第16話:剣姫の葛藤
……怒声と衝突音。
そして、巨大な機械の駆動音と、硬く大きな物が吹き飛ぶ音だろうか。
何の前触れもなく。
突如として鳴り響くけたたましいサイレンの音が、耳の奥で反響し。
暗闇だった視界に光が差す。
紅い散光灯の光が揺らめき。
開かれた私の視界には、硬く冷たかったコンクリートの床と、武装した制服姿の人たちが映った。
「………ぁ……、……う」
いつもの帰り道、いつもの通学路だった筈なのに。
次に映った景色は、全く異なる物。
まるで、本の中の世界。
今迄見た事もない、冷たい夜の異世界だった。
「―――助かった、ん……ですか……?」
「……あぁ、もう大丈夫だよ。悪い人は、皆捕まえたからね」
「驚いた。三日も行方不明になっていて……なのに―――君は、凄く冷静なんだね。でも、もう大丈夫。大丈夫だから、ね? ……縄も……コレで」
警察の制服を纏う女性が声を掛けてくれて。
締め付けが無くなり。
腕と足の自由が利くようになる。
冷静……? ……違う。
それは、冷静とは程遠く。
ただ実感が湧いておらず、現実を受け入れられていなかっただけ。
―――そう。
現実を見ていなかった、ただそれだけ。
理解はしていた。
私は
存在にこそ価値は存在しているけれど、取引によって如何様にも変動する資産。
優秀な兄が家業を継ぐことが完全に定められている以上、私に定められた役割は家同士の繋がりをより深めるという事のみの筈だった。
ソレのみの筈だった――それなのに。
「婚約は解消―――……という事で宜しいですかな。西園寺殿」
「……はい。この度は、申し訳ございません」
「こちらとしても、残念な話ではあります。……えぇ、しかしこれからも変わらぬお付き合いは―――」
……………。
……………。
地方議員を、幾人も輩出してきた家系。
各界に影響力を持っていた地元の名士。
そこに生まれた、望まれぬ一つのシミ。
誘拐された子女という汚点。
私という個人には、その事実以上に、
……それは、たった数日の出来事。
家がこれまでに重ねてきた横のつながりが、僅かな期間で絶たれてしまったという事。
全ての歯車が狂った瞬間。
ようやく全てを認識する事で、冷静など無くなった。
「―――私は、何なのですか」
「美緒……いや、良いんだ。部屋へ戻りなさい」
「答えてください」
「暫くは、送り迎えが必要だな。それと、心を落ち着ける時間が必要だ。戻って休みなさい。直近のスケジュールは私から下げるように言っておこう」
「私の存在意義は、何なのですか―――――ッッ」
「………部屋に戻りなさい」
……………。
……………。
「……これから行く所があるんだ、ゴメンね」
「兄さん」
「―――僕が―――美緒の分も頑張る、それで問題ない。大丈夫、大丈夫だ」
……………。
……………。
「明日からは学校へ通えるわ。友達にも会える。お兄さんは、貴女の分も頑張るって言ってくれたの。貴女は、何も心配しなくて良いの。何も、何の心配もいらないのよ」
家に、私の居場所は無くなった。
何も残さない……残させてもらえない。
権利はそのままに、義務だけを取り上げられた状態など、居ないも同じ。
存在が否定されたような状態。
そして、家以外での生活は、驚く程変化がなかった。
父親の発言した通り、車での送迎が始まっただけで。
何処か近くの市で誘拐事件が発生したという「根も葉もない」噂が広がっていて、「風邪を引いていた」私は友人に心配されるままにその噂を聞いた。
何もなかったという事実が作られた。
家での非凡と、あまりに平凡な学校での生活。
その、あまりに異様な
今迄の当たり前が何処にも存在しないと実感できて。
私の葛藤を知っている、本当に理解してくれる友人が誰も存在しないと分かって。
その恐怖から逃げるために、必死に勉強した。
もう、友人と遊ぶ余裕も時間も無くなり。
時には、優秀だった兄よりも上の成績を上げる事だって出来た。
私の存在意義。
それが無くなったら、最後の拠り所すら無くなる気がして……前の生活を幻視するように、また両親から期待して欲しいと思うからこそ、頑張り続けた。
……そして。
もう、学校という平凡の中ですら孤立した頃。
学校への送り迎えがなくなると聞いて。
好きな高校へ通っても良いと言われて。
多くの自由を許されて。
今迄の全てが、この為におぜん立てされた準備であると。
全てが無駄な徒労であったと。
あの日から数年が経ってから、ようやく悟った。
あの日を境にして、自分の価値は無くなったと。
もはや、自分は何も期待されてなどいなかったのだと。
中学校を卒業する頃に、ようやく理解出来た。
◇
「……小学四年生の頃の――そうか。そういう話が学校経由で回って、噂されてたかな。学校でも……気を付けなさい、って」
「陸君も、覚えてますか」
「うん。――確かに、何処でも名前は公表されてなかった……かな。本当に、火のない所の噂みたいな感じで」
未だ、多くの人の記憶に残っている事件。
それは、彼も知っていて。
「あの日から、ずっとずっと努力して。でも、一人で空回りするばかりで。何をやっても、上手く行かなくて。望んだ方向になんて、一度も進まなくて……」
「……………」
「誰にも、相談なんて出来なくて。何も変わらないのが分かり切っていて」
「……うん」
「居場所なんて何処にも無いんだなって――そう思ったんです」
言葉がとめどなく溢れる。
彼は、優しく先を促してくれて。
「本当に、沢山抱えてきたんだね、美緒は。……僕には、絶対に全部を理解してあげることは出来ないくらい」
「……………」
「本当に、及びもつかない……けど」
私の言葉が一区切りつく頃、ゆっくりと。
少しずつ、呟く。
「―――……違うの、かも」
「……聞いただけ、なんだけどさ。こうして話を聞いてるだけで言える事じゃないかもしれないけど………何か、違う、かなって」
……彼は、やはり。
私とは根本的に異なる考え方を、私にはない価値観を持っているから。
だから、すぐに……。
「陸君も、そう思いますか?」
「うん……。あ、いや―――実際に経験した美緒の言う事に嘘がないのは当然だけど……。美緒は自罰的な所あるから、抱えようとするから」
「―――別の見方が、あるのかなって」
彼の言葉は、およそ間違えではない。
でも、当時の自分は。
自分で選んだ遠方の高校に入学して。
また誰かと通学路を歩いて帰れるようになった時も、同じように考えるしか出来なかった。
……でも、今は。
「実は、私も。つい最近そう思うようになったんです」
「思惑――とはちょっと違うよね。……家族の考えは、違ったんじゃないかなって?」
「……はい。行動だけじゃなく、ちゃんと向き合うべきだったんじゃないかって。――どうして、もっと早く気付かなかったんですかね」
「……あるよね、そういうの。行動で示す、言葉で示す。どっちも大事なのに、気がついたらどっちかに集中しちゃう……ってさ」
「えぇ。――ありますよね?」
「耳が痛いね。……そうなんだ。自分が許せなくなる、って。本当に、視野が
「………ッ」
先程までは大丈夫だった。
ちゃんと、全部話せるって思っていたのに。
それなのに、どうして……。
覚悟を決めた筈なのに。
手が、身体が震えるのを止められなくて。
「この世界に来た時も、早く帰らなきゃって……。早くどうにかしなきゃって、そればかり考えてたんです。旅へ出る事に同意したのも、行動理由も……全部」
でも、それでも話さないとと。
あり得ないと分かっていても。
話したら、憤られても、
「……うん」
それより前に、……彼は。
得心したように、頷いて。
「早く、少しでもはやく。向こうへ帰る為、だよね」
「………はい」
「全然不思議じゃない、当然の考えだよ。前にギメールで話したし。僕だって、何度も考えたし――トラウマ、なるよね? また同じ体験したんじゃないかなって、思うよね?」
「………ぁ」
震えていた手が、彼の手に握られる。
「気が付いたら、知らない場所。また……いや。今度こそ、もう帰れないんじゃないか。今度こそ、自分の全てが否定されるんじゃないか……って。思うのも、仕方ないよね……?」
「―――本当に、凄いです。全部分かっちゃうんですね」
「あの時の美緒の顔、印象的だったんだ。普段は凄く冷静な西園寺さんが? ――って。酷いよね。誰だって、あんな目に遭ったら怖いのに。そんな風に思って」
この世界に召喚された時。
過去の記憶がフラッシュバックして……直感的に。
何もない私は。
今度こそ、もう二度と戻れないんじゃないかと。
そう思って、怖くなった。
でも、そんな時に。
「康太君と陸君は。あの時でも、お二人はいつも通りで。だから、ちょっとだけ安心できたんです」
「―――あはは……。空元気極まれりだったけどね」
あんな理外の事に巻き込まれて。
それなのに二人は、自分ではなく誰かの為に明るく振舞っていた。
私と春香ちゃんを励ましてくれた。
本当は、同じくらい怖かったのに。
「―――帰って話したい、よね? 本当に戻れたら。あっちの世界で、家族と」
「―――はい。今度こそ」
「………そっか。……うん、そうだよね……」
そう―――本当に、拒絶だったのか。
ちゃんと話したい。
家族の皆が私を遠ざけていたのは、別の意味があったのではと。
父も、母も……兄も。
私を護ろうとしてくれていたのではないのだろうか、と。
ちゃんと話して、理解したい。
私の心を護る為、安全を護るために最低限の関わりを。
自由を守るために、全てを自分で選んで良いと。
本当は、そう考えてくれていたんじゃないかと。
「もしかしたら。父も、母も、兄も……皆、私を心配させないために。私に不自由を感じさせないために。その時々で、最適を考えてくれていたのかと」
「尊重し過ぎたっていうのはあるかもだけどね、向こうも。初めて家族の事を聞いた時、僕も誤解したし。……やっぱり、そう考えたんだ?」
「……全てが遠くなって。この世界に来て、皆さんと一緒に歩んで。初めて、そう考えられたんです」
「……………」
「本当に理解しようとしなければいけなかったのは、私自身で。誰とも関わろうとせず、一人で殻に籠っていたのも、私。……そう思ったんです」
「――そうなのかもね。僕も、色々話さなきゃいけないしなぁ」
「……そちらも、多そうですね」
「それはもう、山ほど。その時は、手伝ってくれる?」
「是非。私も、陸君のご両親とお話したいです」
初めて話した時もこうだった。
彼は本当に聞き上手だからと、春香ちゃんに紹介されて。
こうして話しているだけで。
いつだって、胸が軽くなって……話が楽しい方へ向かって。
「……本当に。聞いてくれて、本当に有り難うございます」
「僕が知りたいからね。いつでも聞くよ」
「えぇ。また、お願いします。……戻りますか?」
「戻る……戻る……」
「宿屋です」
「……ぁ。うん、勿論そっちだよ?」
劇は会話の途中で既に終了していて。
この上席は後に回されているとはいえ、そろそろ退席を促される事になるのだろう。
……………。
……………。
でも、その前に……もう一つだけ。
最初の勇気を出すと、共犯者である男の子と約束したのだから。
彼が席を立つ。
タコの跡であろう、厚い皮が存在する手。
温かい掌の感触が離れる。
「―――――陸君」
「うん?」
その温もりが消えないうちに。
決意が揺らがないうちに。
この場を去る前にと座席を整え始めた彼へ、私は静かに声を掛けて。
一つ、深呼吸をする。
「……今の時期に、少し悪いですけど」
「うん。どうしたの?」
「好きです、陸君」
「ずっと前から――貴方の事が、大好きです」
……………。
……………。
「――もし、お客様?」
「………! い、いま出ますんで!」
飛び跳ねるような反応の後。
個室の外から声を掛ける係員さんへ言葉を返した彼は、ゆっくりとこちらへ視線を戻す。
「―――あ……っと……。確かに、ちょっと
「ふふっ、ごめんなさい」
既に、退席の時間。
今ここで互いに言葉を交わす雰囲気でなし……宿への帰り道でも、そういう雰囲気にはなろう筈がないから。
だから、とてもズルいタイミング。
自分でも、気持ちの整理を付けなければと。
ここで返答がこない前提の、ズルい告白で。
「すぐには答えなくて良いですから。ゆっくり、考えてください、ね?」
「……はは、流石僕たちの策士さん」
「誉め言葉ですね」
「……今夜眠れなさそう」
「ふふふっ」
「……じゃあ、アレだ。理由とか……聞いて良いのかな」
「聞きたいですか?」
「もう、存分に―――帰り道にでも」
ふたり話しながら、仮設劇場を後にして。
同じ歩幅で歩きながら、言葉を交わす。
彼の疑問。
それは、一般的にとても気になる事なのだろう。
……でも。
「―――きっかけは―――ありません」
「………ぇ」
……………。
……………。
「―――ぇ……?」
「きっかけなんて、いらないんです。運命的な出会いじゃなくて良い。救ってくれた恩人じゃなくて良い。隣で、ずっと一緒に笑ってくれる貴方が好きです」
例えば、全てが止まったあの時。
偶然通学路に居合わせた彼が目撃して通報してくれた、とか。
あの現場まで追ってきて助けてくれた、とか。
物語では、そう言った物が尊ばれ。
美徳として尊重されるのだろうけれど。
「奇跡の再会とか……運命の出会いとか。そういうの、どうでも良いんです」
「―――――」
「物語で見飽きてますし。何より、そういうのは、これから沢山経験して、沢山想い出として作れば良いんですから。……私達は今そういう世界に居るんですから……ね?」
私の言葉を聞いた彼は、ポカンとした――いえ。
どこか、衝撃を受けたような顔で。
どうしてでしょうね。
いざするとなると、とても緊張していたのに。
こうして終わってしまった後だと、凄く気持ちが軽くて。
「―――ぁ……。なんて言うか――何だろ。ホント……その通り過ぎて、自分で何考えてるんだろって思っちゃった」
「素人意見で恐縮ですけど」
「それ、学生が一番怖いやつ。……ううん、正論だよ。確かに、この先、幾らでも経験できるよね」
以前とは違う……今では、この世界に来て本当に良かったとすら思える。
アウァロンへ来たことで。
私は本当の意味で「冷静」になれて。
先を見据えて歩いていく為の、一歩を踏み出す事が出来て。
彼と……彼等と仲間になれた。
会話が区切りを付ける頃、一度止まる彼の足。
決して揺れる事もなく、真摯にこちらへ向けられる視線に、私の足も止まる。
「返事は、するよ――絶対に。でも、確かにちょっと待って欲しいな」
「はい、待ちます」
「……ははは。ありがと」
彼はとても緊張しているようで。
凄く恥ずかしがっているようで。
喉から出そうになってしまう物を、必死に抑えているようで。
とても嬉しくなってしまう。
それは、私を意識してくれているという事だから。
「でも、ここからは余り話せないね。人の多い通りは不安だし。いつ何処で見てるか分からないし」
「そうですね。何処に現れてもおかしくない人です」
「……二人の方は?」
「そちらは、多分それどころでは―――いえ、……帰りましょうか」
「?」
歩き始めた私に倣うように、彼も止めていた足を動かして。
いつもと同じように、同じ歩幅で歩きだす。
でも、隣を歩く彼は。
何処か考え込む様子で。
やがて、何らかのこちらに不都合な考えが浮かんできたのか……。
「ねぇ、美緒。もしかしてだけどさ。康太たちと分かれた時……」
「何ですか?」
「――え……? あ、いや。だから、さっき別行動した時に、康太と」
「分かりません」
「え……ぇ? 食い気味……圧が……」
その困惑する表情がおかしくて。
図らずも口角が上がってしまう。
彼は、本当に―――――苦労人、なんでしょうね。
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