第6話 一葉落ちて天下の秋を知る
「ただいまー」と、言いながら私は小さな木造の家の戸を開けた。
靴のまま引き戸を開けて居間へ入ると料理の良い匂いが漂ってくる。
「お帰りなさい。ちょうど夕ご飯の支度が整ったところだから部屋に荷物置いて来なさい」と、台所に立つおばさんが私に向かって声をかけた。
「お兄ちゃん早く! 私もうお腹ペコペコだよ」
「分かった分かった。すぐ戻ってくるから待ってな」
机の上で可愛らしい声を出す少女ミーナに急かされ私は二階にある自室へ向かった。
机とベッド、それと数冊の本しかない簡素な部屋に入った私は着替えなどの入ったリュックサックを机の前にある椅子の上に置き、大きく伸びをしてから居間に戻る。
居間では既におじさん、おばさん、ミーナが食卓を囲んでおり、私はおじさんの隣に座った。
「リゼスタ、明日は夕飯までに帰って来れるのか?」
「たぶん帰れると思いますけど、何かありましたか?」と、おじさんの言葉に暖かいスープを飲みながら私は答える。
「何って明日はお兄ちゃんの誕生日じゃない!」
「あぁ、そう言うことか。大丈夫ですよ。帰って来れると思います」
「そうか、そりゃ良かった」
私の答えに嬉しそうな顔をするおじさんとミーナ。
家族4人で囲む食卓は楽しく、私は幸せというものを噛み締めていた。
そうして夕ご飯を食べ終わった私は自室に戻ってベッドの上に寝転がる。
満腹になって重くなった瞼を擦りながら大きく欠伸をする。
あの夜から丁度5年。
薄っすらと残っている記憶では確かにあの日私の魔眼は覚醒、いや、暴走した。そうして生き延び倒れていたところをアイザース様の屋敷に向かっていたおじさん、もといドナート・アバルキンに拾われることとなったのである。
あれ以来、私は質素ではあるが幸せな家庭の生活を送っている。
危険のない普通の生活。前世でも戦場に身を置き続けていた私にとってそれはとても新鮮で実に楽しい毎日であり、このままここで人並みに暮らし続けるのも悪くないと思えるほどだった。
しかし、いくら平穏な生活を望もうとも私が純血魔族である事実は変わらず、いずれは決断する時がやってくるだろう。純血魔族と人間の溝はそれほどまでに深いのだ。
また、ガルフラを殺した私をアルテナが放っておくとも思えない。この5年間は運が良かっただけであり、見つかるのも時間の問題だ。もしかすると明日アルテナ直属の魔族兵がこの家にやって来るかも知れず、その恐怖が寝ている私を揺り起こすのである。
おじさんたちを巻き込む事は絶対に避けなければならない。そう思いながらも行動に移せないのはやはりどこかこの家の家族に甘えているからなのだろう。心の中でもう少しだけと思ってしまう私の弱さが私をこの家に足止めさせているのだ。
私は1つため息をつく。
昔の私が今の私を見たらおそらく鼻で笑って馬鹿にするだろう。初めて味わう幸せな家庭の生活というものでここまで腑抜けになってしまうとは、幸せとはもしかすると人を駄目にする麻薬の一種なのかも知れない。
そんなことを思いながら私は眠りについたのであった。
翌朝、早くから私は仕事に出かけた。
家から歩いて一時間かけた所にある農家が私の仕事場である。
おじさんは働かなくて良いと言ってくれたが流石にタダ飯を食らう訳にもいかず、10歳そこらの少年が出来る範囲の仕事ということで知り合いの農家を紹介してもらったのである。
それから5年間、私はほぼ毎日その農家に通っていた。
農家の仕事は基本的には力仕事である。畑を耕し、収穫し、運ぶ。大変ではあるが、昔から体を動かすことが好きだった私にとっては天職の1つだったと言えるだろう。また、カーヴァインの屋敷に籠っていた為に細く弱かった私の体が逞しくなっていくのはありがたいことだった。
農家で過ごした5年の月日は私の体を強く丈夫なものに育んだ。
作業は朝7時から午後4時までの9時間。
軍に所属していた前世の頃に比べると非常にホワイトな職場であり、今日も気持ちいい汗を流しながら私は農業に取り組んだ。
時折飲み物を持って様子を見に来る農家の主人と軽い世間話をしながら、私は広い畑を黙々と耕す。
そうこうしていると、不意に頭上を大きな影が横切った。
はるか上空から聞こえる甲高い鳴き声。見上げた先、青く透き通った空に飛んでいたのは龍であった。
雲の高さを飛んでいるため色までは分からないが、その大きな翼と長い尻尾を揺らすそのフォルムは間違いなく龍である。
「珍しい」と、私は呟く。
龍はこの世界では遥か昔から存在していた古代種の生物であり、数も少なく古くから守り神として人々に崇められてきた特別な存在であった。
しかしながら、純血魔族にとっての龍はあまり良いイメージがない。何故なら龍と魔族は敵対関係にあるからだ。
一説によると昔は龍と悪魔が争っていた為だとか言われているが真相は分からず、また、その龍の習性を利用して人間側が魔族との争いに龍を用いた為に龍と魔族の溝はなおさらに深い物となったのである。
一体何故こんな場所に飛んでいるのだろうかと私は思う。
野生の龍は数が少ないという事もあり人のいる区域には滅多に飛んでこない。その為、頭上を飛び去ったのは龍騎士の乗った人間を好いた龍であるということとなるのだが、龍の向かう方向に魔族領土は存在しない。
だが、戦闘目的以外で貴重な龍を駆り出す訳はなく、何か目的を持って何処かに向かっているはずなのだがこの農場の上空を通って行く場所などパスティオナ王国以外思いつかなかった。
リザール共和国からパスティオナ王国へ向かう龍。友好関係を結ぶ両国が戦争を起こすとは思えないが、妙な胸騒ぎが私の中で燻った。
しかしまあ、何かあったとしても私の生活に支障が出るのはもっと先の事になるだろうと思い私は農作業に戻った。
午後4時。仕事を終えた私は農場主に挨拶をして帰路に着いた。
太陽は多少傾いているがまだ高く、葉の影が揺れる森の中の道を歩きながらそろそろ潮時なのかも知れないと私は思う。
もしも先ほどの龍騎士が本当に戦争の先触れだとするならば、その二カ国の間に位置するおじさんの家にも火の粉が降るだろう。その時に魔族の私が居ては確実に話が拗れる。
おじさんは私を行き倒れの混血魔族と思ってくれているが、国の調査が入れば純血魔族を匿った魔族側のスパイとして処罰されてしまうだろう。
ただでさえリザール共和国からライニッヒ・アイザース領土への使節を請け負い、双方の過激派から恨みをかっているおじさんに純血魔族絡みの問題は御法度だ。
そんな恩を仇で返すようなことはしたくなく、ならば、やはりこの辺りが引き時なのだろうと私は思う。
問題はその後どこに行くかだが、暫くはリザール共和国で考えよう。最後の甘えでおじさんに入国許可証を発行して貰えば血液検査も受けなくて済むだろうし、混血魔族を受け入れているリザール共和国ならば下手な行動をしなければ純血だとバレる心配もない。
「よし、そうしよう」と、私は躊躇いを吐き出すようにして強く呟いた。
そうして歩くこと數十分。家に近くに連れて私は違和感に気づく。
喧騒とでも言うのだろうか。静かな森の向こうから人工的な物音が微かに聞こえてきていたのである。
家の方向という事もあって心配に思った私は足を早めた。
そして家の近くまで来た私は言葉を失う。
外から見ても分かるほどに家が荒らされていたのだ。
私はすぐさま家の前まで駆け寄り開いたままだった玄関の敷居を跨ぐ。
家に入ると同時に奥から漂ってくる異臭に私は顔を顰める。
吹き出る汗と早くなる心臓の鼓動。私はその臭いを知っていた。前世、軍人として戦場に立っていた頃に幾度となく嗅いだ臭い。
それは血の臭いであったのだ。
血の臭いとともに家の奥からは数人の男の話し声や笑い声が聞こえてくる。
久しく忘れていた手の震えるような緊張感をどうにかなだめながら私はゆっくりと奥の居間に向かって近づいた。
その時であった。
背後から何者かに肩を掴まれた私はそのまま殴られ意識を失ったのである。
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