番外編:逢魔が時




 アウァロン世界に存在する、唯一の大陸。

 地上の大部分を占める広大なアトラ大陸には、大規模小規模問わず多くの国家が存在し、多種多様な種族が存在するが。


 中でも繁栄を遂げているのは、人間種。


 大陸各地に点在する、人界の領域。

 その人界でも、最東端に位置している国家とは何処か。


 それを問われた人間は。


 およそ迷いなく、こう答える筈だ。

 地上の理想郷、クレスタ王国だろう―――と。


 本来、人間種は知的生命の中で特に魔素への耐性が弱い種であり。

 それ故、東側へ向かう程に存在する人間国家は少ないが。


 例外こそあれ。

 より東側の国家程、国力としては精強な傾向も間違いではない。


 クレスタ王国も、所謂大国の一角。

 大陸最難関、前人未踏……。

 至高の勇者のみが最奥へ到ったという伝説の残る【グロリア迷宮】を有し。

 そこから出土する魔道具や古の文献によって、軍を強化する。

 まさに、朽ちぬ栄華を享受し続ける地上の楽園。


 多くの冒険者が目指す最果ての地。

 一攫千金の黄金郷。

 通商連邦にも劣らぬ、財と贅を凝らした絢爛けんらんなる都市。

 名称を挙げればそれこそキリがなく、運さえあれば、地位も名誉も思いのまま。


 そんな、楽園のような地……。



 ……………。



 ……………。



 光がある所には、必ず闇があるもの。

 年々、多くの冒険者が命を落とし。

 或いは、人知れず消息を絶ち。

 迷宮内ならいざ知れず、何故かその骸が地上で見つかる事も珍しくなく、ありふれた話。


 唯一、貴族階級のみ。

 彼等のみが、安全に。

 探索者たちの血の結晶を、ただ当然の恩恵として享受する。

 無数の誰かの犠牲によって磨かれた、美しくもおぞましい血の紅玉。


 それこそが、クレスタ。

 朱の宝玉、絢爛なる王冠を国旗と掲げし、クレスタ王国である。



 ……………。



 ……………。



「……―――ぁ」



 瓦礫がれきの上。

 取り壊された廃墟、もはや小石程度の瓦礫しかないなだらかな小山の上で、うずくまっていた彼の腹が鳴る。


 夜も更け、月も高い時刻に。

 このような場所に、少年が一人。


 既に、生まれが知れたような物であり。

 辺りには、親の姿などある筈もないが。

 彼は外見内面共に、まだ十代後半にも満たない子供だった。


 一面に広がる廃墟と瓦礫、積み重なるゴミ。

 糞尿ですら物陰に隠そうという考えもなく、そこらに転がり悪臭を放つ。


 少年の居るここも、日の当たらぬ闇の一つ。

 王国の貧民街。

 ……スラム、と―――否、その名ですら足りない。


 瓦礫の通りには、冷たくなったソレがその他のゴミに等しく眠るように横たわり。

 乞食が臓を取り出し、売買しに行く。

 終ぞ我慢が利かなくなったモノが、今更何を隠す事があるのか、ひっそりと物陰でソレを喰らい始める。


 まさに、この世の地獄。

 それ単体が一つの都市と呼べるほどに広大でありながら、人目にも付かず。

 王国の陰にひっそりと存在する地獄だ。



「―――お!? ……なぁ、なぁっ、見ろよ……! アイツ、アイツにしようぜっ」

「おぉ……ッ!?」

「偉い別嬪べっぴんさんじゃねえか。身なりも良いし……、なんだってこんな掃き溜めを歩いてやがる」



 小鬼のように汚いボロを纏い、泥と埃に塗れた醜悪な男たちが、歓喜に震える。

 冒険者にとっての獲物が魔物であるように。

 ここに住む彼等にとっての獲物は、同じ人間で。



「……へへッ。何だって良いだろ」

「あ~ぁ。そのおかげで、良い思いが出来る。美人さんに、男の怖さってモノを見せてやろうぜ」



 偶々耳に入った男たちの言葉に、力の入らぬ顔を上げ。

 少年はその視線の先を向き。

 そこに存在するのが、瓦礫に塗れた地面を、片手に籠を持ってゆっくりと歩いていく女である事を理解し。


 彼は、心の中で毒づく。

 気持ち悪い連中だ、と。


 見境なく、女を攫って。散々に身体を辱め。

 安値で奴隷商へと売り払い。

 奴隷商もまた、人さらいによる違法な奴隷であると知りつつ西側の国家へと売り払いに行くのだろう。

 ……最早、見慣れた光景だ。


 少年は、当然にアレ等のような者共を軽蔑していたが。

 同時に、女も嫌いだった。

 彼がこれ迄見てきた女どもは、禄でもない者たちばかりだった。


 スラムの者達が決して踏み入れる事叶わぬ真なる国の中に存在する街には、娼館というものがあり。

 女たちは、自分の権利として。

 自由意思によって、丹念に磨き上げた身体を一夜の夢として冒険者や権力者に売るというが。


 そんなもの、此処では絵物語の話。

 少年が知るのは、権利などなく、動物のように他者へ媚びへつらい。

 己の快楽のみ、それのみを手に入れるなら何でも……己が子を売り、他者をおとしめるなど序の口。

 真に、どのような事でもするという、悍ましいナニカで。 


 醜悪という言葉を固めた存在。

 それが、彼の知る女だ。

 少年自身、一度、二度。

 ……数えきれない程、手で招かれた事、態々目の前で醜態を見せつけられた事もあるが。


 今回も、同じような事になるのだろうと。

 見ている事さえ苦痛でしかなく。


 今回も、運が悪かったと。

 少年は、足早にその場を去る為に。

 立ち上がろうと、まるで力の入らない細足を動かす。



「―――おい、姉ちゃん」 

「お使いの最中かい? へへ……。俺たちで良ければ、荷物持ちくらい手伝うぜ」

「その重そうなモンとか、な」



 男たちが、たちまち女を囲み。


 逃げられないように輪を狭め。


 対する女は、事も無げに、鈴のような声色で言葉を返す。



「荷物? 見ての通り、この小さな籠くらいだが―――いや、ちょっと隠しものを……ね。親に怒られないように、見つからなそうな場所に隠すってアレさ」

「あーーん、成程なぁ……」

「なら、見つかったらどうなるか知ってるだろ?」

「お仕置き、だよなぁ……へへへッ」


「―――ぇ?」


 

 やはり、というべきか。

 男共の言葉に、女はブルブルと震えるように肩を抱く。

 

 だが、逆にその様子を楽しむかのように。

 それこそが悦楽、甘露とでも言うかのように。

 恐怖に歪む顔を見たいとでも言うように、下ひた笑みを浮かべ、三匹の男共は更に女へ近付き……。



「……え、キモッ」


 

 氷のような、酷く冷めた声が聞こえるが早いか。

 男たちが、顔から瓦礫の地面へと倒れ伏す。


 荒れた地面。

 当然受け身など取りようもない彼等の様子は、まさしく惨状と評すべきもので。


 ドチャリ……と。

 鼻からの出血か、地面に鮮血の花が咲き。

 それに対し。女は、まるで興味がないかとでもいうかのように。

 己の肩を抱きながら、間をすり抜け歩いていく。


 幸いな事に。

 その進路は、少年の居る場所からはやや外れた道へ向かい……。



「やはり、ダメだな。未だ顔を覚えている者もいるからと思ったが、これでは別の意味で―――うん?」



 誰も、少年には近付かなかった。

 彼の肌を、目を、耳を見れば。

 誰もが、何かを恐れるようにして逃げるように去って行った。


 その筈なのだが。



「……ッ!」



 唐突に、進路が変わり。


 ゆっくり……ゆっくりと。

 それが、近付いてくる……ピタリとも止まらない。

 女は、全体像が把握しきれる距離とあっても少年へ近付き……その距離は、ほんの手の届く距離になり。



「珍しい。半魔種か」



 少年を覗き込む黒い瞳。


 身体が、全く動かない。


 今に雨風をしのぐための瓦礫……ある種の家へと去ろうとしていた彼は。

 射竦められるように、その場から動けなかった。


 

「弊害、と言うべきかな、コレも。……腹は、空いているかい?」

「!」



 逃げろ……と。

 そう命令していた筈の頭は、すぐに指令など忘れてしまう。

 白い塊だった。

 女が、言葉と共に手に持った籠から取り出したソレは。

 大小の細かな気泡があり、何処までも白く……ふわふわの。


 パンだ。

 少年が今までに一、二度見たかというような……腐敗していない、カビも生えていない、指先程でもない、それも白いパンだ。


 彼が今まで食したソレは。

 日持ちだけが取り柄のような、土の如き味と色味のパンでもまだ特上だったのに。



「―――ぅ、あぁ!! ……ぁぐッ、グク……!!」



 奪い取るようにして手にすれば、潰れて無くなってしまいそうなほどに柔らかいソレ。


 これ程のものなど。

 果たして、これ程旨いものがあったのかと。

 あまりに都合が良すぎて―――それこそ、あまりに奇妙で。

 少年は、裏を感じずにはいられず。


 しかし、毒なら毒で良いと。

 腹を痛めるだけだと。

 決して、貪るのだけは止められない。

 ここで生活している少年は、かびたパンや腐った食物、多少の毒素程度では何ともなく。


 一心不乱に貪る中。



「ッ!」



 不意に伸びてきた手を、今度は払い除ける。



「触るなッ!」

「これは、手荒な。そんなのではモてないよ」



 邪魔をするなと。

 睨みつけるまま、やや距離を取る。


 ……同じだ。

 例え与えられた物であろうと、例え自らが労力の果てに得た物でなくとも。

 己の手に渡った瞬間、手中に在るのなら、それは

 ケージ、或いは檻。

 その中に飼われた愛玩動物は、与えられた餌をそうとしか認識せず。


 仮に、食事の邪魔などされようものなら。

 増してや、何者かがソレを奪う素振りでも見せようものなら、全力の抵抗を見せるだろう。


 生物としての本能だ。



「―――良いさ、存分に食べると良い。君はまだ子供だから、出世払いで許そう。良かったね、出会えたのが今で。地面とキスどころか、貪る程美味しいパンだ」

「……………」

「白い肌、紅い瞳……黒い髪、か。どうにも親近感が沸くじゃないか……、ははは」



 自然な所作で、粗野という言葉の欠片もなく。

 女は、少し距離のあった少年の前に屈みこみ、微笑む。

 


「―――少年。付いてくるか? 私に」

「………むぐ……ぁぐッ」

「このゴミ溜めは、好きでいる連中と、諦めた連中しかいない。どうするかは君の自由だが、ここにいて良い結果は訪れないだろう」



 笑顔のままに、言葉を続ける。


 一方の手が動き、もう一方の手が動き。

 案山子のようなポーズで……双方が、天秤てんびんのように少年の眼先で揺れ動く。



「そうだ。これは、選択だ。この選択で、君の一生は大きく変わる。或いは、この生活が恋しくなることもあるのかもしれない。……だが、―――っとと」



 また、手が伸びる。


 その手を、少年は再び払い除ける。

 これが答えだ。 



「……親代わりの、つもりか? 貧弱な良心を満たそうとでも考えているのか? お貴族様がッ」



 少年は、相手の正体を予測していた。

 まず、ここの住人ではない。

 血色が良すぎるし、こんな女が居ればあまりに目立つ。


 そして、平民でもない。

 身なりが良すぎるし、こんな場所に来ようなどと考えるもの好きは子供にすらいるはずもない。


 先程、アレ等がいとも容易く昏倒するのは見ていたが。

 およそ、魔術なのだろう。

 旅装である筈の外套には汚れ一つ、埃一片なく……まるで、外界を知らないような新品の色艶。

 加えて武器一つ所持していない所を見れば、冒険者ですらない。

 

 ならば、クレスタのごくごく一部に該当する上流階級。

 暇を持て余し。

 娯楽として、魔術を会得でもしたのだろう。

 そして、同じように娯楽として、何らかの享楽の為にこんな場所にいるのだろう。


 何にせよ、自分には理解できない思考だ。

 自分の対極に位置する、自分など路傍の石にしか映っていないであろう女に、敵意を隠す事など少年には出来ず。


 良い結果? 自由? 選択?

 この女に、そのつもりなど、有る筈もない。

 選択など、有る筈がない。

 待ち受けるのは、見世物か、あまりに理不尽な終わりか……選ぶ権利など、端から存在などしない。

 飽きたら捨てる……それだけの筈だ。



「自由なんて、ない。ずっと、同じだ。ずっと、一人だ! 親なんていらない!!」

「フフフ……ッ。大分やさぐれているな、君も。……当然か」



 抑えていた感情を露わにして叫ぶ少年。

 対して、女は聞き流すように笑い。


 彼の言葉に同調するように、頷く。



「親……か。あぁ。ソレも、面白いかもしれない。―――ならば……」



 女が、動いた。

 手の動き、目の動き。

 一挙手一投足を警戒する少年の前で。

 女は、その小奇麗に過ぎる細指を伸ばし、薬指に嵌められた鈍色の輪を取り去る。



「―――母が良いか……、父が良いか」

「………ッ!!」

「それは、君自身に任せる。私としては、普通に父親が良いのだけどね」



 変化は、突然に現れた。


 少年と同じ、紅い瞳。

 夜の……月の光を背に、芸術品のように白い肌が淡く輝く。


 

 ―――そこに居たのは、男だった。


 

 長髪など、面影すらない。

 目の前で笑っているのは、紛れもない男だったのだ。


 少年の受けた衝撃は、果たして如何ほどだったのだろう。

 間違いなく、それは隙だった。


 不意に、三度みたび伸びた手が。

 不覚にも警戒を忘れ、呆けていた少年の頭へと乗り……ゆっくりと、切り揃える事も出来なかったであろう長い髪を撫でる。



「名前は?」

「―――……な、い」



 全身に電気が走ったように。

 ビクリと震える少年を、ゆっくりと抱き寄せるように。

 耳元に、囁くような声が響く。


 少年は、今度は抵抗しなかった―――できなかった。


 何故かは、分からないが。

 

 全く嫌な気がしなかった。



「私には、見える。魔力の性質。キミの才が、見える―――あぁ、新手の詐欺ではないよ?」

「……………」

「君には、決して切り離せない、君だけの才能がある。先のパンのように、モノなら、分け合えたろう。だが、人を分けることはできない。君を見出した、私のひとり勝ちだ。この国は、素晴らしい才能をみすみす手放すだろう」



「私は、この出会いを忘れない。この、荒れ果てた戦場のような瓦礫の上で。森のような広い世界で。君に出会えた。君にも、忘れないで欲しい」



「―――――ならば……キース。君は、キース・アウグナーだ」

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