4-2

 仕事を辞め、目的もなくビビアナ半島をのろのろと歩く。勇者を賞賛する声、城に女を囲っているっていう噂話、どれが本当なのかわからない。


 いつの間にかやってきていた勇者城の跳ね橋の手前には、派手な格好をした若い女がいた。


『勇者様に会いに来たんだけどぉ~、早く通してくれる?』


 甘ったるい声で得意げに名乗ったそいつを、兵士たちは周囲の目を気にしながらそそくさと城門へと案内する。

 それを見た瞬間、ブツンと何かが音を立てて切れた。


 気分が悪くなって、船着き場に着いた途端に俺は嘔吐した。苦い味が口いっぱいに広がって、涙が滲む。そのとき、気付いてしまった。

 悪態をつきながら、俺は心のどこかでいつだってあいつのことを信じていたんだ。


 ステラ宝石ジュエル――。

 俺たちの名前を考えたのはあいつで、宝物のように愛してくれた記憶は嘘じゃない。

 母さんが死んでから、なにかに取り憑かれたみたいに人助けに力を注ぐあいつを見て、違和感を覚えたのになにもできなかった。どこにも行くなって言えなかった。……どうしても、素直になれなかった。


 そんな自分が、あいつ以上に嫌いで。だけど、今度会ったときには「おかえり」って言おう。そう思っていたのに――裏切られた。


『……アニオス港まで、一枚』

『あいよ。……お兄ちゃん、大丈夫かい……? 顔色が悪いよ』


 硬貨と引き換えに舟券を受け取り、無言のまま小型船に乗り込む。

 行き先はル二カ教会に一番近い港で。自分の間違いに気づいたのは、船が出航してからだった。


 親父あいつを連れ戻してくるって息巻いて出て行ったのに、どんな顔をして帰ったらいい? 俺たちは今度こそ捨てられただなんて、ステラに伝えられるはずがない。

 いっそのこと、しばらく帰らない方がいいんじゃないか。

 そうすれば、クソみたいな真実は知られないまま。ステラは、いつか俺とあいつが一緒に帰ってくるって信じていられる。


 そばには家族がいるから一人きりじゃないし、今まで稼いだ金はおいてきたからよほどのことがなければ生活にも困らないだろう。

 ……そうだ。それがいい。あそこに帰るのは今じゃない。  

 




 メイに出会ったのは、それからひと月ほど経った夏の終わりだった。

 珍しい髪色。そして背中から生えた透明な翼を見て、一目で蕾の子だってわかった。だけど、自分にも天使の血が流れているからって、親切にしてやる義理はない。


 最初は黙って素通りするつもりだった。それなのに、あまりにも頼りなさげにとぼとぼ歩いているからつい声をかけてしまった。


『おい、そこの天使』


 振り返った瞬間に目が合う。思わず息をのんだのは、澄んだ色だと思ったからだ。泣いていたのか潤んだ瞳は、今まで見た中で一番綺麗な薄茶色をしていた。 


 見惚れたことをごまかそうと、「迷子なんだろ?」とか「どこに行きたいんだよ?」とか、ぶっきらぼうに言葉を続ける。ル二カ教会って名前が出たときにはどうしようかと思ったけれど、なぜだか放っておけなかった。



 自分一人じゃどうしようもないくせに遠慮するメイを連れて、永遠とわの森を進んでいく。その中で、あいつが予想通り蕾の子だとわかった。「ル二カ教会で暮らして、一人前の天使になるための訓練をするんです」と話してくれたときの表情は緊張しきっていて、先が思いやられるなと思ったことはよく覚えている。


 そして、こいつが教会で暮らすことを、ステラはきっと喜ぶだろうとも思った。

 今までも、何度か蕾の子に会ったことはあった。だけどそれも幼い頃の話だし、守護天使だった母さんにくっついて教会に行ったときに、たまに遊んでもらった程度の話だ。

 だけど、今回は違う。教会で暮らす家族になるわけだし、蕾の子は不老長寿である天使のなかでも生まれたての十五、六歳。同年代だから、きっと話も合う。


 切れ長の奥二重で馬鹿が付くほど真面目、おまけに堅物で口数が少ないステラは人に誤解されがちで、親しい友人なんていなかった。だけどきっと、一緒に過ごす時間が長ければ仲良くなれるはずだ。そう思うと、自分のことみたいに嬉しくなった。


『……あ』


 メイが足を止めたのは、そのときだった。


『どうした?』

『あ、ごめんなさい! その……わたしの花が咲いていたから、つい』

『わたしの花?』

『ええと……天使は、花の蕾から生まれるんですけど……』


 もちろん知っていた。母さんは赤いアネモネの花から生まれたから、毛先がほんの少し紫がかった燃えるように赤い髪をしていた。

 そして、しゃがみこんだあいつの足下に咲いていたのは、淡い水色の花だった。星形の小さな花弁が、やわらかな風に揺れている。


『それで、わたしはこの、ブルースターから……』


 もごもごしてはっきりしない話し方は変わらないけど、こっそり見た横顔にほんの少し笑顔が浮かんでいることに気付いて心臓が跳ねた。『扉』の鍵もブルースターがモチーフになっていて、とても可愛いんだと少し打ち解けたときに教えてくれたけど、正直首元から出されたペンダントじゃなくて、また笑うかなってあいつの顔を見ていた。


 だけどあいつは笑わなくて、笑顔を向けてもらえないまま森を抜けたときはほんの少しだけ落胆した。

 別れ際に名前を聞かれて答えなかったのは、ル二カ教会のみんなに存在を知られたくなかったからだ。


『もしまた会えたら、そのときは教えてやるよ。それじゃあな』


 蕾の子の訓練は半年間だと聞いた。それまでに教会に帰るかどうかはわからないが、縁があればまた会えるだろう。

 そんな風に考えて、振り返りたい気持ちを抑えながら、元来た道を引き返した。



 だけど、日雇いの仕事をしながらふらふらと放浪の旅を続ける中で、ブルースターを見る度にメイを思い出して。どうしてか無性に会いたくなった。

 だから一度だけ。用事にかこつけて、ル二カ教会のそばまで行った。窓からこっそり教会の中をのぞき込んだとき、ステラとメイが楽しげに話している姿が目に入ってほっとしたんだ。


 二人とも元気そうだ。俺がいなくても、なんの問題もない。


 少しだけ感じた寂しさをごまかすようにして、稼いだ金をこっそり教会の玄関に置いてまたふらりと旅に出る。

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