2-5

 

 ナキアとともに出ていく先生を見送って、扉が閉まった音につめていた息を吐いた。

「……いったい何をやらかしたんだ」

 何かされた記憶はあれども、やらかした記憶はない。

「それが私にもよく……」

「おまえからの回答は期待していないから安心しろ」

 じゃあなぜ聞いたし。

「おい、そこの」

 ジト目を向ける私をよそに、殿下が呼びかけたのは、部屋のすみに控えていたカイルだ。

「ずっといたのだろう。何があったのか聞かせろ」

 な、なるほど、客観的な意見が……! これほど重要な証言はないだろう。

「いえ、私なぞには」

 かしこまるカイルに、二人分の無言の圧がかかる。

 しばししゅんじゅんしたものの観念したのだろう。

 小さくせきばらいをした後、伏し目がちにこう返ってきたのだった。

 曰く、私のしおらしい様子に男心を刺激されたのではないか、と。

「ほう……おまえにしおらしい一面があったとは驚きだ」

「……殿下は私のことを何だと思っていらっしゃいますの?」

 ちょうごうきんてきなアレとか言ったらはっ倒すからね。

 しかし……しおらしい、ねえ。ちょっと涙ぐんじゃったあれかな?

 相手が人慣れしてなさそうな先生だったから、ぐっときたとか……。

 というかこれ、私が何かしたことになるの?? おかしくない?

 弁解を求めてカイルを見やると、殿下は長めの息を吐いたのち、ソファにごろりと横になった。足はソファのふちから投げ出され、頭は私の膝の上。いわゆる膝枕の体勢だ。

 突然の出来事に驚いていると、殿下は憮然とした表情で口を開いた。

「……次の授業はいつだ」

 なんと、次も来てくれるつもりなのか。

「日曜はお休みで、二日おきに入っておりますの。次は週明けですわ。あの、来てくださるのですか……?」

「前にも言ったが、俺もそれほど暇ではない。おまえが城に来ないから仕方なくだな」

「私にだってそのくらいの分別はありますわ」

 二番目とはいえ王位けいしょうけんを持っているわけだし、勉強やら何やらいろいろあるのだろう。そんな中来てくれていることに感謝だってしている。城に行く気はとんとないが。

「なら少しは労ってみろ。この間のようにこのまま追い出すようなら次はないからな」

 そう言ってまぶたを下ろす。殿下の呼吸は深く、長い。

 このままひとねむりするつもりなのか。

 前回はこちらの用がすんだらさっさと追い返してしまったようなものだけどさ。

 ……労ってみろと言われても。

「頭を撫でても?」

「好きにしろ」

 そっと触れたアッシュブロンドの髪は想像よりも柔らかく、さらさらと手になじむ。

 好きにしろと言ったのは本当だったようで、何度撫でてもされるがままだ。

 おお……なんだろう、ちょっと感動。じょじょなついてきた野生動物みたいな。

 瞼の下りた顔は険が取れ、幾分幼く見える。こうして見るとやはり整っているなあ。

 ……顔にいたずら書きでもしてやろうかしら。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、って……」

 童心がうずき始めた私を止めるかのように、ノックとほぼ同時にセドリック様が入ってきた。開いた本を片手に持ったまま、なぜかこちらを見て固まっている。


 授業の様子を見に来てくれたのだろうか。それとも本当に聞きたいことがあったのか。

 もし前者なら丸くなったものだ。

「…………何してるの?」

 戸口からでは向かいのソファが邪魔で、殿下の姿は飛び出た足くらいしか見えないのだろう。殿下が膝の上に自分の腕をはさんで顔を上げ、ようやく互いを認識したようだった。

「セドリック様、授業はもう終わりましたの。こちら婚約者のギルベルト殿下ですわ。殿下、ヘネシー卿のご子息のセドリック様です。ちょっとした行き違いがございまして、屋敷に滞在されておりますの」

「君、いたんだ……婚約者」

「ええ、まあ」

 心底意外だって顔やめて、地味に傷つくから。

 利害が一致しただけのかりそめのものではあるけれど、まあ一応、対外的には婚約者なのだ。

「……しかも、殿下って……」

「……リーゼリット嬢が世話になっている」

 首の後ろへと回された腕に引き寄せられたせいで、私の上体が少しかぶさる形になる。

 この体勢少し苦しいし、今その演出いらないよとは思うが、殿下なりのサービス精神か。

 殿下、大丈夫。セドリック様には不要だから。

 ほら見てみなよ、バカップルおつみたいな据わった目になっているでしょう?

「失礼、邪魔をしたようで」

 セドリック様は一段と眉をひそめ、一礼をして去っていく。

 様子を見に来てくれたのかもしれないのに、お礼を言う間もなく扉が閉じられてしまった。

「親族というわけではないのだろう? こんぜんの令嬢がよその令息と一つ屋根の下なぞ、普通なら破談ものの醜聞だ。……聞くところによるとデートもしていたらしいしな」

 おっと耳が早い。あれはただの気晴らしだったんだけど、はたから見ればそう映るのか。

 ちょっと遊びに出るのも一苦労だな。

「普通の令嬢の分別など最初から期待してはいないが、あまり派手にやらかすな。横やりが入る」

 殿下は頭の後ろで腕を組んだまま、再びごろりと横になる。

「……膝枕の話も、お聞きになりましたの?」

 ふと浮かんだ疑問を投げかけてみれば、顔をしかめて腕ごとそっぽを向かれてしまった。

「………別にこれは、うらやましかったからなどと、そんな理由ではなくてだな」

 隠しきれていない赤い頰が覗き、思わずぐうと唸ってしまう。

 これ、答えているようなものだよね?

 ピンポイントでえをえぐっていくの、ほんとやめて。


◇◆◇


 先生はあんな状態だし、ヘネシー卿にもすぐにはれんらくできそうにないし、効果実証は焦らずいくしかないかと思っていた矢先。

「明日出ていくよ」

 どこかに出かけていたらしいセドリック様が、帰宅するなり私に言い放ったのだった。

「え……っ、ど、どちらに行かれるの?」

「もちろん、自邸だよ。さっき父様と話し合ってきた」

 知らない間に状況が好転していただと……!

「まあ! 和解されたのですね、安心しましたわ。ヘネシー卿は何と?」

「君の言う、専門医の道を認めてくれたよ。勘当もなくなった」

 よ、よかった……これで人様のご家庭をこわすなんて恐ろしいことはなくなったわ。

 セドリック様のことだから、私の言うことなんて聞きやしないだろうと思っていたけれど、認識を改めよう。

「……あとはまあ……ちょっと無理難題を言われただけ」

 言葉をにごしながら眼鏡のブリッジを持ち上げる様子に、まばたきを返す。

 ……ヘネシー卿の無理難題ってとんでもなさそう。聞くのがちょっとはばかられてしまうわ。

 まんざらでもなさそうな顔をしているから、セドリック様にやる気がないわけではないのだろうけれど。

「それにしても急ですわね。鉄は熱いうちに打てということでしょうか」

「あのね。婚約者がいるのに、いつまでも僕がすわってるわけにはいかないでしょ」

 な、なんと……! まさかの婚約者効果とは。殿下、いい仕事しすぎじゃない?

 そうかなるほど、これが常識というものなのか……。

「それで僕、この薬に取り組むことにしたから。いい薬なのに不安定で精製にも保存にも向かないからって、その後誰も手をつけていないみたいなんだよね」

 広げられた本は専門用語がずらりと並ぶが、ざっくりしたがいようならば私にも読めそうだ。

「微生物学ですのね、とても素晴らしいと思いますわ」

 こくこくと頷きながら拝見すると、どうやら十年以上も前に発見されたものらしい。

 その薬の名は。

 ぺ、ニシ……、ッ、ペ、……ペニシリン!?

 前世でも有名な人類初のこうせいぶっしつ! 原作小説で主人公が作っていた薬だよ!

 たしか共同研究者と一緒になって作っていたんだったわ。

 その共同研究者っていうのが、セドリ……ックゥゥゥ! あんたかー!

 …………ああ、うん、まあそんな気はしていた。

 病院関係者だし、あの小説の世界だし、心のどこかでなんとなーくそんな気はしていたけれども。なんで今まで思い出さなかったんだ、記憶力ほんと仕事して……。

 セドリック・ツー・ヘネシー、十四歳。乙女ゲームの攻略キャラの一人。

 くうの乙女ゲーム内では、悪役令嬢がぬすみ出す薬をヒロインとともに開発する人物だ。

 小説の主人公はむしろしゅじくとなって薬の開発に乗り出していたから、いいライバルみたいな位置づけだったのよね。

 私じゃ何の知識もないので、共同開発はおろかライバルにすらなれないんだけど、この場合どうしたらいいんですかね。とりあえず応援しとく?

 本を見やるなりどうもくして固まった私を、内容を熟読していると思ったのだろう。

 セドリック様は効能が書かれたしょを指さした。

「君は知らないだろうけど、この薬、感染症を防ぐんだ。いろいろ調べた中でこれが一番役に立ちそうだったから」

 いや、知っていますよ。前世でもものすごく有名なものだったからね。

 それこそ医療分野におけるダイナマイト並みの世紀の発見ってやつですよ。

 医療の転機がこの薬だと言ってもいいくらい。

 すごいな……これがシナリオの力というやつか。

 なんだかんだ原作小説と同じように進んでいくんだなあ。

 感心するようにセドリック様を見やると、なぜだか呆れたような顔をされてしまった。

「……あのさ、気づかない? 君の夢に添おうって言ってるんだけど」

 そう言われましても。言葉の意味がわからず目をしばたいてしまう。

「以前聞いた、君の医学を学ぶ理由。それにあの企画書。そういうことじゃないの?」

 違うなら他を探すけど、と言われて慌ててかぶりを振る。そのものビンゴだよ。

 この薬を作れない代わりに、ちょっとでも私にできることをって行動していたんだから。

「君にはこれでも感謝してるんだ。こうして進むべき道を見つけることができたのも、父様ときちんと話せたのも、全部君のおかげだから。僕にできるお礼はこのくらいしか浮かばない。……絶対に成功させてみせるから、見ていて」

 セドリック様は私をまっすぐに捉えて話す。その輪郭が次第に滲む。

 ぽろりと一粒こぼれた後は、溢れて止まらなくなってしまった。

「ちょっと、なにも泣くことないだろ」

 目の前でぼろ泣きする私に、セドリック様が慌てているのがわかる。

 だって、勘当されたままだったらどうしようって思っていたくらいだったのに。

 ペニシリンを選んだのが私の影響とか。まさかそんな、思わないじゃない。

 小説の記憶だってあやふやで、主人公のような知識も技術もなくて、いないはずの第一王子がいて。何もかも手探り状態の中で始めたことが、ちゃんと役に立っていたなんて。

 いつのまにか俯いていたらしく、とん、と額が何かに当たる。

 セドリック様が肩を貸してくれたのだ。

 頭をぽんぽんされて、また新たな涙が零れそうになり……はっとする。

「っこれは、しおらしい涙じゃないから! うれし涙だからね!」

 がばりと跳ね起きた私に、セドリック様はぱちくりと瞬き。

「は、なんだそれ」

 くしゃりと顔をほころばせたのだった。

 ……初めて見る笑顔のかいりょくたるや……ぐぬう。

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