5-5

「……ステ、ラ……。ジュエル……」


(え)


 今、はっきりと聞こえた。魔王が呟いたのか、それとも――。


 風を切るようにして、魔王の手がメイから『救いの剣』を乱暴に奪う。そして次の瞬間、目を疑うようなことが起きた。


「ぐは……っ!」


 魔王の左胸から、真っ赤な鮮血が噴き出す。大きく震える腕で、自分の心臓に『剣』を突き立てているのだ。


「どうして、お前、が! やめ、ろ………!」


 場が騒然となり、制止を命じられていた兵士たちも、メイ同様その場から動けずにいる。みな、異常な事態が起きていると直感で察しているのだろう。


 『剣』が勢いよく引き抜かれた瞬間。魔王の左胸に空いた傷口から、黒いもやが一気に噴き上がった。そして、老若男女の阿鼻叫喚あびきょうかんが辺りにこだまする。


 助けて、どうかお願いだから。

 そんな言葉たちが、とぐろを巻きながら消えていく。


 ドサ、と勇者の体が処刑台に崩れ落ちた瞬間、雲間から光が差し込んだ。耳を塞ぎしゃがみこんでいた人々が、おそるおそる顔を上げる。


 その視線の先には、大きな翼を持つ雄々しい獅子がいた。銀の体毛をしゃなりと揺らしながら、処刑台にゆったりと降り立つ。



――今、魔王は倒れ、人間界に真の平和が戻った。



 脳に直接流れ込んでくる声は、男性のようでいて、女性のようでもあり……それでいて、山や海、風を思わせる実態のないものだ。


「創造、主……?」


 ぐったりと力を失ったジュエルを胸に引き寄せるようにして、メイが声を震わせる。銀の獅子は、頷く代わりに、大地が震えるような猛々たけだけしい咆哮ほうこうを返した。


――未熟な天使の子よ、存分に楽しませてもらった。これは、私からの礼だ。……いや、試練といった方がいいだろうか。


 獅子が翼をひとふりした瞬間、全身に切り裂かれたような激痛が走った。

 声もなくジュエルに覆い被さるようにして体を丸めたメイに、みなの視線が一気に集まる。


「翼が、消えていく……!」

「天使じゃなくなる、のか?」


 大きくなっていくざわめきは、再びあがった獅子の咆哮で一瞬にして静まりかえった。


――愛する者と共に生き延びてみせよ。命あるかぎりあらがえ。……そして、人間の子らよ。たゆまぬ足取りで、これからも私を楽しませておくれ。


 大きく翼をはためかせ、獅子が天より遙か高いところへと帰っていく。

 その壮麗な姿が消えると、広い空に暗雲がたちこめ、激しい雨が降ってきた。逃げ惑う人々の声を聞きながら、メイはジュエルに体重を預けた。


(やっぱり、身勝手だ)


 閉じていく意識の中、そう思う。

 自分たちは創造主の手のひらの上にいる。守護天使や聖職者たち、ブルネットが命を失ったことも、ジュエルと――人間にされた自分がこうして命尽きようとしていることも、全て戯れに過ぎないのだろう。


 それでも、ただひとつだけ。感謝したいことがある。


「エルさん。あなたに、出会えてよかった……」


 愛しい人の耳元に、そっと口づける。

 激しい雨に打たれながら、メイは静かに瞳を閉じたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る