立ち止まる。


 そこには、突入時から別行動をとっていた彼女等の団長が、何かを感じ取ったかのようにその場で立ち尽くしており。


 副長の問いかけに応えることもなく。


 立ち尽くす男は、やがて一言だけ呟く。




「やはり……、いるのか……? ここに―――お前の魔王が」

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