第3話 だって、仕方ないじゃん
米原家の夕食は午後八時。明里ちゃんが塾から帰ってくるのを待って、六人揃っての夕食だ。
叶たちは丸いローテーブルを囲み、餃子を食べていた。叶は絶対、五個以上は食べない。それが礼儀のような気がしていた。
「そういえばねぇ」
明里ちゃんの、お母さん――おばさんが口を開いた。
「最近、裏の神社に続く通りで不審者が出たんだってさ」
「きも」
明里ちゃんはそれだけ言って、黙った。
「なんか、中学生の男の子が腕を引っ張られたらしいよ」
「えー。さっちゃんたち、男の子じゃないから大丈夫じゃん!」
餃子を口いっぱいに詰めたさっちゃんが、無邪気に笑っている。
「そういうのじゃないのよ。とにかく気をつけてね」
「はぁい」
さっちゃんたち、に自分は含まれているのだろうか。叶はもそもそと餃子を食べ続けた。
「通りゃんせ、通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ」
隣に座っていた詩織さんが、小さな声でわらべうたを歌っている。あの神社に続く道は、確かに、細くて狭くて不気味だ。
「ごちそうさま」
一足先にお椀を空にした明里ちゃんが、立ち上がる。
続いてさっちゃんが立ち上がる。一足遅れて詩織さん。無意識の内に、子どもたちはカースト制度を意識している。そのことにおばさんとおじさんは気がついているのだろうか。いいや、気がついているはずがない。人は、気がつきたくないものには気がつかないものなのだ。
朝、叶は身支度を済ませて、朝食が用意されているリビングに向かった。中学校の制服は、叶にはサイズが大きすぎた。ブカブカのブラウス、ヒザ下まであるスカート、全てが格好悪い。
リビングにはすでに詩織さんがいた。詩織さんはしわのないプリーツスカートをひらひらさせながら、テレビを見ていた。
「おはよう」
と、詩織さんが言った。
聞こえないふりをして、キッチンに向かう。朝食の配膳を手伝おうと思った。
キッチンに居るおじさんに朝の挨拶をして、シンクの上に並べられた味噌汁のお椀に手をのばす。お椀からは白い湯気が立ち上っている。
「あ、良いよ。私がやるよ。危ないよ」
追いかけてきた詩織さんが、叶の手を掴んで、大げさに首を振った。
「え、何が……」
「叶ちゃんには危ないから」
そう言って、詩織さんはお椀を二つ両手に持つと、リビングに向かった。
ふつふつと、怒りが湧いてくる。お味噌汁の茶碗を二つ運ぶくらい、全く危なくなんてない。それこそ、小学生でも出来るだろう。
下に見ないで。私が小さいからって、いじめられていたかわいそうな子だからって、下に見ないでよ。
追いかけて、自分の言葉でその怒りを伝えたかった。
しかしドタドタと足音がして、さっちゃんが起きてきたため、諦めた。
従兄弟の家は、不快で満ちていた。
「そういえばさぁ」
朝食の最中、おばさんが米を箸で掬い上げながら言った。
「叶ちゃんの学年で、退学になった男の子いるんだって?」
叶は俯いてお味噌汁をかき混ぜながら、自分に視線が集まるのを感じた。おばさんは噂好きな人だった。叶に対し悪意を持っているわけではない。しかし叶は舌打ちしたい気分になっていた。どうか、皆のいる前で、話を振らないでほしい。
「さぁ……」
「なんか、刃物で友だちを刺したんだって聞いたけれど。怖いねぇ」
刃物。その言葉に、ぎくりとした。
ワインレッドのスクールバッグの底に押し込まれたアーミーナイフのことが頭にちらついた。きっと退学になった男の子が使った刃物はせいぜいカッターナイフや鋏だろう。もし、あのナイフで人を刺したりしたら、退学どころでは済まされない。
ふと、痛いほどの視線を感じて、顔を上げた。
皆が黙々と朝食を食べ続けている光景がそこにあるだけだった。食器がぶつかり合うかちゃかちゃという音、味噌汁をすする音。誰も叶に注意を払ってなどいない。
誰かに見られていた気がしたのに。気の所為だったろうか。
朝食を終えて、明里ちゃんが席を立つ。明里ちゃんが家族と一緒にいる時間は短い。家族と一緒にいる時はいつも、嫌そうな顔をしている。きっと、自分のせいなのだろうと叶は思った。
「ごちそうさまでした……」
叶も、明里ちゃんと被らないようにして席を立った。食べ終えた食器をシンクに運ぶ。誰もいないキッチンは、呼吸がしやすかった。
七時三十分。そろそろ、家を出なければならない。自分の部屋に戻り、鞄の中身を確認する。今日使う教科書は全て鞄の中に収まっている。
教科書を掻き分けて、底に追いやられているアーミーナイフを取り出した。こんなものを持っていると学校側に知られたら、大変なことになるだろう。どう考えても学校に必要な物ではなかった。言い訳は通用しそうにない。
「仕方ないじゃん……」
小さな声で、つぶやいた。
だって、仕方ないじゃん。
背が小さいせいで、ずっといじめられてきた。抗うだけの力は、叶には与えられていなかった。
このナイフは剣ではない。盾なのだ。
誰かを傷つけることでしか、自分を守ることが出来ない。
だから仕方ないのだ。
「そうなの?」
えっ?
誰かの声が聞こえた気がした。頭を巡らせるが、小さな部屋の中には誰もいない。
プラスチックのフレームが安っぽい姿見に、何かが映った気がした。
おそるおそる、四つん這いで姿見に近づく。似合わない制服を身に着けた自分がいるだけだった。
なんだ。
と、振り返るとそこに色彩を欠いた黒一色の子どもがいた。
「こんにちは」
あまりに驚いて声が出なかった。
肩にかからないくらいの黒髪は、何の力も加わらずに真っ直ぐ伸ばされている。服装は詰め襟の学生服で、黒一色で色がない。ショルダーバッグを斜めがけにしていて、黒の学生帽を被っている。学生帽には金色に輝くドクロの紋章が縫い付けられている。歳は十四歳くらいだろうか。叶と同じくらいに見える。
一目見た印象は、
「郵便屋さん……?」
だった。
「正解」
と、その郵便屋さんは言った。
「僕は死の配達人。魂を回収して、あるところに届けることを仕事としている。まあ、死神みたいなものだね」
「死神……」
その郵便屋さんは、男の子にも、女の子にも見えた。死神と言うが、確かに俗世離れしたところがある。
「叶。君、このままだと死んじゃうけれど、どうする?」
郵便屋さんは薄く、小さな唇をほんの少しだけ動かして言った。
「えっ」
「死神手帳に君の未来が書かれている。君に訪れる、死の未来が」
そう言って郵便屋さんは真っ黒な手帳をショルダーバッグから取り出してみせた。全ての光を吸収してしまいそうな漆黒だった。
「見たいかい?」
「み、見たい」
「駄目、見せるのはルール違反だ」
叶は唇を尖らせた。
「じゃあ何で聞いたの」
「中身を見せることは出来ないけれど――間接的に教えることなら出来る」
「何?どういうこと?」
「これから教えてあげるよ」
四の五の言う時間は与えられなかった。後頭部が引っ張られる感覚とともに、叶の意識は闇の中に沈んだ。
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