第13話 親友と元恋人の関係

 郵便屋さんに死を宣告された翌日も、普通に大学に向かった。電車を乗り継ぎ、広いキャンパスの中を歩く。一限と二限目が空きであるにも関わらず、朝から大学に来たのには理由があった。

 生協の隣のベンチに座っている友人の姿を見つけて、夏樹は声を掛けた。

「ゆり」

「あ、夏樹ちゃん」

 いつもとほとんど変わらない服装、髪型のゆりがいた。どこで買っているのかよく分からない、フリルのあしらわれたワンピースを着ている彼女は顔を上げて夏樹を見た。手には生協で買ったのであろう苺のジャムパンが握られている。

 夏樹は考えた。ここ最近のゆりに変化があったとは言い難い。いつもと変わらない態度に服装。大学終わりも時間を潰してすぐに家に帰るし、飲み会等も好んで参加しない。そもそも誕生日をまだ迎えていないから十九歳であるという問題もあるが、とにかく他人との接触を好むタイプではない。それは高校生から変わらない、ゆりの性質だ。

「あれ、ゆり、朝ごはん家で食べてこなかったんだ」

「うん。弟が寝坊して、それで私まで朝ごはんなくなった」

 ゆりは家族のことを話題として取り上げることが多い。飼っている犬の話、高校生になった弟のバイト先の話、母親の話。そのため夏樹は、ゆりの家族構成をほぼ完璧に把握している。飼っている犬の犬種から、弟のバイト先の店長の名前までばっちりだ。

 高校生や中学生の頃までは、そういった子も多かったように思う。けれど大学生になってからは、バイト先の愚痴であったり、サークルの話であったりと、皆が取り上げる話題がより外の世界に寄った気がする。

 けれどゆりは変わらない。ゆりの世界は比較的閉じられたままで、内の世界の話をすることが多い。変わらないゆりに、安心してしまう。

 最近は、家族の話をする頻度も低くなった気がする。しかし取り立てて気に留めるほどのことでもない。


「あのさ」

 ゆりは口を挟まずに夏樹が話すのを待っている。

「春斗のことなんだけど」


 春斗の名前を出しても、ゆりの態度は変わらない。それが何か、という顔で夏樹のことを見上げている。

「田山くんとまた何かあったの」

「ゆりって、春斗と話したことある?」

 ゆりは間髪入れずに頷いた。

「うん。夏樹ちゃんのこと相談されたことあるけれど」

「え、それ私知らない」

「言うわけないでしょ。逆に言えば夏樹ちゃんから受けた相談も田山くんには何も言ってないよ」

 それとこれとは少し話が違う気がする。春斗とゆりの関係と、夏樹とゆりの関係を同列に語って欲しくなかった。ゆりには夏樹だけの味方でいて欲しかった。

「でも、それくらい?ゆりと春斗の交流って」

「まあ、そのくらい」

 ゆりの態度に不審なところはない。いつもと変わらない友人の姿から何かを見出そうとして、夏樹はゆりを見つめ続けたが、得られるものは何も無かった。

「ところで、何で苺ジャムパンなの?」

 ゆりが食べている苺ジャムパンは生協で六十円だ。売られている菓子パンの中でも一番安い。もっと良いものを食べればいいのに、と夏樹は思った。

「八万円必要だから」

「え?」

「お母さんが、卒業して働くようになったら、家に八万円入れろって言うから今から節約してる」

「へえ、そうなんだ」

 まだ二十歳なのに、働き始めた時のことを考えなければいけないなんて、辛い。ゆりは表情も変えずに、中がほぼ空洞の苺ジャムパンに齧り付いていた。


 大島駿は春斗の友人で、法学部の二年生だ。眼鏡を掛けた大人しそうな男の子で、何のサークルにも所属していない。休日は大学近くの雀荘でバイトしているらしいが、麻雀などやったこともない夏樹にとっては縁のない話だった。

 夏樹も何度か彼と一緒になったことはあった。春斗と三人でなら会話したこともある。しかし二人きりで会話したことはない。大学構内ですれ違っても、互いに気がついていないふりをする。春斗と別れてからはさらに気まずくて、そもそも視界に入れないように、出会わないように、気をつけていた。

 大島は二限の講義が終わって帰るところだった。建物から流れ出てくる大量の学生たちに紛れて、鞄を漁りながらゆっくりと歩いている。駅に向かって歩くその後姿を見つけた瞬間、夏樹は声をかけていた。

「あ、ねえ」

 何て呼べば良いのか分からない。大島という名字を知ってはいたが、もしかしたら記憶違いということもあるかもしれないため、曖昧な言葉で呼びかけるしかなかった。

 大島は振り向いて、夏樹の姿を認めて、驚いたように口を開けた。

「あ、こんにちは」

「あのさ、君もインターンシップ受けるんだって?」

 郵便屋さんに見せられた夢の光景が現実であるならば、大島もインターンシップに参加するはずだ。

 大島は、恐る恐る、頷いた。

「そうだけど」

「ごめん、春斗のことで聞きたいことがあるんだけれど」

 春斗の名前が出されたことで、状況を把握できた大島は少し安心したようだった。

「何?」

「春斗って最近誰かと仲良かったりしてる?」

 大島は困ったように、首筋を手のひらで撫でている。

「えー、それって女の子とかだよね?」

「うん」

 まいったな、と言いつつ、何かを話したそうにしている大島を、夏樹はただ眺めていた。この反応はつまり心当たりがあるということだ。

「春斗に口止めされてるの?」

「ううん、そういうことはないけれど、なんか、誤解を与えちゃうかもしれないから」

「いや、何となくは分かってるんだよね。ゆりでしょ?」

「あー、そこまで分かってるんだ」

 ぐっと、息が詰まった。分かっていたはずなのに、もしかしたらそうかもしれないと、覚悟できていたはずなのに、胸が苦しくなる。

「ゆりと春斗、できてるの」

「うーん。何か、春斗が好きになっちゃったって言うのは聞いたよ。その、相手方の女の子もまんざらじゃない感じなんだってさ。まだ付き合ってるかどうかは分からないけれど」

 両思い。一体どうしてそうなってしまったのだろう。二人の間に接点は全く無かったはずだった。接点を作ってしまったのは夏樹だ。

 悲しさよりも怒りが先行する。ゆりはこの事実を黙っていた。夏樹を騙しているという、自覚があったのだろう。

 春斗も春斗だ。すぐに切り替えて、新しい女を作って。

「あのー、大丈夫?」

 大島が困ったような顔で夏樹を見ていた。夏樹は頷いて笑ってみせた。

「そういう男だよね、春斗って」

 思わず出た言葉は、強がり以外の何物でもなかった。


 大島と別れた後、夏樹はふらふらと大学を歩き続けた。とりあえず何かをしていたかった。

「もう、いいや。違うこと、考えないと」

 これで裏取りが出来た。あの郵便屋さんとかいう死神に見せられた未来は本物かもしれない。あの未来で、夏樹は春斗とゆりの仲を疑っていた。そして実際、二人の間には友情以上の何かがあった。

 夏樹はゆりに春斗の悪口でも言ったのだろう。ゆりは傷ついて、インターンシップに来なくなった。春斗は何かを察して、夏樹の部屋を訪れた。夏樹は春斗を手放したくなくて、暴力に訴えた。それに春斗が抵抗した。これがことのあらましだろう。そこに謎なんて何もない。


「いや、そういえば」


 靴があった。二足の靴が、部屋の中に並べられていた。一足は踵を入り口に向けて揃えて置かれていたのに、もう一足は爪先が入り口に向けられていた。ちぐはぐな二足の靴。しかし、そう気にすることでもないのかもしれない。一足を履いたときに、脱ぎっ放しそのままにしていたのかもしれない。しかしそれにしてはやけに二足がぴっちりと、揃えられた状態で置かれていたのが気になる。


 そういえばもう一つあった。電子辞書の、電池。コンビニにもなかった電子辞書の電池をゆりはどうやって手に入れたのか。やはり春斗が嘘をついているのだろうか。春斗が貸したのだろうか。もし、春斗が嘘をついているのだとしたら、夏樹は二人にとってただのお邪魔虫だ。二人の仲を邪魔する、陰湿な女。分かってはいるものの、春斗とゆりに対する怒りは収まりそうになかった。


 お昼休みの時間だからか、外を歩いている学生が多い。一人になりたくて、夏樹は人気の無さそうな講義棟の中に逃げ込んだ。ひんやりとしていて、静かで、靴の音がやけに大きく響く。コルクボードの掲示板に、プリント用紙がべたべたと貼り付けられている。そのうちの一枚が夏樹の目に止まった。


『二十歳を過ぎたら子宮がん検診を受けよう』


 まだ二十歳なのに、がんのことを心配しなければならないなんて。うんざりした気持ちになりながらよく内容を読んでみると、どうやらそのがんに罹患してしまう主な原因は性行為らしかった。

「それなら、関係ない」

 自嘲気味に呟く。春斗と性行為をしたことは一度もない。そういう雰囲気になったことは何度かあったが、お互い踏み込もうとはしなかった。一緒にゲームをしたり、出かけたりするだけで充分に楽しかった。

 春斗もまだ、自分のことを好きなはずだ。夏樹はぼんやりと春斗と過ごした日々を思い出した。一緒にショッピングモールに行った帰りのバスで喧嘩した日。プールに行った帰りに食べたみたらし団子。一本の串に刺さった三つの団子を半分こした。夏樹が二つ、春斗が一つ食べた。誰から見ても幸せそうだったと思う。このまま順調にいったら結婚していたかもしれない。

 ゆりのことを本気で好きになるわけがない。ゆりと春斗だって、割と昔から面識があった。今まで恋愛感情を抱かなかったのに、急にお互い好き同士になるなんておかしい。

 そうだ。夏樹を介して、二人で結託して、仲間意識を抱いて。そんな中で育まれたものは偽物の恋愛感情に過ぎないだろう。春斗はまた、夏樹の元に帰ってくるはずだ。

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