第12話 大好きだった優しいお母さん

「……え?」


 気がつくと夏樹は電車に揺られていた。二人掛けのシート、窓の外に広がる暗闇、膝の上に載せられた肩掛けカバン。

 夢にしてはリアルで、まだ、頭に鈍い痛みが残っているかのようだった。夏樹が呆然として固まっていると郵便屋さんが口を開いた。

「どうだった?」

 学生帽を目深に被った郵便屋さんが夏樹のことを見ていた。その目は夏樹を透かした、向こう側の何かを見ているかのようだった。

「どうって」

「それが君に訪れる未来だから」

 郵便屋さんは淡々とそう述べた後、黙った。

「いや、そう言われましても。その未来を見せられて、私はどうすれば良いの」

「死なないために、考えると良いよ」

「……つまり、インターンシップに出なければ良いって言いたいの?」

 春斗との会話から考えて、あの未来はインターンシップ中の出来事だろう。そうであるならば、インターンシップにそもそも出なければあんな悲劇は起きないはずだった。

「いや?そこは変えられないよ。あの未来は絶対に訪れる。夏樹が何しようと、あの未来に繋がるようになってる。たとえインターンシップに参加申し込みしなくても、未来は、夏樹が見た未来に繋がるようになっている。巧妙に調整されて、そこに回帰する」

「じゃあ意味なくない?考えても……」

「夏樹が未来に残された謎を解き明かし、なぜ殺されたのかを理解して、自分はどう行動すべきだったのか最適解を導き出すことが出来たならば――僕が特別に、未来を少しだけ書き換えてあげよう」

「なぜ、殺されたのか?謎を解き明かす?」

 あの殺され方に理由なんてあるのだろうか。

 夏樹が春斗に縋り、白熱し、夏樹から鬼気迫ったものを感じた春斗は身を守るために攻撃した。確かに少し不自然ではある。春斗の夏樹に対する怯えようは過剰だった。夏樹より体格の良い春斗が、夏樹と力勝負で負けるとは思えない。電球で殴るのは少しやりすぎな気もする。

 けれどそれも積み重ねがあってのことなのだろう。夏樹の春斗に対する執着が、春斗を怯えさせたのだろう。夏樹は小さく手を挙げて、発言した。


「あの、郵便屋さん?」

「何?」

「謎なんて、ないんですけれど?」


 満面の笑みだった。これ以上ないくらい口の端を釣り上げて、郵便屋さんは言った。


「ではまず謎を見つけるところからだね」



「ただいま」

 家に帰ってきた夏樹は、自分の部屋に直行して、鞄を床に落とした。鈍い音がして、開いた鞄の隙間からプリントがぎゅうぎゅうに詰め込まれて分厚くなったクリアファイルが顔を覗かせた。

 あの郵便屋さんとのやり取りが、夢の中での出来事のように希薄に、曖昧になっていく。あれは現実だっただろうか。それとも、幻だったのか。電車の中で見た白昼夢のようなものだったかもしれない。

 しかし夢かどうかはこれからある一点を確かめれば分かることだ。ゆりと、春斗。二人が本当に恋愛関係にあるのか、それを確かめなければならない。


「夏樹?」


 振り向くと、部屋の入口に母親が立っていた。ノックもせずに入ってきて欲しくなかったが何度言っても聞かないので仕方がない。

「晩ごはん用意してあるんだけど。食べる?」

「うん」

 夏樹が頷くと、母親は嬉しそうな顔をして部屋を出ていった。

 中学生の時までは大好きだった優しいお母さん。夏樹はそんな母親のことが最近苦手だった。



 夏樹が小学校三年生の時の話だ。母親と二人で、休みの日にプラネタリウムに出かけた。電車を乗り継いで三十分くらいの距離にある、科学館に併設された小さなプラネタリウムだった。

 プラネタリウムが終わった後、母親が併設されている科学館に行きたいと言い出した。夏樹は科学館を見るよりも、売店に売っていた真っ白な風船を買いに行きたかった。科学館に行く途中で見た、女の子が持っていた真っ白な風船。科学館の売店で売っているらしかった。

 売り切れて無くなってしまうかもしれないから、先に買いに行きたかった。その後で科学館に行けば良いと思った。

 母親はそれを嫌がった。科学館の中で風船は邪魔になると、顔をしかめた。

 結局不機嫌になった母親と一緒に、風船も買わず、科学館にも行かず、帰ることになった。

 夏樹はその時の光景を鮮明に覚えている。五歩先を行く母親の背中を、小さな夏樹が追いかける。まだ日は高く、遊ぶための時間はたっぷり残されているはずだった。母親は不機嫌で振り返ろうともしない。夏樹はその背中をどうしたら良いのか分からないまま追いかける。

 科学館に行けないから不機嫌になるなんて、子供みたいだ。最近、母親の子供らしいところが目につくようになって、夏樹は段々と母親に苦手意識を抱くようになっていた。

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