第十一章:過去編 彼と六魔の三百年(伍)

番外編:至上の誠意をもって




 僕は父に憧れていた。


 父は、魔皇国の騎士。


 代々軍部へ属する家系ではありながら、特に目立った功績はなく。

 家柄という点では数段劣る彼が。

 カルディナの一騎士だった父が。

 地方から創設時の魔導士団へと入団し、更には誉れ高き近衛騎士団になり上がった。


 そして、幾つもの武功を挙げ。


 遂には騎士団長にすら到った。


 御伽話のような、絵に描いたような成り上がり物語というべきだろうけど。

 しかし、僕は知っている。

 父が、どれだけの鍛錬を重ね、どれだけの努力と経験を積み重ねていたか。


 騎士が剣の鍛錬を命懸けで行う傍ら、魔術師が限界まで魔力訓練と自己研究を積み上げる傍ら。

 そのどちらをも、同じ……或いは、それ以上の鍛錬を積み上げていた。


 団長になった後ですら。

 彼は、一時もそれを怠らなかったと。

 父と親しいカルディナ領主から聞いたのは、丁度物心ついた頃で。


 常に多忙で、家にいる事は少ない。

 しかし、母との仲も睦まじく。

 そんな彼を、尊敬するなと言う方が……憧れるなと言う方が、どだい無理な話で。



「―――父上、会場はあちらですよね。何処へ向かっているのですか?」

「良い所だよ」



 そんな父が。

 ある時、僕を王都の式典に連れて行ってくれた。


 実際に行われるエリアは城下のごく一区画。

 しかし、その熱狂は王都全域に及び。

 僕たちが並んで歩けるのは、現在関係者以外が踏み入れることの叶わない、見渡しの良い区画を行けているゆえで。


 一般の通りは。

 歩く隙間もないような有様。


 見下ろせば、海を割ったような光景。

 見物者たちは押し合いへし合い、次々に歓声を上げ。

 今になだれ込むのを防ぐように、動員された兵士が横一列にバリケードを組む中心。

 ぽっかりと空いた空間を、黒の鎧を纏った一団が整然と行進している。

 


 ……………。



 ……………。



「クロード。見えているかい?」

「はい、父上」



 これほどの距離を置きながら、圧倒される熱気。

 それに飲まれかけていた僕は、父が向けている視線の先を追い。


 一人に、目を留める。



「あの方が、私が最も尊敬する一人。この国を護り続けてくれている、最強の騎士だ」

「あの方が……、そうなのですか?」

「あぁ、そうだ」



 遠目からも分かる、漆黒の鎧。

 不釣り合いな程に長い朱のマントがなびく中、堂々と仁王立ちするその姿。


 みた事はなくとも、知っている。

 何度も、多くの年長者から数多の逸話を聞かされている。


 魔皇国の英雄たる、天辺の騎士。

 【暗黒卿】ラグナ・アルモス様。

 子供でも知っている存在だ。

 絵物語、童話に登場する建国騎士と同じ名を魔王陛下より与えられた、生ける伝説。

 実際に目にしたのは初めてだったけど……。



 ……正直。

 それは、怖ろしい圧を放っていた。



 聞いていたモノとは違う。

 想像していたモノとは違う。


 アレは、どちらかと言うと……。



「ちょっと……怖いです」

「ははッ、そうか。クロードからは、そう見えるか」



 逆に、どう見えているんですか……と。

 そう尋ねるより早く。



「……うん? いや、アレは……、ははは。この式典においてもとは、本当に……」

「父上?」

「……ああ、いや。知らない方がいい」



 視線を動かす事なく式典を見下ろし、深く苦笑を浮かべていた父は。

 僕が尋ねると、すぐにかぶりを振る。


 本当に、なんだったのだろう。

 ……いや。

 今は、それより。



「でも、どうして此処に?」

「一度、重要な式典を内側から俯瞰ふかんして見物するのも良いと思ったんだ。クロードが、将来成りたいモノの為に」


「……僕が……成りたい」

「選ぶ権利があるからね」

「―――僕は、父上のような騎士に……」



 成りたいと、物心ついた時から。

 ずっと思って来た。


 でも、恐怖も多分にあった。


 父という大きな背中が。

 

 彼のような大騎士に成れるのかと。

 ずっと、恐怖していた。


 それは、己の全てを決定付ける選択肢だから。

 許されるのなら、この先も選択肢がある状態で、ずっとそれだけを考えていたいとさえ思えて。

 しかし、時間が許さない。

 もうすぐ、士官学校へ入学が許される年だ。

 


「……僕、は」

「―――これは、アストラ卿。本日は非番でしたか?」

「ええ、久方ぶりに。流石、穴場を心得ていますね、ベリスティング卿」

「引退したとて、これだけは見逃すわけにも行きますまい。……子息もご一緒ですか」

「良い機会ですからね。息子も或いは、学園へ―――」



 詰まる言葉を声に出せない中、父の知り合いらしき高齢の男性が現れ、両者は親しげに話し始める。


 どうやら、話は長引きそうで。

 


 ……………。



 ……………。



「父上。僕は少し歩いてきますね?」

「あぁ、あまり遠くへ行かないように」



 結局。

 そばで立って待つというプレッシャーに耐えきれず。

 会話にできた隙間へ言葉を差し込み、やや早足に歩き出す。


 今の人物。

 彼の視線も、同じだ。

 社交界で、僕が父と並び歩いている時にある視線は、全て同じ。

 当代近衞騎士長の息子。

 将来は、国を背負って立つ誇り高き騎士。


 ……全て、同じだ。

 全ての視線が、僕の歩むべき道を。

 先の式典のように、注目を浴び、目をさえぎる継ぎ目もなく。

 逃げ道のないままに、逃げ出す事も叶わず。


 賞賛と栄光の道を征くのだと、そう信じて疑わない。


 圧は、あまりに大きくて。

 その思考をはらうように、歩きが早足になり。

 誰もいない区画ならばと、目を閉じて大きくかぶりを振り……。



「―――――ッ!」

 


 それがいけなかった。

 父の付き合ってくれる訓練の真似事でも、あれほど前だけに注意を払うなと教わってきたのにだ。


 こうして一瞬油断した事で、突然現れた何者かとぶつかってしまう。



「あ……、ぐッ」



 ―――本当に突然、光と共に。

 目を灼いてしまいそうな眩さ……偶々、陽光が絶妙な角度で差したのだろうけど。

 それと重なって相手が死角から現れたのだから、完全な事故で。

 転倒し、膝を打ってさえ、僅かばかりの怒りもない。


 ほんの少しの痛みだけで。

 それさえ、立ち上がる頃にはほとんど薄れて。



「うっ―――ッ……。あ、あの……」

「すまない。よもや、飛んだ先に誰かいるとは……む?」



 相手の視線が僕の顔に向き。

 次に、僕の足へ向く。



「……少しばかり擦ったか」

「あ、いえ。このくらい、全然」


 

 本当にどうでも良いほどの軽傷だ。

 ほんの少し擦りむいただけ。

 薄皮が荒れた程度で、血さえも滲んではいない。


 しかし、相手はそうとは受け取らなかったようで。

 赤く輝くその双眸は。


 逃げる事を許さないように、片時も揺れず。


 僕はポツリと、手頃な腰掛けに座らされ。

 男が懐から取り出した治癒の薬品を布に染み込ませ、傷口へかぶせる。



「催事中は、関係者区画の筈だが。どこからきたのか、少年」

「あ、僕は……」

「いや、とがめているわけじゃないんだ。……君は、とても良い―――綺麗な目をしている。悪心など、ないだろう」

「……………」

「名を、教えてくれるか」

「――ぁ。……クロード、です」

「少しばかり、疲れても見えるな。あの集団の波に揉まれでもしたか……式典を見に来たんだろう?」

「……はい」

「だが、此処にいる」



 処置が終わると。

 彼は、それが当然とでも言うように僕の隣へ腰掛け、話を続ける。

 でも、それは僕からも丁度良くて。

 父の用事が終わるまでなら……と。



「―――ちょっと、怖くて」



 こちらから話すのは、先ほど感じた事。

 集団の波が、ではない。

 あの騎士が、怖かった。

 理由をつけて離れたのも……僕は、無意識にあの場から逃げていたのだろう。


 あの騎士には、何人も近付けないような。

 全てを寄せ付けないような、鎧の中には誰もおらず、ただ虚空の闇だけが広がっているような。


 そんな、父とはまるで異なる、温かみのない恐怖があって。

 戦い続ければ、僕もああなってしまうのだろうかと。

 喜びも、暖かさもなく、ただ淡々と任務を遂行するだけの、機械のようになってしまうのか、と。


 ……改めて見れば。

 男の腰にも、無骨で黒に近い鈍色にびいろの長剣が下げられている。


 特徴的な輝きは、紛れもなくエルシディア製。

 父が先代のカルディナ領主から譲り受けた剣にも劣らない名剣と感じられて……恐らく、名のある名匠の鍛えた業物。


 それを下げているという事は。



「貴方も、騎士なんですか?」

「あぁ。一応は」



 ……………。



 ……………。



「あの。騎士って、どんな事をしてますか?」



 男の答えを聞いた上で。

 口からこぼれたのは、まるで子供のような質問だった。

 実際、子供ではあるけれど。



「―――楽しいですか? 辛いですか? ……怖い、ですか?」

「……………」



 馬鹿にしているつもりなんて、無かった。

 むしろ、その逆で。

 

 もう、憧れるだけでいられる年ではない。

 華々しい物語、その裏を推察出来る。

 考えれば考えるほどに押しつぶされてしまいそうな重圧、責務。

 耐え、耐え続ける者たち。


 それが、騎士だから。

 どうして、彼は……どんな柱があって、その重みに耐えられているのかが知りたかった。

 未だ、父と似通った暖かさを保てているのか知りたかった、それだけで。



「辛い、楽しいはさておき……怖いか、ときたか」

「あ。あの……ごめんなさ」

「昔、同じように尋ねられたことがあるが……。確かに、怖いな」   

「……え?」



 失言だったと思った。

 こんな愚かな質問、知り合いの騎士たちはみな笑い飛ばしたろう。

 恐怖なぞあるものか、と。

 でも、彼は。



「皆、誤魔化してきただろう。クロードの知る騎士たちは、みな笑い飛ばしてきただろう」

「……!」

「だが、考えてみれば良い。鋭い剣、重厚な鎧。それが十二分にあったとて、自身の何倍もの数、何十倍もの威容。そんな敵が、本当に怖くないと感じるかい?」



 それは……。



「怖い」

「その通り。では……。この上なく肉体を鍛え、多くの戦いを生き残り、今言った敵たちをバッタバッタと倒せるまでに成長したとしよう」



 彼は、気分が乗ってきたとでもいうように、陽気に続ける。



「まさに、一騎当千の騎士だ。……で、どれだけ鍛えたとて。私たちの肉体強度は、魔物に遠く及ばない。技術とは、あくまで持ちうる武器の一つ。使わねば、持っていても、なんの意味もなく。避けねば、当たる。当然、血も出る。頼みの鎧も、巨大な魔物のあぎとに挟まれれば、薄氷も同じ」

「……………」

「強くなれば、本当に怖くない?」

「……怖い」

「そうだ。どれだけ鍛えても、真に恐怖を失う事は決してない。失ったと公言してまわる手合いは、最後の瞬間にやはり思い出すだろう。消えたんじゃなく、忘れていただけなんだと」



 僕を怖がらせたいのかな。

 お前が思っているような簡単な道ではないと、教えてくれているのかな。


 彼の真意が読めない。



「恐怖は、時に魔物や敵に関してだけじゃない。賞賛こそが、新なる恐怖、重責と思える事もある。―――でも」

「でも……?」

「試してみれば、案外想像と違うというのは、よくある話だ。悪い方向は勿論として、良い方向にも。なる前から恐れていては、何もできはしない。賞賛、歓声。それらが、本当に責だけをもたらすかどうかは、当事者にならねばわかりはしない」



 彼は、いつしか僕の瞳を覗き。

 ゆっくりと尋ねる。



「クロードは、将来の夢とかはあるかい?」

「……僕は。近衛騎士に」

「国家の誉れ、至高の騎士団。とても高い志だ」

「でも、分からなくて」

「……分からない。それは?」


 

「父のようになりたい。でも、届くとは到底思えない。それより早く、闇に沈んじゃいそうで。でも、皆が期待してくれているから」

「それも重荷に、と」



 なぜ、こんなに話しやすいのだろうと。

 溜まっていたもの全てが、すらすらと出てくる驚きを僕が感じる中。

 彼は、暫く空を見上げ。



「自由に選ぶと良い」



 やがて、ポツリと呟く。



「え?」

「家柄など、些細ささいな要素。親を継がなければならぬ道理など、真実どこにもなく。己の意思は、常に己だけのものだ」

「でも」

「熱意があるなら。クロードがそれを望むのなら、君の父親だって、決してそれを切って捨てはしないさ」



「……手心当たりは、ないかな?」



 ……………。



 ……………。



「―――ぁ。選ぶ、権利があるって……」

「そうだ。君には、確かにそれがある。誰にだってあったのさ。私にさえ、選択の権利は常にあった……筈だ。先程色々と言ったが、結局は好きでやっている―――おっと」



 彼の言葉の最中。


 硬質で、しかし涼やかな足音と共に。

 会話以外の音がなかった場所に、一つの影が現れる。



「……あ」


 

 それは、父や先の話相手ではなかったけど。

 しかし、確かな見覚えがあった。


 社交界で、何度も見た事がある。

 蒼い長髪と、魔族に在って希少である青の瞳。 

 凛とした、上流階級の品格を備えた女性。

 

 マーレ・アインハルト様……?


 何故、あの方が。

 黒曜騎士団の副団長たる女性が、主役を張るべき式典の場から外れたここに居るのだろう。



 ―――と、いうか。



 こちらへ歩いて来ている……?



「―――お話し中失礼致します。ここにおいででしたか、閣下」

「……そろそろ持たないか」

「はい」

「有り体に?」

「ヤバいです。バレます」

「すぐ、行く」



 ……………。



 ……………。



 え、なにこの脊髄で話してるような会話……、うん?


 ―――――あッ!?

 まるで内容の伺えない、品格とかそれ以前の会話を脳が分析して。

 その会話で、ようやく。


 ようやく僕は。

 今まで会話していた男が、何者であるのかを理解した。


 

「すまない。コレで、任務がある」

「……い、いえ」

「急に硬くなってしまったね」



 いや、それは。


 こちらに微笑みかけた後。

 彼は、ゆっくりと腰掛けから立ち上がって。



「―――クロード・アストラ。君は、自由だ」

「……え?」

「尊敬は、あくまで尊敬だから。継がねばならぬ道理はない。君は、好きな生き方を選んで良いんだ。争いなき平穏を望むのなら、その一生を護ることを、我ら黒曜騎士団、騎士ラグナ・アルモスが保障しよう」



 ……………。



 ……………。



 護国の誓いを彼が発する中でも。

 僕は、この瞬間に受けた衝撃から回復できない。


 僕の家名を、知っている。


 この方は、最初から……?


 最初から、知っていたんだ。

 彼は、僕が現近衛騎士長の息子だと……最初から。


 しかし、それを知っていてなお


 自由だと、言ってくれたのだ。


 怖くても良いと。

 恐怖はあって当然、逃走など何も恐れるものではないと。


 何に振り回されることのない、自分だけの道を行って良いのだと。

 それで大丈夫だと、保証してくれたんだ。



「閣下」

「あぁ、行こうか。間に合わないからと鎧だけ置いてもらったは良いが、時間を割きすぎた。何人に気付かれたやら……」



 一方はこちらへ手を振り、もう一方は半歩引いた位置で会釈えしゃくし。

 やがて、踵を返した二人。


 それに対し。

 僕は、思わず身体が動き―――口が動き。



「――あっ……あのッ!」



「また、会えるかも知れない」

「自由に選んで良いならーーー僕も、騎士に……! 貴方みたいになれますかッ!? 怖くても、出来ますか!?」



 生意気な言葉だと分かっている。

 国家の中核をなす存在を相手に、無名の子供がかけられる言葉では……存在しない未来の重責にすら悩んでいた僕が掛けられる言葉ではないはずなのに。



「出来るさ。君ならば」

「!」

「先の言葉を、訂正しよう。―――また会おう。クロード」



 それは、待っているという事。


 僕がそこへ行くまで。

 騎士という存在のいる場所へ辿り着くまで、いつまでも待ってくれているという事。


 一瞬にして、遠目に見たあの黒鎧に包まれる身体。

 しかし。

 同じ姿であって、あの時感じていた筈の恐怖がなぜかどこにもなく。


 堂々とした立ち振る舞いで。

 騎士たちは、王城へと凱旋するかのように去って行く。

 僕が物心つく前から憧れていた、奥の奥にあった憧れの光景は、走ればまだ追いつくような場所にあって。


 しかし、遠い。

 近すぎるゆえ、大きすぎるが故に、見えない。


 ここにきて、ようやく思い出した。

 なぜ、僕は父に。

 物語の騎士へ憧れていたのかを、ハッキリと。


 あんなモノを見せられて。


 あんな背中を見せられて。


 憧れるなというのが、無理な話で。

 蒼髪の女性騎士を伴い。

 歩いていく彼の背中を、何時までも見送りながら。


 僕は、ようやく決意を固めた。


 ……何時か、必ず。

 あの方と、父の背が追える場所へ。



 ―――僕も至ろう、誠の守護者の景色へと。

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