第3話 秋子サンの事情

秋子サンはガーデンマンションの清掃員である。

マンションの管理会社に採用されて自宅から徒歩とバスで通勤時間30分ほどのガーデンマンションに短時間パートで派遣されている。


パートの清掃員はえてして最低時給賃金が多い。

一時期地下街で可愛い制服を着てお掃除と道案内をする若い人達が増えたが、それで生活が成り立つような収入があるのか心配である。

一般的には60代の低賃金、短時間で務める方がほとんどを占めている気がする。

今年60歳を超えた秋子サンも例外無く時給は861円、しかも交通費は何と!ない!のだ。

採用面接の時に交通費適宜支給の意味が良く分からず担当直入に交通費はどの程度出るか確認したが担当者はきっぱり出ないと言い切った。

なので往復のバス代金420円は自前である。深く考えずに決めたが一体自分の時給はいくらなんだと今更であるが考えるのも恐ろしい。

だが前職のホテルでメイクと清掃チェックをしていたが、よくよく考えてみるとサービス残業小一時間は当たり前だったから、たいした変わりないかも。

駅前の所謂シティホテルだったが勤務時間は9時から15時までだった。

そのホテルは交通アクセスの良さから海外からの団体客や修学旅行、ツアー客等で一年中満室であった。今から10年ほど前に一度、集客が激減、午前中で仕事が無くなり時給であるから収入が減るのは困る!とパートさん達から不安の声が上がった時もあったが、その一時期以外はインバウンドとやらでアジア、特に中国からの団体客が増加の一途をたどり築40年以上のホテルにしては賑わっていた。

客室清掃は通勤交通費は全額出たが時給は最低時給に限りなく近く残業も賃金に換算されない30分ぎりぎりまで働くのは当たり前、勿論仕事に追われて休憩時間等無いに等しい。水分補給とトイレで精一杯である。

有給も申請する人がいないのか使わないうちに消えたと言うのもこれまた普通であった。

きつい、汚い、安いの三拍子揃っているものだから誰も来るはずない。

常に人手不足だ。


何も知らず面接に来た人はほぼ採用されたがお試し期間中に激務に呆れて一日も持たない人が半分以上と言う状態で、何年も継続して務めている人は母子家庭やご主人が失業された等、忍耐強い苦労人が多かった。

苦労人だらけなのに女性が60人も集まると力関係ができ激務の隙間を縫って様々な仲間同士の諍いも日常茶飯事であり秋子サンが今まで経験した事の無い空間だった。毎日がワンダーランドである。


さてあまり気の強くない秋子サンが何故そんなメイクのパートをすることになったか、と言うとその前に8年務めていた小さな会社がある日、潰れてしまったからだ。秋子サンはこの会社で経理事務をしていた。

ここもどんな契約だったのか謎である。9時5時の週5勤務、昼休憩1時間だが電話応対のため外出禁止であった。一日5500円と言う日給であったが、ここでも有給の言葉も聞かされた覚えが無い。

パートの仕事に失業保険が付いている、有給があって実際取れる、なんて秋子サンに取って最近の話のように思える。

まだ子供達の教育費用がかかる時期であったから秋子サンは必死で焦った。

そしてなんとなく今度働くなら、経験の無い仕事で、身体を動かす仕事がしてみたい等と漠然と思っていた。

そこへ新聞の求人欄を頼りに中身も知らず客室清掃の採用面接に行ったところ明日から来てね!と熱く両手を握られ、その事に何だか物凄く感激して、それから約10年頑張って続けたと言う訳だ。会社の思うつぼだ。

そのホテルでは部屋の大きさにも寄るが9時半から15時までメイクさん一人で11部屋清掃平均とされていた。

勤務時間5.5時間のうち休憩時間が30分設定されていたが、取るどころではなかった。まだだと言うのに清掃が間に合わず待てないお客様を入り口に待たせて冷や汗をかきながら清掃する時まであった。が秋子サンは客室清掃員としては優秀であった。


たまに一部屋20分程度で仕上げる人もいたが、こんな人は希である。

魔法を使ってやっていると専らの噂で事実、自分の作業中は部屋のドアを閉め誰にも見られないようにしていて

新人さんが間違えて入ろうものなら

凄い勢いで怒鳴られていた。企業秘密らしい。

部屋に入ると3人くらいに分身してやってるのかも。秋子サンも覗いて見たかったが恐ろしい姿を見てしまいそうで出来なかった。

逆になかなかスピードが上がらず皆が15時30分平均で終わるところを17時までかかる人もいた。

秋子サンは幸い優秀で、また穏やかな性格を見込まれ入って清掃から早々に客室チェックに回されていた。

遅いのは、たいていは新人さんで物凄く丁寧に作業するか物凄く要領が悪いかのどちらかであったと思うが何せ時給である。

ひと月も積み上げると仕事が出来て早い人より遅い人の方が大幅に収入が多くなってしまう。

仕事が出来る人の中には自分が終わると休憩を取るより先に30分ほどでも遅い人を手伝う気の良い人もいれば、あからさまに嫌味をぶつける人もいた。

気持ち良く手を貸す人を秋子サンは純粋に尊敬し自分も余裕が有ればそうする事にしていた。

が、この不公平さは働く仲間の人間関係をなかなか複雑な物にしていた。

担当課長はこの状態をわかってはいたが、たとえ1人2人いや、3人遅い人がいようが1人でも辞めたら部屋の清掃数が上がるだけで全員の負担が増える貴方方の希望休みにも応じられなくなる、それでも良いの?と半ば脅しにかかる有様であった。

メイクさんは客室400室に対して常に50人程働いていて、どうしても足りない日は派遣会社から付け焼き刃の日雇いで人を補充していた。

ご主人の冬人さんは秋子サンから新しい仕事の様子を聞くたびに、そんな荒い職場では穏やかな性質の秋子サンは1週間持たないと思ってたが10年も続いたのは非常に意外であった。


秋子サンが勤め始めた10年前は夜のお仕事とダブルワークの人も何人か見かけた。仕事中は制服だが退勤時にたまたまエレベーターで会ったりすると綺麗にお化粧して毛皮を着たりして、おおっ!と思う事もあった。がやはり身体がきつかっだのだろう。ほとんどのひとが身体を壊して辞めて行った。時代の移り変わりを新人さんを見て知ることもあった。5、6年前くらいの事だったか50代で離婚して独身だと言う方が入ってきた時の事だった。

自分ばかりか娘も離婚して幼い子供を連れて転がり込んできたから働かなきゃ!と言っていた人が1週間で辞める事になった。その人曰く夜の仕事?の方が楽だし時給も倍だから、と。

夜の仕事と言うのはお酒を出す接客業ではない。

深夜のTVショッピングのコールセンターであった。商品がヒットするとボーナスも出るそうで、仮眠も出来る。聞けば時給もホテルの倍近い。

やってられない!と言って去って行った。

たしかに駅前で交通の弁も良く関東の大都市から比べると賃貸料も格安だったのか、その頃はビルのあちこちにコールセンターがどんどん出来た頃である。

なんだかつい昨日のでき事のようである。

仕事さえ出来ればホテルでは70代でもありがたがられたのだが、このコロナ禍であっと言う間に閑古鳥が鳴き始めてしまった。助成金の申請はいち早くしたみたいで自宅待機でも契約の8割ほどは支給があった。

しかし秋子サンのぎっくり腰は悪化の一途で騙し騙し働いていたし、もう何年も前から辞めたい旨を上の人に伝えていたが人手不足で何とか辞めないでと泣きつかれて辞めるに辞められずにいたのでコロナ禍は辞める理由に好都合で、しかもホテル側も今後いつ利用が戻るか予測不可能である。

余剰人員はお荷物だろう。秋子サンみたいな先の短い高齢者に会社側から辞めてくれとは言いがたいので秋子サンが辞めると告げたらまた両手を握りしめられ喜ばれて辞める事になった。

客室清掃では辛い事も多かったが、勿論悪い事ばかりでもなかった。

清掃中部屋の入り口に置いたバケツを蹴られた時にはめげたが素敵な人もいて秋子サンを何かと助けてくれ尊敬と信頼できる仲間に何人か出会えたのも秋子サンの財産である。


秋子サンは家庭の事情もあり働かずに家にいるつもりはなく身体の負担の少ない職場に転職するつもりであった。このコロナ禍と自分の年齢を考えると不安だらけだったが今時は世の中には60歳以上の為の求人誌まである。

それを頼りに有給支給の一ヵ月はゆっくり家で休んで就活を始めたが、ここで働けば私は若手じゃないかしらん?とガーデンマンションの清掃員募集に応募してみたところ前職がホテル清掃なのが評価され、その場で直ぐ採用して貰えた。いつから来れますか?と聞かれ実は交通費の事まで考え無いくらい嬉しかったのである。

その経緯を考えると会社の対応に不満も有るが簡単に辞めて次を探すのもよほどの事がない限りブレーキがかかる。

他に変わってもさほど待遇に変わりないような気もする。

色々思いながら玄関前の清掃していると通りかかった管理員のハタさんから秋子サン、雨ふってきたから、たいがいにしときな。交通費だって出ないんだからさ。と声がかかった。

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清掃員の秋子さん @ako025733

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