第53話:我は元魔法使い
淡く青白い月明かりのみが、薄暗い部屋を照らしていた。
個室とは思えぬ長大な空間。
飾り気のない、しかし高価である事が伺える調度品。
幾多の構成物の中で。
主役を主張する家具。
唯一、煌びやかさを見せるのは、柔らかでありながら、造りのしっかりした巨大な寝具。
豪奢なレースの施された天蓋があり。
部屋の主は女性であると推測されて。
その厳かな空間で、明らかに場違いな男は。
はたと目が醒め。
状況を理解した後、ゆっくりと身を起こす。
……………。
……………。
魔王城、第10階層が深奥。
この国では、ただ一人のみが自由に出入りする場所に在って、俺が寝ていたという事実。
「………ぅ……ん」
それより、何より。
隣から聞こえてくる小さな息遣いは。
「―――すぅぅ……ぅん、んん……っ。らぐな……」
……………。
……………。
「あぁ、うん」
n回目の光景であるが。
言い逃れの余地はない。
今回ばかりは、夢でも嘘でもドッキリでも誤解でもなく。
やっちまった。
超えてはならない一線を。
遂に俺は超えてしまった。
相手は、伝説の魔王様で。
その真の御姿は、年端もいかないような――外見年齢10歳前後当時の姿そのままな少女で。
「犯罪、だよな。間違いなく」
「……んっ―――うん」
無意識の肯定も出た事だし。
判決は、既に出たようなモノだろう。
いや……待て。
話せばわかる。
この方は、魔王だぞ?
千年以上生きている長命者だ。
年齢的に考えて、合法のじゃロリだし―――アウトか。
見た目の時点でアウト。
間違いのない有罪宣告。
もしも同郷がこの世界にこようものなら、軽蔑は避けられず。
恋人だと紹介しようものなら、
「これで、晴れてロリコンの仲間入り……か?」
派閥によっては怒られそうだが、まず間違いないだろう。
勿論、後悔などはなく。
間違いなく、世界一大切な女性なのだが。
しかしまぁ……アレだな。
俺の好みは、一応年上で。
男を悩殺するような、豊満で色気たっぷりなお姉さんとかだったのだが……全く正反対な少女とは。
魔人生、何があるか分からんもので。
「ん………。んんっ……」
いや、アレだわ。
魔王様、ちっこいのに滅茶苦茶色気あるわ。
流石は、魔族の大君主で。
月明かりに反射する輝き。
肌ざわりの良いベッドの上に、銀の川が流れる。
幼少期から変わらず。
他に類を見ぬ程の長髪に比べれば、どれほど上等な布の質感も虚しく。
自然、惹かれていくかのように。
俺は、川の源流へと手を伸ばす。
「――んんっ………ぅ……? ……ラグナ……?」
「……はは。起こしちゃったか」
「止めるでない」
「いや、くすぐったかったのかと。――なら、そのままで」
起きたのは、髪を撫でていたからだろうか。
瞼を開き、定まらぬ紅眼で此方を見る陛下。
思わず罪悪感を覚えて。
一度その手を止めるが。
顔を顰める彼女の要望に答え、再び撫で始めると。
むふーー、とでも表現するようなご満悦の表情で。
しかし、心配が一つ。
「―――身体は、大丈夫かい? 痛い所とか」
「………ふふっ」
「おかしいかな」
「さて、な。ただ、其方が持て余していた事は分かったぞ」
「……それは、当然」
「ほれ、ほれ。もう一回戦と行くかの?」
煽らないでください、マジで。
本気になったら魔狼なので。
今更ながら、周りに魅力的な女性が多すぎなんだよなぁ。
大貴族の令嬢様で。
妖艶かつ美麗なふるまい。
研究者としてもカリスマであり、性格以外は非の打ちどころのない黒髪美女とか。
国内屈指の資産家。
広大な領を持つ、純白の権化。
性格には僅かな欠点すらなく、本人の欲の無さに反してか、男の欲望欲張りセットな女性。
で、この魔王様。
多くの臣下を狂わせてきたであろう、傾城傾国(物理)の覇王。
……独り身の寂しい所で。
サーガの様にはいかない。
今迄、死ぬ程我慢してたし。
魔法使いだ何だと言っていても、老いぬ肉体に欲望だけが膨れるばかりで。
魔王の誘いを。
唇を噛み締めて踏み止まる。
「―――何じゃ。来んのか」
「えぇ。今は、止めておきますよ。無茶はさせたくない」
「………まぁ、そうじゃな」
「やはり、無茶を?」
「いや、良いのじゃがな。其方を一人で相手するのは、中々に……うむ」
俺はオークか何かですか?
「浮気など、認め――たくはないのじゃがなぁ」
「いや、しませんって」
「それはそれで、怖いという事じゃ」
訂正、オークキングだった。
苦く笑う陛下は。
身を寄せてきながら、「それより、何より」と口にして。
「余だけでは、手に余る上に」
「……え。上に?」
「約束してしまった手前。反故にすると怖いからのう、あ奴は」
あ奴って―――誰の話をしてるんだ? 陛下は。
魔王をして、怖いなんて。
そんな事を言わせる人物。
心当たりなんて、無いな。
想像も付かないな、ソレ。
俺が考えを巡らせている間に、陛下はベッドから起き上が――らず、身体の上を覆っていた布を纏ったまま。
定位置とでも言うかのように、膝へ収まる。
「さぁ、我が騎士よ。仕事の話と行こうか」
「……この態勢で?」
「状況など、騎士には関係ない。打つ手が無かろうと、致命傷を受けようと、今置かれた現状で最善を尽くすのが、其方であろう?」
あぁ、それは確かに―――ん?
……………。
……………。
「何か、違くないです?」
「気の所為じゃよ。何も違くはない」
この状況を、上手くはぐらかされたような気しかしない。
良い話で流そうとしたよな。
「……して、陛下。お話というのは」
「うむ。現在、其方には直轄の手足――その創設を任せておるな?」
「えぇ。では、騎士団の話で?」
「それも含めた話、と言うべきか」
難しいのは無理っす。
簡単にお願いします。
「―――中央軍部。今の伝統的体制が、悪しきものという訳ではない。しかし、時代は変わりつつあり。完全な物とも言い難くなったであろう」
「……成程? 指揮系統の問題ですか」
良かった、俺にも理解できる話だ。
それは、これからの軍部の方針。
今迄は、今日まで続く方式を用いれば良かったかもしれないが。
現在は状況が異なっており。
と言うのも、一部門の崩壊。
そして、軍上層部の反乱。
歴史的にも類を見ない規模――そもそもが初の内乱によって、何より被害を受けたのは軍部で。
歪でも、繋ぎ止めていた箇所。
少数で何とか回していた部署。
それらに大きな穴が空き、緩やかに瓦解しつつある。
だから、如何にか埋める。
陛下が言いたいのは、つまりそういう事なのだろう。
「中央の軍備改正……確かに、急務ではありますね」
「流石、ラグナじゃ」
「まぁ、この位は」
「という訳でな。頼むぞ、旦那様」
「……………へ? 何が?」
WHAT?
「それは、一体どういう……?」
「ゆるかやに変えればよいでな。近衛、四方騎士団と連携し、軍部の改変に務めるがよい。無論であるが、地方も忘れずに」
「……………? ―――はッ!?」
「何を驚く」
「いえ……ですが、それ程の改革など―――」
「何十年掛かろうと構わん。余の右腕である其方なら、誰も疑問は抱かんじゃろう」
……この合法ロリ。
余程、俺を使い潰したいと見た。
それは、
理由は、主に二つあって。
まず、彼女の言葉通り、何年掛かるか分からん事。
元々、彼等魔族は希少種族で。
そもそもの出生率が低い上に、そこから軍部を志す者も限られるから。
只でさえ、近年は魔導士団の影響で。
生活水準が向上していて。
普通に働いた方が楽に稼げるし安全だから、士官学校の門を叩く若者は減少傾向だ。
……そして、軍部改変の問題。
地方の軍隊などは当然だが。
組織として、独立していて。
王都の所属とはいえ。
急に、部外者である俺が乗り出して、あれこれと口を挟んでみろ。
絶対に色々と反感を買うし。
何より、その機関ならではの系統が分からないから。
もしも噛み合わなければ。
むしろ、腐敗の原因だし。
ようやく試験運用まで漕ぎつけても、いずれは自然瓦解してしまう可能性も高い。
「それなのに、私に如何にかさせよう……なんて、言うの?」
「言うの」
言うらしい、うちの王様は。
あと、凄く可愛い。
「およそ、問題はないじゃろう」
「……随分楽観的ですね」
「何せ、軍部で其方に逆らう気概のある者など、片手で数えられる」
「まるで良くない」
全部自分が悪いとはいえ。
嫌われすぎだろアルモス。
「それに、人員の不足もな」
「陛下に心当たりが?」
「此度の内乱で、英雄に目を灼かれた者の数は、計り知れぬであろうからな」
「……………?」
そっちは―――どういう意味だろうな。
「勿論、余が急くにも理由はあるぞ。……近いうちに、勇者が召喚されるかもしれぬからの」
「……………ッ!」
「どのような者かは分からぬが」
そう言えば、そうだったよな。
【悲劇の勇者】が死んだのは。
俺がこの世界へ来る以前で。
そこから逆算すれば、確かに。あと10年―――或いは、もっと早いかもしれない。
こりゃ、確かに。
俺自身、楽観しても居られない……。
「―――つかぬ事を伺いますが。陛下は、これ迄に何人の勇者を屠ったのですか?」
「んむ……どうじゃったか」
既に、俺は魔族のナカーマで。
人間への未練はさらさらなく。
敵対する身であるが。
それでもやはり。
こんな危険な世界へ連れてこられた同郷へ、一応の同情は持ち合わせているから。
そこが少し気になったが。
「初代なぞは、余が思う勇者の典型であった。其方が異界から来た存在という可能性を追っていた余たちも、関心を示しはしたのじゃがの」
「……実際の所は、どうでした?」
「発展の最中であった王都へ来るなり、城が小さいとケチをつけ」
「………は?」
「余に、魔王の威厳が無いとケチをつけ」
「………へ?」
「最終的に、魔王は勇者と結婚するものだ~~、などとほざきおったので、余自ら
マジで勇者じゃん、ソイツ。
それ何処知識の勇者像だよ。
「……うん? そう言えば、現在の王城が建ったのは……」
「知識を活用してやったのよ」
「あぁ、通りで。そういう事ですか」
十階構造の、巨大な白亜の魔王城。
この城が建てられたのは。
今から、四百年程も前で。
初代と二代目の間に合った出来事が、ソレという事なのだろう。
確かに巨大にはなったが。
およそ、魔王城というには
今の城を見た場合。
ソイツは、何と言うだろうか。
「禍々しさが足りないッ!」とか言い出すんじゃないか?
「―――となると。陛下の持つ勇者像や魔王像というのは」
「ほぼ、そ奴の情報じゃ」
「向こうの知識は?」
「そちらは、三代目経由じゃな。アレは女子じゃったが、中々に話の分かる奴での。色々と知識を披露した後は、老衰するまでこの国で暮らしておったよ」
「……え、マジで?」
「うむ。結局、子孫は残さず。人界の記録上にも残っておらんじゃろうが」
三代目の女性勇者って、確か。
魔族に殺されたって聞いたが。
バリバリ元気じゃん。
さりげなく、天寿全うしてるし。
「―――ふふふっ。今思い返しても、愉快な奴でな。確か、イケメン魔族サイコー……とか」
「…………?」
「タチだのネコだの」
「…………!」
「暗黒騎士の悩殺筋肉ボディ、死んでも良い……とか」
ヤバ過ぎだろ、三代目勇者。
多分、別の意味で魔族に殺されてるし。
色々と読めない趣味をお持ちのようだが、かなり雑食の女性だったみたいだな。
……………。
……………。
ねぇ、まともな勇者は?
おい、神様……六大神。
勇気があれば良いのか?
それだけあれば、誰でも良いのか? アンタ等。
「……聞いていて、次が不安になってきましたよ」
「其方程の者が、何を恐れるか」
「いえ、キワモノやゲテモノと戦いたくはないです。相手の性格次第では、尻尾巻いて逃げるかも」
軽い冗談ではあるが。
実際、どれだけ強くなろうと、未知との遭遇は疲れるもので。
身内にも。
これ以上の奇人はいらない……と。
我ながら、情けない台詞で。
そんな臣下の言葉を、主はさも可笑しそうに笑う。
「くくくくく……っ。無論、一時の撤退ならば、許そう。―――じゃが」
彼女は一度言葉を置き。
不敵に笑うまま、呟く。
「其方がラグナ・アルモスである限り、敗北は許さぬ」
「……………」
「余の為に、命を尽くせよ?」
………ふふ。
まぁ、そうだな。
彼女にそれを言わせるのは、今更というモノだ。
「仰せの通りに、陛下。……無論、私は、敗北など認めない」
「うむ、それでこそじゃ。我が騎士、暗黒卿よ」
「―――――それ止めてくれませんか?」
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