3-4

「やだ! お二人とも、座ってください!」


 使い古した木製のトレイには、鮮やかな琥珀色をした紅茶と、皿に綺麗に盛り付けられた焼き菓子が乗っている。どちらも、この質素な家には似つかわしくない上質なもののようで違和感を覚えた。

 顔に出てしまったのか、テーブルにティーカップを置きながらアンナが苦笑いを浮かべる。


「これ、お兄ちゃんが勇者からもらったものなんです。あいつ、しょっちゅう新しい服を仕立てて……贅沢もいいところですよね」


 あいつ、そう言った口調は刺々しい。


「アンナ。そんなことを言うもんじゃない。あの方が俺の仕立てた服を気に入って重宝してくれているおかげで、こうして生活できているんだ。感謝の気持ちを持ちなさい」


 ちょうど配膳を終えたアンナが、信じられないものを見るような目を兄に向けた。


「感謝? あの人のせいで、お母さんとお父さんは殺されたんだよ。お兄ちゃんは悔しくないの? ……最低っ! 大嫌い!」


 全身で叫んだかと思うとトレイを床にたたきつけ、アンナは部屋の後方に向かって駆け出した。そして、そこにあった扉へと勢いよく入っていく。


「アンナ!」


 バタン! と大きな音を立てて扉が閉まる。


「……はは、申し訳ありません」

「いえ……」


 うまい言葉が見つからずに視線をさまよわせたメイと、無言のままアンナが消えていった扉を眺めているエル。そんな二人を見て、カインは静かに口を開いた。


「僕らの両親は、二年前、天使狩りに巻き込まれて命を落としました。父は牧師で……常駐していた教会で、守護天使様を庇って殺されたんです。母も、ちょうどその場に……。……あれは、勇者様の一声によって起こった出来事だったでしょう?」


 だから、と言葉は続く。


「アンナは、両親を奪ったかたきとして勇者様を憎んでいる」

「……」

「僕だって、もちろん、許すことはできません。しかし、申し分のない額のお給金をいただいているんです。……感謝せずにはいられませんよ」


 しん、と沈黙が落ちた。それを破ったのは、カインの明るい声だ。


「そうだ! パーティー用の衣装を差し上げたいのですが、受け取っていただけますか? 今から仕立てる時間はないので出来合いのものになってしまうのが心苦しいんですけど、もしよろしかったら」


 エルが頷いたのを見て、「少々お待ちくださいね! 男性用で、ちょうど似合いそうなものが部屋にあったはず!」とカインが意気揚々と部屋から出ていく。

 そうしてすぐ戻ってきた彼の胸には、確認したいことがあり仕事場からちょうど運んできていたというフロックコートが大切そうに抱えられていた。


「どうでしょう? この少し青みがかった生地がエルさんの髪色によく合うと思ったのですが。ああ、それと……」


 カインはとても仕事熱心なようで、一気に饒舌になりああだこうだとエルに衣装の魅力を語っている。そして「あと、その前髪は切ったほうがいいですよ。警備兵に不審がられるといけないので」と正論だが言いにくいことを簡単に言ってのけたため、案外大物なのかもしれない。


(……もしかして、エルさんの瞳が見られる?)


 そう思ったが、メイはパーティーに参加するわけにはいかない。それに、今の彼はメイに素顔を見られることなど望まないだろう。


(だけど、本当にどうしてエルさんはパーティーに……?)


 どうしてここまで気になるのか。自分でもわからないまま、ざわつく心をどうにかしたくて視線の片隅に入ったトレイを静かに拾い上げる。

 すると、思い出したようにちょうどカインが声をかけてきた。


「メイさんの衣装は、作業場から……ああ、拾っていただいてすみません! 近くの作業場から似合いそうなものを見繕ってきますので、少々お待ちくださいね!」

「あ! カインさん! わたしは……」


 パーティーに参加するつもりはないと言い出せないうちにトレイをするりと奪われ、やがてすぐに、玄関扉の閉まる音が響き渡った。

 その直後、コートを手にしたエルが歩き出す。向かう先は、カインが消えていったばかりの玄関だ。


「え? あ、あの!」


 エルがぴたりと足を止め、不機嫌そうに振り返る。


「何?」

「ええと……カインさんは? 待たないんですか?」

「用は済んだから必要ない。……そっちこそ、この島でのんびりしてる暇なんてないだろ。まさかパーティーに参加するつもりじゃないだろうな」


 鋭い口調に、あらためて嫌われてしまったのだという実感が押し寄せてくる。

 胸が痛い。とても苦しい。

 けれど悟られたくなくて、メイは逆に尋ね返した。  


「エルさんは、参加されるんですよね?」

「関係ないだろ」


 ぴしゃりと言い切られ、性懲りもなく胸が大きく痛む。

 たしかに、メイには関係のないことだ。けれど、今まで共に過ごしてきた日々は、好きだと伝えてくれた思い出は、記憶を取り戻したからといって「赤の他人」に戻ってしまうほど空虚なものだったのか。


 どうしようもなく悲しくて、悔しくて。

 しまっておこうと思っていた問いが口をつく。


「恋人は? 思い出したんでしょう? 早く探しに行かれた方がいいんじゃないですか? パーティーに参加されるなんて、どうして……」

「お前には関係ないって言ってるだろ」

「関係は……っ! ありません! だけどっ!」

「何? そんなに俺のこと気にして……まさか、散々好きって言われたもんだからその気になってたのか? ほんと、馬鹿で間抜けだな」

「――っ」


 凍りついたメイを鼻で笑うと、エルは身につけている麻布の服の襟元に手を入れた。

 そして、ためないもなく取り出したもの。それは、見間違えるはずない。メイの小瓶だった。

 純白の羽根が、そこにある。


「!? どうして、これを……!」


 返ってきたのは、たった一言だった。


「手」


 言われるままにおそるおそる右手を差し出すと、手のひらに小瓶が静かに置かれた。


「盗んだのは俺だ」

「――え?」

「俺は、優しい人間なんかじゃない。お前が羽根を持ってるのを知って、奪ってやろうと思って近づいたんだ。勇者に謁見するためにな」


(なにを、言っているの……?)


 音は耳に入っているはずなのに理解できなくて、言葉がすり抜けていくようだ。

 声を失ってしまったかのように、言葉が出てこない。


「お前、ぼんやりしてるからな。好意を持ってるふりでもすれば、すぐにふところに入れるって思ったわけ。好きだって言ったのも、記憶喪失だっていうのも全部嘘。……ああ、こってこての地方訛りもな。底抜けに明るい奴っていう設定を作っただけだ」

「……っ」

「これに懲りたら、もう他人を信用するのは止めろ。じゃあな」


 感情の読み取れない、固い声。エルはこちらに背を向け、今度こそ扉に向かって歩き始めた。


「――っ、待ってください!」


 気付けば、メイは駆け出していた。ドアノブに手をかけたエルの背中に縋りつく。


「何」


 なんて刺々しい声なんだろう。振り向きすらしてくれない。

 けれど、離れたくなかった。何か特別な事情があるはず、この人は悪人じゃない、心が声をあげている。


「……どうして、返してくれたんですか? 勇者に謁見して、何か叶えたいことがあったんでしょう……?」

「そんなこと聞いてどうする?」

「それは――」

「変な期待されたら困るから言っておく」


 エルはゆっくりと振り返ると、メイの腕を静かに引き離した。


「騙すのが馬鹿らしくなっただけだ。それに、パーティーに参加できるなら、羽根なんてなくたってどうとでもなる。お前を想って返したわけじゃない」


 どうだ? と、エルは唇を引き上げる。


「これでわかっただろ? 俺は最低な人間で――」

「そんなことありません!」


 勝手に言葉が溢れだしていた。口を開きかけたエルに被せるようにして、続ける。


「さっき、エルさんがわたしとアンナちゃんを助けてくれたのは事実です! 自分が罪に問われる可能性だって十分あったのに、身をていしてわたしたちを守ってくれたでしょう!?」


 必死に声をあげたメイは、前髪に隠れた瞳をじっと見つめた。


「それに、羽根だって返してくれた」

「だから、それは――」

「エルさんは優しい人です」


 沈黙が落ちた。やがて、エルが掠れた声で小さく笑う。


「……ほんと、めでたい頭してるな。俺がお前をこの島に誘ったのは、どうしてだと思う?」

「それは……羽根を献上して、勇者に謁見したかったからじゃ」

「それだけなら、ネリネ村で奪うなり何なりすればよかっただろ」 

「……他に、何か目的があったっていうことですか……?」


 その通り、と薄い唇が怪しく引き上げられた。


「羽根よりも、勇者あいつが喜ぶものがあるだろ? それは――」


 エルが詰め寄るようにして足を踏み出した時、ちょうど彼の背後で玄関扉が開いた。


「お待たせしました! ……あれ? どうなさったんです、お二人とも」

「邪魔したな」


 カインの肩にぶつかるようにして、エルが出ていく。


「え? あ、ちょっと! エルさん!? ……急に出て行っちゃうなんて、びっくりだなあ。もしかして、喧嘩でもされたんですか……?」


 気遣わしげな目を向けられたものの、心臓がドクドクと嫌な音を立てていて、曖昧に「いいえ」と返すことしかできない。


(エルさんは、わたしの正体を知っていた?)


 彼が口にした、『羽根よりも勇者が喜ぶもの』。それは、蕾の子であるメイ自身のことではないかと思ったのだ。

 しかし、人間に透明な翼は目視できない。どうやって見抜いたというのだろうか。


(それに、勇者城で一体何をしようとしているの……?)


 胸騒ぎがおさまらない。

 青ざめた顔のメイに、カインは場を取りなすように明るく微笑みかけてきた。


「衣装、似合いそうなものを二着お持ちしましたよ。もしよろしければ、合わせてみますか?」


 羽根が手元に戻った以上、もうこの島に残る必要はない。ジュジュを探すために、夕方の定期船で発つ以外に選択肢はないだろう。多少なりとも身の危険がある勇者の生誕パーティーに参加するなんて、もってのほかだ。


(……だけど……)  


 メイは、意を決して頷いた。


「――はい、ぜひ」

「わかりました。では、こちらにお願いします」


 カインはにこりと微笑み、両親が以前使っており今は作業部屋なのだという小部屋にメイを案内した。そこに並んでいたのは張り子の人形で、その中の二体にあてがわれたドレスは、まるでおとぎ話の姫君が着ているような可憐なものだ。

 しかし、はしゃぐことなんてできるはずがない。


(エルさんに、もう一度会おう)


 会ってどうするつもりなのか、自分でもわからない。それでも、このまま彼と別れたくない。別れてはいけないという確信がある。


 壁の向こうから漏れ聞こえるアンナのすすり泣きを隠すように、カインがドレスの魅力を明るく語る。彼の作り笑いを見ていると苦しくて、メイは手にしていた小瓶をスカートのポケットに隠しながらそっと視線を逸らした。


(ねえ、勇者。あなたは、こんな世界を作るために天使を殺したの?)


 今晩のパーティーで顔を合わせる機会があったとしても、まだ聞くことはできない。

 しかし、ブレスレットを渡すそのときが来たら――たとえ殺さることになったって、メイはステラの……そして天使たちの代弁者として尋ねるだろう。



 ひとりきりで生きるのは、本当はいつだって辛かった。

 だから、目的を果たして死ぬのだ。意味のある死を、ずっと無意識に望んできたのだから――。

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