3-2


 国王陛下との謁見を終え、さきほどの騎士に連れられてわたり廊下をてこてこ歩く。

 ちなみにお父様は別件でお話があるとかで謁見の間で別れたため、私一人だ。

 賢王はこうしょうしゅわんすらもかんぺきのようで、あれよあれよという間に騎士団への伝達期限を設けられてしまった。それも、ひと月以内というけっこうな無茶ぶりで。

 期限内に終えればほうしょうきん以外で褒美をとのことだが、資金以外に何もかばない。

 なにせ伝達はヘネシー卿にらいする予定だし、実演を交えて行えるように心肺蘇生用の模型人形も作りたいのだ。予算は多いにこしたことはない。

 ただ、かんどうさわぎからまだ日も浅く、ぼうなヘネシー卿に頼めるかどうかもわからない。

 模型人形だって、製作者のつてはあれど、今は領地にいるのだ。前世とちがって密なれんらくも取りづらいし、材料だって異なるだろう。

 開発にも量産にも時間を要すことを思うと、期限内に間に合うのかどうか。

 褒美の話しかされなかったけれど、間に合わなかった場合はどうなっちゃうんだろう。

 か、考えたくない……。

 いろんな意味でしょうすいしきっていて、叶うことならもう家に帰ってしまいたいくらいだ。

 案内役という名の見張りをつけられたので、そうもいかないのだけれど。

 殿下たちが中庭で何か準備をしているらしいが、どのくらい歩くことになるのやら。

 ふと視線をやった初春の庭は、色づいていて目にも楽しい。

 ちょいブルー寄りになっていた私の心がおだやかにほぐれていくのがわかる。

 さすが王城のかいろうだわ。

 行きはきんちょうと動揺で景色を楽しむゆうすらなかったのもあって、まじまじと見てしまう。

「ロータス伯爵令嬢。次はこちらの角を曲がりますので」

 後ろからの呼び声に振り返ると、行き過ぎた角の手前で騎士が私を待っている。

「失礼いたしました」

 慌ててけ戻り、頭一個半くらい上にある顔を見上げる。

 きりりとしたまゆの男前だが、表情筋がめつしているのかと思うくらい無表情だ。

「ここより先、花を眺めることは叶いません。しばしご覧になっていかれますか」

「ありがとうございます。十分ですわ」

 こころづかいはうれしいが、十分癒された。

 この方だってひまじゃないだろうし、時間を取らせるのもしのびない。

 先をうながす私をよそに、青年はすっとこしをかがめ、その場にひざまずいた。

「改めて私からも、お礼を申し上げたい。もうお気づきかと存じますが、私はあの日両殿下と共にいた者です。ファルス殿下をお助けくださり、深く感謝しております」

 ……こ、これはっ! ご令嬢に跪く騎士の図……!

 この所作、私からすれば立派な騎士にしか見えないんだけど、聞けばまだ騎士の一歩手前の、見習いみたいなものなんだとか。

 クレイヴ・フォン・ベントレーと名乗ったこの青年は、正しくは従騎士に属するらしい。

 たしか、ベントレーこうしゃくは先の戦いで大きな戦果を上げたいえがらだ。

 あこがれの光景に思わず感動に打ち震えてしまったが、長く跪かせたままというのはよろしくないだろう。

「お立ちになってくださいませ。そうかしこまらずともよいですわ。どうぞリーゼリットと」

 令嬢らしく微笑みを浮かべ顔を上げさせると、黒曜石のようなひとみとかち合う。

 前世できっすいの日本人だった私にはなじみ深いものだ。

 相変わらず表情はないものの、見れば見るほどせいかんな顔立ちをしている。

 …………乙女ゲームのこうりゃくキャラに騎士がいたような。……この青年なのか?

「あれ。君は、たしかギルベルトの……」

 おくの箱を引っ張り出そうとしていたところで、背後からかけられた声に飛び上がる。

 目の前のクレイヴ様がそくに立ち上がり、敬礼をしているのが視界のはしに映った。

 そりゃそうだろう。なぜかってそれは。

 声の主が、私にとってのちょうもんだからだよ!

「ごげんうるわしゅう。リーゼリット・フォン・ロータスでございます、ファルス殿下」

 くるりと体を反転させ、うやうやしくしゅくじょの礼をとると、殿下は楽にするようにとすぐに声をかけてくれた。

 久々に相まみえるファルス殿下は包帯が取れたようで、ずいぶんと顔色も良く見える。

 側にはエレノア嬢もいて、私を認めて目をかがやかせている。

「リーゼリット様、お久しぶりです」

「エレノア様、ごしております。お元気そうで何よりですわ」

 エ、エレノア嬢ー! 陛下のじんもん、大変だったね! 私むちゃくちゃこわかったよ……!

 手を取り再会の喜びを分かち合いたいくらいだが、ご令嬢としてこれもよろしくないのかとぐっとこらえる。

 いろいろ話したいことがあるのに、どこかで時間が取れないものか。

「ギルベルトに会いに来たのだね。きっと喜ぶだろう」

 にこりと微笑むファルス殿下は白を基調とした礼服を身にまとい、一段とまばゆい王子様オーラをかもし出している。

「本日は陛下にお目通りの機会をいただき登城いたしましたの。今しがたごあいさつを終えまして、ギルベルト殿下のもとに向かえるよう取り計らっていただきました」

「そう、では謁見の間から? それにしてはずいぶん……」

 ふと言葉を切った殿下が、私からクレイヴ様へと視線を移す。

 その視線を追うと、クレイヴ様は表情を変えることなくまぶたを下ろした。

 なんだろう、今のやりとり。

「ここまででいいよ、クレイヴ。あとは私が案内を引きごう」

 えっ、別にこのままで十分なんですが。

 むしろファルス殿下の案内はごかんべん願いたいくらいだ。

「いえ、お二人のおじゃまになってもいけませんし」

 慌ててかぶりを振るが、ファルス殿下はまったく聞き入れる様子を見せない。

気にしないよ。そうだね、エレノア嬢」

「はい、殿下」

 ふんわりとふくみのないがおを見せるエレノア嬢とは異なり、ファルス殿下の笑みにはを言わせない迫力がある。

 しかも、気のせいかな……『私たちは』にアクセントがついていたような。

 こんな調子でことわれるはずもなく、敬礼で見送るクレイヴ様に小さく礼を返した。

 エレノア嬢の隣に並ぶと、ほがらかに迎えてくれる。

 ここがおそらく一番の安全地帯だ。間違いない。

「殿下が手配してくださった気球に乗る予定ですの。ごいっしょできるなんて嬉しいですわ」

 き、気球?! 国王陛下が話していた準備ってこれのことか。

 ひえ……王族のデートともなれば、上空にさえ飛び出してしまえるものなのか。

 ふと背後に目を向けると、大きなポットをかかえたじょがつき従っている。

 布地でぐるぐると巻かれたあれも、何かの材料なのかな。

「あちらは紅茶ですわ。上空は肌寒いとお聞きし、温かい紅茶をご用意いたしましたの」

「まあ、てきですわ!」

 リーゼリット様もよろしければご賞味ください、とはにかむ姿が本当に愛らしい。

 エレノア嬢をはさんだ向こう側から、ファルス殿下の何か言いたげな視線を感じるけれど、下手を打って自分の身を危険にさらしたくはないため、そ知らぬふりで通す。

 エレノア嬢と他愛ない会話を楽しみ、ほどなくして目的地と思わしき場所に辿り着いた。

 さきほど見た花の回廊とは異なり、こちらの庭園では整えられた植木ががくようえがいている。

 その奥の広場で、二十メートルはあろうかという大きな気球が、ゆっくりとその身を起こしていた。五、六人ほどの作業員がロープを張り、気球の布地──きゅう──がふくらむのを助けているようだ。

 ギルベルト殿下の姿を木製のゴンドラ内に認める。殿下は私に気づくなり驚いた様子を見せ、ゴンドラのふちを飛び越え、こちらへと向かってきた。

「兄様。どちらでリーゼリット嬢と?」

「花の回廊で行き合ったんだ。父に呼ばれたらしい。案内役のクレイヴと共にここへ向かっていた」

「そうでしたか。……しかし、なぜまた花の回廊に」

「僕もあまりに遠回りをしているものだから、ついいさめてしまったよ。リーゼリット嬢も、弟のこんやくしゃとして誤解を招くような行動はつつしんだ方がいい」

 念を押すように言うと、ファルス殿下はエレノア嬢とともに気球の方へと去っていった。

 なるほど、あのやりとりはそういう……。

 クレイヴ様が案内のちゅうで花の回廊に立ち寄ったのをとがめていたんだな。

 状況から察するに、落ち着いてお礼を言える場所に移動しただけだと思うんだけど。

 もしくは、陛下との謁見で私があまりにも憔悴していたから、なぐさめにと立ち寄ってくれたんでしょうに、ファルス殿下は事情をご存じないから。

「また何かやらかしたのか」

 殿下はため息交じりに私を見やる。

 ただお礼を言われただけよと答えようとして、ふと言葉にまった。

 ……まさか、攻略対象かと疑ってまじまじ見ていたのを、見つめ合っていたと思われていやしないよね?

「クレイヴ様に跪いてお礼を言われたものですから、ついほうけてしまったのですわ」

「その場をもくげきされたというわけか。兄はあの日の記憶がまだ戻っていないからな、クレイヴがおまえに跪いていれば変に思うだろう。ごまかしたことでしんに思われたかもな」

 呟かれた内容にぎょっとなる。

 そりゃそうだわ。つうならば私とクレイヴ様との接点なんてないわけだし、従騎士がご令嬢に跪いていたら誰だって何事かと思うだろう。もうてんだったわ……。

「何か、フォローすべきでしょうか」

「安心しろ。おまえのこの数日のふるまいのせいで、兄は別の方向に疑念をいだいている」

 ……そ、それは、安心できることなのか。

「それで、陛下はどんな要件だったんだ」

「……かくにんと依頼、といったところでしょうか。何もかも、見事に全部筒抜けでしたわ」

 ろうの滲む声でそう告げると、殿下はわずかに視線を落とした。

「……悪かったな。ついていてやれなくて」

 なんとしゅしょうな。思わず目をしばたいていると、殿下はこちらへと身を寄せた。

「陛下は、あれをおおやけにすると?」

「それはございません。ありがたくも、陛下の胸の内に秘めてくださることになりましたの。エレノア嬢も陛下にご自身ではないと打ち明けていたそうですが、二人の問題だからと内密にとりはかってくださいました」

 そうかとあいづちを打つ殿下を目の端にめる。

 エレノア嬢に視線を移すと、ファルス殿下と一緒にゴンドラのそうしょくを眺め、穏やかな笑顔を見せていた。

「もしやこの件をエレノア嬢が気にしていらっしゃるのではと不安でしたが、ファルス殿下とも仲むつまじいご様子ですし、元気そうで安心しましたわ」

「そうか? 俺にはずいぶんと無理をしているように見えたが」

 私は今このときしか知らないけれど、そんな日もあるのだろうか。

 そしてそれを、ギルベルト殿下は感じ取っていると……。

「よく見ていらっしゃるのね」

「なんだ、気になるのか?」

 ……少しばかり咎めるような響きが入ってしまったのは認めよう。

 殿下のからかうような様子に口をとがらせてしまうけど、気にならないわけがない。

 原作小説の大前提はすでにくずれている上、主人公の中身はれんあいおんの私なのだ。

 乙女おとめゲームみたく、ギルベルト殿下がエレノア嬢にれ込むことだってあるだろう。

 そうしたら、私はいったいどうなるのって思うじゃない?

 問いには答えず、うらみがましげな視線を返すだけにとどめる。

 殿下は、私が反発すると思っていたのだろう。面食らったような顔を見せた後、視線を泳がせ、ほおをうっすらと染めただけで何も言わず足早にゴンドラへと向かっていった。

 その一連の様子をばっちり見てしまった私は──

「て、照れるくらいなら言わないでよ……」

 ゆるんでしまった口元を引きしめるのに、ずいぶんと時間を要したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る