第28話 さようなら、郵便屋さん
「だから、おれはもう怖くないんだ」
郵便屋さんは、隣にいた。啓よりも三十センチ以上背が低いのにも関わらず、相変わらず堂々としていて隙がない。
郵便屋さんは遠くを見ながら、独り言のように呟いた。
「僕は、色んなやつらが死に直面するのを見てきた。死に直面して、謎を解いても、結局人間は大きくは変われないんだ」
「そうなんだ。それって残念だね」
「でもそれで良いんだ。中身を入れ替えたように、変わろうとする方が間違っている。少しずつ変わっていけばいい。そうは思わないかい?」
とても優しい、柔らかい声だった。郵便屋さんの表情は帽子のつばに遮られて見えない。けれどそこには、優しい笑顔が隠されているのだろうと啓は思った。
「郵便屋さん。君って結構優しいんだね」
「まさか。僕は死神だぞ。色んな奴らの魂を回収してきた」
「相変わらず強がりだな。じゃあ、行ってくるよ」
「ああ。もう二度と、会うことのないように」
ふと思い至って、啓は郵便屋さんを振り返った。
「そう言えば君、名前は?」
「郵便屋さんだよ」
「それは職業じゃないの?」
郵便屋さんは少しだけ躊躇するように目線を彷徨わせた後、小さな声で呟いた。
「僕は文。文章の文と書いて、あやと読む」
「あっ、女の子だったの?」
「ふん。君みたいな奴は、どうせ麻衣とも上手くいかないさ」
そうだ。全てが終わったら麻衣と大地にも会いに行こう。今度は、橋本啓として。おれは、藤山駿之介の分も、人生を全うしなければならないのだから。
花梨ちゃんを連れて、里美の車に乗り込んだ。これから、警察署に向かわなければならない。このアパートともしばらくお別れだろう。
けれど、また戻ってこられる。おれは橋本啓だ。他の誰でもない。
里美がエンジンをかけて、車が動き出した。後部座席から、小さな古臭いアパートを振り返る。
郵便屋さんの後ろ姿が見えた。もう彼女と会うことはないのだろう。けれど、おれは彼女に助けられたことを一生忘れないだろう。例えもう交わることはないのだとしても、彼女の存在がおれの人生から消えることはないのだろう。
啓は前を見た。遠くに赤信号が見える。けれどそれは、すぐに青信号に変わり、車はゆるやかに、流れ出した。
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