第22話 謎を解くための鍵を探せ

 長い夢を見ていたかのように、現実と非現実の境目が曖昧になっていた。ぼんやりと開けていく視界の中でまず目に入ったのは真っ黒な服に身を包んだ郵便屋さんの姿だった。

 郵便屋さんはいつの間にか場所を移動して、藤山のベッドの縁に腰掛けていた。セミダブルサイズの、大柄な啓が寝転んでもまだ充分にスペースのある、広々としたベッドだった。アイボリーのシーツは買ったばかりのように、清潔でシミひとつ無かった。

「何だよ今の」

 啓の問いかけに、郵便屋さんは小さな口を少しだけ動かして答えた。

「死神手帳に書かれていた未来を、僕が見せてあげたんだ」

「だとしたら、何で」

 郵便屋さんは啓が言葉を続けるのを待っている。


「だとしたら、?」


 郵便屋さんは小さく首を傾けた。真っ直ぐな黒髪が肩に触れた。


「それはどういう意味?」

「だって、今見せられた未来は、おれの未来じゃない……じゃないか」


 初めは、自分があの懐かしいアパートにいるのかと思った。しかし、あれはおれではなかった。あれは今の啓――つまり、藤山の未来だ。

 郵便屋さんは、表情を全く変えずに、肩を竦めた。

「けれど公ちゃんの命を助けられるのは君しかいない」

「公ちゃんは――死ぬの?」

「そうだね。僕が魂を回収することになっている」

 郵便屋さんに見せられた未来で出てきた女は、啓の姉である里美だった。公ちゃんは里美の子どもで、まだ一歳半になったばかりだ。

「本当なら、本人に死の未来を回避するために考えて貰うのだけれど。公ちゃんはまだ幼すぎて無理だからね。君に考えて貰おうと思って」

「そんなの、里美姉ちゃんにやらせるべきじゃないか。おれと公ちゃんはほとんど交流がないし」

「何を言っているんだ?元はと言えば、君が入れ替わったりしなければ公ちゃんは死なずにすんだのに」

 その通りだ。分かっている。けれど、折角新しい人生を手に入れたと思ったのに。折角啓という人間から離れられたと思ったのに。どうして何をやっても上手くいかないのだろう。

 だが、公ちゃんを見殺しにすることは出来ない。もし仮に、郵便屋さんが気を変えて「君にはもう頼まないよ。里美のところへ行ってくる」なんて言い出したら、啓は全力で郵便屋さんを止めるだろう。

「それで、具体的にどうすれば良いんだ?入れ替わりをやめれば良いのか?」

「いいや、死神手帳に書かれた死の未来は必ず訪れる。未来に繋がるまでの行動を変えても意味がない。人間ごときが抗えるものじゃない」

「じゃあどうしろって言うんだよ」

 苛立ち交じりに啓が言うと、郵便屋さんはショルダーバッグから分厚い真っ黒な手帳を取り出し、ページを繰った。

「あの未来で、君はどうするべきなのか。その解を、論理的に導き出すことが出来たら、僕がこの手帳の中身を書き換えてやっても良い」

「論理的に?当てずっぽうでは駄目ということ?」

「そう。例えばあの未来には謎が残されているだろう。その謎を解き明かした上で、君はどうすべきだったのか、考えを聞かせて欲しい」

 未来に残された謎。

 啓……つまり、「今の啓」は長谷川さんには啓として認識されていたように思う。けれど、「昔の啓」、つまりおれが「今の啓」を見つけられなかったのは何故なのだろうか。


 藤山という男には謎が残されている。啓は天井を仰ぎ見て、ため息をついた。認めざるを得なかった。おれは騙されたのだろう。


 美味しい話には裏がある。藤山は恐らく花梨ちゃんという女性を殺してしまった。そして、その罪から逃れるために、別の男に成り代わろうとした。それが橋本啓だった。藤山は橋本啓になることによって財産を失ったが、花梨ちゃんを殺してしまったという事実も同時に失われた。それは藤山駿之介という男が犯してしまった過ちだ。

 藤山は啓に罪をなすりつけるつもりだったのだろうか。いや、そうではない。藤山は啓と取引をしたのだ。藤山は犯した罪を啓に肩代わりさせる代わりに、財産を失った。啓は罪を押し付けられた代わりに、財産を得た。加えて、罪を犯したのは藤山であって啓ではない。もし仮に、花梨ちゃんが何者かに殺されたことが明らかになって、警察に取り調べを受けても、啓は「自分はやっていない」と正直に話せば良いだけだった。都合が悪くなったら、藤山駿之介から橋本啓に戻れば良いのだ。啓は見ようによっては被害者だった。藤山に騙され、罪をなすりつけられた被害者。誰かに詰問されたら被害者のふりをすれば良い。藤山は、巧妙な手段によって「罪を犯していない藤山駿之介」を作り上げたのだ。

 藤山が犯したかもしれない罪を誰かに話しても、啓は何も得しない。啓にとっては、何も気がついていないふりをして、橋本駿之介のふりをし続けるのが一番良い。


 もう起きてしまった出来事について考えても仕方がない。これからの未来に起こり得る出来事について考えなければ。郵便屋さんの言うように、未来が変えられるのであれば、変えなければならない。半信半疑ではあるが、疑って何も考えないよりはましだろう。そう思い啓は顔を上げた。郵便屋さんはベッドに腰かけたまま、窓の外を見ていた。昼間は遠くに浜名湖が見えるが、夜は何も見えない。ただの暗闇がそこかしこに広がっているだけだった。



 何故、おれは藤山を見つけられなかったのだろうか。

 啓は新幹線に揺られていた。静岡は茶畑が多い。ふと顔を上げると、山の斜面などに茶畑が見える。そういえばこっちに来てから一度もお茶を飲んでいない。

 明らかに啓と藤山は目が合っていたはずだった。それなのに、未来で啓は藤山に気がつけず、取り逃してしまった。

 あの二〇二号室にいたのは、藤山ではなかったのだろうか。いや、そうであるならば、長谷川さんがおかしな顔をするに決まっている。長谷川さんが「橋本さん」と呼ぶのであれば、そこにいたのは藤山だったのだろう。もっとも、身長等で気がついても良いのではとも思うが、長く対峙していた訳でもないし、長谷川さんだってそんなに他人の顔を仔細に覚えている訳ではないだろう。

 一体あの時、自分は――藤山は、どんな状態だったんだ?

 取っ掛かりが見当たらない。謎を解くための鍵が分からない。


「僕らはパラレルワールドに住む、同一人物みたいなものだ。二つは交わっちゃならない。同じ世界に同じ人間が二人いてはならない」


 藤山の言葉は、いわばただの誤魔化しに過ぎなかった。ようはこっちに来るなと言いたいのだ。取引は済んだ。お前は承諾した。だから僕の世界に戻ってくるな。

 何もかもお前の思い通りになると思うなよ。禁じ手を使ってやる。

 啓は横浜行きの新幹線の中で、「藤山駿之介」という男の未来について考えていた。

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