第1話:副団長の憂鬱
私を護るように。血に染まった、震える手で身体を抱き締めてくれた姉さんの温もり。
隙間から覗く、近づいてくる、冷たい剣の光。
昏く揺れる……、朱い瞳。
――――――。
――――――。
蒼い大空を舞う、竜の影。
一瞬にして多くの情報を読み取った私の目の前へと落ちてくる、鎧を纏った何者かの姿。
抜き放たれた剣が、走る。
致命のみを狙ったような精密な一刺しが、今に私達へ襲い掛からんとするソレの心臓を確実に撃ち抜く。
姉さんはそちらへ背を向け、
私には、それが見えていた。
剣閃が走る瞬間。
敵を斬り裂く瞬間が、見えていた。
『―――とても素晴らしい勇気だった』
『………!』
それは、今よりもうずっと昔の記憶。
私の芯となった、忘れ得ぬ記憶。
生まれて初めて行く事になった、魔皇国の心臓部たる王都で。
母上に何度もせがみ、聞かされた最も美しい都市へ、ようやく行ける日が来るのだと。
姉さんと一緒に舞い上がって。
でも、それは突然に始まってしまった。
―――王都内乱。
長い、長い時の中、国家を陰で支えてきた組織が反乱を引き起こし。
それに呼応するように、軍の一部、複数の騎士団もが敵方として一斉蜂起。
対する防衛側は、近衛を始めとする騎士団、兵団。
亜人の助力もあり。
祖父など、偉大なる騎士や沢山の犠牲を払い。
首謀者であった男は。
一人の騎士によって処断された。
後の魔皇国の歴史に刻まれる事となった、決して忘れられる事のない一大事件。
それは、図らずも軍に新たな規律の成立を促し。
彼の騎士が提唱した第一次軍部改革の成立に前後して、多くの少年少女が士官学校の門を叩く事になった。
……多くの者が、夢を見た。
多くの者が、憧れを抱いた。
それは、私も同じ。
全ては、あの時の……彼の騎士の……あの方の後姿を―――。
……………。
……………。
「―――ちょ、う……。ちょう……、隊長? 如何しましたか?」
「……ぁっ」
部下の声に、暗転していた意識が引き戻される。
まさか、業務の最中に。
最も責任を持つべき立場の者が、関係ない事を思い出して呆けていただなんて。
「すみません……少し、疲れているようです」
「……本当に珍しいですね」
「いや、いや。無理もない。只でさえ副長のすべき仕事が多い中で、今回の件ですから。少し、休まれますか?」
「―――いえ、問題ありません」
山と積まれた書類を見やり、心配に声を漏らす部下。
しかし、その必要はないと、私は首を振る。
本当に、僅かな間……ただ、昔を思い出していただけなのだから。
続きを促しつつ部屋の窓を僅かに開けば、風は殆どなく。
空も晴れ渡り。
これなら良いだろうと両窓を開け放ち、書類が飛ばない事を確認してから席へと戻る。
「さぁ、続けましょう。こちらが一段落つけば、頃合いになる筈です」
「はい」
「我々は、もうひと頑張りですか」
彼等はともかく。
私の今日のメインは、積まれた書類の整理でないのは確か。
しかし、それでも。
肩程にまで積まれた承認待ちの書類を仕分けていくのは、生半可な事ではなく。
慎重な事柄ゆえ、無心で淡々ととも行かない。
これでも少ない方というのが、また。
単純な提案ならまだしも、不始末の報告がどれ程紛れているのやら。
私の所属する組織―――黒曜騎士団。
魔皇国の王都周辺を覆うように存在するここ【黒曜城塞】を本拠として、国内外を飛び回り活動する者たちは、その名で呼ばれる。
軍部に在って。
どの上位組織も存在しない、魔王陛下の名の下……王直属の、完全に独立した組織。
それ等は、構成として全五つの部隊に分けられ。
第二部隊に諜報
主に国外へと実際に赴き、現地で調査する事を是とする「目」を置き。
第三部隊に収集
国内、城塞を主な活動場所として常駐し、迅速に指令を出す事で各隊の連携を取り持つ「管」を置き。
第四部隊に特務
第二、第三部隊の収集した情報を元に瞬時に活動する「足」を置き。
第五部隊に補助
収集された情報を基に、各部隊の支援を適切に行う、バランスが重視される「腕」を置き。
そして、私の指揮する第一部隊。
主な業務は総括担当。
各部隊の担った任務の結果を纏め上げ、上へと報告し。時には、その始末書を書き上げる重要な任。
騎士団の核……心の臓たる部隊。
その業務は、いつだって「やりがい」に満ちていて。
「頑張る、とは言いましたが……。繁忙期にこの人員は如何なものですかねぇ、副長」
「……仕方なき事です」
「本当に……、閣下がお戻りになれば、少しは士気も上がるというモノなのですが、ね」
「任務中、ですから。それも、仕方なき事でしょうね」
飛竜を駆る者。
正式な団員一人一人が己の分身たる騎竜を所有し。
常に別の場所に居ると言っていい。
雛から調教した強靭な飛竜種であろうと、決して簡単ではない事。
一重に、積み上げた年月の差か。
「―――……さて」
書類整理が一段落が付き。
やや姿勢を崩す中で、時間を見やると。
窓を開けた事で効率が上がったか。
予定より、存外に進みは早かったらしく。
「まだ少し時間がありますね。お茶でも入れますが―――隊長も、会議の前に一杯如何です?」
「えぇ、有り難うございます」
「こっちも頼みまーーす」
どうすべきかと考える中。
気を利かせてくれた部下が席を立ち、併設されたすぐ傍の給湯所へ向かう。
「あの、副長」
そして、それに合わせるように。
席で背を伸ばしていた団員が、機を伺うように呟く。
「どうかしましたか?」
「噂を耳にしただけ、憶測の話で非常に申し訳ないのですが……、モルデンスが休暇続きなのは―――」
「想像の通りです。礼服の準備をしておいてください」
「***ッ! なんてこった!! また先越された!」
「……おい、隊長の前でそんな言葉を……気持ちは痛い程分かるが」
団の隊員は独身者が多く。
また、各地を飛び回る性質上、一か所に腰を落ち着けて特定の人物と結ばれる事も少ない。
……それゆえか。
男性仕官の間では、どれだけ良い相手とどれだけ早く添い遂げられるかで睨み合いが勃発しているらしく。
職場恋愛も上等。
女性が入団しようものなら、それこそ戦争……と。
「……………」
「―――た、たいちょう?」
「美味しいです。有り難うございます、エルマー」
「あ、はい」
少年少女の憧れ。
名高き黒曜騎士の実像がこれかと。
聞こえない振りをしつつも、会議前から頭に鈍痛を覚え、運ばれてきた温かいお茶でリラックスをはかる。
「―――失礼致します」
そして。
容器の殆どが無くなる頃、ノックと共に開かれる扉……現れたのは、まだ入団から幾らも経っていない若い騎士で。
やや離れた位置にある、会議室の様子を確認してきてくれたのだろう。
「お疲れ様です。定刻まで二十分を切りましたが、如何でしたか」
「はい、滞りなく。クロードさんとヴァイス様は、既に到着されているご様子で。キース様も連絡は付かないですが、問題はないかと」
「ミルさんはどうですか」
「……はは。どちらにおられるやら」
「迷子の呼び出しでも掛けたら如何でしょう? ふふ」
「笑いごとではありませんよ」
「これは、失礼いたしました―――あ、副長。会議に提出する資料、こちらに纏めておきましたよ」
「そちらは有り難うございます」
外部の目に触れる場所でもなし。
先の件も含め、多少の軽口は容認されるもの。
しかし、今度は立て続けゆえ。
軽くたしなめると、団員は苦笑しつつ几帳面に纏められた書類の束を私の仕事机に置く。
……優秀であることにも間違いはないのだ。
「―――では、私は会議に行ってきます。三人は適宜休憩を取りつつ、無理のない範囲で決算整理を進めてください」
「「はい」」
「えぇ、有り難うございます」
目的地へはやや距離がある為、今から向かおうと。
書類を手に、私は席を立ち。
日光を反射し煌めく黒晶の通路……城塞の特徴たる、何処までも続く長大な回廊を、一方へ向けて歩き始める。
「マーレ様! お疲れ様です!」
「副団長、お疲れ様です」
「えぇ、お疲れ様です」
回廊を行く中、すれ違いざまに敬礼を取る騎士達に言葉を返し、歩く。
尊敬、憧憬……、畏怖。
相手の表情から感じる、様々な感情。
―――私も、ここまで来たのかと。
不意に視界に映り込んだ青い瞳。
窓ガラスに映った自身の顔が、本当に小さく笑みを浮かべている事に気付く。
必死に。
ただ、その背を、道を追って歩んできた。
士官学校を卒業し、黒曜騎士となり。
近衛に入団した姉と。
ずっと共に歩んできた彼女と、初めて異なる道を歩み始め。
今や近衛騎士長、そして六魔将となった姉。
黒曜騎士団の副団長となった私。
当然に、比較されることもしばしばありながら。
昔は
姉妹仲は昔以上に良いのかもしれないと。
事務室でかつてを思い出した影響か、そういった自己分析もが脳裏を過っていき。
……………。
……………。
「―――定刻十分前です。皆さん、揃っていますか」
「「……………」」
やがて辿り着いた一室。
扉を開け放った私は、既に卓へ腰かけている顔ぶれを見渡す。
「第二席、逢魔」
「えぇ」
「第三席、天識」
―――……。
「第四席、煌陰」
「こちらに」
「第五席、至誠」
「はい、副団長」
「……では。ミルさんを。彼女を見かけた者は―――」
「遅れた、遅れた」
士官学校で幾度か見た光景に酷似したソレ。
遅刻ギリギリ、教師を追い越すように。
ドアの前に立つ私。
そして守衛の騎士達の間をすり抜け、部屋中へと踏み入れる小さな影。
その両手には、文字通り抱える程に大きな紙袋があり、身長差から見える開け口からは焼き菓子などが覗き、かぐわしい香りを齎す。
しかし。
それを抱える彼女自身は、もはや前も見えていない筈……。
否、そもそもの話。
「……ミル。会議室にそのような物の持ち込みは」
「副長。私が細心の注意を払っておきましょう―――ランチョンマットも、ウエットティッシュもこちらに」
「……はぁ」
「アイスブレイク、ですよ。ふふ……。近頃は会議にもこのような和やかさが必要、と」
相も変わらず、方便が達者で。
背を伸ばし隣席に座るミルを迎え、すぐさま卓上に布を広げるヴァイス。
もはや未来視の域に近い「配慮」は万端らしく。
………。
「分かりました。持ち込んでしまった以上は、仕方ありません。あまり音を立てないように」
「食べて、良い?」
「音を小さく、です」
「ははは、流石副長……ククッ」
何がおかしいのか。
私とミルのやり取りに、さも可笑しそうな声をあげるキース。
そして、唯一姿勢も正しく始まりを待つクロード。
五人の隊長格……全員。
揃ったのなら、問題ない筈。
ですが―――これは、今回も騒がしくなりそうですね。
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