第20話 入れ替わった、本当の理由
同窓会が終わった後は、大地と、麻衣と連絡先を交換して別れた。二人は良い意味で若かった。他の三十代に見られるような、物事を諦観するような、冷めた面がなかった。何事をも楽しみ、どんなものにでも情熱を注げるようだった。連絡先を交換してそれきりかと思ったが、一週間以内にもう一度会って遊ぼうと言ってくれた。心の底から嬉しかった。
居心地の良い我が家は、一人きりでいると寂しさと、怖さを感じた。ひんやりとした家の中には、何かが隠されているような気がした。藤山という男は謎に満ちている。彼は何か、彼自身の中に暗いものを隠している。
酔いの回った体で、洗面台に向かう。そこにある歯ブラシの数を確認する。間違いなく一本しかない。風呂場もついでに覗いてみる。クレンジングオイルだとか、女性が使うようなシャンプーだとか、そんなものは全く残されていない。
藤山の部屋に行き、古い型番のノートパソコンを開き、立ち上げた。パソコンの中身は部屋と同じように整頓されていた。デスクトップにはアイコンが整然と並び、ゴミ箱の中は空っぽになっている。
ブラウザを立ち上げ、履歴を見てみた。何も残されていない。藤山の痕跡は、綺麗さっぱり消し去られている。
「もう良いや、面倒くせえ」
藤山が暴力男?花梨ちゃんという元カノがいた?そんなもの、今の藤山駿之介には関係ない。いつも見ている動画サイトを立ち上げて、適当に画面をスクロールして、違和感に気がついた。動画サイトは、藤山のアカウントでログインされた状態になっていた。恐る恐る、動画の観覧履歴を見てみる。何てことはない、電化製品をレビューしたような動画をいくつか見ていただけだった。
藤山はスマートフォンの機能をレビューした動画を熱心に見ていたようだった。しかしその割に、彼はスマートフォンを持っていない。
藤山は自身の痕跡を完璧には消しきれていないようだった。ウェブの観覧履歴は削除されていたのに、動画サイトからログアウトすることは忘れている。もしかして、と思い、有名なクラウドサービスのサイトを開いてみた。
そこまで期待を寄せていた訳ではなかった。しかし、サイトを開いた瞬間「藤山駿之介」の文字が目に飛び込んできて、啓は唇を噛んだ。そのサイトは決定的な間違いを犯していることにはまるで気がついていないようで、「藤山駿之介さん、こんにちは」という文字の羅列で啓を歓迎してくれた。
クラウド上には写真が保存されているようだった。恐る恐る、藤山が保存した写真を確認するために、マウスポインタを動かし、写真のアイコンをクリックした。
目眩がした。何枚もの女の写真が、いきなり目に飛び込んできた。全て同じ女かと思いきや、ある時期で女は別の女に入れ替わっている。取り立てて美人という訳でもなく、二十代半ばから三十代前半くらいの女ばかりが、藤山の写真フォルダに残されていた。
写真の中には際どいものもあった。下着が見えていたり、明らかに服を着ていないであろう写真もあった。特に、新しいものになるにつれて、暴力的なものが多くなる。女が首輪をつけていたり、拘束されていたりする。
一番新しい女が花梨ちゃんなのだろう。「ハッピーバースデーカリン」と書かれたメッセージカードを持って微笑んでいる写真が残されていたため、間違いない。長い黒髪に、優しそうな顔立ち。屈託のない笑顔が可愛らしい。
しかし、「決定的」な写真は見当たらない。藤山が過ちを犯してしまったという証拠は、残されていない。
写真とは別に動画も残されているようだった。啓は一番新しい、今から丁度一ヶ月前くらいに撮られた動画を再生してみた。
その動画は暗闇から始まった。
完全な暗闇では無かった。同じ黒でも、そこに濃淡がある。カサカサと布が擦れ合う音がして、画面に光が差した。今まで映し出されてきた黒は、服の色だったらしい。少しずつカメラが後退して、映し出されているものが明らかになっていく。
女が正座していた。少しサイズの大きい黒のニットに、白のフレアスカート、長い黒髪は顔面を覆い隠すように前に垂らされている。女は全く動かなかった。呼吸をしているのかも分からない。よく目を凝らして見ると、膝の上で作られた握りこぶしが女とは別の生命体かのように細かく震えている。
撮影場所は浴室のようだった。女の奥に、シャンプーやリンスのボトルが見える。どれも女性が使うようなメーカーの品だった。
「裏切り者が」
男の声がした。どうやら、撮影者の声のようだ。撮影者の男は女の頭を掴んだ。
「やめてよ。違うってば」
女の声が、浴室に響いた。黒髪のカーテンがほんの少し開かれて、顔が覗いた。花梨ちゃんだった。泣き腫らした目が痛々しい。花梨ちゃんは握りこぶしを開いて、男の手首を掴んだ。男は花梨ちゃんの真っ白な手を勢いよく振り払った。
「お前は女友だちに僕の悪口を話した」
「悪口じゃない。事実じゃない。いっつも暴力的で、子どもみたいで。付き合っていけない」
ようやく結びついた。いつもと話し方が違いすぎるせいで二つが結びつくまでに時間がかかったが、撮影者である男の声は、藤山の声と一致している。
「ここで反省しろ」
「やめてってば」
藤山は花梨ちゃんの頭を、浴槽に突っ込んだ。どうやら浴槽には水が張られているようで、花梨ちゃんの頭を突っ込んだことで水が跳ねてカメラのレンズに水滴がついた。花梨ちゃんは水面から顔を上げようと抵抗しているみたいだった。藤山は花梨ちゃんを押さえつけるために、カメラを置いた。ただの浴室の白い壁ばかりが動画に映し出される。しかし背後で、藤山と花梨ちゃんが争う音がする。水が勢いよく跳ねる音がする。どれだけ巨大な魚が水面を跳ねようと、こんなにも大きな音はしないだろう。
やがてミュートになってしまったのかと勘違いするほどの静寂が訪れた。藤山がカメラを手に取る。画面は小刻みに震えている。藤山は何かに怯えているのだ。
動画に映し出されたのは、浴槽に頭を突っ込んだまま動かなくなった花梨ちゃんの姿だった。
まず啓は新しいブラウザを立ち上げて、その何もない空白を見つめた。そうすることで心を落ち着かせなければならなかった。
何かの悪い冗談だろうか。花梨ちゃんはどうなってしまったのだろうか。まさか、死んでしまったってことはないよな。けれど、花梨ちゃんが仮に生きているのだとしたら、藤山はこんな無謀な入れ替わりを敢行するだろうか?
「やれやれ、いつまで真実から目を背けるつもりなんだい」
少年のような、少女のような、中性的な子どもの声。驚いて顔を上げたその先に、全身を黒色で覆い隠した子どもが立っていた。詰め襟の学生服に、パンパンに膨れ上がったショルダーバッグ、紋章が光る学生帽。肩に触れない程度に伸ばされた艷やかな髪の一本一本に至るまで、全てが黒。黒一色。
「酒臭いぞ、君。そのままベッドに寝転ぶなよ、シャワーを浴びてからにしろ」
「ちょっと。君はどこの子?どこから入ってきたんだよ」
「僕は死の郵便屋さんだ」
子どもはそう言って、藤山のベッドに腰を下ろした。
「郵便屋さん」
「そう。今日は君に、死を伝えに来た」
「死を、伝えに」
頭が混乱していた。アルコールが見せた幻覚だと思いたかった。しかし郵便屋さんが腰掛けたベッドは、郵便屋さんの体の重みを受け入れ沈み込んでいた。幻覚にしては細部があまりにもリアルだった。
「ここに死の詳細が書かれている。通称死神手帳」
郵便屋さんはショルダーバッグのサイドポケットから手帳型のノートを取り出して、啓に見せた。表紙から裏表紙に至るまで、全てが黒に侵食されている。
「この手帳によると、啓のせいで一人の人間が死ぬことになっている」
「おれのせい?」
「君にその未来を見せてあげよう」
「ちょ、ちょっと待って」
頭が追いついていないんだ。そう言いたかった。しかし啓の口から続きの言葉が語られることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます