終章 信じ合う心
終章1
アネモネの咲く丘に、白い墓標がひとつ立っている。
その前で膝を折り頭を垂れているのは、くすんだ黄色のワンピースに栗色のニットベストを合わせた一人の少女だ。
「……ブルネットさん。あの日から、今日で一年が経ちました。あなたのおかげで、私たちは今こうして生きています」
ありがとう。
顔を上げた少女は、墓標へと穏やかに微笑みかけた。立ち上がり一礼してから、ゆったりと歩き出す。
向かう先は、薄紫色の屋根が珍しい、白塗りの小さな家だ。
足取りに合わせてやわらかに揺れる、腰元まである長い髪。秋晴れのまばゆい日の光に照らされたそれは、淡い水色をしている。
「戻りまし――」
「遅い」
金のドアノブを回して家に入るなり、不機嫌な声が飛んできた。
「メイ。お前、『昼前』の意味わかってる? もうとっくに、正午の鐘鳴ったんだけど」
声の主は、窓辺で、押し手と車輪がそなわった椅子に腰掛けている青年だ。
明るい日差しに照らされた短い髪は黒。火傷の跡が目立つ顔に浮かんだむすっとした表情は、どこか子どもっぽくもある。
容赦ないダメだしをくらった少女――メイは、「うっ」と声を詰まらせた。
「ごめんなさい! いい部品が手に入ったので、つい盛り上がっちゃって……。あ、師匠がジュエルさん用に調整をしてみたいとのことで、明後日ここにいらっしゃるそうです」
そうそう、とメイは叱られたことも忘れ、のんびりと付け加える。
「明日は二人でゆっくり過ごしたいだろうからって言われたんですけど、何かご予定ありましたっけ? なんだかニヤニヤしてたんですよねえ……」
首を小さく
清潔な白いシャツに革のベストを合わせた装いは爽やかで、怪しい風貌の冒険者とは似ても似つかない。……が、今の彼は剣を抜き放ってしまうのではないかと思うような、忌々しげな表情を浮かべている。
「あのタヌキ親父、余計なこと言いやがって……」
「ちょっとジュエルさん! なんてこと言うんですか! それに、余計なことって――」
「なんでもない。いつまでもそんなところに突っ立ってないで、こっち来れば?」
ぶっきらぼうな声だが、親しみが込められていることがわかる。
彼のすぐ隣には、木製の小さな丸テーブルと椅子が一脚。いつもここで二人で食事をとったりお茶をしたりしているのだ。
「そばにおいで」と彼の言葉を都合がいいように変換して、メイは「ありがとうございます」とたちまち笑顔になった。
「じゃあ、まずはお昼ご飯を作っちゃいますね。すぐに準備します」
「いや、いい」
「? お腹が空いてるから、怒ってたんじゃないんですか?」
「お前、俺のこと何だと思ってんの」
目つきを鋭くしたあとで、ジュエルはぼそっと付け加えた。
「……心配なんだよ。また道に迷ったんじゃないかとか、変な奴に声かけられてるんじゃないかとか……。お前がいつまで経っても危なっかしいのが悪い」
最後のひと言は、照れ隠しだろう。わかりやすく視線を逸らしている彼を見て、メイの胸はきゅんと高鳴った。
(~~! 大好き!)
声に出す勇気はないが、彼のことがたまらなく好きだとあらためて実感する。
「それじゃあ、せめてお茶を
メイは肩掛け鞄をそそくさと玄関に置くと、軽い足取りで台所へと向かった。
やかんが置かれたままになっているかまどに薪をくべ慣れた手つきで火をおこし、棚から最近もらったばかりの茶葉が入った容器を取り出す。
調理台に置いたトレイに給金で買った二人分のティーセットを並べたところで、ふわふわとした心地になった。
(生きて目の前にいてくれるだけで幸せなのに、こうして一緒にお茶ができるなんて……わたしって贅沢だなあ)
一年前。
瀕死の重傷を負ったメイとジュエルは、勇者城の兵士たちによって救われた。応急処置を施し、群衆たちの協力も得て急ぎ医師を集めてくれた彼らのおかげで、一命をとりとめたのだ。
兵士たちは、仲間や城に呼び寄せられた女たちが、夜な夜な無残に殺され食されているのを知っていた。それでいてなお、あまりの恐怖に声をあげることができず従順に振舞っていたのだという。
涙ながらに亡くなった者たちへの懺悔をする姿を、ジュエルは唇を噛んで黙って見つめていた。
魔王に体を乗っ取られ大量殺戮を行った男の息子として、ジュエルを非難する声は未だ多くある。しかしこうして平穏に暮らすことができているのは、彼が魔王を討ち果たした褒美として王から賜ったものが、功績にしてはごく質素であったから。
そして――大きな障害を負ったことで、世間から憐まれたからだ。
魔王に斬りつけられ全身に矢を浴びた彼は、神経が損傷したことによる影響で下半身を動かすことができなくなった。意識を取り戻してからの数か月は、ベッドから上体を起こすことはもちろん、日常生活に関わることのほとんどを行うことができなかったほどだ。
しかし、本人の努力と周囲の協力のおかげで、今では、手助けが必要なものもあるが、歩行以外のことはほとんどできるようになった。
そんな彼が魔王討伐の褒美に願ったものは、車椅子と一年間の生活資金、そしてこの小さな家だった。アネモネが咲き乱れる静かな丘は、かつて共に過ごしたネリネ村にほど近い場所にある。
ちなみにメイは、元が天使であったためか大きな外傷を負うことはなかった。
そのため、以前と同じようにネリネ村の食堂にて住み込みで働いている。
本当はこの家で暮らしジュエルの身の回りの世話をしたいのだが、必要ないと突っぱねられているのだ。それでも毎日欠かさず顔を出し、こうして一方的に家事をこなしている。
彼はよく、「罪悪感で一緒にいる必要はない」と冷たい声で指摘してくる。きっと、自分を庇って受けた傷のせいで障害を負った……そうメイが気に病んでいると思っているのだ。
たしかに、そういった気持ちはある。
脂汗をかきながら体を動かすための訓練に励む彼の姿を見て、何度も「わたしのせいで」と心の中で泣いていた。
しかし、一番はそこじゃない。
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