3-5

 *   *


 満月が、丁寧に編み込まれた金色の髪を照らしている。


「――間違いなく。どうぞ、お通りください」 


 招待状を確認し終えた兵士に促されたメイは、軽く会釈をして勇者城へと続く跳ね橋を歩き始めた。垂らした後ろ髪が、ふわりと揺れる。


 きらびやかな女性たちや、かっちりとした礼服姿の男性たち。優雅さが漂う人々の波に混ざっても気後れしないでいられるのは、メイもまた別人のように着飾っているからだ。 


 身に纏っているのは、やさしい色合いをした水色のドレスだ。真珠の飾りがあしらわれた襟ぐりは控えめにつくられていて、ほどよく広がったスカートにはドレープがたっぷり入っている。

 その上から透け感のない白いパフスリーブのケープを羽織っているのは、首から提げた小瓶を隠すためだ。ハンドバッグに入れて持ち歩くよりも盗難に遭う危険性が低いと思い、普段通り身につけることにした。


 ドレスを着用するのはもちろん、化粧やヘアセットをした経験すら一度もなかった。そのため、カインが紹介してくれた婚約者の女性に一連の作業を手伝ってもらったのだった。

 その際、勇者を憎むアンナを気遣い、場所を変えてくれたことがとてもありがたかった。そしてまた、彼女のように心優しい女性がアンナたち兄妹のそばにいてくれるということに安堵したのだった。



(ここが、勇者城)


 月明かりに照られた城は、高さの異なる塔が折り重なった複雑な外観をしている。

 一番高い尖塔の頂点に掲げられているのは、純白の旗だ。あれが天使狩りで得た羽根で作ったという代物しろものだろう。

 外壁の色が白いことすら皮肉に感じられて、メイは視線を正面に戻した。


(……エルさん、もう到着してるかな)


 左右に控えたメイドたちは、みな背が高く洗練された佇まいをしている。そのうちの一人に再度招待状を見せて城門をくぐった。

 その先に広がっていたのは、すっきりとした印象を受ける庭園だ。

 城館まで続く並木道は橙色に染まっており、背の低い生け垣に囲われるようにして、真っ赤なサルビアや紫色のセージなど、秋の花々が咲き誇っている。


 とても美しい光景なのだが、メイの心は安らがなかった。

 天界に広がる生命力あふれる花畑や田舎の風景とは違い、人の手が加えられたという印象が強すぎてかえって緊張してしまう。


(たしか。エルさんは、青みがかった黒のコートを受け取ってたよね)


 点在する噴水が奏でる涼やかな音と、周囲を歩く招待客たちの談笑を聞きながら、メイは視線をさまよわせつつ足を進める。

 やがて、その歩みがぴたりと止まった。

 大きく見開かれた瞳に映ったのは、並木道から外れた場所に立つ純白の扉だ。両隣には、兵士が控えている。


(――『白百合の扉』……っ)


 蔓草や小鳥の紋様が彫り込まれた重厚な扉は、まるで元から庭を彩る造形物オブジェであったかのような顔をしてそこに立っている。


 招待客たちは急に足を止めたメイに不審な目をむけつつ、次々と横を素通りしていく。まさか天使がこの場にいると思っていない兵士たちも退屈そうに言葉を交わしており、『扉』に意識を向けているのはメイだけだ。


 いや、違う。


 進行方向から少し逸れたところに造られた、小さな噴水。その水の膜の向こうに、『扉』を見上げている男性の後ろ姿が確認できる。


 一つに束ねた黒髪と、青みがかった黒のフロックコート――。


 考える間もなく、メイは駆け出していた。水色のドレスを大きく揺らし、息を切らし、回り込むようにして噴水の向こうへと。


「エルさん……っ!」


 弾かれたように振り返った男性と、視線がかち合う。


「!? お前! どうしてここに……」


 聞こえてきた声は、やはりエルのものだ。しかし――。

 メイは大きく息をのんだ。口元を押さえ、一歩後ずさる。


「……嘘……でしょう?」


 ほんの少し吊り目がちな深緑色の瞳、右目の下の泣きぼくろ。すっと通った鼻筋、猫のようにきゅっと口角の上がった薄い唇。

 薄らいでいた記憶が鮮やかに蘇るほど、迷子のメイに手を差し伸べてくれた少年によく似ている。顔の左半分を覆う火傷の跡を除けば、瓜二つ――いや、同一人物としか思えない。


「エルさんは、あのときの……」


 メイは、やっとのことで声を発した。

 素顔を明らかにしたエルが、思い出したように小さく笑う。


「……ああ、そうだよ、俺たちは二年半前に一度会ってる」

「どうして教えてくれなかったんですか!? わたし、ずっと……ずっと会いたかったんです! ちゃんとお礼も言えてなかったし、名前だって」

「やっぱりそうか。……『ジュジュ』の話を聞いたときから気づいてはいたけど、このつら見ても名前がわからないなら、素性を隠す必要なんてなかったんだな」

「え?」


 何を言っているのだろう。小さく眉を寄せたメイに、エルが一歩近づいた。


「俺の名前は、ジュエル。ジュエル・ライラックだ」

「ライラック……」


 勇者ブルネットと同じ名字だ。そして、ステラとも。


「まだわからないのか?」


 エル――ジュエルが呆れたように笑う。


「何の用があるんだかしらないが、お前が探してる『ステラの双子の弟』は俺だ。ジュジュってのは、あいつが俺を呼ぶときの愛称なんだよ」

「!?」

「昼間言ったように、俺はお前を利用するために近づいた。羽根を持っていたからっていうのは、なにも小瓶のことだけじゃない。……お前の背中だよ。透明の翼が俺には見える」 


 だから、とジュエルは、突然メイを包み込むようにして抱きしめた。

 反応すらできないまま、首元に熱い吐息がかかる。



「今度こそ、利用させてもらう」



 それは一瞬だった。体が離れたかと思うと、痛いほど強く手を引かれる。そのまま駆け出したジュエルが向かう先にそびえ立っているのは、『白百合の扉』だ。


「!? エルさん!?」


 わけもわからないまま偽物の名前を呼ぶが、彼は止まらない。『扉』を守っている兵士たちが、弾かれたようにこちらを見た。


「!? なんだ、お前らは!」

「邪魔だ、どけ!」


 メイの腕を勢いよく引き自分の前へと押し出したジュエルは、逆の手に握っていた何かを『扉』に叩きつけた。  


「二度と戻ってくるなよ。お前なんて……」


 大嫌いだ――。


 吐き出された声をかき消すようにして、目の前に光があふれ出す。

 音もなく開いていく『扉』。背中を強く押され、メイはその中へと倒れ込んだ。

 崩れ落ちたままの体勢ではっと振り返った瞬間、ジュエルと目が合う。


 深緑色の瞳がやさしく細められた。


「扉が、扉が開いた! あの女は天使――翼が――」

「いい、間に合わん! こいつを――様に、天使を逃がした罪人として――」


 兵士たちが両脇からジュエルを捕らえる。


「!? やめて!」


 叫び、戻ろうとした。それなのに、『扉』が無慈悲に閉じていく。


「やだ! エルさんっ!」


 ジュエルはもうこちらを見ない。群がりざわめく招待客たちの方へと、両脇を兵士に固められたまま大人しく進んでいく。その手に握られているのは、メイが首から提げていたブルースターのペンダント――『鍵』だ。


「嫌! どうして……エルさんっ!」


 手を伸ばした瞬間、目の前が真っ白になった。  

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