第18話:前哨の競り合い
上流階級が利用する豪奢な名店。
一般の人間には手の出せない贅を凝らした食事を提供するこの場は、冒険者の都市と評されるセキドウに在って、ある意味では似つかわしくない光景であるが。
希少な魔物の素材を用いた珍味。
一般に味わうことの叶わぬ食材。
そういったものが討伐のまま、新鮮なままに保持され直送される都市へこのような場が設けられるのは、100年以上の長きに渡り行われている大陸議会も手伝い自然な事だったのだろう。
しかし、その中に在って。
やや緊張の色を隠せていない男性。
礼服をやや窮屈そうに纏い、「着せられている」とも表現できる男は、ギルド総本部に務める正職員。
紛れもない、一流の元冒険者だった。
「あの……如何されましたか?」
「――あぁ、いや」
「先程からご様子が。お加減が……いえ。もしかして、お料理がお気に召しませんでしたか……?」
彼は、生まれ持った身分こそ豪商や貴族、高い地位に就いていたわけではないが。
高給取りであるのは正しく。
無粋な話ながら、彼の給与の三か月分ともなると、かなりの額にもなり。
「料理はいつも通り最高さ。……うん。実は、君に渡したいモノがあるんだ」
そんな叩き上げの勝ち組とも評せる彼が取り出したのは。
まさしく労働の対価、その結晶だった。
「私に……ですか?」
男に対して、対面に座る可憐な女性は、まさしく上流階級。
彼女は小首を傾げつつ。
男の言葉に手に持っていたカトラリーを置き、布で口を拭う。
そのどれもが緊張を伴う意味などない自然な仕草であり。
彼女の生まれ持った身分が伺えた。
「そうだ。君に、受け取って欲しい」
緊張を湛えつつも席を立ち。
男が取り入だしたるは、伍の月に生まれた女性の誕生石があしらわれたアクセサリー。
嵌る宝石は、東側でのみ産出する希少な翠の玉だが。
ここに来て。
男の対面に座っていた女性が初めて息をのみ、緊張を顕わにする。
「これ……は。指輪――ですか?」
「そうだ。リサ・オノデラ様に曰く、彼女の住んでいた世界では愛する異性に贈る習慣があると」
「わぁ……! 『聖者の憂鬱』第六章……! 有名な話ですね!」
うら若く麗しい淑女が、未だ残る幼さのままに目を輝かせ。
その光景に、今度は彼が息をのむ。
……男が彼女と出会ったのは、冒険者の頃。
要人護衛任務の先だった。
そして、経緯はどうあれ。
やや年の離れた少女と恋に落ちたが。
本来であれば、一介の冒険者であった彼が貴族の令嬢と恋仲になるなど、とても認められるものではなかっただろう。
しかし。
現ギルド理事補佐……次期役員候補の一人。
大陸ギルド総長からの信も厚く、やがては組織全体に影響を与えるであろう彼を囲い込めるとあれば別。
貴族家にとっても悪くない話であり。
「私と、結婚して欲しい」
「―――はい、喜んで……。お父様も、楽しみにしている、と。……今回のお勤めは、長くなるのですか?」
「いや、そう時間は……」
一世一代の成功に浮世を離れた高揚を感じつつも、女性の言葉に現実へ引き戻され。
少しの逡巡の後。
彼は正直に告げる。
「―――あぁ、不確定要素の多い長期任務だ」
「……ナッツバルト様」
引き戻される、現実。
彼女にそんな顔をさせたくないと、彼は危険な冒険者の地位を退いたのだ。
今更野営を伴う現場仕事など。
しかし、失敗などしようものなら。
意地の悪い同僚……腐れ縁の悪女たちにどのような耐え難い挑発を受けるか。
理解する故、彼は唇を噛む。
「大丈夫、
「―――はいっ……!』
婚約者の笑顔を前に、男は誓う。
必ずや任を完遂し、かつ迅速に帰還してみせると。
……………。
……………。
幸せというのは長く続かぬモノ。
夢のような時間の後。
男は、娯楽など皆無と言っていい鬱蒼とした草原に身を置いていた。
いや、それだけならまだ良かっただろう。
目下の問題は、更に複雑で。
「理性を感じないような滅多刺し、と……放置された後、魔物に食らわれたのか? まぁ、腹の柔らかい所だけ食べやがって……余程美食家のようだな、南側の魔物は」
口元に手を当てつつ鑑識を行うは、嘗て仲間だった人間の痕跡。
最早姿形さえ分からない残骸。
「装備も……。失踪した二つの部隊、だが―――これだと全員分かもわからないぞ」
見せしめ、或いは罠。
残骸に何か仕掛けられているなど、あらゆる可能性を考慮しつつ慎重に検分していく中で、男の脳裏に浮かぶ「どう報告すべきか」という思考。
そして、持ち帰りだ。
当然ながら、生きていた者たちの多くには帰りを待つ誰かが居た。
ならば、少しでも多くの遺品を持ち帰るべきだろうが。
生憎、彼は単身。
個人の身一つで出来る事は限られていた。
「一人で良いなんて言わなければ……ハァ」
もう、任務の目的は達したような物。
後は帰るだけで。
未だ男がこの場に残っていたのは、彼等を発見する為だった。
だが、発見したことで、新たな問題が二つ。
どれだけ持ち帰るか。
そして、引き寄せられた存在の撃退。
「―――…………」
現れた魔物は、B級の中でも上位に位置する存在。
馬を思わせるしなやかな四本足の躯体に、鷲の様な巨大な翼と鋭い嘴。
伺えぬ貌は、静かに怒り狂っているようにも見えるが。
「……燃える鷲馬、アイトーン。縄張り意識が強く、獲物を数回に分けて食する鳥獣種―――成程。察するところ、保存食か」
その姿を認め。
男は、無音のままに腰の短剣を抜き放つ。
「持ち物検査だ。ちょっと……腹、裂かせてもらうぞッッ」
互いに、本能から戦闘の意を感じ取り。
機敏に滑空しつつ襲い掛かってくる魔物。
空を飛ぶ事など知らない男は、はた目からは鷲馬の動きに翻弄さえているように映ったろう。
「流石に速いが……」
しかし、かぎ爪が、
その線が十を超える頃。
「羽の付け根、向きなどから動きが分かり易いのが弱点だったな、お前の様な手合いは」
「グエェェェェ―――ッ!?」
攻撃の対象は翼の付け根、そして前脚。
二つを失い、前のめりに倒れた獣。
その頸部を無感情に斬り飛ばし、反射的に痙攣する様子を無感情に見下ろし。
腹へ短剣を走らせ。
再び検分を始める。
「遺品整理とか、完全に業務外だよな、コレ。流石に休暇位出るよな、総長。……さて、式で何を話すか。今から考えておくのも……ん、何かヒット」
そのままの意で、袋の中から目当てを探り出すような物。
「……ペンダント、か。ルーベルトさんがいつも嫁自慢してたよな。……で、銀歯? ゼルベの奴か。なら、まだ七本くらいあった筈……独り身だよな。資金にしたら向こう行った時怒られるか? いや。だけど、アイツには幾らか金を貸してたし―――」
彼は、淡々と……しかし無意識に唇を噛み締めながら遺品整理に没頭し。
その無防備な背中へ……。
―――ソレは、今に背後から忍び寄り。
……………。
……………。
「―――いや、気付かない訳ないだろ」
認識して振り向く先に存在する、悍ましき気配。
重度の薬物中毒者の如き形相。
色素が抜けたような銀に近い白髪。
血のように朱く光る双眸。
およそ人間が想像しうる最悪を、いとも簡単に現した姿がそこにあり。
振り向きざまに彼が放った短剣を、不確かな人型は容易く受け止める。
己の武器をプレゼントした形だ。
「……動けるな。――で、言葉は分かるか? 武器の扱いは?」
「……………」
「―――確信を事実にしておく必要があるか。裂焼せよ……“
それは、炎弾。
着弾により
彼が得意とする火属性魔術の中で、武器防具で防ぐのが至難な中位魔術だが……。
「―――ッッッ……ァ」
「マジか……!」
術が異形の身体へ着弾する以前。
未だ弾ける以前のそれを無理やりに捉え握り締めた事で、人型の腕が弾け四散。
そして、再び一つのカタチへ収束する。
「―――腕の再生を秒とは。魔人……か。眉唾ものだと思っていたんだけどなぁ」
「………ァ……アァ」
「―――よし、決めた。逃げよう」
悍ましい事実を確認するや否や、瞬時に魔人へと背を向け。
脱兎のごとく男は走った。
選択するは、逃げの一手。
今の装備で勝てるとは思っていないから……だが。
衝突に近い、抉れるような音。
瞬時に男の逃走経路へ回り込んでくる異形。
「……………ァア」
「……冗談みたいな身体能力だな、お前。身体の使い方を忘れてそれだと……いや、魔物の身体能力の方が優れているのは自明の理か」
―――――あぁ……ダメだコレ……と。
男はすぐに理解した。
そう、身体能力に差があり過ぎる。
彼は、己の身体能力を中の上と考えていた。
才能こそあるが、同期である【白煙】や【貴剣】に比べれば明らかに劣る彼がここまで生き残って来たのは、一早く状況を分析して動いていた故。
追い込まれる以前に逃げてきた故の生還。
袋小路に追い込まれてから逆転する術を持ってはいない。
「……さて、弱ったな」
今回は、深入りし過ぎたのだと。
認識するが早いか。
「……ッ」
三度、背後に現れた複数の気配。
一匹の相手でさえ手段がないのだ。
複数に囲まれた今回は、今度こそは終わりかと、後ろを伺う余裕もなく彼は眉を顰めるが。
だが、改めて気配を探れば。
それは目の前のモノとは異なった、正常な魔力の流れを持つ……。
「もし。ここは、私たちが請け負いましょう」
「……君は?」
背後から耳を撫でたのは、まるで知らぬ男の声だった。
しかし、敵意は全く感じられず。
「……恩に着るよ」
逡巡は短かった。
かつて冒険の中で多くの仲間を失ってきた男は、選択に時間をかけない。
それ即ち、損失だから。
悩む時間が長ければ、誰かが犠牲になる。
だから、悩まず。
最善をとらんと男は逃げの一手を獲った。
◇
「元B級冒険者……でしたか? 彼は。何にせよ、中々の判断力でしょう」
後ろ姿を見送った男。
黒曜騎士団第二席キース・アウグナーは、静かに呟き。
「―――――!」
対象を切り替えて襲い来る異形の、獣のような連撃を避ける。
異形の短剣捌きは……。
まるで大猪が牙を振るうような、技術以前の……しかし理に適った本能の正確さを持っている。
「ほぅ、やりますね。元冒険者――……という訳ではなさそうですが」
「………ァ……ァァ」
「粗末な剣捌き。野盗? 或いは、傭兵崩れ? ……いや」
「ァァァァァ――――ッ!!」
「元は、只人。何の素養もない一般人。それを、ここ迄仕上げますか」
烈風の如き速さで襲い掛かってくる異形の外見的特徴、声の質、動きを。
全ての武器攻撃を、危なげなく躱しながら。
彼は、淡々と分析する。
「何より――その髪色、その瞳。……そういう事ですか? いかな私とて、まがい物を見るのはいささか気分を害するのですが―――」
「……………!!」
「まぁ、人の業とは恐ろしい」
―――閣下も、憤慨するというモノ。
―――憤らない方がどうかしている。
そう考えたキースは、もはや確認する事もないとばかりに。
ようやく武器を。
刀身の非常に細い、
「―――――*****―――ッ!!」
「おや、使えるのですか?」
対して、異形は言葉にも思えぬ雄叫びを上げ。
それに呼応するかのように、激しく繰り出される高密度の水弾。
紛れもない初級魔術“激流”を前に、右へ左へ回避を行いつつ。
キースは、悠々と会話――否、独り言を続ける。
「元来、魔術とはそのモノの意思が重要とされています。故に、魔物の放つソレは研究の対象なのですが……さて。今の貴方は、どちらなのですかねぇ……?」
貴様は人か、獣か……と。
かつては紛れもなく人間だったであろう異形へ問いかけるが。
「ァ……ァァァァァァァアアア!!」
答えが返ってくるはずもなく。
襲い掛かってくる異形を前に、彼は大仰とばかりに肩を竦める。
「―――およそ、貴方の罪は僅かでしょうに」
「………ァ……ァ」
「仇は、お約束しますよ。ゆっくりとお眠りを」
「…………ァ―――……!?」
キースの眼前で静止し。
己の腹から突き出た剣の切っ先へ視線を向けた異形は、思い出したように血を吐き出す。
キースは動いていない。
それを為したのは、別。
体格に不釣り合いな動きを見せた男だ。
「……滅せよ。“浄化”」
―――そして……すぐに。
男がトリガーを起動し。
発動した魔術刻印の力により、バラバラと崩れ溶ける肉体。
浄化刻印の武装。
それは今や、黒曜騎士の一般兵装。
少数精鋭の彼らだからこそ、全部隊、全隊員に行き渡る程にこれらの武器を持てる。
人間種にはいまだ実現できぬ事であろうと頭の片隅で考えつつ、キースは同僚へ言紡いだ。
「良いタイミングでしたよ、ヴァイス君」
「……キース君は、もう少し取り決め通りに動いてはくれないのでしょうか?」
騎士団第四席ヴァイス・ドニゴール。
亜人騎士は、呆れたように問うが。
当の男は薄く嗤う。
「はは、申し訳ない。折角の計画が狂うのは面倒だと思ったので」
「……まぁ、それは」
「失礼致します、隊長、キース様」
緩やかに流れる双方の会話へ、女性の声が混入する。
人間より長い、しかし半妖精よりは短いとがった耳。
そして紅い瞳。
魔族の女性騎士だ。
「隊長。撤退の指示を」
「あぁ、すまないね。では、全隊員に指示を出してくれ。私と彼もすぐに行く」
「は! 失礼致します!」
「―――では、いささかイレギュラーこそありましたが。我らは気取られぬうちに退くとしましょう」
「えぇ、申し訳ない」
「……それと。丁重に葬る事もしてられませんが、彼等にも尊厳ある眠りを――申し訳ついでにお願いできますか? キース君」
「ついでに鎮魂歌でも歌いますか? ふふッ。 ミンガム領の玉兎種に伝わる鎮魂歌、アレは中々に良いモノですが……ともあれ」
「―――焚けよ、門火を……」
魔術が不得手な亜人に代わり、無詠唱の火属性魔術を行使する半魔種。
高火力に燃え散る、嘗て冒険者であった人間達の亡骸を無言で見送り。
彼等は並び、踵を返す。
「浄化せし焔と言えば―――時に、ですが」
「なんです?」
「クロウンスで、さきの彼女――君の所の副隊長が閣下と一曲共にした、などという噂を小耳に挟んだのですが、真実で?」
「………さて。どうでしょうな」
「……………」
「ええい……。報告ついでの役得、という事です。幻術が不得手な私などが出ていけば、祝宴は大混乱でしょう。閣下に余計な手間を取らせたくはありません」
「―――うぅ……、なんと……。赴いていたのが我が隊であったのなら……一生の不覚ッッ」
額を抑えて大仰に仰け反りつつ。
高原の悪路に群生する自然の痕跡一つとて燕尾服を汚させぬよう避け、真っ直ぐに歩き続けるという謎技術を見せる同僚を他所に。
ヴァイスもまた、額を抑えて呻く。
「―――ハァ……度し難い」
「何か言いました?」
「いえ、何でも。君は、相変わらずですね」
何がそうさせるのか。
何故そこまで歪むか。
気になる事は数あれど、勤務中以前に任務中ゆえ。
彼らは
「……ギルドは、動くでしょうか?」
「ええ、動くでしょう。与えられるものは与えました。彼らにとってもアレは亡霊。何時までも現世に留まられて良い気分はしないでしょうからね」
「調停者―――閣下が認める最強の純人間種。お手並み拝見と行きましょう」
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