第5話:魔将談義




「―――ふふっ……、そうですか。とても楽しい職場なのですね? 現在の黒曜騎士団は」



 先日。妹から聞かされた愚痴を、ややぼかして伝えれば。

 その人物は上品に微笑み、答える。


 ……果たして。

 会議、或いは訓練の最中に混沌を極める鬼ごっこを嬉々と始めるような部下たちをして、「楽しい職場」と表現できるのかはいささか疑問で。

 それを治めねばならない妹の気苦労も、推して然るべきものなのだけれど。

 しかし……、目の前の微笑に比べれば、それ等が些事に思えてしまうのは、実に不思議だった。



「そう、なのですかね。楽しい……、かは、実際に現場を見たわけではない私には判断できかねますが。どうなのでしょうね」

「きっと、その筈ですよ。あの方が創設したのですから」



 ……彼女が言うのなら、そうなのかもしれないと。

 意識しなければ、何ら疑問すら抱けない。


 この方は、そういう存在なのだ。


 目の前の女性。

 彼女は、フィーア・エルドリッジ辺境伯。


 私と同じ、六魔将の一角。

 陛下より【魔聖】の二つ名を賜わりし死霊種の魔族であり、広大な魔皇国北部全てを統率する大貴族。

 ……その実。

 嘗ては人間として―――物語に語られる存在、聖女として生きていたという非常に特異な経歴を持つ女性だ。


 この国以外を見た事の無い私は、人間種を深く知るわけではないけれど。


 それでも、彼女は。

 とても素敵な女性だと思える。


 私のような、武に生涯を捧げようとする女ではなく。

 女性が理想とする像を具現したような。

 博愛と、慈愛……話をしているだけで、緊張と疲労がほぐれていくような、不思議な雰囲気を纏っているのだ。



「―――お茶の御代わりは如何ですか? シンシアさま」

「はい。頂きます、フィーア様」



 頃合いを見て立ち上がった彼女の手が、卓上のポットへ伸び。

 問いに、快諾するも。

 果たして……、女性の浮かべた表情はやや不満がある様子で。

 手を止める事無く、呟く。



「私達は、同じ立場なのですから……。フィーア、と。呼んで欲しいのです」

「いえ、その様な事は」



 今更、「貴女も私を様付けするではないか」とは言う必要もない。

 この問答は、何時もの事なのだ。


 現在の呼び方ですら、何度か変わったモノ。

 本当に最初の内。 

 知り合ったばかりの頃などは、「エルドリッジ辺境伯」と呼んでいて。

 しかし……未だ、ここだけは譲れない。

 


「……シンシアさまは、本当に。まるで、サブナークさまのように真っ直ぐな方ですね」



 過去、数え切れぬ程のやり取りがあって。

 しかし、未だかつて不満以上の怒気……刹那の間に消えてしまうような、淡い不服以上を見せた事の無い彼女は。


 やはり、今回も諦めたようで。

 長く、ゆっくりと。

 丁寧に注がれた、かぐわしいハーブティーを私の前に差し出しながら呟く。


 魔王陛下や龍公様、宰相閣下にも続くような長命者である彼女の話は、とても貴重で興味深いものであるけれど。

 その言葉に含まれた名は。

 私にとって、益々興味深いもので。



「―――あの。フィーア様、お聞かせ願えませんか?」



 花の柄があしらわれた金属の茶筒を開け。

 複数の茶葉をひとさじ、またひとさじとポットへ調合していく彼女へと。


 私は、思わず身を乗り出して問いかける。



「サブナーク様についてですか?」

「はい。祖父について、家族以外からその名を伺うのは初めてなのです」

「まぁ……! ―――……えぇ、そうでしたね。確かに。皆、あの方を名で呼ぶことは少なかったような記憶があります。敬称として、アインハルト老……と。生涯現役でしたからね」



 サブナーク・アインハルト。

 私の祖父にして、父の前……先代のカルディナ領主。


 王都内乱で命を落とした彼は。

 かつては、アルモス卿やグラウ伯、イザベラ様ともごく親しい間柄で。

 この女性とも、良き友であったと聞いている。


 彼女からなら。

 今は亡き祖父の、また違った一面を知れるはずで。



「……アインハルトの名は、魔皇国の騎士や兵士にとって、大変に意味のある言葉。英傑の血筋。あの最期も、とても彼らしいと……。皆が、口々に仰って」

「……………」

「巌のような、後へ続く者が手を伸ばしたくなるような背中で。でも、繰り出される剣技は流水のせせらぎが如し。ラグナ様も、最も尊敬する騎士の一人だった……と。そう仰っていました」



 彼女の話は、本当に興味深く、引き込まれるようで。

 私は、時間を忘れて聞きける。


 心地良いのだろう。

 最早記憶の中にしか存在しない、しかし尊敬する騎士を、多くの英傑が認めてくれていたという事実が。


 ……続く話の最中。

 物語を言紡ぎながら立ち上がった彼女は、露台バルコニーで丸まる私の騎竜へ歩み寄り。



「クルル……?」

「―――ふふ」



 下顎を、ゆっくりと撫でる。

 竜の喉元に存在する「逆鱗」は、彼等にとって致命的な弱点であると同時に、誇りでもあり。

 それを脅かす者は、魔物の王が持つ三本の鉤爪で斬り裂かれる事を覚悟しなければならないけれど。

 

 果たして、竜は。

 彼女の掌を、甘えるようにペロペロと舐め、私でも滅多に聞かない甘えた声で鳴く。

 


「―――昨年以来。一年ぶりの王都でしたけれど。第四階層で、この高さ。王城は、本当に広大なのですね。存じていて、驚いてしまいます」

「ロスライブズの領主館。美しい屋上庭園に比べてしまえば、殺風景極まるものです……」



 私も、幾度かかの地を訪れた事はある。


 王城に準ずるほどの、巨大な建造。

 国一番の情報量を誇る、大図書館を収蔵した屋内と、天上の楽園を思わせる屋上の庭園。


 智慧と、大地。

 二つの要素を併せ持つ、素晴らしき空間に比べれば。

 この、騎士団が所有する詰所の庭園など、趣味の域や児戯に感じられる規模でしかなく。



「いえ。あの庭園も。かつては、只広いだけの屋上で。竜舎がぽつんとあるのみでした。全て、最初から完全であるわけではない。そうある必要など、あろうとする必要など、ないのですよ? 誰しも、初めから示す側ではない。それは、陛下も同じなのです。或いは、今も。進んでいる最中なのかもしれません」



 魔王陛下は、この国に生きる者にとって崇拝の対象。

 千年以上を生きる、神に等しき存在で。


 ……果たして。

 この魔皇国に、陛下を完全ではないと言える者がどれ程居るだろうか。


 今にこちらへ向き直った彼女は。

 真っ直ぐに、私の瞳を覗き込む。



「……先の話の続きですが。サブナークさまが遺した、言伝。貴女と、マーレさま。どちらかに一族の想いを継いで欲しい、と。……カルディナ侯爵は、貴女を誇りだと仰っていましたよ」

「……………」

「彼は、己が一族の秘奥を継承できなかったことをお嘆きになっていましたから。肩の荷も、下りた筈です」



 ……やはり。

 私が彼女と話をする事になったのは、丁度彼女が王都を来訪していたのも理由であるけれど。

 それを、に勧めて貰ったからにほかならず。

 

 アルモス卿が。

 あの方が、フィーア様との対話を私へ勧めてくれた理由が、今ならば分かる。


 深い知識、温かな言葉。

 それらをもって、私を鼓舞してくれているのだ。



「自信を持ってください、シンシアさま。貴女の。貴女だけの力は、決して卑下するような物ではありません。あの方を彷彿とさせ、しかし超えていくものなのですから」

「その……。私は、祖父の剣を覚えてはいませんから。秘奥を完成させたと、どれ程讃えられようと……果たして、祖父はどれ程だったのか、と。思ってしまって……」



 他人と比べるな、と。

 誰しも、幼少より言われる事だけれど。

 比較とは、決して無くなる事の無い、確かに重要な成長の要素で、決して失ってはならない根源的なものの一つで。


 先達の力を知らぬ私に。

 フィーア様は、思い出したように新たな物語を言紡ぐ。

 


「そうですね。私も、伝聞で伺ったのですが―――」



 再び始まった物語は。

 またもや、私の興味を大きく引くモノだった。


 それは、まだ父上すらも若い……幼い頃の話。

 私の故郷が亜人の軍勢に襲撃され。

 陥落の憂き目にさえあった一大事件があったと。

 当時カルディナの領主であった祖父と、王都より派遣されてきたアルモス卿、イザベラ様が協力して平定した―――と。


 それは、何と。

 何と凄い事なのだろうか。



「ルークさまも、その場に。……今となっては、夢物語の様な話です」

「えぇ……、えぇ。―――そのような話……聞いたことすらありませんでした。―――想像も付きませんね」

「ふふふ……実際の御話なのですよ?」



 当時……150年以上も昔。

 その顔触れが、同じ戦場で力を振るったなんて。


 実際に見ることが出来たら、どれ程の……。 



「顔ぶれもさることながら……あの。それ程の相手だったのでしょうか?」

「……………ぁ」

「―――え?」


 

 興味が、一瞬にして別の感情にすり替わる。

 彼女が「しまった」とでも言うように目を逸らす事など、もしかしたら初めて見たかもしれない。

 

 ……でも、何故?



「……えぇ……と。実は、この御話は箝口かんこうが敷かれているもので。私も、深くは存じ上げないのです」

「あ……、やはり?」

「その。内緒、ですよ?」



 「しー」っと。

 口元に指を立てて微笑む彼女。

 

 この僅かな談義で、どれ程の衝撃を受けたか。

 考えども、浮かんでくるのは先の話への興味ばかりで……。


 当事者の知り合いは複数いても。

 箝口令が敷かれている以上、厳格な父上などは、語ってはくれないだろう。


 フィーア様への情報の出所は、彼女とごく親しい間柄のイザベラ様なのだろうか。

 それとも、グラウ伯?

 二人のどちらかに尋ねれば、或いは……?



「シンシアさま。貴女がこの国の民を背負っているように。この国の全てが、貴女に寄り添っています」

「!」

「気付かないうちに。気付いていないだけ。薄い壁の向こうには、己が創り出した殻の向こうには。既に、誰かが手を差し伸べてくれているのかもしれません」

「それは―――教訓ですか?」

「いえ……ふふ」



 フィーア様は。

 本当に大切な記憶であると言うかのように、己が左胸に両手を置く。



「私の、体験談です」



 今の彼女は、自信に満ちている。

 それは、果たして。

 初めからそうであったのか……或いは、その体験があってこそなのか。

 

 ……或いは、私も。

 フィーア様の言うように、いずれは彼女のように……。



「―――父のように。祖父のように……六魔との誓いの為に」



 あの日の約束の為。

 私も、必ずや。



「シンシアさま。それは……、いえ」



「……―――それは、私の役割ではありませんね」



 私が、気持ちを新たに切り替える中。


 彼女が、何かを呟いた気がして。

 顔を上げれば、陽だまりのように温かい視線が向けられている事に気付く。



「申し訳ありません、考え事を……。何か、仰っていましたか?」

「ふふ……。いえ、何でも」

 


 ……確実に、何かを言っていたような雰囲気を感じつつも。

 不意に、完全に忘れていた時間を意識して。


 私は懐からソレを取り出す。

 妹とお揃いの懐中時計だ。



「……お時間ですか?」

「えぇ、名残惜しいですが―――御話、とても楽しかったです」



 間違いない。

 本当に、時間が過ぎ去るのが早くて。

 

 こんなに楽しいひと時など、いつ以来だったろう。

 少なくとも、騎士長としての数年を思い返しても思い当たる記憶はなく。



「また、お話しましょうね? お友達とお話するのは、とても楽しいものですから」

「……えぇ」



 気分は、かつてない程に軽かった。 

 例え、それが「一時のもの」であったとしてもだ。



「―――是非。私からも、宜しくお願いします」

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