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 話し込んでいるうちに球皮はどうやら膨らみきったらしい。殿下たちは作業員とともにロープやゴンドラの強度、バーナーの出力と操作感を入念にチェックしている。

 見上げれば、無数のロープが球皮の中で複雑にめぐらされているのがわかる。

 球皮のはいべんにつながっているロープを引くか、バーナーの火力を変えることで高度の調節ができるという。

 あとは風まかせに、こうがいまで進む旅程なんだとか。

 操作、してみたい……! 頼めばちょっとくらいはさわらせてもらえるかしら。

 目を輝かせてギルベルト殿下を見やると、私の考えなんてお見通しだとばかりにため息をつかれてしまった。

「はあ……まあ、こういう令嬢だと思わせた方が、話が早いか」

「何の話ですの?」

「こっちの話だ。操縦したいんだろう、気流が安定したあたりで俺から話をふってやる」

 なんとかんような婚約者か。

 向けられたてのひらに手を重ね、手を引かれながらゴンドラの縁に設置された階段を上がる。

 中に入るなり、感嘆のため息がれた。

 例えるなら遊園地にあるコーヒーカップだろうか。それも、ごうけんらんな。

 出入口こそついていないが、ゴンドラ内はぐるりとソファになっていて、階段下には備えつけのチェストが、中央にはティーテーブルまでついている。

 ゴンドラの壁板の高さは立ったときのかたほどだが、座ったままでも外が見渡せるよう、四方に小窓が開けられているようだ。

 中は思ったより広く、すでにファルス殿下とエレノア嬢が座っているというのに、まだ十分なスペースがある。

 これが、気球……?

 私の見知ったものとは、遊覧ヘリと自家用セスナくらいごうしゃぶりに差があるぞ。

 目をまん丸にしながらもどうにか腰を落ち着けると、操縦士が拳を高くかかげて回した。

 どうやらそれが合図だったようで、ゴンドラをつなぎとめていたロープが外され、体がゆう感に包まれる。

 バーナーがごうとうなるたびにじょじょに高度を増し、窓から見える地面が遠のいていく。

 小窓から顔を出すと、庭園が角度を変え、整然とした美しさを見せた。

 さきほど通った花の回廊に、馬車のう正門と、見知った場所をとらえて嬉しくなる。

 あれはたんれんじょうだろうか、騎士たちがけんを交える様子を眼下にのぞむ。

 王城をぐるりと囲む木々の向こうには、れんせっこうでできた街並み。

 街の奥をゆったりと川が流れ、汽車がこくえんを長くばしている。

「あまり身を乗り出すな。見ているだけできもが冷える」

 そでぐちをくいと引かれ、居住まいを正す。

 つい、車窓にへばりつく子どもと化していたわ。

 向かいではファルス殿下とエレノア嬢が仲良く小窓をのぞいている。

 みなめいめいに窓からの景色を楽しんでいるのに、ギルベルト殿下は片手でテーブルの端をつかみ、中央を見つめたままどうだにしない。

 気球に乗り慣れているというよりは、むしろ逆のような。高いところが苦手なのか?

「お顔が青いようですが、ってらっしゃいます?」

 前髪をすくげて顔を覗き込むと、殿下はぐんと顔をそらした。

「べ、つに、ただまあ少し……浮遊感に慣れないだけだ」

 つまり酔っているわけでも、高所が怖いわけでもないと。そう言い張るわけですね?

「まあ。横になれば少し落ち着かれるかしら。おひざでよろしければお貸ししますわ」

「なっ、だ、誰が……っ」

「何を今さら。この間だってお使いになったでしょう?」

「……は?! この、バカ……っ、違いますよ兄様、これは」

 殿下はぎょっとしたように私とファルス殿下たちとを見比べ、青くなったり赤くなったりしている。

 この前は自分からねだっておいて、バカとはひどい言い草じゃない?

「ギルベルトの意外な一面を見たな。私たちに構わず申し出に甘えるといい」

「いいえ、そのようなこと」

 かしこまるギルベルト殿下に、向かいからくすくすと小さな笑みが漏れる。

「こちら、ジンジャーレモンティーですの。温まりますし、乗り物酔いにも効きますわ」

 なんと。この状況をも見越して用意されたのか。さすがヒロイン。

 ふるまわれた紅茶をちびちびとめる殿下の隣で、私もごしょうばんにあずかる。

 しょうがのぴりりとした風味にレモングラスが加わり、さわやかでくせがない。

「こちら、とても飲みやすいですわ。エレノア様がお作りに?」

「はい。小さな頃から修道院に通っておりましたの。薬草の知識を取り入れてはおりますが、おずかしながら少しかじった程度ですわ」

 なるほど、修道院といえばこの世界での医療に欠かせない存在だ。

 エレノア嬢はその道からの参戦になるのか。

けんそんがすぎるよ。この傷もエレノア嬢の薬でずいぶんと良くなったというのに」

 そう言ってファルス殿下が自身の額にれる。

 傍らへと向ける瞳は柔らかく、それを受けてエレノア嬢の頰がももいろに染まっていく。

 なんぴとも立ち入ることは許されぬ、二人だけの世界。

 操縦士が同乗しているとはいえ、私が来なければこの中にたった一人で加わろうとしていたのか……勇者だな、ギルベルト殿下よ。

「……兄様、リーゼリット嬢は事情に明るくないのでは?」

 突然こちらに話がふられ、カップの中身をこぼしそうになってしまった。

 で、殿下〜〜〜っ!

 いらない気遣いだよ、元気になったなら私と外でも見ていよう??

「ああ、これは失礼を。はいりょに欠けていたね」

 私のことはお構いなくとは言えるはずもなく、まばたきで返すしかない。

「少し前に、命を落としかけたことがあってね、これはそのときの傷なんだ。その際にエレノア嬢が救ってくださったんだよ」

「まあ……そのようなことが」

「誰も見たことのない手法だったそうで、医者たちも驚いていたよ。その場にいた大人たちを指揮して、自らのていしゅくかえりみず私に息を吹き込んでくれたのだという。それなのに、名乗らず立ち去ろうとされた。ゆうかんで優秀な上に、つつましくて素敵だろう?」

「まあ、素敵ですわね……」

 も、ものすごく身に覚えのあるお話なんですが……そんな美談だったかな。

「どうにか見つけ出したくてギルベルトに頼んでかみかざりをおくるよう頼み、茶会を開いて。その後はリーゼリット嬢もよく知っているね。僕が無事でほっとして名乗り出てくれたそうだよ」

「そうだったのですか〜」

 流れ出るや汗に、相槌を打つことしかできぬ。

 ファルス殿下からしてみれば、婚約者まんでしかないのだろうけど、これでは……。

 ちらりと目をやれば、エレノア嬢の表情がみるみるかげっていく。

 で、ですよね。自分がしたことでもないのに、こんな風に持ち上げられればきつかろう。

 しかも、この分だと他の人の前でも言ってそうだ。

 ギルベルト殿下の言っていた『無理をしている』って、こういうことか。

 わざわざ話をふったのは、さっき私がやきもちをいたと思い、現状を理解させて安心させようとしたのか?

 それならば、ちゃんと助け船も用意しているんだよね?

 そうだと言ってくれ、とばかりに念を込めた視線を送るが、ギルベルト殿下は我関せずといった具合で、楽しげに話すファルス殿下に相槌を打っている。

 こいつううっ、エレノア嬢というれんなご令嬢が困っているというのに……っ!

 どうやってこの話題を切り上げようかと思案していると、突然ゴンドラが大きく揺れた。

 テーブルの上のカップがたおれ、テーブルクロスを赤く染める。

「きゃあっ」

「何事だ」

「も、申し訳ございません。鳥か何かがぶつかったようで……」

 操縦士が青い顔で見上げる先。球皮の一部に穴が空き、そこから空気が漏れている。

「逆側のフリップを開け、水平を保つように試みます。ですが、かじりは厳しく……」

 つまり、破れた風船みたく、しぼんでいくということか。

 高度が下がることはあっても、上がることは望めない。

ついらく』という文字が頭に浮かび、一気に血の気が引いた。

 この下に水場があれば、あるいは。

 そう思い、外を確認しようと端に寄ると、同じことを考えたのだろう。

 いち早く外を覗き込んでいたファルス殿下がエレノア嬢を引き寄せた。

「木にぶつかる! 姿勢を低く、何かに摑まれ!」

 ギルベルト殿下が即座に反応し、私をかたうでに抱えて倒れ込むようにその場にせた。

 いっぱくおいて、体にしょうげきが走る。

 木々の間をゴンドラが引きずられ、枝葉がった。

 ゆかを転がる茶器と、茶器同士が合わさり割れる音。上がる悲鳴。

 揺れのたびに小さく体が浮き上がり、いつ外に放り出されるかと怖くなる。

 目の前の体だけがたよりで、ぎゅうとしがみつけば、その分強い力で返される。

 私を包むその腕が絶対に助けると示しているようで、殿下の存在を頼もしく感じた。

 どのくらいそうしていたのか、ようやくゴンドラの動きが止まる。

 辺りを枝葉に囲まれ、きしむような揺れが続いていることから察するに、木の幹にでも引っかかっているのだろう。

 まだ宙に浮いた状態ではあるものの、枝葉がクッションとなり落下の衝撃が最小限ですんだとみえる。見回せば誰一人欠けておらず、大きなもなさそうだ。

 私にかぶさっていた殿下も皆の無事を確かめ、ほうと一息つくのがわかった。

「殿下、ありがとうございます」

「っ、大事ないか」

 緊張にこわばる腕を解くと、すぐに身を起こし気遣ってくれる。

「無事ですわ。殿下も?」

 アッシュブロンドの髪についていた葉をはらあんに微笑むと、殿下は照れが一気に来たのか、はじかれたように飛びのいた。

「と、とりあえずここを出るぞ。まずは高さの確認を……」

 小窓から下を覗き込む横顔は赤く、動揺からか床に転がるカップにつまずいてすらいる。

 かばってくれたときは頼もしく感じたのに、この格好のつかない感じとかわいらしさが、殿下が残念なイケメンたる所以ゆえんだ。


 墜落を免れたことに加え、殿下の様子もあってほっこりしていたのだが。

 いぶされるようなにおいと、ぱちぱちとぜる音に背筋がこおる。

 バーナーの火が、球皮に燃え移っていたのだ。ひしゃげた球皮が木々におおいかぶさり、たちまちのうちにゴンドラの上部は生木の燃えるけむりと熱に包まれた。

 出入口はゴンドラの上部だ。へきめんに開いた小窓はとてもだっしゅつできる大きさではない。

 ゴンドラ内に閉じ込められ、ぞっとした思いで頭上に立ち込める煙を見上げる。

 このまま燻され続ければどうなってしまうのか……。

 バキリと木の軋む音に振り返れば、殿下たちがふところから取り出したたんけんを壁に突き立て、ゴンドラの壁板をがしにかかっていた。

 がんじょうな造りだが、浮いたしょからてこの原理で外しているようだ。

 力を入れるたびにゴンドラが軋み、大きく揺れる。

 その傍らでは、操縦士がロープでそくせきいのちづなを作っているようだ。

 ぼうぜんとしている場合じゃないわ。

 無事に脱出できたとしても、気道熱傷にでもなれば対処のしようがなくなる。

 今ここで、防止策をとらなければ。

「皆様、姿勢を低くして、煙を吸い込まないよう」

 紅茶でれたテーブルクロスに、床に転がっていたポットの残りをぶちまける。

 布地に歯を立ててき、五つの帯状にして、そのうちの二枚をエレノア嬢に差し出した。

「手分けして鼻と口を覆いましょう。まずはご自身に巻き、一枚をファルス殿下に」

 エレノア嬢は震える手で受け取ってはくれたが、すくんで動けなくなっている。

 立て続けに怖い目にったのだ、無理もない。

 こくだとは思うが、人手はいくらあっても足りないのだ。しっかりしてくれ。

「皆がせいかんするために必要ですの。私一人では対処がおくれてしまいます。お力を貸してくださいまし」

「は、はい……っ」

 エレノア嬢はじょうにも滲んだなみだをぬぐい、ファルス殿下の背後へと駆ける。

 そうして二人で全員の鼻口を覆うように巻きつけていった。

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