第36話:向けるは大陸議会




 名うての行商トルネルクさんが遥々セフィーロから買い付けたという、高級羽毛布団の寝心地は最高だけど。

 徐々に気温が高くなり。 

 夜中に入り込む、ひんやりとした外気もない。


 そんな日中での睡眠は、やや暑く感じ。

 血行も良くなった身体は、起き上がる事を少しも拒絶しなかった。

 


「―――ん……っ、うん……ん」



 ……良い目覚めだ。

 こんなに気分が良いのは、果たしていつ以来だろう。


 時計を見ると、時刻は12時頃で。

 布団から出でても、気負う事が何も存在しないという優越感には未だ包まれたまま。


 ともかく、準備をして一階の食堂スペースへと降りていく。

 階段を下りる衝撃で、ちょっと頭の奥が……。


 うーーん。

 流石に長く寝すぎたかな。


 ……と。階下の食堂には、やはり先客が居て。

 あの二人が早起きする筈もないけど、やはり彼女だけはいつも通りだ。



「おはよう、美緒。何も予定ないのに、今日も早いね」

「―――陸君、おはようございます。……いえ、私もつい先程起きたばかりで……。やっぱり、日付替わりまでの夜更かしは響きますね」

「はは……、だね」



 ……………。



 ……………。



 ………え〜〜っと、うーーんと。



「「……………」」



 会話が……続かない。

 いや、分かっている。なんでかは、分かってる。

 昨日は緊張も解れた事で、完全にハイなテンションで……何ら意識する事は無かったんだけど。


 一日、ゆっくり休んで冷静になって。

 ようやく実感が湧いたから、凄く緊張し始めているんだ。


 艶やかな、長い黒髪……白い肌。

 すらりとした線の細さがありつつも、男子が緊張せずにはいられない起伏。

 何より、溢れ出る育ちの良さ。

 ……こんなに綺麗な人が僕の彼女なんて。


 本当に、夢でも見ているんじゃないかな。



「―――うめ……、うめ……」


 

 それに……なんだろう。

 美緒もまた、僕の事を意識しているのか。


 彼女はやや俯きながら、頬を染めていて。

 それを誤魔化すように見せた悪戯っぽい微笑みが、またギャップを……。



「うめ……んめ……」



 本当に、夢じゃないかって。


 そんなことさえ―――うん。



「あの、先生……?」

「すみません、さっきからうるさいんですけど」



 というか、いつからそこに。

 食堂の隅にある席で、僕達の様子をニヤニヤ眺めながらパンを齧り、スープを飲み干し。

 本当に美味しそうにサラダをかき込む悪い大人。


 ……なんてバランスのいい朝食なんだろう。



「二人共、そのまま続けてくれ。―――飯が、旨いのよ」

「……ご飯貰ってきます」

「私もまだなんです。行きましょうか」

「メシウマ、メシウマ」



 、居ないものとして扱うのが正解なんだろうけど、それすらも難しい。

 最初は何故か気付かないのに、気付いたら嫌でも目に入るんだよ。


 ともかく向かった厨房の前で、宿のご主人から今日の朝食を貰うけど。

 見渡す食堂には、僕達と先生の他に殆ど人はいなくて。


 ……まぁ、当然だ。


 宿の食事は通常、朝夕の二回。

 事前に言っておけば、三食とかにも変更は出来るけど。


 泊まっている殆どは冒険者か商人だから。

 今頃は依頼に出ているか、夜の依頼に備えて寝ているか、街中で仕事に出ているかなので、この時間帯は完全に穴場……。


 ―――いや、一人。

 先生の近くに、目深にフード付きのローブを纏ったとても小柄な人が居て。


 ……ローブの色は、毒々しい緑と。

 かなり怪しい風貌は嫌でも印象に残るけど。

 全く覚えはないし、今までに宿の中で会った人じゃない。


 新しいお客さんかな?

 それにしても、何だか寒気が……。



「―――二人共ーー? 私の傍空いてるけど」

「……こちらにしますか?」

「うん、そうしよう。先生からは少し離れた方が良いし」



 ご飯の乗ったトレーを持ち、美緒と席に着く。

 先生から離れるのも当然として……何か怖いから、あのローブの人からもやや離れた位置だ。


 えっと、今日の献立は……。


 丁寧にふるいに掛けられた粉の、きめ細やかで甘味のある白パン。

 香辛料の粒々が見える、スパイシーそうな白身魚のフリット。

 根菜と少しの干し肉が入ったスープ。

 そして、薬草にも近しい栄養のあるサラダ……と。


 良い宿だけあり、ここの宿の食事はかなり凝っていて。

 

 パンは有名な工房が焼き上げたものを朝一で買い付け。

 サラダは半自家栽培のもの。

 この揚げ物の魚だって。

 採取依頼に近い下位の依頼で、宿と取引契約している冒険者たちが取って来たばかりの新鮮な物だ。



「―――うん。美味しい……美味しい」



 高校生になり、お弁当を食べ始めて感じた事だけど。

 小学校、中学校で出ていた給食の丸いパン……それ単体は、本当になんて事の無いパンだったのに。


 朝食の食パンより。

 市販の菓子パンより。

 ああいう、本当になんて事の無い給食のパンが、何倍も美味しく感じて。



「ずっと不思議だったんだけど……。ああいうの、凄くファンタジー色があるっていうか。冒険に出る時に持っていくような、宿屋で出てくるような感じだからそう思ったのかな……って」

「想像こそがスパイス、ですね。私、給食は好きなものを選んでばかりで……」

「あぁ、選択式もあったね?」

「和食、洋食、中華……エスニック。色々ありましたからね」

「うん。A食とB食が……なんて?」

「どれも美味しくはあったんですけど……、配膳の性質上、順々に出てくる料理が、更に冷たくなってしまって……お肉はちょっと硬かったこともありましたね」



 ―――噛み合ってる?

 というか話を噛み砕けないんだけど。


 何処の異世界の小中学校の話してる?



「それ……何処の話?」

「あ、すみません。こちらは中学校での話です」



 そうじゃなくてね?



「小学校の頃は、カフェテリアを管理しているホテルの料理が。そちらは、一度に料理が来ていたので温かくて美味しかったです」

「……………そっか」



 ……………。



 ……………。



 御嬢様だ。

 やっぱり、生きてる世界違くないかな。



「―――陸君……? あの、どうかしましたか?」

「ゴメン、ちょっと自信にひびが」



 何も憂う事ない筈だったのに。

 新たなる不安の種、見つけちゃった。

 

 漠然とした不安を覚えつつも。

 その後は特に暗い話題もなく、和やかに話しながら、ゆっくりと朝食を食べていると。


 ドタドタ音と共に、向かってくる足音。

 ……これは、元気っ子たちが目を覚ましたに違いない音だ。



「いよーーっす。再誕せし焔、此処に見参!」

「絶賛発売中!」


「………もぐっ」

「おはようございます、お二人とも」



 パク……モグ、ゴク……ゴクッ。

 ムシャ、パリッ。


 現れたテンションの高い二人へちらりと視線を向けつつも、食事に集中する。

 ……適度に温かいスープ、染みるなぁ。

 

 この、優しい塩分。

 塩と香辛料で味付けした素朴な味に、干し肉と野菜の旨味が溶け込んでいて。


 凄く良い。



「なーんか反応わろし……」

「だなーー。―――あ、先生。今日の献立なんすか?」

「朝はフライらしいよ」

「きちゃー! 大好物!」

「パンにサラダ……干し肉のスープも付いてバランスも良いじゃないかぁ!」



 本当に朝から元気だね。


 遅刻未遂常習犯だったくせして。

 こういう日常は、凄い元気に起きるんだよ……十二時過ぎてるけど。



「んじゃ、俺らも」

「おうさ、早速ごは―――ん?」



 と……二人が厨房へ向かうよりも早く。

 素早く、その通り道へ立ち塞がる影。


 先程の怪しい人だ。

 立ち上がって分かる、春香より二回りも背丈の低い緑ローブの人物は、深く被ったフードを取り。



「あんたたち? 随分元気そうじゃないかい。アタイも嬉しいよ」

「「……………」」



 瞬間、キュッ……っと。

 ウサギのバッテンのように、二人の口元が結ばれる。


 その場が、一気に凍り付く。


 ―――全然怪しい人じゃない、知ってる人だ。


 珍しい薄緑の髪、非常に小柄な背丈。

 常に深い笑みを保ちつつ、何処か豪胆で威圧感のあるオーラを纏う女性。


 彼女は、エムデ・リューシャさん。

 大陸ギルド本部傘下に属する冒険者医療団体【療盟士りょうめいし】の治療師さんで、同時にC級冒険者でありながら【杏林きょうりん】の異名を持つ凄腕のお医者さん。

 一流の醸造士でもあり。

 過去に一度でも負傷してお世話になった冒険者は、絶対に頭の上がらない人だ。


 ……無論、僕達もお世話になったことは沢山あり。


 

 本当に、何で此処に……!



 否、大体想像はつく。

 切り傷、擦り傷、刺し傷……重篤じゅうとくな傷。

 先の大規模任務でかなりの怪我を負ったにもかかわらず、自然治癒に任せて大丈夫だと彼女の元へ行かなかったことに怒ってる顔だ……ッッ!!



「うん、うん。そこの人から聞いたよ。傷の状態を放置してお風呂? トランプ? 夜遊びだ? ―――うちらをバカにしてんかい?」

「……と、とんでもない」



 まさか、先生がメシウマやってたのって……!


 視線を向けると。

 まるで脂の滴る骨付き肉のように、本当に美味しそうに。

 丸のまま残ったパンへかぶり付く彼の姿が。


 

 ―――僕達の不幸でご飯を美味しくしてる……!!



「自由時間結構、娯楽結構。アンタ達が大変な身だってのは、重々承知さね」

「「……………」」

「でもね? ―――ま・ず・は、治療!! 勇者だからなんなんよ! アンタ達も人間、痛い事もあるし血も流れるんだから……」

「あ、あのあの……でも傷は―――むぐッ」

「馬鹿!!」



 椅子から飛び上がり。

 すぐに春香の口を塞ぐけど、すでに手遅れ。



「傷は塞がったから良いなんて言うんじゃないだろうね! 全く的外れさ。ハルカさん、アンタも可愛い女の子なんだから、綺麗な身体に一生の傷跡残したか無いだろう! 全く、前はちょっとした傷でもちゃんと相談に来るような良い子達だったのに、忌々しい上位冒険者なんぞになってからとんと来なくなっちまって……」



 次々繰り出される言葉。

 歴戦の冒険者でもたじろぐ威圧。

 

 C級……上位冒険者でないにも拘わらず彼女が異名持ちであるのは、勿論理由があり。

 端的には、先生と同じ。


 昇格を蹴っているんだ。


 ……本来の彼女は、B級冒険者レベルの実力者。 

 

 そう、より大きく魔素へ適合した影響により身体能力が劇的に向上し。

 毒物への耐性も得。

 自然治癒力も大きく向上した、英雄たちに並ぶ精鋭の一人。


 しかして。

 不安定な薬を苦心して調合し、より多くの人々の怪我を治す事を生業としている彼女等にしてみれば、どれだけ重傷を負っても「来ない」、「いう事聞かない」、「怪我をかえりみない」存在というのは、あまりに腹立たしいらしく。


 まるで、自らの存在意義を否定されているようだ……と。


 上位冒険者の事を「忌々しい」と評するのは、そういう事で。

 昇格を蹴るのも、概念自体を嫌っての事。

 決して、その人たち自体を嫌悪しているわけではないらしい。



 ―――というか、本当に良い人なんだ。



「あの、エムデさん……」

「ミオさん! アンタが行こうってうながさなきゃいけない立場だったんだよ! 聞けば、一番危なかったっていうじゃないか! 全く……。一番良識のある子だとあたしゃ思ってたのに……今でも思ってるんよ?」



 そう、良い人だけど……。

 良い人だからこそ、怒る時は当然怒る。


 患者をベッドに運ぶより、ベッドを患者に運ぶ方が早いなんて言い出すような人だ。

 屈強な冒険者をして、例え死んでも彼女の前では生きていなければならないと言わしめるような人だ。


 返答は、全てお説教が長引く原因にしかならず。

 もう、黙って聞くしかないんだ。


 ……スープ、冷めそう。



「―――――ほいと……、ナクラさんっ!」

「……え?」

「なーに旨そうに飯食ってんだい! ばらんすが良くて大変結構! でもねでもねぇ、教育者たるアンタがこの子らの面倒しゃんと見なくてどうするさね! 責任もってアタイの所に連れてくるんだよ、ふつう!」

「……………はい」

「アタイの言ってる事が間違ってるかい?」

「いえ、仰る通りです」



 ……………。



 ……………。



 ―――あ、美味しい。


 ご飯美味しい。

 隙を見て小さく千切ったパンを口へ入れると、先程までの何倍も美味しく。


 まるで、甘露だ。




   ◇



 

「―――ほいよ、“ホトパック”」



 目の前で、スープが適温に温まっていく。

 フライもほっくりほかほかになる。

 まるで電子レンジ、マイクロ波で温めたようなそれは、彼女が実際に治療で使う温熱療法の応用らしく。

 


「すっかり冷めちまって……。長引かせて悪かったね?」

「「いえ」」

「全部正論でした」

「正論の暴力でした」

 


 ようやくお説教が終わり。

 僕達は、再び朝食へと戻れたわけだけど。



「あの、エムデさん。その……、アイリさん達は大丈夫だったんですか?」

「おん?」


 

 ある意味では、彼女がいるのは丁度良い機会だと。

 先程から聞こうと思っていた僕達は、新たな話題を出す。


 ……そうだ。

 先の件で、アイリさん達が隔離されていたという話を聞き。

 その原因が、あの組織による魔術的な干渉であることも聞いた。


 だから。

 全てが終わった今となって。

 隔離者たちの検査に関わっていただろうエムデさんに、何か害になるようなことや事件が起きていないかを聞きたかったのだけど。



「……ふん、相変わらず優しい子たちだよ。治療にはきもしないのに」

「「……………」」

「安心しな、なーーんも問題なしさね! むしろ、アイリちゃんは件のいざこざで怪我した人の為に頑張って奔走ほんそうしてくれてるところさ」

「アイリ―――」

「「……ちゃん」」



 アイリさん。美人だけど、子供もいる年齢なのに。

 エムデさん、ロイ君やマナちゃんと同じくらいの背丈なのに。



「うち等の仕事と競合もせんし、本当にえぇ子やーー」



 ……けど。

 それを聞けて本当に安心した。

 あの二人も、これで安心だろうね。



「さて、さて。お昼も頂いたし、アタイはそろそろ行くかね。こんな健康的な食事、リザちゃんにも持ってきたいよ。……うん? あいや、持って行くべきだね」



 そう言い頷くと、厨房の入口へ向かい遣り取りを始めるエムデさん。

 ……彼女、ギルド理事でも逆らえないリザさんに正面から意見できる、数少ない一人って言われてるらしいんだよね。


 先の件と合わせても。

 

 やっぱり、気になる。



「―――ねえ。どう見ても二十歳前……どころかミニマムだけど……、エムデさんって幾つなのかなぁ?」

「何歳でも不思議じゃないよな……」

「……せんせ?」

「知識欲の時間です」

「……やめておこう。ギルド七不思議の一つだ。私だって聞きたくない」



 こんな話の間にも。

 彼女自身は、小さめのバスケットにスープや包みに入ったパンを入れて貰っていて。


 嬉しそうな笑顔は、まるでお遣いに来た子供……。


 

「……忙しそうですね、エムデさん」

「―――そうさね、ミオさん。忙しいんよ、アタイは」



 ―――距離あるのに聞かれてるし。

 さっきの会話も聞こえてた?

 お医者さんって、何故か耳が凄く良いイメージがあるね。



「んじゃあ。そろそろ帰るからね。近いうちに絶対に来るんよーー? 傷を跡に残したくないやろう? ……コウタさん」

「―――え」

「キズ。残したくない、やろう?」

「残したくないです残したくないです、全然古傷格好良いなんて思ってませんノーモアすねの傷あごの傷」

「なら良し。……来なかったら、夜寝てる間に特別効く注射したるん」

「「……………」」

「エムデさん、その……夜も忙しくはないん、ですか?」

「そりゃ忙しいわ。いう事聞かん子にお仕置きせなな。……あと、大陸議会もそう遠くない。今から街道の掃除に掛かってるって、怪我する子も多いんよ」

「―――なるほど」



 そうか、大陸議会。

 四年に一度、大陸中の人間国家……或いは亜人の国などが集まる大イベントだ。


 当然、その国家でも重要人物が来るはずで。

 街道に魔物でも出たら一大事。

 それを如何にかする為に、先んじて魔物を狩って魔素濃度を下げたりと、今から準備する必要があるんだね。


 で、その過程で負傷する人の治療は彼女たちが……。



「必ず来るんよぉーーー?」



 ……行っちゃった。

 バスケット両手で持って。


 最早少しだけ感じていた眠気なんて、完全に忘却の彼方で。

 朝から……昼から、本当に退屈しないな。


 そう言えば、日常非日常問わず、僕達の生活って山と谷ばっかりだっけ。

 憂いがないなんて、そもそもあり得ないんだ。


 なら、生まれの差くらい……よしっ。



「―――ご飯食べたら、お医者さんいこっか?」

「さんせーい」

「特別注射怖いしな」

「えぇ、特別注射よりマシですね」



 任務での切り傷や刺し傷は当たり前なのに、細い細い注射の針が怖いとはおかしいけど。

 それとこれとは話が別。



 ……僕達、いつも通りの日常へ帰って来たんだね。

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