第8話:壁の花か壁に穴か




 アルモス卿に任務協力の打診を受け、既に数週間が経過……。


 未だ続報のようなモノは無く。

 私は、ただ通常通りの業務を行うのみ。


 本来なら、私もまた部下たちを率いて任務へ出る筈だった。

 しかし、恐れ多くも陛下の代理として地方の催し事へ出席する職務は、他の何事にも優先すべきで。


 フィーア様に勇気付けて貰ったにも拘らず、目的の任務へ出れないというのは、無念としか言いようもなく。

 今、こうしている間にも。

 部下たちは戦場に身を置いているのか……と。


 虚しさ、無力感が再来する。

 身に入った筈の力が、少しずつ流れ出て行くようにさえ感じて。



「―――おぉ……、アインハルト卿が。成程、魔王陛下の名代としてですか」

「そのようですな。やはり、お美しい方だ。なだらかな長髪……金色の髪は、幼少期、遠目に見た先代カルディナ侯爵を彷彿とさせるようで」

「はは、懐かしいですな。私も、あの方の凱旋を目にするたびに、暫し騎士の道を夢見たもので……今や、あの方の孫が。姉妹揃い、近衛と黒曜の中心……とは。我が国の栄華は不朽という訳ですか」

「しかし、何故あのような片隅に?」

「ククッ、分かりませぬか? 近衛の長として、会場を見守ってくださっているのですよ」



 国家の表を担当する身として。

 私は、王城警備以外にも、陛下の名代として祝宴のような催しに出席することがあった。


 ただ、幼少から経験しているとはいえ。

 こういった空気は、やはり少し苦手で。


 西側の有力な貴族である彼等は、己らの会話が聞こえているとは思っていないのだろう。

 賞賛を込めた視線と、賛辞を述べ。


 私の心には、さらに陰りが生まれる。

 私は……。



「―――私自身は、未だ何も成してはいないのですが……」



 地位は当然として、出身の影響もあり。

 こちらへ興味を示す者達は多けれど……私が放つ雰囲気に、話しかけてくる者は皆無。

 

 今宵の主催……領主であるグラッスロー伯に挨拶してからは。

 多くの者が踊り、飲食し。

 懇親に含ませた探り合いに勤しむ中、只一人、壁の花になっていて。



「未だ、皆は殲滅任務の最中……。私は、一体何をしているのでしょう」



 自問を繰り返す。


 己が夢に見た騎士というのは。

 果たしてこうのようなものだったろうか。

 騎士長となって以来、剣を振るという事以外の業務に忙殺される事になった私は、何をするでもなく立ち尽くし。

 

 優雅な音楽が絶え間なく流れる中。

 にこやかな笑みを浮かべ、この時この瞬間を享受する彼等を見守る、その中で。


 変化は、突然に訪れた。



「「―――――」」



 にわかに騒がしくなるは、大ホールの入口。

 

 祝宴も佳境。

 招待客も、普段繋がりがある者たちは殆ど全員が集まっている筈の状況で。

 場も温まり、最も盛り上がりを見せる中、今更になって現れる客人など……。



「―――よもや……」



 未だ、任務の最中の筈だ。


 およそ、彼は来ないだろうと。

 私は勿論の事、招待状を出した祝宴の主催者すらも考えていただろう。


 それこそ、形だけのものだった筈だ。


 事実。

 新たな客人の姿を認めた貴族たちは、驚きの顔でその存在を迎え。

 主催者は恰幅の良い身体を揺らし、今に転がらんばかりに足をもつらせて近付いていく。


 動きやすさを度外視した、煌びやかな服装だ。

 見た目以上に、歩きにくいだろう。



「こ―――これは……アルモス卿……! お、お久しぶりです! よもやお越しくださるとは思わず……その」

「お久しぶりです、伯爵。少し痩せましたか」

「はは……ははッ。小心者ですゆえ……」



 カルディナと同じく、西側の貴族。

 

 特に位が高いのは。

 ミンガム伯、グラウ伯……そして、今回の主催者たるグラッスロー伯爵。


 伯爵は、何処か落ち着かない様子で背を伸ばし。

 アルモス卿は、ゆっくりと会釈する。


 ……互いの挨拶が終わり。

 すべきことが残っていると、いそいそと去っていくグラッスロー伯を見送るアルモス卿。



「「……………」」


 

 盗み見るという事も、踊る事も忘れ、マジマジと両者の会話を見守っていた者たちは、しかし。

 それが終わった後でさえ、新たな客人へは近付けず。


 数少ない機会、交友を得る好機である筈の子女たちでさえ。

 一客人として招かれた男へ、声を掛けることすら出来ない。

 

 曰く。

 暗黒卿に情や愛などはなく。

 その行動指針、双眸に映っているのは、魔王への果てなき忠誠のみ……と。


 不意に、騎士が動く。

 踵を返した彼の向かう先は……。

 


「……アルモス卿」

「これは、アインハルト卿。とてもお似合いですよ」

「よしてください、このような―――煌びやかな礼服は。普段の鎧姿などとは違い、落ち着かないのです」

「そうかな。生粋の貴人である君で慣れぬなら、私など最早着せられている以前の問題だろう」



 困ったように、やや眉を上げて呟く彼だけれど。

 とても、そうは見えない。


 蒼白さに一歩届かない程度の肌色も相まって、何処か線が細く見えるも。

 よくよく見れば。

 彼が纏う黒の礼服は、ピチリと身体を締め上げ、何とか筋肉を留めているという事が分かり。


 彼は、装飾の控えめな礼服を見事に着こなしている。



「容姿自体もそうだが、壁際にポツンと一人でいるから見つけやすかったよ。しかし……壁の花とは言うが……、君ほど手を伸ばしたくなる華も無いだろう」

「!」

「本当に、よく似合っている。自分で選んだのかい?」

「その……はい」



 今日だけで、既に幾度と容姿や服装については褒められている。

 この瞬間も、奇異以外の視線を送ってくる殿方も多い。


 けれど、それで尚。

 この方に言われるのは、全然違う気がして。



「―――気付いているだろう。決して、声を掛けたくない訳ではないんだ」

「その、彼等は……」

「君の全てが欲しいという顔さ。一歩引いた位置というのも結構だが、少しくらい食や舞踊を楽しんでも良いんんじゃないか。君は、遊びがあまりに少ない」



 ……違う。

 彼等が欲しいのは、アインハルトの血。


 決して、私の心ではない筈だ。



「そのような性分ですので……これ以外を知らないのです。私の事より、アルモス卿も……その。このような場は、久方ぶりでしょう。何か飲まれたりは? 折角の祝宴で、私のような壁の花など……」

「確かに。私は、どちらかというと壁に穴を開ける方が性に合っている。―――あぁ。何なら、つい昨日も幾つか」

「……ふふっ」



 やはり、今はオフモード、という事だろうか。

 彼は、砕けた口調で悪戯っぽくを呟き。

 言葉遊びもさることながら、それをアルモス卿が言っているという事に可笑しさを感じて。


 ……そうなのだ。

 称号や実績の大きさに気圧されてしまい、今では生半可な覚悟で彼の前に立つ者は居ない。

 今この瞬間だって、そう。


 けれど、これこそが、アルモス卿。


 冗談も言う、おどけもする……。

 決して、皆が言うような―――陛下への忠誠以外を知らぬ、冷酷な存在などではないのだ。

 


「まぁ、良いさ、壁の花でも。確かに、一人では惨めかもしれないが、二人も居れば違う。会話にも事欠かない。この会場に君が居た事に感謝だな」

「アルモス卿ならば、私などいなくても」

「元より、私はあまり歓迎されない客だ。君とは違うさ。勇をもって手を伸ばせば、簡単に。モノを取るように華に成れる君。一人では、決してなり得ない私。差は大きい。女性の一人でも伴って来れば違ったのかもしれないが」



 これは、笑う所なのだろうか。

 自嘲するように、しかしたのし気に呟いた彼は。



「……少し、風に当たるかい?」



 視線だけをバルコニーへと動かす。


 これは、そういう事だろう。

 私が居た事に感謝と言いつつ、彼が此処へ来たのは、最初から私と話をする為で。


 並び、踏み出したバルコニーは肌寒く。

 宵闇に浮かぶ雲の隙間から、六つの星が顔を出す。


 彼は、遠くの景色を見つめ。

 やがては空の星々を見上げると、そのままに語り始める。

 


「今回の件。襲撃に参加できなかったことで、君はまた思い悩み始めているのかもしれないが」

「……ッ」

「全ては、役割分担という言葉で表せる。任務で別行動をとったのと、何ら変わりはない」

「……それでも。感じてならないのです。己の能力不足を」

「否、君はこの上なく優秀な騎士だ。近衛として、歴代でアストラ卿に準ずる速さで長の地位に上り詰めた逸材……、必要なのは実績と自信だけ。本当に、それだけなんだ」



 空を見上げていた彼は。

 こちらへ振り返り、やや歩を詰めてくる。



「だが、それについて。君自身は、どう感じている?」

「……身に余る地位だと」

「それは、何故なんだい?」

「我が家の威光。そして、アストラ卿を始めとする方々からの推薦。それがなければ。今現在でさえ、私はこの地位に居たと思えないのです」


 

 ……再び、距離が詰まる。

 

 今や。彼は先のような、柔和な笑みではなく。

 相手の瞳を覗き、そこに含まれる感情の色を全て読み取るような、確かな意志の籠った瞳をこちらへ向ける。


 ―――あの時のように。



「シンシア。六魔将、シンシア・アインハルト。覚えているか。君が近衛騎士団の長となり。この国の根幹へ誘われた、あの日の語らいを」

「……忘れる筈がありません。昨日のことのように、覚えています」




   ◇  ◇  ◇




 その空間は、魔皇国の王都―――深き深淵に存在する聖域。

 空間の名を、【王廟】といった。


 古くより、政府の最上位へ到った魔族たちは、魔王によりこの場へ誘われ。

 国家の真実を知り、彼女へ絶対の忠誠を誓ったという。

 そして、此度こたびは彼女の番。

 国家の根源へ誘われたのだという重圧に、彼女は潰されそうになった。



「……王廟。これが……、魔皇国の根源」

「―――呪いの聖域さ。この国が興った日から、陛下の時は止まったまま」



 彼女の傍らに立つは……今や同僚となった騎士。

 今回、彼女は魔王ではなく、騎士に誘われてこの場所へと降り立っていた。


 清浄な空気、魔素。

 恐るべき原種の魔物たちが跋扈ばっこする地下道を抜けた先に、このような場所が。

 

 平穏な王都の地下に、こんな場所があったのかと。

 驚きを隠せない彼女へ、騎士は語る。



「……かつて、この王都が存在していた場所には、村があった。一人の幼い少女がいた。大地と契約を交わした少女は、龍脈の流れを操作し、魔素の足らぬ地へ自在に流す事が出来た。……そうして栄えたのが、この国」

 

「代償として、少女は寿命の概念を持たず、成長を知らぬ……完全なる上位存在となった。魔族の、統率者へ。旧き賢者の智慧を。亜人の技術を。戦士の闘争を。全てを得た王は、その神威を持って魔皇国を興した。領内の魔物を一月に移動させ、城塞都市を一夜に築き、瞬きの間に最適な決断を下せた」



「―――では、我々は?」



「私が黒曜城塞を築くのに、どれだけの歳月を掛けただろう」

「……十年以上を要した、と」

「そうだ。本来、何かを創るというのは時間が掛かる物だ。……だが、彼女には出来てしまう。我々にとって、神にも近しき存在に至った王は、「己ならば容易に出来る」という理由で、民の欲する……欲するだろうと考えた全てを成してしまった。百年先、千年先にさえ備えて、全てを与えてしまった」


「ここが機能する限り。魔皇国が、たった一人に依存する国家である限り、決して王は玉座を去れない。我々は、自らの足で立たねばならない。偉大なる魔王の庇護で……揺りかごの赤子で生を終えるのではなく。自ら選択し、進まねばならない」



 話を終えると、騎士はゆっくりと息をつき。

 確かな意志の籠った目で、彼女の瞳を覗き込む。



「こんなモノが何時までも全てを担うようでは……、いけないんだ、シンシア」

「……………」



 自らの足で立つ。

 それは、とても素晴らしい事なのだろう。

 騎士の言っている事は、まさしく彼らしい、気高さを持ったものだと分かる。


 だが、果たして。

 永遠に約束された安寧の中で、自らそれを放棄する……。

 そのような事を、誰が進んでやりたいと思うか。

 誰が、楽園の外に出たいと思うか。


 どうして、彼は。


 

「―――何故、貴方はそれを成そうと思い至ったのですか?」

「……私が?」

「他に、誰が考えるのですか」

「……私だけではないさ、決して。かつて、旧い友が言っていた。主を護ると。かつて、仇敵が言っていた。彼女の全てが欲しいと……。私は、彼等と同じ考えを持ち、未だ生きている故に、その役目を引き継いだだけだ」

「……………」

「並び立つためには。魔王の力に頼らない国家が必要なんだ」

「……アルモス様。貴方は」



 こうして、同僚となってさえ。

 背中が見えると考え始めた今でさえ、彼女は分からなかった。


 目の前の騎士には、余りに謎が多かった。

 彼女の直属の上司であった前団長……ルーク・アストラも、彼の詳しい過去、その話題だけは口をつぐんだ。


 今の話すらも、そうだった。

 彼は、まるで。

 全てを経験として知っているかのように、語った。


 浮かぶは、同名の騎士。

 かつて、この国の黎明期に存在したと「言われている」騎士。


 まさか。

 不確かでしかない、根も葉もない噂でしかないあの話は、本当に……。



「我々―――現在六魔将と呼ばれている者達は、私の考えに同調してくれている。それが総意とあらば、王も認めてくれるだろう」

「……………」



 まるで、国家転覆の計画を立案するような発言。

 そう思ったわけではないが。

 彼女は、目の前の騎士が……そして軍最上位の者たちが、本気でそれを成そうとしている事を自覚した。


 だからこそ。

 幼少期から変わらぬ目標。

 その背中に少しでも近づきたいと、浮かんだ考えのままに、口を開いた。

 


「私に、助力が出来るのでしょうか」

「出来る。私達と……君にしか、出来ないんだ。君の才能と努力は、私も舌を巻いている―――が。まず第一歩として。敬称は要らない、だろう?」



 ……………。



 ……………。



「では―――アルモス卿。私も、その計画の一助に」

「……ふふ」



 譲らぬ彼女へ、騎士は苦笑し。

 ゆっくりと、手を差し出した。



「共に行こう。私達は、意思を共有する仲間……、同僚なのだから」




   ◇  ◇  ◇




「君の言葉は、ある意味正しい。確かに、近衛の歴史は血筋の歴史でもある」

「…………」

「近衛騎士、その長。かつて魔皇国が興った時。初代団長は、魔王に変わらぬ忠を約束し、魔王もまたその忠誠を疑わなかった。魔皇国の歴史上、近衛が二心を持ったこと、約束を違えた事は一度としてない」



 忠誠への疑問を感じた事も、反逆の意を持ったことも。

 決して、存在しない。

 いつの時代も、近衛の長は魔皇国最高の騎士であり続け、団員たちは誇りある騎士達だった。



「幼少から揺るがぬ忠誠、血筋。確かに、生まれ持った才と地位が絶対の要素だ」



 もし、私が貴族でなかったのなら。

 或いは、近衛騎士団長である現在の私はいなかったのかもしれない。


 それが、私の中にある迷いの原因。

 根源的な要素の一つで。



「―――だが。血筋だけで。貴族としての地位だけで座せる程、その席は甘くない。それを否定するという事は、君を近衛の長へ推薦したルークと、認めた陛下の信を否定するという事だ」

「それは……」

「只一人の存在に依存する国など、滅びて当然。その為の改革、その為の六魔将。その一席を埋める君は……紛れもなく我らの側。陛下の盾であり、剣」



 おおやけに。

 六魔将とは、実力に関係なく、軍の最上層、特定の役職に座する六人の総称とされているが。


 その実、選出要素の一つとしては……魔皇国最強の最上位妖魔であることこそが最重要であると。

 だからこそ、私はその地位におそれをも抱いていた。



「どちらでも構わない、どちらだけで良い。足りなくて当然、未熟で然るべきなんだ。決して、完璧であろうとする必要などない」

「………!」

「我らは、国家の為に。千年先、万年先の為に。……彼女の為にいる。補い合い、進むんだ」 



 口調、雰囲気。

 多くの者は、接する相手によってそれらを変えるけれど。

 彼の場合は、相手が同一人物であっても、時と場合に全く異なる顔を見せる。


 それは、長年の経験によるモノなのだろう。

 長き時を生きた故の、精神性の変質によるモノなのだろう。


 しかし、その瞳に籠る熱量。

 秘めたる熱だけは、特定の時……真に腹を割った時、大きく膨れ上がる。


 その時こそ、彼が普段よりも己を出していることの表れで。

 この瞬間こそ、彼が本当の本音を見せているという事。


 完璧である必要など、ない。

 剣だけで良い、盾だけで良い……。

 私も、彼のように……。


 ……そうだ。

 今この時この瞬間……私が尋ねるべきは、最初から一つだった。

 


 あの日決めた以上。

 もう、後戻りなど絶対にできない。

 そもそも―――迷ったとて、後戻りなど、一度たりとも考えた事はなかった。


 それだけは、なかった。



「―――ふ。ようやく、顔色が良くなった……かな?」

「はい。有り難うございます、アルモス卿。あの―――貴方がこの祝宴に来訪してくださったのは」

「そうだ。これより、我々は教団の総本部を襲撃する」

「……!」

「無論、近衛の指揮、その一切は君に執ってもらう」

「……はい―――はいッ! 勿論です! 私は―――」



 ならば、一度悩むのは止めよう。

 何故なら、私は……。



 ……………。



 ……………。



「―――そうだ、その通りだ。……なればこそ。証明してくれ、今回の任で。彼等が―――私が認めた、当代最強の有角種の力を」

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