第二章 恋愛感情は、人を殺す (夏樹 20歳)

第9話 私は、間違えた?

「誕生日オメデトウ」

 スマートフォンが軽快な音を立ててメッセージの受信を知らせた。夏樹は片手でロックを解除し、簡潔に返信する。

「ありがとー!」

 それから、スタンプを送信。こうすることで、これ以上の会話は不要だと相手に知らせることが出来る。電子コミュニケーションには欠かせないスキルの一つだ。

 スマートフォンをテーブルの上に置いてから、紙皿に載せられたピザを口に運ぶ。トマトの酸味が効いたピザを咀嚼しながら、テレビの画面に目を戻した。下らない話に笑い合う人たちが小さな画面に映し出されている。

 隣に座っている母親が、それを見て楽しそうに笑った。夏樹の正面に座っている父親も、楽しそうに肩を震わせている。

 夏樹はスマートフォンのロックを再度解除し、ソーシャルゲームの敵を倒しながらピザを口いっぱいに頬張った。

 二十歳の誕生日だった。


 髪が伸びてきたと思う。前髪くらいなら自分で切ってしまえるが、後ろ髪は億劫だ。結局面倒くさくて二、三ヶ月は放置してしまう。

 夏樹は大学の構内を歩いていた。無駄にゆとりのある敷地の中に建物が点在している。入学したての頃は、十分の休憩時間の内に次の講義を受ける校舎に移動出来るだろうかとあくせくしていたものだった。大学二年の今、この広さにもすっかり慣れてしまった。

 今日の講義は全て終わっていた。ただ、すぐに帰ろうとすると電車が同じ大学の学生でごったがえすのが嫌だった。生協に置かれている文庫本でも立ち読みしようかと足を向けた先に、見知った顔がいた。

 田山春斗。短く刈り込んだ頭に、やや猫背の長身。大きなボストンバッグを肩に掛けて、生協のパン売り場を物色していた。

 夏樹は春斗に気が付かれないようにそっとその場を離れた。

 その横顔を見ていると、ムカムカして仕方がなかった。


 夏樹が春斗と別れたのは、大学二年になってすぐのことだった。高校生の頃から付き合っていたため、交際期間は三年以上に及んでいた。別れを切り出したのは、夏樹の方からだった。大学生になってからは疎遠になっていたため、春斗もすぐに承諾してくれるだろうと思っていた。

 しかし春斗は夏樹の予想に反して、ぐずついた。何が理由だとしつこく問われたが、夏樹としても答えることが出来なかった。

 単に新しい刺激が欲しかったのだ。男女間がどこかぎこちなかった高校生の頃とは違って大学には恋愛が溢れていた。また、夏樹は自分の顔がそれほど悪くないことに気がついていた。高校生の頃はクラス内でも目立たない方だったが、大学生になり適当に服装や髪型を整えるだけである程度認められるようになった。それでも素材の良いかわいい子には勝てなかったが、そういう子にはたいてい彼氏がいる。そんな中で自分がフリーになれば、一番ちやほやされるような気がしていた。フリーになって、ちやほやされたかった。

 一、二週間揉めた後、夏樹と春斗は別れた。ひっそりとした別れだった。感慨にふけることも、別れを実感することもなかった。夏樹のスマートフォンには、春斗と撮った写真がまだカメラロールに残っている。そこにけじめのようなものはなかった。

 別れてしばらく経った後、夏樹は春斗のことが気になり始めた。春斗は別れるまではあれほど嫌がっていたというのに、別れてからは連絡一つよこさない。それどころか、友人と笑い合って楽しそうに大学生活を謳歌しているようにも見える。あまりにも切り替えが早すぎるのではないか。一緒に過ごした三年間は一体何だったのか。


 理不尽であることに気がついていた。自分が悪いことにも気がついていた。だから何も言えない。けれどわだかまりだけが、胸の奥に残り続ける。もしかして自分は間違った道を選択してしまったのではないか。そう考える度に、胸の奥がギュッと締め付けられる。

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