第八章:勇者一行と秘密の都市

第1話:成長とは



「お姉ちゃん! 早く帰ろうよッ!」

「……もうちょっと、もうちょとだけだから。もっと量がないと、また来なくちゃいけなくなるし、失敗したとき用に」


 やや気の弱そうな少年。

 そして、活発そうな少女。

 二人がやってきていたのは都市からほど近い森林部。


 その手には鋭利な短剣。


 これは、家から持ち出したもの。

 毎日のように研がれているからか、刀身は月光を反射して輝いており。どんな魔物でも斬り裂けそうな重みと全能感を身体に伝える。



 ―――だが。



 整備された街道。


 定期的に駆逐される魔物。

 都市周辺には決して魔物が発生することは無いといわれる【セキドウ】だが、少し奥まった森林はその限りでなく。

 如何に二人がここまで何にも遭遇しなかったからといって。


 これからもそうだとは。


 果たして、誰が言いきれるだろうか。



「―――! …お姉ちゃん」



 かすれるような少年の声。


 先程までより明らかにトーンの下がったそれは。

 発生した異常によるもので。

 二人の視線の先には、大の男がすっぽりと納まりそうなほどに巨大な腹部を持つ蜘蛛。ぎちぎちと不快な音を奏でる顎と、しなやかで光沢のある体表。


 ―――普通ならば。

 恐怖に飲まれてしまう状況にあって。


 二人は、努めて冷静だった。


 それは、一定の知識からくる自信。

 危険と隣り合わせで生きている以上、生きるための知恵を付けるのは当然で。



「……大丈夫。あの魔物は大人しいから――!」



 あぁ、しかし。

 その知識が本当に正しいものかは。


 実際に経験せねば、分からぬことで。 



「――あ……あぁ」

「なんでッ!? 嗅覚も聴覚も退化してる筈なのに!」



 大蜘蛛は。


 幾つもの瞳を集中させ。


 真っ直ぐ二人へと疾駆する。

 その貌に浮かんでいるのは…。


 間違いのない怒りだった。


 声も出せず。

 足が竦み、逃げることも出来ず。

 一度の失敗で完全に自信を喪失させた二人は、最も愚かな行動…硬直して、ただその時を待つことしかできなかった。 



 本来ならば。



 そこで、全ては終わっていたのだろう。



 大陸ではよくある事。

 矮小な人間の子供が二人、行方不明になっただけの事。



 だが、完全な偶然によって。




 ―――その結末は容易く捻じ曲がる。




 蜘蛛のあぎとが人間に襲い掛かる刹那。


 両脇から刃が走り。

 同時に姉弟を守るようにして魔物の正面に飛び出した人影は、その巨大な突進を剣で受けとめ、あまつさえ押し戻す。



「――完全に怒ってる。やるしかない…か」



 右、左…そして正面


 三人が同時に攻撃したとしか思えない状況にあって。

 呟きも影も一人分。

 複雑な気持ちを伝えるその声に重なるように、ぎちぎちと顎を鳴らして飛びかかる大蜘蛛。先の魔術による風刃によって多くの脚を失い、怒りに我を忘れた捨て身の攻撃。


 それさえも。


 剣の一撃に切って捨てられる。



「「………!!」」



 ―――凄い。


 その言葉だけが。

 二人の脳裏を過る。

 姉弟は、冒険者と呼ばれる者たちを沢山見てきた。


 そんな者たちは殆どが強面で。

 威圧的な雰囲気を持った荒くればかり。



 しかし、その人物は違う。



 少年…いや、青年だろうか。

 少なくとも、自分らよりは年上だろうが。

 そう何歳も変わらないだろうと分かる程度には幼さを残した風貌。


 しかし、その動きは?


 疾風の走りと剣速。


 生命維持に必要な器官を斬り裂かれ。

 魔物は成す術もなく地に伏せ。

 やがて、動かなくなり。

 息を吐き出した彼は、布で拭った剣をゆっくりと収める。



「……大丈夫?」



 耳に届くのは心配の言葉。

 そこに先程の圧は…全くといっていい程存在せず。


 話しかけてきたのは。

 何処にでも居そうな、優し気な青年だった。



「……あ。…あぁ」

「うぅ……うわあぁぁ」



 安心と、虚脱感。

 少年は勿論、姉もいつの間にか泣いていて。


 そんな二人を、青年は優しく撫で続けてくれる。

 ……耳元に届くのは、彼の発する歌謡うた


 とても不思議な音色の歌。


 それは、薬師である二人の母親が口ずさんでいるものと同様で。徐々に姉弟は平静を取り戻していくことが出来た。




  ◇




―陸視点―




 姉弟? の頭を撫でながら。


 僕は、コッソリと息を吐く。


 助けられたのは本当に偶然だった。

 偶々、先生の突発的アイデアでこの森林に分布している薬草の収集を依頼され、ついでに薪を拾ってくるという仕事を皆で分散してやっていたから。

 

 一足遅かったら。


 来る方向が違ったら。


 本当にそれだけで。

 この子たちの命は、既になかったかもしれなくて。


 簡単な魔除けの術を口ずさみながら。

 近くにいるだろう皆の気配を探る。

 異変を感じて、こっちに来てくれればいいんだけどね。

 

 ……足を切られて。

 腹を裂かれて絶命している大蜘蛛。



 名前は―――グラン・シュピンネだったかな。



 蜘蛛型の魔物…シュピンネ種。

 その中でも上級の個体。

 

 この種は、聴覚と嗅覚が大きく退化している。

 そして、強い力を持ちながらも。

 こちらから襲い掛からない限り、敵対しない限りは攻撃してこないことから、公には森林の賢者などと呼称される場合もあるけど。


 一度怒らせてしまえば、とても獰猛な暴君と化す。


 その性質として。

 この種は、強い光を大きく嫌う。

 金属鎧や武器の類は特に危ないだろう。


 武装や抜刀の光とは。


 即ち、戦闘の意志だから。


 だから、新品同様に研がれた短剣に反応して二人に襲い掛かった……のだと思う。



「気を付けなきゃだめだよ? あの魔物はとっても強いんだ」

「……はい」

「ごめんなさい、お兄さん」



 単体でもC級上位。

 この辺りでも、特に強力。

 ……と言うより。

 こんなに強い魔物が当然のように都市周辺の森にいる…流石は大陸中央だよね。



「――陸ッ!」

「やっぱり、陸が貧乏くじ――クモぉ!?」


「大丈夫、だったみたいですね。…その子たちは?」



 皆の行動は本当に速くて。

 もはや全員が魔力の流れを感知できるようになった僕たちは、魔物の居る場所が索敵で分かるから、戦闘などそうそう起こる筈がなく。


 にも拘らず僕が戦っているから。


 皆も、急ぎ駆けつけてくれたんだろう。


 康太は安心したように息を吐き。

 春香は絶命した蜘蛛を見てぞわぞわ。

 美緒は状況を分析して、子供たちへと近づいていく。



「あなた達は、近くの都市に?」


「……はい。セキドウに住んでるんです」

「じゃあ、私達と一緒に行きましょうか。馬車の中なら、安心して休むことが出来ますよ」



 柔らかな笑みを浮かべ。

 優しく話しかける女性。


 それだけで、子供は安心できるものだ。

 


「えぇと…。その……」

「あの、よろしくお願いいッ――!?」



 ガサゴソと。

 草むらが揺れ、ぬるりと出てくる影。


 …まあ、怖い生き物じゃないよ。

 魔物なんかより、よっぽど危ないけど。


 先程の件もあり。

 怯えた様子の二人を安心させるように撫で、脅威が無い事を伝える。



「…ああ、いたいた。皆が随分と奥まったところまで――お、シュピンネ種か。ここまで老齢だとちょっと大味だけど、これで結構な珍味だから――」


「「食べません!!」」



 残念そうに肩をすくめる先生。

 食べる為ではないけど、その骸の前に座り込んだ僕は、手早く短剣を走らせて魔核石を回収する。この時、変に切って臓や卵胞を傷つけないように注意だ。


 赤ちゃんが大量発生したら。


 絶対に悲鳴を上げる者も居るだろうし。


 子供が孵るか、魔物の糧になるか。

 それは自然に任せるのが道理だ。

 回収した魔核石を装備の小袋に収納して立ち上がる頃、仲間が子供たちを年長者に引き合わせていた。



「先生、元居た場所に帰してあげたいんです」

「ちゃんと面倒見ますんで」



 捨て犬を拾ったみたいに。

 同情を誘う康太たち。


 二人は、本当にぶれないなぁ。



「…ええと、この子たちも一緒に」

「うん、お客さんだね? 流石に全員は馬車に入らないだろうから、リクは御者で、私と……コウタも歩きで良いよね?」


「ウッス。丁度運動したかったんで、歩きましょか」



 話しながらも狭い林道を抜け。

 馬車まで着くと。

 連れてきた二人は、恐縮したように立ち尽くす。


 …ああ、そういえば。


 この馬車って。

 見た目こそ地味だけど、かなり質のいいものだから、見るものが見れば明らかに高価なものだと分かっちゃんだっけ。


 どうやら、二人は観察眼に長けるらしい。



「あの、お兄さん…? ――やっぱり」

「私たち、歩きますよ?」

「遠慮しないで。僕の仲間は、人助けが何より大好きなお人よしなんだ」



 だから、気にすることは無いよ。

 ……それに、だ。

 この馬車は乗ったが最後。世話好きで知識欲旺盛な少女たちに質問攻めされることで有名な魔窟なんだからね。



「――うん。お人よし日本代表がなんか言ってるね」

「ありゃ、今年の金メダル狙ってるぜ」



 外野、うるさいです。


 やや高い位置にある段差から。

 姉弟を馬車に乗せ。


 僕は、そのまま御者席へと座る。

 皆が乗る頃、ゆっくりと進んでいく馬車。そして、荷台から聞こえる女性陣の質問攻めに耳を傾けながら、横を歩いている康太たちと一緒に進んでいく。



 ……こういうのは久しぶりだね。



 ―――前々から思ってはいたんだけど。



「先生、西遊記知ってます?」

「あぁ、勿論。確かに、そんな感じだ。この場合、リクが玄奘三蔵かな」

「――じゃあ、康太君は猪八戒だね」


「何故にッ!?」

 


 ……馬車組、聞いてたんだ。


 まあ、普段の行動でしょ。

 全力エンジョイ勢のネタ枠だし。


 森を抜ければ、優しい月明かりが辺りを照らし。

 何処までも続いていく平原と、長い長い山脈が望める。


 昔ながらのRPGはドットで俯瞰ふかんした視点だけど。

 僕たちのように現実世界を生きる者たちにとっては、何処までも広大で、先の見えない世界なんだよね。


 本当に、攻略情報ちずがあってよかった。



 ―――さあ。中央都市セキドウまであと少しだ。

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