第40話:託されたもの




「――ふむ。やはり、此処に居たか」

「……………」



 一人、城の高台に立ち。

 何処までも続く、広大な迄の都市を見下ろしていた男。


 その、紅い瞳を持つ男へ。


 背後から呼び声が掛かる。


 声を掛けたのは、銀の長髪を持つ男で。

 振り返り、その姿を認めた紅い瞳の男は、深い笑みを見せ。



「くくッ……肉の匂いがするな。燻製か」

「む……っ」

「また、食堂を荒らしてきたと見る」

「良いであろう。無駄になるより前に消費したまで。調理技術は、素晴らしき文明。それを亡き者にするなど、我が許さぬ」


「あぁ、違いない。中には、それが壊滅的な者も居るが、な」

「其方の主の話か?」


「――そして、君もな」

「我にそのような畑を求められても、困る」



 揶揄い、答えるままに、そのまま歩を進めた男は。

 紅い瞳の男と並び。


 彼もまた、都市を見下ろす。


 嘗ての光景を――既に失われた景観を、幻視するかのように。



 ……………。



 ……………。



 二人が見下ろしていた大都市は。


 

 既に、廃墟も同然の有様だった。



 高度に発達した文明の跡。


 何処までも広がる居住域。


 丹念に整備された大通り。

 それが、現在では未だ溶けぬ氷に覆われ、形なく溶け、黒灰が覆い、巨大な何かに圧し潰されたかのように折り重なっている。


 嘗ての活気は跡形もなく。

 宵の口であるのに、家へ駆けこむ者も居ない。


 生者の気配などは。


 何処にも存在せず。



「凍てつき、爛れ、蹂躙され、焦土と化し。ククク……ッ。まことに、よく、これ程持ったものだよ」

「………笑いごとか?」

「避難は完了している。聞くモノなど、居ない。お堅い戦士でいる必要もない」

「……む……むむ」

「それに、私の事が言えた身か? 先の匂い、混じり過ぎだ。食堂、厨房どころか、食糧庫ごと食い荒らしたのだろう?」


「………………」

「―――図星か。互いに、それぞれの統率者たる威厳があったのもではないな」

「……うむ、違いない」



 一方が話せば他方が噛み付き。

 それが過ぎれば、また一方が噛み付き続ける会話。


 両者は、ひとしきり笑う。


 残されたわずかな時間を。



 友としての歓談を、噛み付き、噛み締める。



 ……………。



 ……………。



 だが、しかし。


 やがては双方の笑い声も消え入り。


 銀髪の男は、憂うように口にする。



「―――やはり、我も」

「ならん、友よ」

「……………」

「君は、もう。ここに居ては、ならん。急ぎ姿を隠さねば、ならん」



 今まで陽気に笑っていた紅い瞳の男は。


 ここにきて、初めて鋭い色の瞳を宿し。



 彼の言葉を遮り、続ける。



「私と彼女が死しても、遺志は消えぬ。我らが生きた証は、消えぬ」

「……………」

「月の一族は、死してなお輝き続ける故」

「……そう言うか、やはり」

「それこそが、定命ゆえに――な。未来を信じ、託し、次が受け継ぐ。それが、我ら定命の在り方なのだ」



 「何より」……と。


 男は、言葉を続け。



「アリシア様と共に、最期を過ごす。私にとっては、それだけで充分――それこそが、幸福」

「……主狂いの色狂いめ」

「誉め言葉だ」

「……ならば、彼女を説得――」



「私を呼びましたかーー?」



 銀髪の男は。

 最早、説得は不可能と分かりつつも、言葉を尽くそうとするが。

 突如として、両者の背後で空間が揺らぎ。


 薄い光と共に現れる女性。


 一方の男と同一の紅い瞳。

 腰まで届く、銀色の長髪。

 透き通るような白い肌を持つ女性は、微笑みながら、突如として顕れる。


 その、不合理な邂逅に。


 嘗て敵対していた男は。

 述べていた言葉を止めると、彼女の美しさに目を細める。


 その感情は、決して。

 けっして劣情などの類ではなく、月を美しいと感じるソレと酷似していて。



「……なぁ、アリシアよ。其方は――」

「はーーい?」

「……………」

「お二人で、何を話されていたのですーー?」



 ……………。



 ……………。



「いや、なに――その。……今更ながらに、思うた。その力を、十全と扱える統率者。正しく、其方こそが、魔族の王よな」


「まぞく……?」

「其方たちの、総称。何度も言うたであろう」


「まぁ……! ふふふっ」



 男の説明に目を丸め。

 それを、どう解釈したのであろう。


 突然、笑い出す女性。

 

 男はそれが不思議で。


 馬鹿にされたのかと思い。

 思わず、口を尖らせ、棘のある口調で問う。



「可笑しいか、アリシア。其方たちが我に名を贈ってくれたのと、何が違う」

「蔑ろにしたわけではないのです。申し訳ありません」

「……何故、笑う?」


「私には、大層な名などいりません。兄弟姉妹は既に亡く、女王としての任も、間もなく終わる。今の私は、只の小娘ですから」

「……魔王は、ダメか」

「えぇ。――そして、残る役目も、一つだけ。王の魂そのものを、この地へと固定する。それが、私の最期の役目」

「……………ッ」

「もう、主として振舞う必要も、無いのです」



 「ゆっくり、休むのです」……と。



 それを、待ち望むかのように。


 焦がれるように、彼女は呟き。


 二人の会話を、聞き役と徹していた男へ。

 紅い瞳の男へと、見惚れるような笑みを浮かべ、問いかける。



「……一緒に居てくださいますね? あなた」

「無論。私は、最期の瞬間まで、共に」

「――なら、よろしいです。友情も良いですけれど、早く戻って来てくれないと、イヤですよーー? 一人は、寂しいですから」



 ……………。



 ……………。



 その会話に。



 説得は、不可能なのだと。

 銀髪の男は、改めて思い知らされて。


 目の前にいる筈の二人が。


 透けていくようにすら、感じて。


 ……結局、彼は。

 去っていく女性へ、「皆で逃げよう」と、説得の言葉を掛けることすらも出来なかった。



「―――友よ。先の話であるが」



 ……そんな男へ。

 追い打ちを掛けるように、隣の男が呟く。



「………む?」

「君へ。次を、託しても――良いか」



 ……………。



 ……………。



「―――我は、其方たちのような定命ではないぞ」

「同じ事だ。こうして並び、話しているのだから」

「……………」

「この都市は、間もなく滅びる。統率者たる私と主は死に、民は散り散りとなり。我が一族も、再び彷徨さまようだろう」



「厄災が、全てを覆うだろう」



「だが――やがて。再び、私の遺志を継ぐ者が、君の前に現れる」



「……ゆえ。その時は、協力、してやって欲しい」

「……………」

「―――頼む、友よ」



 首を垂れて。


 紅い瞳の男は言葉を紡ぐ。

 だが、それを託された男には、未だ浮かぶ言葉が多く。


 彼は、許容できない。


 それを認められない。



「――其方は、我が唯一好敵手と認めた、最強の魔族」

「………うむ」

「其方に無理であれば、それを成せる者なぞ。後にも、先にも――」

「現れる」

「……………!」



「必ず、現れる」



「そして。君なればこそ、託せる」



「大いなる理の権能を持ち得ながら。穏やかであり、思慮深く、気高い―――真なる龍」



 

「我が血族を……魔族を――頼む」





「―――我が友――ステュクスよ」





   ◇





 真なる毒素は霧となり。

 一帯を――大気を――大空をも覆い尽くし。


 瘴気が風となり、吹き荒び。


 命を容易く融かす雨が降り。



 雨風となり。



 雷嵐となり。



 厄災と化す。



 存在するだけで、生物は爛れ、死に、溶ける。

 唯一の救いは、身を融かすような痛みを感じるより早く、死が訪れることで。 


 抗う事が出来る者は。


 死を知らぬ存在のみ。



 ……………。



 ……………。



「―――俺たちには毒効かねぇんじゃねぇのかよぉぉぉ!! 喉がイガイガするぅぅぅ!!」

「兄者」

「いでぇぇぇッ!」

「兄者……はぁ。“浸透せし蒼炎”」


「――あぢぢぢぢぢ!!」

「消毒中です。大人しくしてくださいね」



 ……死の大雨が降り注ぐ中で。

 喉を掻きむしっていたアダマスは、弟の魔術に焼かれ。


 ようやく大人しくなり。


 その場で、胡坐あぐらをかく。



「………他に方法なかったのか?」

「対策も立てない兄者に非があるのでは? 僕は、ちゃんとしてますよ?」

「魔術とか、意味わかんねんだよ」

「この嵐は、大元が風属性。しかも、死に掛け消えかけ。なら、僕の魔術で相殺できます」


「……………?」


「――相性差。魔術の基本ですよ?」

「……………」



 淡々と、話を続ける両者であるが。


 この空間に、襲い掛かる者はなく。

 

 元より、本龍は。

 二人を、戦力として連れてきていたわけではなかった。



「―――終わりじゃ、嵐龍」

「……………」



 ―――勝敗は、既につき。



 地へ倒れ伏す龍へ。

 支龍レーテへと、人化したままの本龍は言葉を紡ぐ。



 支龍とは、厄災そのもの。

 生まれ出でたその時より最強であり、不死なる力を持つ。

 


 しかし……それ故に。



 生まれ持ちえた以上の力は、持たず、身に付かぬ。 


 彼等は、定命の生ではなく。


 権能から生まれた厄災ゆえ。


 武器が、武装がそうであるよう。

 或いは、兵器がそうであるよう。

 己の能力以上の力を振るう事は決してなく、奇跡なぞ起こさず。

 


 より上位の個体が相手とあれば。



 只、順当に戦闘を行い。


 順当に、敗北するのみ。



「――しかし、それは――なんじも、同様。故に、逃げたのでは、なかったのか。故に、隠れたのでは、なかったのか……?」



 倒れ伏した大いなる龍。

 その咢の奥からは、消え入るような音が紡がれる。



「何故、いまになり。我らに――王に、仇名した、本龍よ。……我は、疑問であった。何故、其方ほどの者が、矮小わいしょうな生命に、与した」

「――託されたゆえ」

「……分からぬ」

「護ると、約束したゆえに」

「……分からぬ。理解、出来ぬ。どれ程強くとも、死した。定命の生に、意味はない。永遠なき者に、意味などない。護る意義が、分からぬ」

  


 何度も、何度も。


 なお、レーテは尋ねようとするが。

 本龍は、言葉を尽くし論じることは、しない。


 倒れ伏した同族へと。


 最低限の会話を行い。


 ただ、憐憫れんびんをもって、消え入りゆく命を見送るのみで。


 本龍の権能により。

 嵐龍の瞳からは、ゆっくりと光が失われゆき。



「―――意識が……遠のく」

「それが、死じゃ」


「……認めぬ」


「………………」

「龍は――我は――不滅なり―――不滅なり……!」




『でなければ、我らの存在意義は……!』




『不滅……不滅……不滅……不滅……っ』




『……………』




『……………』




 やがて。


 その瞳は、完全に光を失い。

 個にして完全である龍が、絶命したことを示していた。



「――アダマス。ムートよ」

「「……………」」

「我らは、権能の塊。己が役割、機能を失う時こそ、終わる時」



 その絶命を見届け。


 座り込んでいた二人へと、彼は言葉を紡ぐ。



「永遠など、存在せぬのじゃ」

「―――なぁ、ジジイ。龍って、何なんだ? 俺たちとコイツって、何が違うんだ?」

「……………」

「お師様。僕も、気になります」


「我らは、共に、大地より生まれしモノ。そういう意味で、差は、無い」

「んじゃ、俺たちとコイツ等は」

「結局、同じって事です……?」

「―――否。常に、流れを別けるのは、己の意思」



「己が考えを放棄し、力のみを拠り所とする厄災か。命を識った、龍か。それだけで、差異など充分」

「……つまり……?」

「己が正しいと思う流れを。その流れを、真っ直ぐに征けという事じゃ、アダマス。其方が、あの男に付いていったように」


「……………!」

「――うん……? 難しいですね」



 本龍の言葉を受け。

 深くを知ろうと、首を捻る弟に対し。


 要所だけ切り取った兄は。


 さも、したり顔で頷いて。



「……ま、良いさ。要するに、強くなりゃ良いんだろ?」

「そうなんですか?」

「博愛主義のムートには、無理だろうけどな」


「大丈夫です! 兄者と違って、僕には、魔術が有りますから!」

「おいコラ、どういう意味だ」

「ふふふ。ルーナ様だって、言ってたんです。僕には、凄い才能があるって―――」



 ……………。



 ……………。



「―――んぇ?」

「……ん。何だ………?」



 不意に、二人は動きを止め。


 その方向へ、視線を向ける。



「なんですか……? この、凄く怖い気配」

「魔術……魔術、か?」



「―――戻したか、王よ。あの男は、それ程の敵であると。……くくッ、そうか」



 ある方向を見据え、疑問符を覚える二人。

 それと同様の方向へと視線を向ける本龍。


 彼は、満足げに笑みを浮かべるが。


 同時に、焦りも覚えているようで。



「急ぎ、都市へ戻るぞ。―――二人共。腕を、こちらへ」

「………あ?」

「……お師様? それって……」



「魔王の、遺志よ」



 ……………。



 ……………。



 すぐに、三者の姿は。


 極光に包まれ、消え。


 戦場には、凄絶な厄災の痕跡のみが残る事となった。

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