番外編:煌きは陰らず




「―――――オデはッ! もう、逃げないッッ!!」



 幼い長耳の少女を庇って両手を広げ。

 醜い僕は、腕に松明を持ち。あぎとを広げる強大な魔物へと立ち塞がる。


 大陸の東側に生息する魔物。

 当然、それはそれは強大で。

 

 自然、恐怖しかなく。

 今に涙が溢れ、多くのモノが身体の内から流れ出るのを感じる。


 でも。

 もう、逃げたくはなかった。



「―――オデはドニゴール氏族の嫡子、ヴァイスだッッ!!」



 ……………。



 ……………。



 僕の生まれは、亜人のオーク種。

 中でも歴史あり力のある、最も有力な氏族の長が息子として、恵まれるままの生を受けた。

 

 一族の長い歴史を支えたのは、一重に血の性質。

 ブルーオークという、上位種としての力があってこそ。

 上位種……変異種……。

 通常、次代へ継承されるされる率が低い異常個体に在って、ブルーオークは遺伝的に継がれていく特性がある特異な種で。

 その家系に生まれた僕も、当然ブルーオークだった。



『諸君! コノ魔物ノ血ト肉ガ我ラガ糧トナルノダ!!』

『『オオオオォォォォォォォォォ―――――』』



 魔物を返り討ちにし、未だ血の滴るその肉を切り取る同族たち。


 オークとは、強く誇り高き種族だ。

 自らの力で勝ち取る事を是とし、弱きものの屍を乗り越え、仲間の血をも自らの糧とする。


 里が敵に襲われようと、何ら心配はない。

 屈強な戦士たちが。

 どころか、普段は一村人として暮らしているだけの者達、皆が狩人となり、一丸となり戦うゆえ。


 最後の一人になるまで勝機は存在する。

 里の住人は、全員が生粋の戦士なのだ。

 

 ―――横たわり、肉が切り出される魔物。

 その牙と顎を濡らす朱は、仲間が喰らう肉は、血は……。

 決して、魔物本来のものだけではない。


 オークとは、醜く残酷な種族だ。

 昨日まで笑い合った仲間が魔物の糧と消えても、逆にその魔物を喰らい、笑い、忘れる。

 全てを血肉に、夜を騒ぐ。


 そして、最たる特徴は。

 未成熟なオークは、ある時を境に獰猛どうもうさがより増大し。

 ひとたび爆発すれば感情を抑えることが出来なくなり、温和だった者でも狂暴な性質を隠そうともしなくなる。

 その時期の到来こそが、一族にとっての成人の儀とも言えた。



 ……………。



 ……………。



『アニさん。オデたちも、獣になってしまうのでしょうか……。仲間を喰らい、暴虐を抑える事も出来ない、獣に』

『―――大丈夫さ。僕たちは』

『……楽観的な』

『違う、客観的な意見だ。だって、ヴァイスは、誰よりも優しいじゃないか。その優しさがあれば、決してそうなりはしない』



 同族が持つ勇猛さ、戦士としての矜持きょうじ

 それは、僕自身も誇りに思う。


 しかし、同時に。

 併せ持つ凶暴さを、心の何処かで嫌悪してもいた。

 だから、僕は年齢の近く、争いも好まない、変わりものとされる彼との対話を好んでいた。


 名君として、里の民たちを統治する空想。

 善政を敷き、誰にも尊敬される空想。

 或いは、狩りだけでなく、農業や薬草の栽培などを行っていくのも……などと、遠い「いつか」について漠然に考え、彼と議論し……。



 そんな日常の中、彼が失踪した。



 里の者が集落を出るのは珍しい事ではなかった。

 時折、里を出て帰らぬ者がいる。

 そういった存在は、何処かオークの規範から外れた変わり者……ハグレが多く。


 己の意思で、違う生き方を選んだのだとされた。

 去るものは追わないのもまた、里の方針だった。

 

 それなのに、どうしてか。

 それを知った時、彼ならそういうことも有るかもしれないと己でも考えながら、何故か胸が騒いで。


 ……あぁ、幸いな事に。

 数年後、彼は里へ戻って来た。



『―――ゥ……、グㇽ……ググ……ゥ』



 再会した時の彼は、もはや彼ではなかった。

 

 文明を知らずに育った、魔物としての性質が浮き出たように。

 本能のままに食らい、暴れ、情欲を求めるのみ。

 まるで、今までの温和さが裏返りでもしたかのように、目に付く全てが糧とでもいうかのような……戦士ですらない、獣、魔物としてのオークがそこには居て。


 そんな彼の変化すら、あくまできっかけだった。

 次期族長に成る為に行ってきた他種族との交流もまた、拍車をかける。


 理知的な者と話せば話す程。

 己との差に愕然とし、黒い衝動が沸き上がる。


 それは、始めは本当に小さな疑問で。

 やがて広がる。

 傷は心に深く入り込み罅となり、亀裂となり―――やがて、砕けた。

 

 ある時。

 全てが寝静まる夜に一人、里を抜けた僕は旅に出た。

 初めのうちは見識を広げる為、己の在り方を見つめ直す為と考えての事……そう自分に言い聞かせるようにして。


 

 ―――……違う。



 僕は、怖かったんだ。

 いずれは、僕自身の思想も彼等と全く同じになるかと。

 或いは、ならずとも長としての役を全うする為に受け入れ、やがては本心とのズレを受け入れ切れず、発狂し只の獣へ成り下がるだろうと。



 ……………。



 ……………。



 自分でも、心の何処かで分かっていた。

 僕や彼の様な精神の在り方を持つ者ほど、耐えきれず群れを離れ、ハグレとなり。


 やがては、戦士ですらない、只の獣に成り下がるのだと。

 

 裏返ったんじゃない。

 今まで抑えていたからこそ、反動が大きかっただけなのだ。 

 己の種としての本能に背を向け、とぼけたふりをして、己が内側から目を背けてきた。


 誰も居ない世界に逃げたいと。

 誰も傷付けたくない、誰にも傷付いて欲しくない、自分が傷つきたくないからと。

 身勝手に夢を見て夢想し続け、現実の自身との乖離に苦しみ、苦しみ……狂う……狂う、僕も―――。



 ……………。



 ……………。



「―――ぷはッッ!!」



 冷たい水が、頭を冷却する。

 粗末な松明たいまつ篝火かがりびが夜を照らし。

 遠目に幾つもの簡易的な住居が存在する、湖のほとりで。


 何度目かも分からない、湖に頭を漬ける行動を終え、かぶりを振る。

 脳が揺れ、また思考がぼやける。


 そんな中。

 不意に視線を感じて、目を向ければ。



「あ、ぅ……」

「どうかしたの?」



 そこには、端正な顔立ちの長耳の少女が居て。

 僕を、巨躯の異種を見て怖がっている。


 彼女は、半妖精。

 この湖の畔でごく小規模な集落を形成する彼女等は、つい最近西から流れてきたらしく。

 同じ、余所者だった。

 出会ったばかりの流浪者である僕があしらわれるだけでなかったのは、それも影響していたのだろう。



「あの……お花……、咲きそうだから……」

「!」

「白い、お花。凄く綺麗、で……」



 冷却された頭で考える中。

 消え入りそうな少女の言葉で、ようやく気付く。


 暗がりの、己のすぐ足元に在ったソレ。

 それは、小さな花……否。 

 まだ開花する以前の、闇に溶け込むような、真っ白なつぼみで。

 これを、僕が踏むのを恐れたのだろう。



「―――綺麗だね、まだ咲いてないけど」

「オークさん、お花……好き、なの?」

「好きだよ。この花は、二輪草って言うんだ。風の花とも言って……咲くのは、もう少し先かな」

「知ってるの、すごい……」

「モノには、名と意味がある。それを考えるのは、とても楽しいんだ。例えば、これは花言葉だと……」



 同族は、ただ「花」としか思わないだろう。

 僕の場合は、多くの欲求を知識の会得にすり替えてきたから、知っていただけで。

 

 少女は、僕の言葉に熱心に耳を傾け。

 一夜、二夜……三夜。

 気付けば、それが当たり前だった。



 ……………。



 ……………。



「―――オークさんは、流浪者の、オークさん」

「……………はは」



 本来は、すぐ彼等から離れるつもりだった。

 一人で旅を続けた僕に、彼等の暖かさはあまりに大きすぎて。

 醜いハグレモノである己が、壊したい、穢したい、全てを奪ってやりたい衝動がどんどん大きくなるから。


 ……でも。

 せめて花が咲くまでは、此処に留まりたいと。

 その後どうするかは、努めて考えることを避け、先送りにして。


 長耳の少女と共に過ごし。


 一緒に居ればいる程。

 内から湧き出る衝動が、情欲が、全てを奪えと囁いて。



 ―――花が咲けば、また逃げるのだと。




「「―――――!!」」

「―――――!」




 ある宵。

 湖の畔にある樹を背に眠りこけていた僕は、割れんばかりの狂乱の悲鳴にたたき起こされた。


 それは悲鳴、それは慟哭どうこく、それは助けを乞う叫び。

 視界にちらつく、荒れに荒れて燃え広がる松明の焔。

 逃げ惑う、長耳たち。

 眠りにつくすぐ前まで確かに存在していた粗末な簡易住居が、幾つもなぎ倒された光景。


 その渦中に存在する巨体は……、あれは。


 黒に近い灰色の長い体毛。

 鋭いかぎ爪を有する、細くしなやかでありながら巨大な四足。

 暗闇で爛々と輝く細い瞳。


 ―――ヴァナルガンド……!

 全ての地狼種の祖とされる、最上位にも分類される魔物の一角。


 時に地竜とすら縄張り争いを行う獰猛な獣が、そこにはいて。

 


「誰か! 誰かぁぁぁッ!!」

「誰か、助けて!」

「―――に……逃げ―――助け、ぁぁぁ!?」



 まさに、地獄だった。

 ……助けを乞う言葉が、一帯全てを埋め尽くしていた。

 乞い、乞うばかりだった。


 逃げ惑うばかり。

 誰一人、武器を取って戦おうともせず―――違う。


 彼等は、そうなのだ。

 他者を受け入れる優しさと引き換えに、立ち向かう事を知らない。

 僕の同族と違い、戦う手段など持っていないのだ。


 ならば―――……全滅?


 こうして遠目から、他人事のように無感情に眺めている間にも、多くの思考が脳裏をよぎる。

 同族だったら、今に魔物へ飛び掛かっていた。

 誇り高く、戦っていただろう。


 だが、そうはならなかった。

 彼等は、只逃げまどい。

 獲物をもて遊ぶかのように悠々と歩く大狼から逃げ惑う中、とうとう逃げ遅れた一人の半妖精が衣服ごと肩口を斬り裂かれ。

 破れた衣服が、運悪くその爪に引っかかり、地面へ引き倒される。

 


「ぁ……あぁ―――、ひ……、ひっ―――ぁ!?」

「グルルルㇽㇽゥゥア―――!!」



 狼が、嘲笑うように空へ咆哮する。


 抵抗など知らぬ、敵意すら持たぬ。


 そんな矮小な獲物を馬鹿にするように。

 大口を開け。

 まだまだ泣き叫べと、楽しませろと、勿体ぶるように爪を振り上げ……、―――ッ!!


 前へ走り……出ようとした。

 僅かな間でも僕を受け入れてくれた彼等半妖精を助けられるのは。

 逃げる、救いを求める以外知らない彼等を救えるのは、オークたる僕だけの筈だった。



「ㇽㇽㇽㇽ……?」

「―――ぁ……あぁ……ぼ。く、は……」



 しかし。

 僕の僅かな敵意を感じたか。


 一瞬にして、細い目をこちらへ向ける大狼。

 その、「享楽きょうらくの邪魔をするな」とでも言うような、たった一睨みで。


 頭に水を被って来たこれ迄が天国に思えるような、冷却。

 全てが真っ白になり、足が震え……そのまま、その場にへたり込みそうになり。


 それに満足したのか。

 狼は、再び足元に転がる第一の犠牲者へと視線を戻した。

 ―――その時だった。



「………?」



 大狼の胴部に、掌大の何かがぶつかった―――石だ。



「逃げて! にげてぇぇ!!」



 あの子だった。

 他の者達などとっくに避難した筈のこの場に在って、最も似つかわしくない少女が、あの石を投げたのだ。


 大狼の意識が。

 他より遥かに幼い、小さな半妖精へと向く。



「……グル、ㇽㇽㇽ」



 少女は、逃げない。 


 どころか、またしても石が投げられる。

 今度は狙いが逸れたか、狼の足元にソレは落ち、転がり。

 目障りだとでもいうかのように、大狼の意識が完全に僕と負傷した半妖精から逸れる。


 その先は勿論、あの少女へ。

 標的が、移った。

 へたり込む僕の中で目まぐるしく変わる感情。

 まず、驚愕。

 そして、脱力、無力感……安堵……。


 ……安堵あんど

 あの少女が、注意を引いたことに。

 逃げ惑うしか知らない筈の存在が、僕の同族の様な戦闘の意を以って僕たちを護ってくれたことに、安堵……?



 ……………。



 ……………。



 他人が、命を顧みず立ち向かったことに。

 己が逃げられたことに……安堵?

 


「こ、こないでッッ!!」

「ウㇽㇽㇽㇽ……」



 ……………。



 ……………。



「―――ダメだぁぁぁぁ!!」



 走る、走る……途中に落ちていた、持ち手まで燃え広がった松明を手に、走る。

 逆風に飛散した火の粉が、容赦なく腕を焦がす。



「ぼ、く……ッ。僕は、ボク、は……」



 足がすくむ、もつれる、腕が熱い。


 僕は、馬鹿だ。

 本当に、大馬鹿モノだ。

 ここに来て、ようやく……ようやく、気付けた。


 続いて来たことには、意味があるのに。

 漠然と、優しさだけが正義だと勘違いし、一族の悪い所だけを嫌悪し、別側面を見もせずに逃げ出した。

 理解しようともしなかった。


 同族のように誇り高くも、残酷な者達。

 半妖精のように優しくも、もろい者達。

 どちらかでは……どちらが正義なのかでは、決してないのだ。


 そして……立ち向かう勇気は、いつだって平等だったのだ。

 強くても、弱くても、誰もが持っていたのだ。

 誇り高き同族たちは、僕が軽蔑し逃げた彼等も……今の僕のように、本当は怖かった筈で。


 それで尚。

 誰かの為にと、己の命を賭して戦っていたんだ。



「――――――――――」



 あまりに心許ない武器である、火のついた棒切れを振り回し、少女の前へ躍り出る。


 何を言ったかなど覚えていない。

 意味のない言葉の羅列だったかもしれない。

 ただ、もう嫌だった。


 だれかが、魔物に襲われるのは。


 誰かが殺され、喰らわれるのは。


 そんなの、嫌だ。

 もう、そんな光景は見たくない。

 それに―――醜い心のまま逃げ続けるよりは、一時でも一族の戦士の矜持を持ち、誰かを護って死にたい。


 死ねば、見なくて良い。

 誇りある死なら、生き残った彼等が尊厳あるとむらいをしてくれる。


 逃げ続けた者には、あまりに贅沢過ぎる末路。



「来るならくるだぁ! ―――――オデはドニゴール氏族の嫡子、ヴァイスだッッ!!」



 だが、果たして。この行動に意味があったか。

 それは分からないだろう。


 自分は、死ぬ。


 数瞬も過ぎ去れば、意識なく死ぬだろう。

 そして、後ろの少女は?

 彼女もまた、同じ運命を辿ってしまうのだろうか。


 

「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁ―――ッッ!!」 



 前など見えず。

 絶叫にも近い僕の威嚇も虚しく。

 矮小わいしょうな獣の威嚇などそもそも眼中になかったのか、大狼は今に世界をまるまると飲み込まんばかりに大口を広げ……。



 ―――まず、視界を朱が埋め尽くした。

 次に、衝撃によって吹き飛ばされた土埃が波となって押し寄せた。



 ……………。



 ……………。



 気が付けば、僕はまた尻餅をつき。

 目の前の大地には、円形の窪みが穿たれていた。

 地面には、大きな影が投影されていた。

 窪みの中心部では―――四方へ朱を散らした大狼が、完全に絶命していた。


 そして。

 大狼の脳天を穿つように剣を突き立てる、黒の鎧。 

 鎧の存在は、その光景こそが何年も変わらない銅像であるかのように双腕で剣を突き立てており……やがて、剣を引き抜き、腰の鞘へ納める。


 大地を黒く覆う、影。

 その正体を求め見上げれば。

 天高く翼を広げ、己こそが大空の支配者だとでもうたうかのように羽ばたく巨大な存在……竜種。


 一度飛来すれば、里が総出で戦うような魔物が滑空する、魔物の王が旋回しており。



 まさか、あの高さから。

 ずっと上空の竜の背から降りてきたのか……? と。



「もし―――もし! これは……」

「この魔物は、ハグレの非常に若い、狩りすら知らぬ個体。我らが監視していたモノだ。……この場に集落が形成されているという情報は耳にしていないが―――被害が軽微なようで、幸いしたな」



 ……間違いない。

 アレは、魔皇国の暗黒騎士。

 竜を駆り世界を飛び回る、強大無比なる魔王の尖兵。


 事態が収まり。

 恐る恐る出てきた半妖精らも、それを理解したのか。

 未だ過ぎ去っていない恐怖の余波に苦しみながらも、年長者達があり得ざる客人へと平伏し、言葉を交わし始め。

 


「ありがとうございます、ありがとうございます……!」

「騎士様。どうか……」

「どうか、ご歓待をさせていただきたく……」

「不要だ。それより、至急近場の都市……此処ならば、ミンガムへ。急ぎ使いを出せ」

「―――え?」

「魔物除けの保護結界の申請をと、魔導士団へ取り次いでもらうが良いだろう。そのなまりは、古きベルベーノンの領民に類するもの……いずれとて、魔術は不得手であろう」

「―――よもや、ご存じなのですか!?」

「関係なきことだ。ここ数月に流れてきたというのなら、備えろ。魔王陛下は、許す。集落の形成が一段落ついたら、住民の名を届け出る事だ。領にあまねく者は、余さず魔皇国の民である」



 それだけ言い残し。

 騎士は、身を翻す……本当に、去る気だ。



 ―――、……、……ッ。



 思考など二の次。

 それしか思いつかなかった。


 正面から受けた返り血、塗された砂埃、尻に付いた泥を払う間もなく。

 僕は走り出し、騎士の正面に回り込む。


 そのまま、縋りつくようにして足元に平伏し。


 頭を地面に擦り付けるままに吠える。



「頼みますだッ! オデ―――僕を、弟子にしてください!」



 ……………。



 ……………。



 果たして。

 どれだけ待てども来ない返答に、恐る恐る顔を上げれば。



「………?」



 困惑だ。

 兜で遮られていても分かる、困惑の気配だ。

 

 いや……その通りで。

 少しずつ混乱が解けた脳で、今更に考えれば。

 相手のソレこそ、最もというもので。



「半妖精の集いに、オーク。何故、此処に居る」

「―――……ぁ」



 射竦いすくめるような視線を受け。

 静かでありながら、先の魔物と相対した時以上の恐怖を覚える。


 全て出切った後だったのが幸いで。

 平伏したままでなければ、また尻餅をついていたろう。

 


「あの……!」



 先程の度胸は何処へやら。

 膝立ちになり、ガタガタと震える事しかできない……そんな時。


 僕の後ろに居た故、血や汚れが比較的少ないあの女の子が、怯えるようにして前へ出る。



「あ、の……。オークさん―――流浪者さんは、私を助けてくれた、です!」

「―――――」


 

「―――……、ふ……」



 彼女の言葉に。

 兜の奥で、騎士が―――笑う。

 そのあまりに意外な行動に、僕と少女は困惑するばかりで、顔を見合わせ。



「そうか、旅の者か。受け入れられているというのなら、問題ない。……キミは、家に戻ると良い」

「あ……。は、はい……!」



 夜であるという事も影響したのだろう。

 騎士の言葉を受け。

 少女は、こちらを気にしながらも一つの住居へ戻っていき。



「―――暫し」



 その後姿を見送る中、耳がはっきりとその言葉を聞き取り。

 僕は視線を戻す。



「は、はい!」

「暫し前、ドニゴール氏族の嫡子が失踪したという報告を受けた」

「―――ッ!!」



 僕を、探している?

 里が、民が、家族が……僕を?

 去るものは追わない筈の一族が―――僕を、役立たずの嫡子を探している?



「流浪者として、何を探している。逃避か、放棄か、自由か、……愛か」



 騎士がちらと視線を向けるは、少女が去っていった方角で。

 思わず赤面するも。



「帰るつもりは、無いのか」

「……………」



 引き戻される現実。


 ……違う。

 先程、決めたんだ。

 答えなど、とうに出したんだ。 



「―――にげ……、逃げてきたんです、僕は。同族が、彼等が怖かった。彼等の獰猛さが。でも、それにも理由はあった、意味があった! 今、見つけたんです!」



 どれだけ強くとも、立ち向かうには勇気が必要だから。

 皆が、勇気を持つために。

 その為に、ああならざるを得なかった。


 同族一人一人も、常に葛藤をしていた筈だ。

 その末に、自身との折り合いを付けられる妥協点を見つけただけだったのだ。

 それこそが、成人だったのだ。

 結局の所、僕は何時までも勇気を得ることが出来ず、子供のままが良いと駄々をこねていただけだったのだ。


 ……あぁ。

 帰る必要は、確かにある。


 でも、決して今ではない。

 


「抱きたいものを護り、許し、導く力が欲しい。守れるだけの力が欲しい……。オークでも、他種族でも。己の生き方を見つけられる土壌を作りたい。仲間に誇られる、強く気高い長になりたい!」



 他者を慈しみ、尊重する高潔さ。

 力を尊び、誇りを掲げる強さ。


 どちらか一方を選ぶのではなく。

 双方を受け入れ、己なりの妥協を、折り合いを付けて信念として掲げる。


 最初から、それで良かったんだ。

 隠す必要などなく。

 完璧であろうとする必要など、存在していなかったんだ。



「一族に誇れる、一族が誇れる戦士になって、里に帰るんですだ! どうか―――僕を弟子にしてください! どうか!!」



 断られても良かった。

 相手が頷いてくれるまで、何度でも。

 例え空を駆ける竜の脚にかみついてでも、この騎士に付いていくつもりだった。



「………ふ、ふふッ」



 何がおかしいのか。


 騎士は、また笑う。



「ドニゴールには、昔世話になった。……コレも、縁か」

「え? ―――ぁ、あの!!」



 いつしか、地面に投影されていた巨影は無くなっていて。

 竜を呼び戻すでもなく。

 騎士は、ヴァナルガンドがなぎ倒してきたのであろう折れた木々の先……森の方角へと歩き出す。




「―――――付いてこい、亜人の戦士。誇り高き一族の血を継ぐ者」

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