第6話:闇を喰らう暗黒




「76番と78番の経過はどうだ? そろそろ、変異するか廃棄するかの頃合いだが」

「……兆候はなし、ですね。廃棄が妥当かと」



 魔核石を動力とする光源が照らす一室。

 自動の扉を潜り現れた白衣の男へ、椅子に座っていた眼鏡の男が振り返る。


 両者共に肌は白く、能面のような表情で。

 回答に肩を竦めつつも、白衣の男は彼等の居る第三フロアの強化窓越しに、一階から吹き抜けとなっている広大な空間へと視線をやる。



「……まぁ、止む無し。最近はこういう失敗……失敗? っていうのが少なかったから、調子が良いと思ってたんだけどなぁ」

「確率は収束するんですね、やはり。があったから、余計に顕著だ」

 


 階下の広大な空間は、様々な実験を行う槽。

 中でも強靭な数種類の金属を幾重にも折り重ね。

 炎熱、凍結、物理的過重……上位魔術攻撃の波状攻撃をも跳ねのける強度である事が実証された特別槽だが。


 ここが使用されたのは僅かに一度、つい最近。

 たった一つの実験の為だけに用意され、設計を担当した彼等自身すらも過剰性能オーバースペックと信じて疑わなかったソレは。


 床、壁面、天上……到る部分が陥没し、大小の亀裂が入り。

 まさに、機能不全極まる惨状で。

 そこに空間内に座り込んでいる、血に汚れた布を纏う幾人かの影が合わされば、まるで廃墟。

 最新鋭……或いは、古代の技術を結集させた設備だと、誰が思うだろう。


 

「―――丁度、一月か……」



 今や、脅威度の低い非検体の簡易的な収容区画にしか利用できないソレを、暫し見下ろしていた男は、呟く。

 感慨深げ、という様子ではない。


 むしろ、何処か怯えを含んだような声色だ。



「イメージとしては。アレが、千年以上生きてる感じだってんだろ? 魔王ってのは。よく生きてるなぁ、俺ら」

「……魔素に感謝ですよ、本当」

「違いない。よく、あんなのが自然に生まれ落ちるもんだ。命って凄いよなぁ。或いは、六大神さまの悪戯、おぼしか? ―――マイナス。ゼロの、更に下。確率的に存在しえない、あり得ざる個体……ってな!」

「……何歳です? 主任」

「ははっ。忘れてくれ」



 黒の歴史を綴った紙束など、忘却の彼方。


 部下の冷めた目を受けつつ。

 主任と呼ばれた白衣の男は、渋面ながらに答える。



「アレも、もう本部に移されちまったし……、どうすっかなぁ、実際。研究成果を無理やりもぎ取りやがって」

「といっても、どうやって造れたか私たちですら分からないんですから、好都合でしたよ。特別槽様が、このザマで。どうするんです? これの後始末。場所だけ取る、残骸」

「……ま、従来の方針に戻るだけさ。アプローチは、人体の解明されてない機能の数だけある。……非検体の数だけ、な」

「……えぇ」



 人が人を物のように扱い、失敗すれば廃棄物のように容易く葬る。

 彼等が行っているのは、そういう研究で。

 一般に、あり得ざる……忌避される思考。


 禁忌。

 決して超えてはならぬ一線。



「―――碌な死に方しないですね、主任」

「お前もなーー。一番嬉々として経過観察しやがって。どれ、どれ……席貸せ」

「はは……。では、私は他の消耗品の経過観察に行ってきますので。誰か来たら、そのように」



 しかし。

 何年、何十年と続けていれば。

 いずれは、必ず慣れというものがやってくる。

 慣れた者にとっては、同じ姿形をした存在であっても、同情の対象にはなり得ない。


 今も、そうだ。

 生物学的には己らと何ら変わらぬ者たちを強化ガラス越しに見下ろす彼には、一片の哀れみもない。

 ヒトかモノかの境界など、その程度。

 区別など曖昧な意思によるものでしかなく。

 

 勿論。

 それは……あちら側にとっても同じ、だろうが。

 部下が部屋から出て行き。

 静寂が訪れた空間……白衣の男は、暫く席に腰掛けて経過をつづった資料に目を通していたが。



「……うん?」


 

 不意に。

 ひやりとした、外気の様なものが何処かから漏れている事に気付いた。

 だが、それはおかしい。


 研究所内部の設備、通路、通気口などは厳重に管理されているし、隔壁は入念なメンテナンスが定期的に行われている。

 鼠一匹などは勿論、微量の毒素などを決して流出させないためだ。

 

 つまり……空気が漏れ出るという事は。

 何処か、この階の槽などが破損している可能性などもあるという事で。

 確かめねばならない。

 生物災害が発生してからでは遅いのだ。


 

「あの時の余波で? ……いや、一か月経った今更……」

「「―――――」」

「ん?」



 老朽化でも進んでいたのかと。

 様々な可能性を浮かべる中、重なるように外から聞こえる―――悲鳴のような声と、床の鳴る音。



「……………っ」



 防音たる部屋なかにまで響く程だ。

 先の冷気と合わせ、流石に只ならぬものを感じた男は、感覚を研ぎ澄まし。


 部屋唯一の入口たる扉を開け。

 通路へと顔を出す。



「…………ぁ、ぁぁ」



 そこには、先程部屋から出て行った筈の部下が。

 後退り。

 部屋から出た男に縋りつくようにガタガタと震え、その場で頭を抱えて座り込む。



「おい、どうした? 何かやらかしでも―――お、おい? なんだよ! 一体どうした!?」

「……来た! 来る、クル!!」



 男の部下は、優秀だった。

 元は魔術大国ヴェリタールの政府に仕える上級技師という経歴、優秀な肩書を持つ……慇懃ながら鼻につく男が。

 必死に、何かを伝えようと縋りつき。

 ガタガタと震えて、膝を折っている。


 その、尋常ならざる様子に。

 流石の彼も、実験に関する大きな不手際が発生したのではないかと、冷たいものが脳裏を駆け抜け。 



「―――――ぁ」



 すぐに、理解した。

 あの冷気、この悪寒……淀んだ空気の流れてくる源流。

 その全ては、同じものであるのだと。

 物理的な外気によるものなどではなく……本能から来るだったのだと。


 硬質な足音。

 ゆっくり、しかし確かな一定の歩幅、一定の音。

 決して立ち止まる事の無い、ソレが迫っている。



「―――――うそ、だろ……?」



 一瞬にして、男の頭が真っ白になる。

 部下が、何故ここまで怯えているのか。

 それを、一瞬で理解させられた。



「なんッ―――どうして、ここが!? 何で分かったんだッ!?」



 それは、全身鎧だった。

 黒く滑らかな甲冑に、紅い双眸。

 鎧の継ぎ目からは、マントのように翻っては霧散する瘴気が漏れ続ける。


 決して出会ってはならない、決して気付かれてはならない。

 物語のように伝えられる、悪魔が。

 ソレが、いた。



「う、わ……、ぁ……うわあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「よせッ!」



 思考が消えた男より早くから、それに遭遇していた影響だろう。

 跪いていた部下が、狂乱のままに立ち上がり。


 黒鎧へと、風属性上位魔術“黄雀鳳こうじゃくほう”を放つ。

 

 生物は、自らの積み上げた物には、少なからず自信を持っている。

 優秀な個体であるならば、猶更だ。


 故に……、彼等は運が悪かった。

 肉体の強化、魔術の強化。

 魔人という特異な、異形にして最強の怪物の研究を進め、少なからず自己の成長をも促してきた彼等は。


 自らの力量に、多大な自負を持っていたゆえ。

 


「くそ、クソッ……!!」



 金色に煌めく鳥の形をとった風爪は、黒鎧を穿つより早く、見えない壁に阻まれたように弾けて霧散する。

 予想できていた事。

 しかし、現実としてそれを目の当たりにした白衣の男は、非常用の機構を起動し、隔壁を遮断しに掛かる。

 


「大丈夫だ……、閉まるまでの時間を稼ぐぞ、合わせろ! “大海嘯壁”!」

「ぁ―――だ、“大岩盤”!」



 水の壁、土の壁……最善手として、少しでも相手の動きを阻害し。

 下がり行く隔壁を見届ける彼等だったが。



「「!」」



 閉じゆく隔壁が、半ばで停止する。

 黒鎧が剣を一振りする、水が左右に割れる……再び一振りする、土壁が裂ける。

 

 その歩みは決して止まらない。


 一瞬たりとも、止りはしない。


 驚愕は大きくなっていく。

 これ迄積み上げた研鑽、自信……己の生きた半生全てを無為と否定されているような感覚は、やがては圧倒的な恐怖へと変わりゆく。



「“紅蓮乱流”ッッ!!」

「―――ぁ……、ぁ!? “黄雀鳳”! “黄雀鳳”!」



 止まらない、止まらない……、止まらない。

 どれ程の攻撃を受けても。

 火の海に埋もれても、ソレは自然な足取りで迫り続ける。



「―――ぁ……ぁぁ……ッ!!」



 小細工など、一片たりとも存在しない。

 ただ単純に、堅く、鋭く、果てしない。

 圧倒的な武を以って、一瞬たりとも立ち止まる事なく蹂躙を続ける。


 誰しも、一度は見た事があるだろう。

 自身が、生理的恐怖を感じる「何か」から逃げる夢。

 全力で、前へ前へと足を振り続けているのにも拘わらず、その動きは遅々として進まない。


 逆に、相手はどんどんと距離を詰めてくる。

 必死にもがき、足掻き。

 恐怖は増すばかり。

 その恐怖が最高潮に達した時、ようやく夢から覚める。



「―――ひぃぃいあぁぁぁぁ!?」



 悪夢ではない。

 それは、まさに迫っている。

 先に背を向けて逃げ出した部下を叱咤する暇などなく、むしろ良く逃げたと。

 忘れていた行動を思い出した彼もまた、遁走を開始。


 認証が必要な扉を叩き続ける部下に続―――叩き続ける?

 


「何やってる!? 開ければいいだろ!」

「―――あかない、あかないぃ!! あ、はははは―――、あかない!!」



 定期的にメンテナンスが施される扉が、このタイミングで開かぬ道理はなく。

 ならば、空気……気密性?

 ドアがきしむ程の空気圧が掛かっている影響、或いはドア自体が大きくゆがんでいるのか。



「落ち着け、大丈夫だ! お前の頭なら分かるだろ!!」

「え―――ぁ、主任……ぁ……そ、そうだ……! 気密によるモノなら、こっちに空気を満たせば―――ぷェ」



「え……?」



 彼が、部下へがなりたてながら、迫りくる鎧を視線を向けた瞬間だった。


 小手に包まれた黒鎧の指が左へ動く。

 それだけで、隣にいた筈の部下は見えない壁に圧されたかのように左の壁面へと引き摺られ……。


 そのまま、鮮血が咲く。

 壁面と、不可視の壁。

 双方に挟まれプレスされ、押し花のように咲いた部下は、二度と喋らない。


 

「―――ぁ……あ、あ? あ―――え……?」



 潰れた仲間と目が合い、一気に力が抜ける。

 最早逃げる事など絶対に出来ないと理解してしまった男は、その場にへたり込み。



「ひ……ぃ……!!」



 同時に、すぐ傍に迫ったソレを前に。

 頭を抱えてしゃがみ込み。

 ビクともしなかった筈の隔壁を触れもせずに開き、通り過ぎていくソレを見送る。

 

 ………トドメを、刺さない?

 ……。

 違う。

 この黒鎧は。この悪魔は―――最初から、自分の事など見ていなかった?


 ただ、進んでいただけ。

 路傍に些細な障害物が転がっていた故。

 雑に処理して進んでいただけ……?


 薄暗い通路の奥へ奥へと。

 身体に纏わりつくような、外套の様な闇色の瘴気を纏ったソレは、去っていく。 


 それは、つまり……。



 ―――助かった?

 何も考えず、何も邪魔をせず……ただ、蹲っているだけで良かったのか?


 悍ましいソレから目を背けるように、視線を右へ移し。

 次に飛び込んだ血溜まりの肉塊から目を背け。


 あの悪魔のいない場所、もっと遠くへと。

 全てから目を背けるように、逃走すべき後ろの道へと、男は視線を向け。

 


「は、はは……」


 

「はは……、ははッ。あはは、はッ―――」

   



 それを、目の当たりにした。

 隔壁が開かなかったのは……或いは、そういう事だったのか。


 崩落などという、生易しいものではない。

 巨大な圧力が掛ったように。

 急激に収縮していく鋼の通路は、薄く脆弱な金属のように縦から横からと潰れていく。

 髪の毛一本通さぬほどに、ひしゃげて消える。


 存在そのものを認めないと言わんばかりに、道が消滅する。

 

 前も、後ろも。

 逃げ道など、端からなかったのだ。

 

 見逃されてなど、いなかったのだ。



「ァハハハハハハ、ハハハハハ!!」



 彼は、狂ったように笑い続ける。

 狂ってしまった方が、受け入れなくて良い分楽だったのだろう。


 やがて通路が消えてなくなる頃。

 その嗤い声もまた、完全に聞こえることは無くなった。




   ◇




 ……………。



 ……………。



 一人残さず、徹底的に。

 そんなのは、拠点そのものを完全に、物理的に潰してしまえば、簡単だ。

 

 爆発などという生存フラグになど、誰が頼るか。

 かつて、たった一人。

 たった一人、残党を残してしまった事が、過ちだった。

 一度の死亡確認で済ませたのが、全ての過ちだった。


 二度と、逃がさない。

 己が身だけでなく、使えるモノは全て使う。

 


「―――私だ、クロード。三から四番区画までを消滅させた。残存部隊を率いて残りの逃走経路を塞げ。一人たりとも逃がすな」

『はい、団長』



 残念な事に、これらとは百年以上にまたがる付き合いだ。

 末端などは、俺の事をどう聞かされているのか、顔を見ただけで逃げ始める程で。


 もはや、いたちごっこの典型。

 一種のライバルと言っても良いだろう。


 だからと言って、大泥棒と警察の様な関係では決してない。

 殺すか、殺されるか。

 積み上げた屍は、果たしてどちらが多いのか。 



「……ッ」



 武器を握る手に力が籠る。

 零れた刃の隙間に溜まった、刷り込まれた血は、もはや払うだけでは落ちようもない。


 騎士らしくあらんとする彼女等と異なり、何でも斬って解決しようとする弊害だ。

 剣の摩耗は、交換頻度は比にならず。



「……まだ、行けるか」



 この剣の寿命も近いと、数か月程振るった刀身を観察して目を細める。


 魔術で生み出した武器など、あくまで予備。

 やはり、真には職人が手ずから金属の塊を鍛え上げた一振りが良いと。


 老害染みた、こだわりの様なもの。


 果たして、いつから。

 いつから己は、ここまで有様や姿形に固執するようになったのか。


 変わらないと思っていても、その精神性が不変であることは決してなく。

 


「―――ここか」


  

 より厳重に管理されている事が伺える扉。

 鍵開け式ではなく、生体認証……旧世界の遺産を流用したモノだろうか。


 ……無論、開け方は心得ている。

 まず、如何にかして剣で無理やり扉をこじ開ける。 

 次に、不法侵入の影響で発生するであろう防衛機構や爆発による被害から、己と部屋の中身を保護する。


 たったこれだけ。


 この手に限る……、じゃねえよ。

 こういう事ばっかしてるからすぐ武器壊れんだよ。

 

 派手な爆発音。

 当然、無理矢理こじ開けられた時に備えたこれ位の仕掛けは存在するだろうが、「何故か」内部には傷一つついておらず。

 


「……さて。期待はしていないが……どうだ」



 あくまで、末端の一支部。

 無数に存在するうちの一つでしか無い故、あるのは総当り的に研究し尽くし、残骸にし尽くした非検体のデータばかりだろうが。

  

 ……しかし、何の間違いか。

 最も厳重そうな引き出しに、その資料を見つける。

 文字自体は暗号だが。

 言語学に精通しているかつ、魔皇国旧暗部との大きな繋がりをもっていたなら、解読は容易い。



 ……………。



 ……………。



「……―――か。大それた事を考えるじゃないか……」


 

 否……、それは、大それたなどという言葉ですら表現できない文面。

 自国民が聞いたら卒倒するだろう大言壮語で。


 勿論、俺は理論などさっぱり分からないが。

 あの男の弟子だったお前なら。


 当時の資料……【統括局】の機密データがあるなら。

 俺が喉から手が出るほど欲しいソレを、現在も後生大事に所持しているなら。


 或いは、可能かもしれない。

 可能ではあるのかもしれないが。



「……あの男も浮かばれない。この程度の研究で、彼女を模倣するだと?」



 剣を握る腕に力が籠る。

 誰しも、自分の拠り所……最も大切な領域を侵されれば、激昂するのは当然だが。


 これは、逆鱗などという話ですらない。

 


「ふざけるな……!!」



 だからこそ、確実に。

 こちらの目的を達成するためにも……、奪い、殺し、鏖殺する。


 俺は、あの時仕損じた。


 それに気付かなかった。


 全ては、俺の責任だ。

 だから、せめてお前だけは。



「お前は……。必ず、私が殺してやるぞ。―――なぁ……、ハインツ」

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