第21話:魔王と夜の帳(とばり)

―アルモス視点―




 王都―――魔王城。



 月明かり差し込む最上層の一室で。


 高そうな絨毯の上に座り込む俺と。

 その対面に座する陛下。

 彼女は魔族をダメにしそうなソファーに体を預けている。


 長らく任務で王都を空けていたにも拘わらず。

 その間にも溜まっていた別任務。毎日各地を飛び回りながらそれらを消化していく。

 

 いつも通りの日常。


 そんなある日の事。


 何と! 陛下が俺にワインを下賜してくださったのだ。

 あの魔王がである。

 頭でも打ったのか。


 俺の疑問も当然で。

 

 彼女に気取られぬように、その貌を伺うが。



「――何じゃ? 恵んでやったのがそれほどまでに意外か?」



 ……バレないとは言っていない。


 明日も西部へ討伐任務で。


 激務の中での呼び出しだ。


 多少機嫌悪そうにしていても良いだろう。 

 酒をくれると言われて、ホイホイ付いてきた俺にも問題があるだろうが。



 ……だが、意外と言えば意外だよな。



「目の前で干されましたからね」

「ほう? 随分生意気な口を利くようになったではないか」



 ロスライブズ領での調査任務を下された夜の事だ。


 あの時の俺の無念と言ったら…。


 筆舌に尽くしがたいものだった。

 ここ最近で一番彼女が魔王であることを分からされたのが、あの一件だからな。



「アメは必要じゃろう。そなたは良くやってくれている」 



 だが、どうやら今宵は。


 随分機嫌が良いようだ。


 なら、先の任務は成功と評して良いのだろう。

 本来の指令からは逸した行動を多くとったし、肝心の箇所は進んでいるとは言い難い。 


 住居も分からず。


 墓も見つからず。


 正直「進捗ダメです」と答えるしかなくて。

 全く、何十年同じ任務続けてんだって話だ。

 

 オレ、この職業向いてないのかもな。

 気付くのが遅すぎる上に、この年で転職は無理だが。


 身体も出鱈目に改造されてるし。

 

 もう、普通の生活になぞ戻れん。


 まぁ、その辺はとうの昔に。

 見切りをつけた問題なので、今更気にせず。俺は一気にグラスを干して話を切り出す。



「――ふぅ。……良かったのですか?」 

「心残りでもあるか?」

「えぇ。私はあまり多くの情報を持ち帰れませんでしたが」

「良い。あの膨大な書架に収められた文献…存在が示唆された全ての書籍に目を通してきたのじゃろう。そこからの推測を交えた考察も、十分な成果といえる」



 勝手な推測なのになぁ。


 それで良いのだろうか。


 確かに言葉通り。

 彼女は満足げに身体を沈ませているが。



「それに、今宵はそのために呼んだのじゃ、説明してやる。今回の任務で、余の狙いは三つあった」



 勇者説は確かに自信作だが。


 どうにも俗説の域を出ない。


 法螺話を披露したようで。

 多少申し訳ない俺の胸中を察したのかは不明だが、彼女は一つ頷いて語りだす。



「一つは任務通り。端から希望的観測で、重要なのは残り。フィーアを救ってやる事と、ロスライブズの特異な環境にそなたを適応させること。どちらも文句はない出来じゃ」



 三つめとか、完全に初耳だな。


 二つ目も直接は聞いてないし。


 陛下、本当に多くを語らないことに定評があるよな。

 しかして興味深い話題には違いがなく、水を差すようなことでもない。


 故に、ただ座して。


 言葉へ耳を傾ける。



「この王都はな? 龍脈の要に造られておる。大陸で最も濃度の高い魔素が蔓延する地域の中心で、いわば心の臓じゃ。国の発展はそのおかげでもある。……そして、もう一つ。此処には及ばぬが、多くの魔力の溜まる場所があった」 

「成程、それがロスライブズ領なんですか」



 前にも龍脈がなんだのと聞いたことはあった。

 魔術も異種族もいる世界だから。


 今更、その程度では。


 何とも思わないよな。


 龍脈――その力が噴き出す点は、龍穴と言うんだったか? 

 そこに住む者たちは長きにわたって繁栄することが出来るとか。


 学生時代の知識がここで役に立つとは。

 

 つまり、王都とロスライブズは。

 そのが噴き出す土壌の真上に存在していると。



「あの地の魔物は個体数も少なく、他の地域であればヌシと言える存在が当たり前に生息しておる」

「でしょうね。存じています」

「それは、高濃度の魔素に適応出来た故の生態ともいえるが、それ故に供給過多であり、頂点に君臨する者は何処までも力を蓄えることが出来る」



 なるほど、通りで。


 厄介な話だと思う。


 故にあのレベルが団体様で来たわけか。

 とは言え、最上位の魔族たちなら対処は難しくないし、これからも定期的に足を運ぶつもりだ。



 種が分かれば、どうということは―――

 


「では、問おう。本来であれば多くの生命が分け合って吸収するはずの力を、ただ一匹の魔物が吸い続けたらどうなると思う?」



 どうということは。


 ……謎々ですかね?


 教えを説くように語る陛下の言葉をかみ砕き、考える。

 俺達も魔物も大きな違いは無い。


 適応出来た奴が生き。


 それ以外の者は死ぬ。


 簡単な自然界のルールだ。

 だが、魔素という概念が関わってくるなら?  

 

 多少話は変わる。


 それは、環境によって毒にも薬にもなる物質。

 今回の場合は、そのどちらでもあるから……過ぎたるは猶及ばざるが如し、だろうな。



「無論この上ない化け物にはなるでしょうが、急激に取り込み続ければその力に耐えきれずにいずれ…いずれ? ………ッ!」



 ―――自壊する?


 いや、そう単純な話ではない筈だ。


 そんな簡単な事だったなら。


 対策などいくらでも取れる。

 

 そもそも、あの再生は何だ。

 魔素による行き過ぎた進化だとしても、ただ死に向かうならともかく、あのような生物の理に反するような成長を遂げることが出来るか?

 

 答えは否……断じて否だ。


 自然発生などあり得ない。



「アレと自分が似ていると言っていたじゃろう?」

「――それは」

「余と比べてはどうじゃ?」

「……………」



 俺に似ているということ。


 それはつまり、陛下にも似ているという事。

 彼女の眷属である俺が持っているのは、その権能の一端だから。


 その気配は俺よりも。


 巨獣に酷似している。


 ……ずっと考えないようにしてきた事だ。



「余は多くの魔素を吸収できる体質でな? 余がこの地にいる限りアレは発生せんよ。そもそも、民ある限り特定の者が集中的に力を取り込むことは無い」



 では、あの巨獣と陛下。

 そして、その眷属である俺は同質の存在なのか?


 意志を込めた視線を送ると。


 彼女は僅かに口角を上げる。



「――まぁ、正しく言うのなら、そなたの戦った巨獣は失敗作じゃな」

「失敗、ですか……?」

 


 確かにアイツは不安定だった。


 ただ歩むだけで身体が弾け。


 その度に苦しみ悶えていた。


 正しく呪いの不死と言えるもので、殺してやる以外に道はなさそうなほどに末期だった。


 だが、それでも上位存在だ。

 圧倒的な力を持つ不死の獣を失敗作とはな。



「元がただの魔物じゃ。生まれたその時から完成していたものとは違う。余が自壊しているところなぞ、見たことがあるか?」



 ……無いな、あり得ない。


 そもそも、陛下がケガなんて。

 負傷している所すら浮かばん。


 幾ら記憶を思い返しても。

 血を与えられたあの時くらいしか、お目にかかったことが無いのだから、再生するところなど見られる筈もない。

 

 あの後すぐに気絶したしな。


 だが、その血を受けた俺が。


 あの巨獣の劣化版みたいな再生能力を持っているところからしても。



 やはり陛下は―――



「ほれ、目を離さず見ていよ」

「――何をッ!?」



 彼女の白く細い指が動き。


 一閃するは、自身の手首。


 俺の見ている前で鮮血が舞い、魔王の姿を朱に染めていく。


 だが、皮一枚で垂れ下がった掌は。

 その瞬間には既に治癒が始まり、数秒と掛からずあるべき姿を取り戻す。


 ……あの巨獣より早いんじゃないか?

 魔術を行使した様子もなく、間違いなく別の力が働いたのだと分かるソレ。



「見ての通り、そなたは余の劣化コピーじゃ」

「……血は残るんですから、シミにならないうちに拭き取ってください」



 言われなくても分かっている。

 もしも俺が同じことをすれば。


 治癒には数分を要するだろう。

 かすり傷ならまだしも、皮一枚で繋がった手が瞬時に再生など、規格外も良い所で。


 遂には彼女の衣装へ。


 染み込み始めた血液。


 その事を言及された陛下は「フム」と呟いたのち、口角を釣り上げる。

 


「そなたが舐めればいいじゃろう?」



 あぁ、そういう趣味ですか。

 俺に嗜虐的な視線を向けながら問いかけてきた陛下は、白く細い腕をこちらに差し出す。


 が、本当に俺が舐めると思うか?


 生憎だが、俺に妙な性癖はない。


 なんのも行動も起こさず。

 ただどう対応すべきか静観していると、やがて彼女は意外そうな顔で首を捻った。



「――飲まんのか?」

「飲むと思います?」



 質問を質問で返す。


 が、普通の反応だ。


 彼女はそうまでして俺に血を与えたいのだろうか。


 ……もしかして強化イベントか?

 なら、これ以上の改造は不要だ。

 今更化け物になりたく無いと言うつもりはないが、これで十分だろう。


 俺の反応に何を感じ取ったのか。


 陛下は得心したように口を開く。



「余はで、そなたはその眷属じゃぞ? 今まで試そうとは思わなかったのか?」

「……オーガの血くらいなら」



 昔、シャルンドア領で酒に入っていたのを飲んだな。

 だが、特に違和感はなかったし、野営で血の滴る魔物肉を食らっても変化は無し。


 強いて挙げるなら。

 下処理が上手く行っていなかったせいで体調が悪くなったくらいだろう。


 俺の言葉に陛下は深い溜息を吐くと。


 自身の身体を伝う血液を消滅させる。


 何度か見たことがあったが。

 物質を一瞬で消滅させる魔術とかおかしいだろ。


 間違いなく何でもない話し合いの合間に見せるような技じゃない。

 


 規格外の技量だ。



「性質の近い種族でなければ効果は無い。そなたであれば魔族か人族じゃな」

「あ、はい。……で? その血を取り込むと?」



 呆れたとでも言うかのように。

 先程までの会話を続ける陛下。


 魔人になってから数十年…。


 今更聞かされるのはどうだ。


 呆れたいのは俺の方なのだが。

 彼女が重要なことを自分から語らないのは今に始まったことではないので、今まで考えもしなかった疑問をぶつける。



「通常よりも早く傷が塞がるじゃろうな。後は一時的な身体強化か」



 ガチもんの吸血鬼みたいだな。

 血を吸った相手の抵抗力が無くなるとかの隠し効果があるかも。



 ―――グヘヘッ。



 ……だが、別に俺の犬歯は人間だった頃と変わっていないんだが。

 もし歯を突き立てようとしてもだ。

 かなり強くやらないと刺さらないんじゃないか?


 分かることとしては。


 あくまで一時的な強化であるということ。

 血を取り込みまくれば何処までも強くなれるという訳でもないらしいな。



「なら、余り機会はなさそうです」

「使わんのか」

「必要性を感じないので。その内忘れるやも」


「ほう。記憶力に自信が無いというのなら……二度と忘れぬよう、城中に広めておこうか?」

「……勘弁してください」



 嫌な予感しかしない。


 それこそ、出される食事が全部真っ赤になったり。

 その方面から言い寄られる可能性もある。

 いきなり「私の血、飲みますか?」なんて言われて、どんな顔して答えればいいんだ。


 終いには、夜も眠れなくなるだろう。 


 目が真っ赤になったらどう責任取る。


 口では慇懃に対応しつつ。

 魔王へと白い目線を送る。

 


「――何じゃ、その眼は。余はそなたの主じゃぞ」

「………………」

「……まぁ、冗談よ」

「でないと困ります。ただでさえ、不法侵入ばかりで魔族不信になりそうなんですから」

 


 ――本当にこの魔王様は。

 茶目っ気というには、余りに恐ろし過ぎる事を言うよなぁ。


 一度の沈黙が訪れた室内。


 やがて、口を開いたのは。



 薄く、妖しく笑う魔王で。



「ゆめ、忘れるでない。そなたは余の物じゃ。その身、その心……全て、全てな」



 ポロリと出たその言葉は。

 およそ、本心なのだろう。


 ……独占欲強いっすね。


 俺に言い聞かせるように、全てを引き込むかのような真紅の双眸を向ける彼女。

 一つ間違えれば、底なしの恐怖さえ与えることが出来るような、真なる魔王のカリスマだ。


 が、それも悪くない。


 いや、それが良いな。



「勿論です陛下。私の全ては貴方の御心のまま」



 俺は、敬意を込めつつ。

 絨毯の上で頭を下げる。


 悪魔との契約? 

 今更すぎるな。

 何だかんだで、俺は彼女の事を敬愛しているのだ。


 誰よりも強くて、優しくて。


 …脆い心を持った魔王様を。


 陰りを払う為に生きてきた。

 本人に話したら大爆笑されてしまうかもしれないが、今や俺という魔人の存在意義が彼女なのだ。



 それは、これからも同じ。



 救いたいではなく、救う。




 俺が彼女のココロを救うのだ―――いずれ、必ず。

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