第5話 誰に私は殺された?

「どうだった?」

 学生帽を目深に被った郵便屋さんが口元に笑みを浮かべながら叶のことを見ていた。叶は、大きく息を吸い込んでから、急いで後退りして、郵便屋さんと距離を取った。

「誰?」

「郵便屋さん。死の配達人」

 思い出した。こいつが部屋の中にいて、変なことを言ってきたのだ。直後、リアルな夢を見た。一体こいつは何者なのだろうか。

 叶は頭を巡らせた。小さなシングルベッド、支柱にシールがペタペタと貼られた勉強机。そして、ワインレッドのスクールバッグ。自分の部屋に戻ってきたようだ。

「見た?君の未来」

 郵便屋さんは小さな唇を動かしながら、小さな声で、叶に囁いた。

「……あれが私の未来だって?」

 明里ちゃんが刺されて、自分も誰かに突き落とされる。あれが、己に待ち受けている未来だというのか。

 信じられないような話だったが、信じようとしている自分がいることに気がついた。その郵便屋さんの言葉には、言い表せない説得力があった。

「それで、私は誰に殺されたの?」

「それは、まだ言えない」

「何で」

 郵便屋さんは肩を竦めるだけだった。

 本当に死神が存在するなんて。しかし、こうして未来を見せてきたということは、何かそこに意図があるということだ。

「つまり、自分の死を回避せよってこと?あの肝試しに行かなければいいのね」

「ううん。そこは変えられないけれど。死神手帳に書かれた死の未来は、人間ごときじゃ変えられないんだよね」

 他人事な死神に対し、苛立ちが募る。こちらは生死がかかっているというのに。

「じゃ、なんであんたは私に死を告げに来たの?」

「それが死神の仕事だから」

「あっそ。なら、どうしようもないじゃん。どっか行ってよ。学校行かないと」

「話は最後まで聞くものだよ。君は未来を変えたいかい?」

 少し悩んで、叶は口を尖らせながら頷いた。

「まあ、あれは嫌かも」

「なら、謎を解き明かすんだ。君は誰に殺されたのか?何故殺されたのか?謎を解き明かして、どうすべきだったのか解を導き出すことが出来たのなら、僕が未来を書き換えてやっても良い」

「謎?」

 何を言ってるんだ。

 再び顔を上げた時、そこに郵便屋さんはいなかった。


 なぜ自分が殺されるのか。そんなの、知らない。殺されてしかるべき行動なんて取っていない。その理不尽さに苛立ちが募る。

 家に長居しすぎてしまった。急がなければ朝のホームルームに間に合わなくなる。五十五分発の電車に乗らなければ。

 家を出て、坂道を駆け上がる。見知った顔に会わないように祈りながら走る。前髪は乱れ、スクールバッグは肩から落ちかけている。みっともない姿になった自分を、誰かに見られたくない。

 最寄りの駅に駆け込み、自動改札機にICカードを叩きつけ、ホームに来ていた電車に飛び乗る。

「間に合った……」

スクールバッグを足元に下ろし、散らばった前髪をおでこの上に集める。叶が呼吸を整えていると、誰かに右肩を叩かれた。

「叶ちゃん」

 詩織さんだった。前髪をふんわりとカールさせて、片耳にイヤホンを突っ込んだ詩織さんが、叶のすぐ隣に立っていた。電車が動き出し、叶は手すりに掴まる。

「今日寝坊しちゃった?」

 そんな、お姉さんぶった聞き方が不快だった。一緒に朝食を食べたのだから、寝坊した訳でないことくらい、理解できそうなものなのに。

「……別に」

「そうなんだ……」

 さすがの詩織さんも叶が不機嫌であることを察したらしく、口を噤んだ。

 叶は車内に目を走らせる。向かい合わせになっているロングシートに、人が座れそうな隙間はない。白いシャツに四角い手提げかばんを持った大人たちが、つまらなさそうに視線をさまよわせている。

 がくんと電車が揺れる。何も持たなくても立っていられるのかと、詩織さんに目を向ける。

 詩織さんはつり革を掴んでいた。やけに高いところにあるつり革。そのつり革が車内に取り付けられた時、自分のような身長の人間が使うことは想定されていなかったのだろう。そう思うと、胸がむかむかした。

 詩織さんは叶の足元を見ていた。目線の先を辿り、叶は自分の足元に目を下ろした。

 ワインレッドのスクールバッグ。ファスナーが開き、中の教科書が少しだけ見えていた。アーミーナイフは底に押しやられているため、見えないはずだ。

 しかし、詩織さんの視線が尋常では無い気がして、叶は眉を潜めた。この鞄の中に何が押し込められているのか、知っているのか。

 無言のまま、次の駅に到着した。ばらばらと人が乗り込んでくる。その中に、叶の見知った顔があった。

「あ、叶ちゃん」

 クラスメイトの雪子ちゃん。性格は大人しいが、派手な見た目をしているので、一緒にいると叶は少しだけ誇らしい気持ちになる。

「おはよ、今日電車ぎりぎりでやばかった」

「そうなんだ。確かになんか前髪散ってるかも」

 いつもよりも大きな声でお喋りに興じる。詩織さんに見せつけるためだった。

 詩織さんは片手でつり革を掴みながら、スマートフォンを見ている。スマートフォンの光が反射して、詩織さんの目は怪しく光っていた。

学校の最寄駅についた時にはもう、詩織さんの姿はなかった。


「やあ、考えてみたかい」

 叶は学校から帰ってきて、自室の勉強机で宿題に取り掛かっていた。声をかけられて振り向くと、真後ろに郵便屋さんが立っていた。

 黒い詰め襟の学生服に、目深に被った学生帽。身に纏う空気は重く、死の匂いが漂っている。

「考えてみたって……」

「何で死んだのか……誰に殺されたのか、考えてみた?」

 知らない人が自分の部屋にいるという、この状況に慣れつつある自分が恐ろしい。叶は手に持っていたシャープペンシルをくるくると回しながら答えた。

「考えてないけど。私に殺されなきゃいけない理由なんてない」

「あっそう」

 郵便屋さんはそう言うと、カーペットの敷かれた床に腰を下ろし、脇に積み上げられていた漫画本を手に取った。

「やっぱり、漫画は単行本派だな。雑誌で読んでると登場人物が覚えられない」

「うるさいな。どっか行ってよ」

「僕としても君が死ぬか生きるかまでは行く場所がないからね」

「そもそも、あれっていつの出来事なの?」

「近い未来」

 郵便屋さんは短く答えた後、小さく欠伸をした。

 あの未来がいつの出来事なのか――それも自分で考えろということか。

 叶はシャープペンシルを置いて、目を閉じた。

 未来の中で、私は制服を来て、スクールバッグを肩から下げていた。つまり、学校帰りということだろう。それにしてはやけに時間が遅い。十八時以降に家に帰ってくることなんて、今までなかったはずだ。つまりその日、何か特別な用事があったのだろう。

「駄目だ、分からん」

 今後、帰りが夜遅くなるような特別な用事なんて入っていない。友だちと遊ぶにしても、普通、制服から着替えて遊ぶ。高校生じゃないんだから、制服のままどこかに出かけたりなんてしない。

「そもそも、明里ちゃんたちと一緒に帰るなんてあり得ないよな」

 やはりあれはただの夢なのではないか。状況が不可解すぎる。


「今週末の金曜日、パパとママ帰ってこられないから、四人で出前でも取ってくれる?」

 夕食の席で、おばさんが水の入ったグラスを手にしながら言った。

「えーなんで」

 さっちゃんが不満そうに口を尖らせる。

「お通夜が入っちゃったの」

 おばさんは黙々と箸を進め、それ以上の反論は許さなかった。

 叶はところどころ白い粉がついている唐揚げを飲み込んで、俯いた。

(これだ。絶対に、これ)

 おばさんは出前を取れと言っているが、出前は高い。恐らく、皆外食にして安く済ませようと考えるはずだ。浮いたお金で漫画本でも買うために。あの未来は、四人で食事に行った帰りなのだろう。学校帰りにファミレスに寄って、帰る。明里ちゃんは私服に着替えていたが、叶と詩織さんにはそんな時間が無かったのだろう。

(つまり私は、明後日死ぬ?)

 誰に殺されるのだろうか。叶を突き落とした犯人の足音は、神社側から聞こえてきた。つまり犯人は、詩織さん、さっちゃん、明里ちゃんの内の一人である可能性が高い。

 叶は気が付かれないように、こっそりと上目遣いで明里ちゃんを見た。明里ちゃんは唐揚げの油でテカテカになった唇を、ウェットティッシュで上品に拭っている。

 明里ちゃんは、小路を戻ったあの時確実に大怪我をしていた。走って追いかけてくることなんて、出来ないはずだ。

 そうであるならば、残りは二人。さっちゃんか、詩織さんだ。

 叶はそのまま視線を明里ちゃんの右横にずらした。さっちゃんは茶碗一杯に盛られたごはんの上に唐揚げを敷きつめて、唐揚げ丼を作って遊んでいる。

 詩織さんは夕食の席にいない。塾でお弁当を食べて帰ってくるらしい。

 叶は考えた。詩織さんにしろ、さっちゃんにしろ、自分を殺すほど憎んでいるとは思えない。普通に考えるだけでは、犯人を割り出すことなんて出来そうにない。

 それなら――もう一つの事件から考えてみるべきだ。明里ちゃんは、誰に背中を刺されたのか?


 あの小路を歩いた順番は、前から、詩織さん、明里ちゃん、叶、さっちゃんだ。さっちゃんは神社に着いた時も、皆より大分遅れて到着していた。追い越すことなんて出来ないはずだ。ということは、残るは詩織さんだけ。しかし、詩織さんは明里ちゃんの前を歩いていたはずなのだ。人一人すれ違えないあの狭い通路で、どうやって背中を刺すことが出来るのだろうか。


「――でね、ナイフが――」


 おばさんとおじさんが何かを楽しそうに話している。

(そうだ、ナイフだ)

 凶器は恐らく、叶がいつも持ち歩いているあのアーミーナイフだった。しかしあれは鞄の底に仕舞い込んでいたはずなのだ。誰かが勝手に持ち出して、使ったりすることなんて出来ないはずだ。スクールバッグの中に血塗られたナイフが入っていた理由を考えなければならない。


 考えられる理由は二つある。


 一つ、あれは自分のアーミーナイフじゃなかった。鞄に入っていた血塗られたナイフは、叶に罪を着せるために入れられたよく似た別のナイフだったのだ。小路を抜け、神社にたどり着いたところでさっちゃんが叶の鞄の中にナイフがあることを確認している。つまりその時点では、鞄の中には叶のナイフが入っていた。しかし明里ちゃんの背中を刺した犯人が、叶が家に戻っている時に凶器と叶のナイフをすり替えたのだ。それが可能なのは、詩織さんかさっちゃんのどちらか一人か。


 二つ、ナイフはそもそも鞄の中に入っていなかった。あのアーミーナイフはいつも鞄の中に入れているけれど――神社への小路を歩く前に、既に抜き取られていたかもしれない。あの小路の途中で抜き取ることは困難なように思えるけれど、それ以前なら可能だ。例えばあの未来が外食に行った帰りなのだとしたら、出先で叶がトイレか何かで席を立った時にでも、ナイフを抜き取ってしまえば良い。そして、明里ちゃんが背中を刺された後、叶に鞄の中身を見せるように言う。その時、叶の鞄の中に元からナイフが入っていたかのように見せかける。


 つまりこれは、さっちゃんにしか出来ない。詩織さんにナイフを戻すタイミングがあったとは思えない。


「どちらかと言うと……二つ目の方がありえる」


 叶の独り言は、食卓の喧騒に紛れて消えた。

 叶は、ナイフに巻きつけられていた包帯を解いた時に、昔からあるような引っかき傷や、刃こぼれも一緒に確認している。いくらそっくりなナイフとはいえ、本人にしかわからないような微妙な傷を真似できるとは思えない。

 となると、犯人はさっちゃんか?

 叶は、唐揚げを頬張っているさっちゃんの顔を盗み見た。小学生らしい無邪気な丸顔に、邪気は感じられない。

 本当にさっちゃんなのだろうか。さっちゃんだとしても、やはり、あの狭い小路で背中を刺した方法が分からない。


「ん?待てよ……」


 元からナイフが入れ替わっていたのだとしたら、どうだろうか。さっちゃんが叶の鞄からナイフを取り出した時、そのナイフは既に入れ替わっていたのだ。叶は遠目にしか確認出来なかったため、自身のナイフであることを確かめた訳ではない。

 そして、叶が家に戻るために神社から離れたすきに、凶器として使われた叶のアーミーナイフをスクールバッグの中に戻しておく。偽物のナイフは取り出しておく。これなら詩織さんにも犯行は可能だ。

 また、振り出しに戻ってしまった。結局犯人が誰なのか分からないままだ。少なくとも詩織さんかさっちゃんのどちらか一人だとは思うのだが。

 いや、待てよ。ナイフが入れ替わっていたにせよ、そもそも入ってなかったにせよ、犯人は叶の鞄の中にアーミーナイフが入れられていることを知っている人物だ。叶の秘密は既に、誰かに知られている可能性が高い。

 とたんに、恐ろしくなる。今すぐにでも部屋に戻って、あのナイフを雑木林の中に捨ててしまいたい衝動に駆られる。身を守るための盾が、自分の身を滅ぼすことになるなんて。


「仕方ないじゃん……」


 叶の独り言を拾う者はいない。気を払う者などいない。明里ちゃんとさっちゃんは、韓流アイドルの話で盛り上がっている。

 背が低くて、いじめられ続けてきた。他の人よりも劣っていた。他の人よりも劣った部分――欠けた箇所を補うために、あのナイフを持ち歩いていただけなのだ。刃物――鋭利に尖ったそれを持ち歩いていた理由は、他の人より抜きん出たかった訳ではない。尖った自分になりたかった訳ではない。ただ、欠けている部分を補うために、充足させるために持ち歩いていただけなのだ。

 けれどその意図を汲んでくれる者などいないのだ。皆は満ち足りているから。不完全な人の気持ちなんて、分からないから。叶はふぅっと息を吐いた。

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