4-2

 

 かくして、ヒヨウきゅんの突然の訪問によって思考停止におちいった私は、再びソラを古巣に送り出した後、その足でヒヨウきゅんとオーアインの街へすことになった。

「見せたいもの、ですか?」

「そうなんですよ」

 私の手を引きながら、少し前を歩くヒヨウきゅんがそう言った。曰く、彼はわざわざアレクや王様の許可まで取って私を連れ出しに来てくれたらしい。サラくんは「聖女様に無理をさせるな」と反対していたらしいけど……まあサラくんの言うことをヒヨウきゅんが聞かないのはいつものことだもんね。

 ちなみに、彼の目的について私が尋ねても、ヒヨウきゅんは「ナイショです」と人差し指を立てて笑っているばかりだった。んもう、いけず。

 そんなわけで今、私たちは変装用の黒いフードをかぶって大通りのはしを歩いていた。

 王宮につながる大階段を下りた先。ここはてん老舗しにせの店が立ち並ぶバザールになっていた。もちろん、ここも地震の影響が各所に見られ、はんかいした建物や片づけ切れていない瓦礫の山がいまだ残っている。しかしその一方で、大工さんたちのせいきょうな声も辺りには満ちていた。

 建物をしゅうぜんし、あるいは再び一から組み上げていくという営みの音。他にも、かなづちの音やレンガを重ね合わせる音が四方から響いていて、それに被さるように、大工たちにき出しをう人々の声も聞こえてきた。この活気の中でさわぎを起こさず歩くなら、ヒヨウきゅんが用意してくれたように変装が必要だったろう。彼も、そして私も一応は国のじゅうちんなのだから。私の方の自負はうすいけれども。

「……元気ですね、みなさま。あれだけのことがあったのに」

「あれだけのことがあったからですって」

 そう言って、ヒヨウきゅんはフードしに私にニッと笑う。おおやけの場ではちゃんとかしこまっている彼だが、気を許す相手の前ではこの通りくだけた話しぶりになる。それをきらうカタブツな人(サラくんもふくむ)もいるけれど、私含め多くの民衆からは好意的に受け止められているのだ。そりゃねんれい的にも、顔立ち的にもこっちの方が合ってるしね。

 なおもヒヨウきゅんは、私の手を引きながら言葉を続けた。

「何があろうと明日は来ますから。なのにボーッとしてたら、せっかくの明日が無駄に過ぎてっちゃいますからね。地震なんかでへこたれてちゃいられませんよ、ミレーナ様」

「……!」

 軽快に話すヒヨウきゅんを見て、私はううっと顔に手をやった。

 あーまぶしい。若さ溢れるそのはつらつとした笑顔は、今のくつな私にゃ眩しすぎるよヒヨウきゅん……ただでさえ私の中身は三十路みそじプラスアルファなのだ。けなに笑う男の子を見てたら、そりゃ色々と胸がいっぱいになりますって。

 そんなヒヨウきゅんは、「おっと」とある露店の前で歩みを止めた。看板や器材を見る限り、そこはよく街中で見かけるようなスイーツ屋さんだ。薄く焼いたはちみつやジャムをる、いわゆるクレープとかガレット的なやつ。

「よう」とヒヨウきゅんが声をかけると、露店の店主はもくもくと生地を焼き始め、手慣れた様子で彼に紙包みのスイーツをわたした。

 それをヒヨウきゅんは、そのまま私に「どうぞ」と差し出してきたのである。

「えっ……いえそんな、私なら自分で」

えんりょしないでください」そう言いながら、ヒヨウきゅんがまたニッと笑う。

「これも貴女あなたにお見せしたかった一つなんですよ。ここのおやの焼き具合が絶品だって、オレから貴女に教えてあげたかったんですから」

「むぐう……」

 おねだりするみたいなヒヨウきゅんの甘い声に、私はくらりといきそうになる。あーズルいなーもう。もしこれが逆のシチュエーションで、『オレに何か買ってよ』みたいな場面だったら、私はおさいを出しつつも引っかかりを覚えていたことだろう……そこ、財布は出すんだとか言わない。

 でも今回はそうじゃなく、彼からいちしの商品をシェアしてくれるというのだ。なんという役得……! そりゃ自立している社会人として一度は断ったけど、これ以上拒否する理由はない。

「……では、お言葉に甘えて。ありがとうございますザックロー様、店主様。大事に食べますね」

「! へへ……! よかったです、受け取ってもらえて。な、よかったな、おっさん!」

 そううれしそうに笑うヒヨウきゅんを見て、スイーツ屋のオジサンもやさしくふっと笑う。その目はまるで、まなむすを見るお父さんのようだった。ああそう、こういう『推し』が愛されてるのを見るのもまた尊みだよね、うんうん。

 元々王都のスラム街の生まれだというヒヨウきゅんは、街の人たちにおそろしいほど顔が広かった。彼が育っていく中で世話を焼いてくれた人や争った人。そして、彼がに取り立てられてから、恩を返したり和解したりした人。ヒヨウきゅんにとって、街は彼といっしょに生きてきた人たちで溢れているという。

 誰もがあこがれるナンバーワンのヒーローはちがいなくアレクなのだけど、彼にはおそおおくて声をかけられない人が、ヒヨウきゅんにはあいさつをする。『きんろう』のブロマイドはいくらでもしがる人たちが、『蒼鷹』のブロマイドは一枚ずつみんなで分け合って持っている──ヒヨウきゅんとはそういう人物なのだ。そのことは今のスイーツ屋のオジサンを見ていても伝わると思う。

 ……ちなみに、私はアレクのもヒヨウきゅんのも、それからサラくんのブロマイドもたくさん持っている。いっぱい! いいだろ!! ってかサラくんのばっか売れ残ってんだよみんなサラくんのも買えや!!!!


 それから私とヒヨウきゅんは、さらに街の中心地へと歩いていった。

 おの入った紙包みをぎゅっとかかえて、私は彼とメインストリートの端を歩く。往来の人波はさらに増えつつあり、おのおのが荷物を持ちながらせわしなく通りをっていた。

 私はかなり深めにフードを被っていたから気付かれなかったけど、道行く人の何人かは「おう、ザックローじゃねえか!」「ちゃんとご飯食べてる?」などとヒヨウきゅんに気付いて声をかけていく。私としては正直『呼び捨てなんてうらやまけしからん!』と思っていたけど、そうやって言葉を交わすヒヨウきゅんは楽しそうで、流石さすがに鉱山の時みたいに間に割って入ることはできなかった。いやしなくていいんだけども。

 ──私は、ヒヨウきゅんが私の疲れをいて街へ連れ出してくれたのだとうすうすかんづいていた。彼とともに歩いている中で、その優しさが、キラキラした眩しさがぞうろっみ渡っていくのを感じる……と同時に、私はまだどこかで、元気を取り戻し切れていない自分がいることにも気付いていた。

 何か、何か足りない。れかけていた心のうえばちには水を注いでもらっているけれど、しおれた花が蘇るにはあともう一押し、何かが足りていない……。

 結局その何かが分からないまま、私たちは街の中心にある、開けた広場に設置されたステージへと辿たどいた。

 ステージというのは、中央広場に元からある演劇や歌唱のためのおおたいだ。石造りの客席がステージからせんじょうに設けられているが、そこまでガッシリしたものではなく、その景色はさながら野外ライブのアリーナにベンチが並んでいるかのようだった。それが街の真ん中にどんとあるのは日本人的にまだ慣れてないけどね……。

 見ると、演目はまだ始まっていなかったが、既に客席は観客で溢れ、ガヤガヤと騒がしかった。私も遠目からステージを見たことはあったが、聖女のしつに追われている時は流石に劇をかんしょうしているひまなどない。そして暇だったとしても、私は街の演劇事情にくわしくなく、に行きたいと思えるほどの演目や、『推し』俳優もいなかったのだ。だからこの混み具合を間近で見るのは初めてのことだった。

 ……演劇、か……。

「さあミレ……じゃなくておじょうさま、お好きな席にこしかけてください。と言っても、もう後ろの方しか空いていないようですね」

「え? あ、あの……」

 ヒヨウきゅんは私の手をグイグイと引っ張って客席へと導いた。私があわててついていくと、客席の後ろの方にちょうど一つだけ空席がある。っていうか、よく見るとそこ以外全く空席がない! 以前アレクから『ここにはおよそ五百人が座れる』と聞いたことがあったが、今わたす限りどこも人の頭しか見えないのだった。逆になんでここだけ空いてるんだ……座っていいのかしら……。

「さあどうぞ、お嬢様!」

「は、はいっ!」

 なんてこんわくしていた私を、ヒヨウきゅんはを言わせず座らせた。

 舞台に向かってよく側の席をAブロック、真ん中をBブロック、よく側をCブロックとすると、私が座ったのはBブロックのかなり後ろの列で、かつAブロック寄りの一番端の席だ。うーん蘇る前世でライブや演劇にかよめた記憶。列の端というのは身体を動かしていいスペースが広く、また急に席を立たなければいけなくなっても他の人に遠慮しなくていいから楽だ。ただ、舞台からこれほどはなれてしまうと推しの表情なんてほとんど見えないし、推しが投げてくれたアイテムをキャッチするとか、推しと目が合ったとさっかくすることもできないだろう。当然、舞台を降りてきた推しにれることなどあるはずもなく……っていやいや、何を考えているんだ私は。そもそも今日は、『推し』であるヒヨウきゅんのお付き合いで来ているわけで──。

「……あれ?」

 そこで私は、さっきまでそばにいたヒヨウきゅんがいなくなっていることに気付く。

 私はハッとして、慌てて周りをキョロキョロ見回した。考えてみれば、満席ということはヒヨウきゅんが腰かける場所はない。そして恐らく、彼が私に見せたかったのはこれから始まる劇なのだ。ということは、私をなんとかここに座らせた時点で、彼は『もうお役めんだ』と、先に帰ってしまったとか……?

 私の手の中で、かみぶくろがカサッと鳴る。買った時は熱々だったスイーツは、今はもう冷めてしまっていた。私がそれに目を落としていると、となりからまだ幼い女の子が「あ! もう始まるよ、おしば!」と声をあげる。

 ──直後、高らかなラッパの音とともに、旅人らしきふうていの男性が舞台に出てきた。彼が前口上を述べると、程なく舞台には続々と演者がつどい、けいみょうな会話とともに物語が展開していく。

 今日の演目は、とうぞくねらわれている村がなんとか次のしゅうげきを食い止めようとする物語だった。農民たちは先の襲撃での被害をなげき、しかしこのままやつらの好きにはさせんと、クワやおのを持って武装する。ぐうぜん村に辿り着いた旅人は、一宿一飯の礼に彼らのためにほうを使うことを約束する。そしてまだ幼い村長のむすめは、領主のもとへ助力をいに、一人野道を駆けていく──これあれだ、前世の大学の授業で見せられた『七人のさむらい』っぽい話だこれ。侍はいないけど。

 状況は深刻な一方、ヤケクソなジョークみで繰り広げられる村人の会話は、聞いていておもしろここよかった。そしてどの演者も相当に演技が上手うまく、笑い一つ、あるいはいかりやなみだ一つとっても真にせまっていたのだ。やがて、げいげきの準備を整えた村を、盗賊たちがじんいて取り囲んでいく。先の見えないストーリーにりょうされた観客たちは息をみ、身をこわらせて彼らの行く末を見守っている。

 もちろん私もそうだった。いったい村は、村人や旅人はどうなってしまうんだろうと。そしてしばらくシーンに出ていない村長の娘はどうなったんだろうと……ハラハラドキドキしているつもりで舞台を見つめていたのである。

 けれど一方で私は、自分が心ここにあらずな状態でいることにも気付いていた。

 どの演者を見ても美男美女、それかユニークな顔立ちの人ばかりで、演技のレベルも相まってすこぶる眼福な状況ではある。しかもタダで、ヒヨウきゅんにお願いされての観劇だ。これで文句を言ったらばちが当たっても仕方ない。

 ただ……私は彼らのことをろくすっぽ知らないのだ。本名はなんといって、どんな性格で、オフの日は何をしていて、好物はなんで、交友関係はどうなっていて……いや知れるはんでいいんですよ? でもそういった一人一人のキャラクターが分かってきて、そして一人の人間として好きになることで、初めてその人は『推し』になり得る。私の身を削って推すことができるようになる……そりゃ、今日みたいに初めて舞台で出会ってから『推し』になっていくのが普通だろう。ただ、今の私の精神状態では、ゼロから誰かを推していけるほどのエネルギーはねんしゅつできそうにない。

「…………」

 私はスイーツの紙袋をぎゅっとにぎって、再び視線を落としていた。舞台では襲い来る盗賊たちにぼうへきとっされてしまったようだが、私は顔を上げていることができなかった。

 なんだか……急にすごくさびしくなってしまったのだ。思えば私は、前世でも『推し』のライブや演劇にいくとなく足を運び、彼らの頑張りを見て、彼らをおうえんすることで元気をもらっていた。ただ、この世界の『推し』たちは、そうやって舞台に立つことはない。もちろん、彼らは別のところでいつも頑張っていて、私に優しくしてくれて……ただ、ヒヨウきゅんはもうここにはいない。かつて私が味わったような、あの夢のような時間はきっともうおとずれないのだろう。

 ──あぁっ、と、そこで周りの観客が悲鳴をあげた。私がちらと見ると、舞台の上では村人たちが広場にい詰められ、ばん休すな状況になっている。私も大変だ、と思ったけれど、そこには明らかに感情が追いついていなかった。

 ダメだ、余計なことを考えてしまってもう劇を楽しむどころじゃない……ごめんねヒヨウきゅん……せっかく観せてくれた舞台なのに、私は……もっと君が一緒にいてくれるだけでよかったのにって、そう思っちゃったよ……。



『まだあきらめるには早いぜ!!!!』



 勢いのある声が聞こえて、私はバッと顔を上げた。

 舞台そでから大きくちょうやくして、何者かがステージ上に現れる。その人はけんを手に、村人に迫っていた盗賊たちを次々とせていった。

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