第10話 ぱっとしない女子大学生

 こういう時は、女友達に相談するのが一番なのだ。夏樹はサークル棟にいるであろう友人のゆりの元に足を運んだ。ゆりはミステリー同好会に所属していて、平日の授業後はサークル室で本を読んで時間を潰している。ゆりも夏樹と同じように、混雑した電車を嫌うタイプの人間だった。

 古びたサークル棟の階段を駆け上がり、二階の角部屋に足を運ぶ。ひっそりと立てかけられた『ミステリー同好会』の文字を横目で見ながら、分厚い戸を叩いた。しばらくの静寂の後、扉は重たそうにゆっくりと開き、中から地味な女子学生が顔を覗かせた。

「ん、夏樹ちゃん」

「あのさ、相談があるんだけれど」

「いいよ、誰もいないから入って」

 壁が一面本棚で埋め尽くされた小汚いサークル室に足を踏み入れる。真ん中に六人用の長机がどんと置かれているため、本棚の圧迫感と相まって部屋は一層狭く感じられた。椅子と、本棚の間を縫うようにして歩き、窓際のソファに腰を下ろした。


「で、何?」


 遠慮ない物言い。夏樹は、椅子に腰掛けて文庫本を開いているゆりの顔をちらりと盗み見た。重そうな一重まぶたに、丸い顔。髪の毛は整えられているものの、艷やかとは言い難い。清潔感には気を配っているし、自分の好みも反映されているが、他人受けなどは全く気にしていないであろうガーリーな服装。きれい好きで、サークル室では常に猫の耳がついたスリッパを履いている。ゆりは高校生からの友人だった。

「春斗のことが、気になって」

 ためらうよりも、ばっさりと言ってしまったほうがいい。そう告げた後、夏樹はゆりの反応を待った。幾分か遅れてから、ゆりはぽつりとつぶやいた。

「ああ、そういうこともあるんじゃない」

 思っていた反応と違ったため、拍子抜けしてしまった。ゆりは夏樹と春斗が別れた馬鹿馬鹿しい理由を知っている。だから、「やっぱりそうなった」と鼻で笑われるかと思っていたのに。

「やり直した方が良いと思う?」

「うーん。もうちょっと考えてみたら?」

 この反応も、ゆりにしては煮え切らない。ゆりは何でもかんでも相手の後押しをするタイプの人だ。夏樹がバイトを辞めようか迷っている時も、「さっさとやめたら」と言ってくれた。つまり相手が欲しい答えを察して言ってくれるのだ。やらない後悔よりやった後悔、うじうじするくらいならやってしまえというタイプの人間だ。

 もやもやが一層ひどくなってしまった。夏樹は腕を組んだまま、頭を捻った。

「そんなことより」

 と、ゆりが切り出した。

「何?」

「あれ、どうする?インターンの話」

 ゆりの言うことを理解するために、しばらく時間が必要だった。点と点が繋がった後、夏樹は口を開いた。

「ああ、あれね。うんうん、どうしようかなあ」

 秋に行われるという、大学生向けのインターンシップ。期間は一週間。開催場所は東京であるため、関西在住の夏樹たちが参加する場合、ホテルを予約しなければならない。しかし、参加者五名まで、ホテルの費用を大学が負担してくれるという。インターンシップを開催する企業と大学に何らかの繋がりがあるらしい。

 旅行感覚でやってみないか、というのがゆりの誘い文句だった。しかし、夏樹は返事を先延ばしにし続けていた。まだ大学二年生、あと二年間も学生でいられるのに、就職のことを考えたくなかった。

「私は、うん、三年生になってからそういうのに参加しようかな」

 と、夏樹は言って、ショルダーバッグからペットボトルを取り出し、一口飲んだ。ゆりは読んでいる単行本に目を落としたまま、眉毛だけ持ち上げた。

「三年で参加しても二年で参加しても、同じじゃない。なら今参加しておいた方が良いスタートダッシュを切れるんじゃない」

 夏樹は少しだけ、ゆりのそういうところが苦手だった。簡潔に言ってしまえば意識が高い。企業ウケしそうな、前向き思考。自分はそうはなれない。就職だって、出来ればしたくない。ただ皆がするからするだけなのだ。

「そうだ、あの人も参加するって言ってるよ。えっと、田山くん」

「えっ、春斗も?」

 一週間、一緒にインターンシップに参加すれば、何か分かるだろうか。何か変われるだろうか。

「ううん……でも」

「じゃあ、飲み会付きでどう?」

「飲み会?ホテルの部屋でってこと?」

「うん。田山くんも誘っていいよ。まあ、私お酒弱いから飲めないけれど」

 それは何だか楽しそうだし、関係を修復するチャンスかもしれない。

 しばらく逡巡した後、夏樹はゆっくりと答えた。

「そこまで言うなら、参加しようかな」



 電車に揺られて、長い家路をたどる。二人掛けのシートが並べられた車両はがらがらで、人の姿はまばらだった。辺りはすっかり暗くなって、窓に映るのは自分の顔ばかりで、外の景色は何も見えない。

 セミロングの髪は茶色く染められているものの、根本の方が黒くなってきている。顔立ちは悪くないような気がするが、パッと目を引く何かはない。美人といえば美人だが、たまに写真で切り取られた顔は、お世辞にもきれいとは言い難い。

 笠寺夏樹という人間。何ともぱっとしない。

 ぼんやりと自分の顔を眺めていると、いつの間にか隣に誰かが座っていることに気がついた。黒い学生帽を目深に被り、同じく黒い詰め襟の学生服を着こなした小さな子ども。肩から掛けられたショルダーバックは今にも中身が溢れそうなほどぱんぱんに膨らんでいる。


「笠寺夏樹さん」

「はい」


 驚いて夏樹は返事をしてしまった。なぜこの子はフルネームを知っているのだろうか。学生証でも落としただろうか。

 その子どもは柔らかそうな唇を開いて、静かに告げた。

「僕は死神。郵便屋さんの死神だ」

「は、郵便屋さん?」

「そうだ。魂を回収して、然るべきところに届ける、死の配達人だ」

 メンヘラ、という四文字が脳内に浮かんだ。格好も大分奇妙だし、絶対に関わり合いにならない方が良い、変なやつだろう。

 しかし、郵便屋さんが通路側の席に座っているため、席を立とうにも立てない。どうしようか悩みながら、何となくコードの絡まり合ったイヤホンを鞄の中から取り出して、耳にはめようとしたその時だった。

「君、このままだと死んじゃうけれど、どうする?」

「ん?死ぬ?」

「この、死神手帳に書かれているんだよね。君が死ぬ未来が」

 そう言って郵便屋さんはショルダーバッグのサイドポケットから真っ黒な背表紙の手帳を取り出して、夏樹に見せた。ページを捲くり、何やら真剣な表情で手帳に書かれている文字を目で追っている。つい気になって、中を覗き込もうとしたところで、手のひらで制された。

「やめなさい。これは、人間が見ていいものじゃない」

「でも、その中に私が死ぬ未来?が書かれているんでしょ。気になるんですけれど」

「はぁ。しょうがないな。未来を見せてあげる」


 郵便屋さんがそう呟いた直後、頭をふっと後ろに引っ張られるような感覚があり、夏樹の意識は飛んだ。

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