第24話 君が拾った猫はどこに行ったんだ?

「どう、何か分かったかな」

 夢の世界に落ちかけていたところを、引き戻された。かろうじて物の輪郭が分かる程度の暗闇の中に、溶け込むような漆黒。郵便屋さんが真っ暗闇の中で仁王立ちになりながら、ベッドで横になっている啓のことを見下ろしていた。

「何か……」

「公ちゃんの死に絡む未来についての謎」

 郵便屋さんが話すことをやめてしまうと、部屋の中には何の音も残らなかった。大地と麻衣の二人も、結局終電で帰ってしまった。この家には、啓と、郵便屋さんの二人しかいない。

「うーん。藤山は、整形していた。それで、その事実を長谷川さんにだけ話した。おれは知らなくて、藤山を見つけられなかった」

「整形?きみは整形した藤山を、長谷川さんが「橋本啓」として受け入れると本当に思っているのかい?藤山が長谷川さんに整形を打ち明けたのだとしたら、会話もしているってことだ。声も、身長も、顔も違う男を、長谷川さんが「橋本啓」として受け入れるのか?」

 確かに言われてみれば、整形までしてしまえば藤山と橋本啓の共通点なんてなくなる。それなのに、長谷川さんがあんなにも自然に橋本啓を受け入れるとは思えない。

「取っ掛かりを変えてみるべきだね」

 そう言って、郵便屋さんは部屋に一つしかない窓を開けた。よく分からない虫の声が部屋に入りこんでくる。

 取っ掛かりだって?

 眠りに落ちる寸前だった。郵便屋さんが耳元に口を寄せて、囁いた。


「君が拾った猫はどこに行ったんだ?」


 猫?

 朝目覚めてみると、いつも通り郵便屋さんの姿はなくなっていた。



 それから何事もなく日が過ぎて、金曜日がやってきた。仕事をしていないために金曜日も何も関係なかったが、少しだけ贅沢をしようと思い、スーパーで国産の牛肉を買ってきた。

 結局、謎が解けたわけでもない。タイムリミットはいつかやってくるだろう。暗い気持ちを誤魔化すために、藤山駿之介に豪華な食事を用意してやる。それくらいしか出来ることがなかった。

 スーパーから帰ってくると、門戸の前に二人の人影が見えた。ああ、大地と麻衣かと思い笑顔を浮かべて近付いてみたら、「なんだ、居留守じゃなかった」という冷たい言葉で迎えられた。

 いつかの同窓会で会った、花梨ちゃんの友人だという女性がそこにいた。背が高く、無駄な肉がいっさいついていない細身の体が、スキニージーンズで強調されている。女性には珍しく、バッグも何も持っていない。

 隣には麻衣がいた。白のブラウスにデニムのロングスカートという出で立ちで、普段の派手派手しさは身を潜めている。化粧も何となく落ち着いて見える。

「藤山くん、あのね、玉木さんが大事な用があるって」

 玉木は明らかに不機嫌で、啓に対して敵対的だった。「とりあえず中に入って」と言ったら、啓よりも先に家の中に上がりこんだ。何かを探しているかのように、家の中をキョロキョロと見回し、目についたクローゼットやら何やらも開けはじめるので、「何の用?」とこちらから問いかけた。

「花梨ちゃんがいない」

 ついに、その話がここまで来たか。付き添いで来ただけなのだろう、麻衣は所在無さそうに廊下をうろうろと歩き回っている。

「それは……おれの知るところじゃない」

「でもあんたは花梨ちゃんと付き合っていた」

「おそらくね」

「おそらく?ふざけんな」

 麻衣は玉木をここまで連れてきてしまったことに罪悪感を感じ始めたのか、「一体どうしたの」「何かあったの」と言いながら懸命に話に入ろうとしている。

「とにかくおれは、花梨ちゃんの居場所を知らない。だから力にはなれないよ」

「そんなのずるいよ。彼氏だったんだから、責任持ってよ」

 ずるい。その通りだ。安全圏から知らないふりをして、関わらない。知らぬ存ぜぬを突き通す。

「黙ってないで、何とか言えよ!」

 限界が来たのか、麻衣が玉木に食って掛かった。

「さっきから聞いていれば、何なの?藤山くんは何か悪いことをするような人じゃない」

 それは違うよ。おれは、悪いことをするような人間だ。むしろ悪いことしかしないような、最低な人間なんだ。

 多数に無勢と感じたのかは知らないが、玉木は「また来るから」と言い残し、玄関から帰って行った。ほんの数分の出来事だったのに、どっと疲れた。

「ごめん、連れてくるべきじゃなかったね」と、麻衣が落ち込むので、啓は、

「ううん。こちらこそごめん」と力なく答えた。

「何かあったの?」

 何を話したら良いものだろうか。ぼんやりと考えながら、そういえば、と口を開いた。


「猫が密室から消えたんだ」

「猫?密室?」

「そう。玄関にもベランダにも鍵がかかっている部屋から猫が消えた。出入りできる窓もない。何でだと思う?」


 突拍子もない質問に、麻衣は、

「飼い主が外に出したんじゃないの?」

 と答えた。

「飼い主の知らない間に猫がいなくなってたんだ」

「なら猫が自分で出ていって、鍵までかけていったんでしょ」

「そんなこと、猫には出来ないよ」


 猫には出来ない?

 そもそもどうして、猫の消失が関係してくるのだろうか。


「猫は鍵を掛けられないけれど、人間なら出来る……」

 アパートの管理人なら、二〇二号室の鍵も持っているだろう。弟の様子を見に来た姉が、管理人から鍵を借りて、猫だけ外に出して帰っていったのだろうか?その理由がない。外からやってきた人間が、猫だけ出して啓本人に声を掛けずに帰っていく理由が分からない。

 もしかして、逆なのだろうか?

 啓は麻衣に向き直り、真剣な表情で質問を口にした。

「ねえ、大地くんと一緒に住んでる女の子ってどんな名前?」

「え、え?えーと名前は覚えてるよ。め、恵ちゃん?」

「名字は?」

「ええ?知らないけれど」

 そういうことだ。それしか考えられない。

 どうしてこんな大事なことに気が付かなかったのだろう。猫の消失の意味について、深く考えなかったのだろう。あまりにも不思議な出来事が続きすぎたせいなのだろうか。


 猫は勝手に密室から消えたりしないのだ。


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