2-2

 

 翌日、なぜかうっすらとくまの残るナキアに見送られ、カイルとともに馬車に乗り込む。

 向かう先は王都の東側に位置するヘネシーきょうていたくだ。

 ヘネシー卿とは、以前お父様に告げた医学のあて。誰あろう、自国医療の第一人者だ。

 この国の医療水準を確かめようと王立図書館をおとずれた際、ぐうぜんにもお会いしたんだよね。

 将来をえて医学の勉強をと語る私に、不勉強なご子息への良い刺激となると自宅に招いてくださったのだ。

 ものすごい幸運。さいさき良すぎて震えるレベル。医療系の試練をえていく上でも、効果実証をえんかつに行う上でも、この国の医療の実態あくひっこうだからね。

 しかも片眼鏡モノクルをつけたしんとくれば、そりゃあ勇んで向かいもする。

 末永くおつきあいいただけるよう、印象を良くしておかねばね!

 名家の令嬢よろしく、カイルに手を取られてしずしずと馬車から降りた私を、ヘネシー卿はご家族総出で迎えてくださった。

「このたびはお招きいただき、ありがとうございます」

「ようこそおいでくださいました。妻のアイーダとむすのセドリックです。ご挨拶を」

「主人からお話を伺い、楽しみにしておりましたの。どうぞおくつろぎくださいね」

 おくさまにゅうみをたたえた美人だ。ものごしやわらかな紳士然としたヘネシー卿と並ぶと、まるでいっついの絵のようで、ほうとため息が漏れてしまう。

「どうも」

 同い年だというご子息は、柔らかそうなブルネットの髪に、眼鏡の奥にはへきがんが覗く。

 ヘネシー卿はやはりけんそんされたのだろう。ねんれいよりも大人びたぜいの、利発そうな子だ。

 印象良くするぞと心中で唱えて笑顔を向けると、ふいと視線を逸らされる。

 うーん、ちょっとばかり、あいはなさそうだけれど。


「さて、何からお話ししましょうか。将来を見据えた医学の勉強をなさっているとのことでしたが、気になっていることがありましたら先にお聞かせください」

 カイルをひかえのに残してしょさいへと場所を移し、応接ソファにこしを下ろしたヘネシー卿がおだやかにうながした。

 その背後のほんだなには、王立図書館をはるかにしのぐ量の医学書が並ぶ。

 背表紙をざっと見る限り、ここでもやはり異国の書物がほとんどをめる。

 母国語で書かれた医学書はこのヘネシー卿の著書が多く、あとはほんやくぼんしかない。この国の医療水準を確認しようとしたがかなわず、図書館でほうに暮れていた理由がこれだ。

 比較的近年発行された異国の書物が多いことから他国の医療を積極的に吸収する風土が見て取れたが、翻訳には時間がかかるため、原著を読めなければ話にならないのだ。

「ありがとうございます。多々ございますが、まずは薬学と医学ではどちらの国の医療を多く取り入れているのかお聞きしたいですわ。最新の医療を正しく把握できるよう、語学の勉強を同時に進めたいと考えておりますの」

 私の言葉にヘネシー卿は満足げにうなずくと、本棚から何冊か引き抜いた。

しんりょうや手術については西方諸国、薬学は海を越え遠く南方の国からですな」

 ヘネシー卿いわく、この国の医学の基盤はユナニ医学といい、学ぶべき言語は主に三つ。

 辞書らしき読本をぱらぱらと拝見したが、残念ながらすぐにマスターできるようなしろものではなかった。

 また、内科やといった診療科の別がなく、看護も学問として確立されていない。

 検査技師などの専門職もなく、病院に勤務するのは医師・事務員・看護師、それに修道士だという。修道士がざいせきしているのは病院の前身が修道院だったことに由来しており、現在もほう活動のいっかんとしてかいになっているのだとか。

 専門職も専門診療科もないなら、この国の医療水準はしてるべしと思ったが、すいを使用した簡単な開頭術や心臓手術も行われているらしい。

「手術後の経過はいかがでしょうか。たとえば、死亡率などは」

「そうですね。術式にもよりますが、たい切断であれば四十パーセントほどでしょうか」

 よ、よ、よんじゅう…………。想像をはるかにえる死亡率におののく。

 前世でその周術期死亡率をたたき出したらまず間違いなくしょうだぞ。

 患者だって裸足はだしげるわ。

 早めに手術室の環境やせんじょう消毒の状況を確認して、次の検証にり込まないとだな。

「遠くからでもけっこうですので、手術の見学をさせていただくことは可能でしょうか」

 私の言葉にヘネシー卿は目をしばたき、まなじりを下げた。

「もちろんですよ。お望みとあらば、見学の手配をしましょう」

 あっさり許可が出たことに驚いていると、ヘネシー夫人が小さくいさめているのが見えた。

 医学生でもない会ったばかりの令嬢がするには、やはり無茶なお願いだったか。

「アイーダ。学びの場に早いもおそいもないよ」

 委縮しそうになっていた私の想いをってくださったのか、やんわりと夫人をさとす。

 ヘネシー卿、人ができすぎている……っ!!

「他にご要望はございませんか?」

 再びの促しに、手元へと視線を落とす。実は、効果実証の草案を持ってきているのだ。

 この草案を読めば、私の興味が看護師や修道士に向いているとわかってしまうだろう。

 これほどヘネシー卿が親切なのも、私が医師を志していると思っているためだとしたら気を悪くされてしまうかもしれない。

 とはいえヘネシー卿以外につてなどないし、協力をあおがなければ何も始められないのだ。

 内心ドキドキしつつ、草案をヘネシー卿におわたしする。

「これはおもしろい。全部リーゼリット嬢が?」

「統計手法については先生をつけていただいております」

「ふむ。……あなたの年齢で衛生学にも造詣が深いとは驚きましたな」

 どこか残念そうに微笑んでいることからも、私がじゅんすいに医学を志す者ではないと気づかれたのだろう。それでも、ヘネシー卿が私に一線を引いた様子は見えない。

「もしよろしければ、対象病院の選定にご助力いただきたいのです」

「同程度の規模の病院ですな。リストアップしておきましょう」

 どっしり構えて大きく頷く様が本当に頼もしい。なんていい方にお会いできたんだ……。

「セドリック。どうだ、たいへんにらしいご令嬢だろう」

「……はい」

 ヘネシー卿の言葉に、その存在を忘れていたことに気づく。

 夫人は時折あいづちを打ってくださっていたけれど、ご子息はまるで置物のように静かで、すっかり意識から抜けていたのだ。

 の外でつまらない思いをさせていたのか、挨拶を交わしたときよりも表情がかたい。

 少しくらい話をふるべきだったか……気がきかなくて申し訳ない。

「我が家は医学に通じたいえがらではないため、こちらの環境にはあこがれますわ。セドリック様は普段どのような勉強をされていらっしゃるのかしら」

 今さらながら愛想をふりまいてみたが、セドリック様は口元をわずかに上げるだけだ。

 お、おう……目が笑っていない。

「さて、私はそろそろ失礼します。少し仕事を残しておりまして。お招きしたというのにあまり時間が取れず申し訳ないですが、どうぞゆっくりしていってください」

「十分ですわ。貴重な時間をありがとうございました」

 慌てて立ち上がりお礼を言うと、ヘネシー卿も腰を上げ、柔らかく微笑む。

「セドリック、おまえにあたえた教材があったろう。リーゼリット嬢に見せて差し上げなさい」

 ご子息にも穏やかに声をかけられ、執務室へと退室されたのだった。


 セドリック様の部屋に案内された私は、おしゃべりに興じる……なんてこともなく、並んでソファに腰かけたまま、ひたすら教材とにらめっこしていた。

 さきほどの様子では打ち解けるには時間がかかりそうだし、話題なんて何も思いつかないし、時間は有限なのだ。

 次はいつおじゃまできるかもわからないのだから、今はただただ集中したい。

 こういうところが私の良くない部分なんだろうけれど、しょうぶんだからもう仕方ないわ。

 三十分ほどたった頃だろうか。となりからばさりと音がしてそちらに目を向けると、セドリック様が読んでいた本を投げ出したようだった。

「……もう何度も読んで覚えてるから」

「まあ、さすがヘネシー卿のご子息ですのね」

「はっ、……君、父様から聞いてないの? 俺がそこないの息子だって」

 とつぜんすさんだ物言いに、思わず目をしばたいてしまう。

 この様子だと、どこかで父親の言葉を聞いてしまったのだろうか。

 安易な否定はこの場合、逆効果になりかねないな。

「たいていの親は謙遜をするものですわ。私もお父様から何と言われているかこわくてうかがえませんもの」

 なるべく穏やかに返してはみたが、セドリック様の表情は硬いままだ。

「僕に君のような知性も熱意もないってことくらいわかるよ。……君みたいな子をよこして、あてつけのつもりなのかな」

「本の内容を暗記できるほど熟読するには、知性や熱意がなければ叶いませんわ。ヘネシー卿が私にお声をかけてくださったのも、セドリック様のよい復習になると考えてのことでしょう」

 不信感やさいしんいろにじむ、さぐるような目がこちらをひたりとえる。

 思いっきりけいかいされているわ。

 この状態で私が何か言ったところで響くものはないだろうけれど、少しでも心が軽くなるのなら。そう思い、言葉を重ねる。

「もし本当にヘネシー卿がセドリック様のおっしゃるように捉えておいででしたら、こうして私にしょうかいし、二人での学習の機会を設けるでしょうか。対外的な親の言葉などみにする必要はございませんわ。セドリック様が思うよりもずっとヘネシー卿はご期待なさって……」

「君に、何がわかる!」

 ぐっとむなぐらつかまれた拍子に、手にしていた本がばさりと落ちる。

 とっさのことにバランスをくずし、ソファのひじ置きへとたおれ込んでしまった。

 驚き仰ぎ見たセドリック様の顔は、いかりではなく苦痛に歪み、今にも泣き出しそうだ。

 胸倉を摑んだままの指は白み、小刻みに震えている。

 ああ……必死になってふたをしてきたものを、私がこじ開けてしまったのか。

 よく知りもせずに言葉をつむぎすぎたのだ。かけるべき言葉も見つからず押し黙っていると、あふれたなみだがほろりと流れた。私に見られたくなかったのだろう。

 セドリック様が私のむなもとに顔をうずめたところで、ちょうど扉が開いた。

「ッ、セドリック……! なんてことを……」

 そうはくになった奥様が、部屋の入口でくしている。

 今の私たちの光景が他者からどう見えるのか、よく考えるべきだったのだ。


「セドリック! おまえは、なんてことをしたのかわかっているのか!」

 せいとともに、頰を打つかわいた音が響く。あのおんこうなヘネシー卿が手を上げたのだ。

 セドリック様はなぐられた頰に手を当てうなれるばかりで、何か言う様子もない。

「あ、あの……」

「ああリーゼリット嬢、私がお招きしたばかりに……まさか息子が、このような、っ」

 夫人は泣き崩れているし、ヘネシー卿も涙を滲ませ言葉を詰まらせているのだが……残念ながら私だけ置いてきぼりをくっている。

 いったいなんでこんな大事に? 胸倉摑まれただけだよ?

 頭にはてなマークを飛ばしながらおろおろしている私の前に、ヘネシー卿がひざをついた。

「リーゼリット嬢はまだお若いのでご存じないと思いますが、このことがおおやけになればこんいんにも影響をおよぼしましょう。私共は決して口外することはいたしません。ですが、いったいどのようにむくいたらいいのか……」

 ん? これってまさか……殴るとかじゃない方の意味でおそわれたと思われている……?

「ち、ちがいます、誤解です! 私がセドリック様をおこらせてしまって、これこのように摑まれただけですわ!」

 自分で胸元を摑み再現しながら同意を求めて振り返るが、当のセドリック様はふいと視線を逸らせやがるではないか。

 何無視してくれてんだ、このバカ息子ぉ……っ!

 変に意地張るのは勝手だけどね、それだと私の傷物わくが深まっちゃうんだってば!

「……おまえはもう私の息子とは思わない。この家から出ていきなさい」

「えっ!」

 ううう、うそでしょ?!

 でもこの場で驚いているのは私だけで、言われた当の本人は何のていこうもなく、眼鏡を拾って出ていこうとしている。

 ちょっ、おいおいおいおい、なんでそこだけなおなんだ。

 わ、私のせいでかんどうとか、ほんとかんべんなんですけどぉお!

「お待ちください、本当に誤解なんです! どうか落ち着いて話し合いましょう!」

「リーゼリット嬢、あれに情けをかけることはおやめください。もう、私共に話し合う気など……っ」

 ……だめだ、これ以上話していてもらちが明かない。

 ひとまず今日はおいとまいたします、と言い置いて退室し、カイルを連れて馬車に駆け乗る。

 車窓から街中に目を走らせていると、その背中はすぐに見つかった。

「なんで訂正しないの! 勘当を言い渡されたのよ?」

 駆け寄る私にはいちべつもくれず、セドリック様はただ下を向いて歩き続けている。

 また無視かこのろう、とこぶしを握りかけたところで、小さな声が耳に届いた。

「もともと父様も見切りをつけたがってたし、いい口実ができてよかったんじゃない?」

 ちょうに笑う無気力な様子に、ぷちんと何かが切れたのがわかった。

 ぱあんと大きな音を立て、両手でセドリック様の頰を摑むと、痛みのためだろう小さな声が上がる。少しは生気の戻った目を真正面からねめつけ、腹の底からどすをきかす。

「今からうちに来なさい。いいわね」


 屋敷に着いた私は、とりあえずお茶でも飲んでなさい、と言い置いてセドリック様をナキアに任せ、お父様の執務室へ向かった。

 事のだいを伝え、状況が落ち着くまでセドリック様をうちにめるよう頼んだのだが。

 人様のお家事情をかき乱すなんておまえって子は、とずいぶんなげかれてしまった。

 うちのバカむすめが申し訳ない、とセドリック様にひらあやまりしていたから、謙遜うんぬんの話へのしんぴょうせいを増すことには成功したと思う。

 ちょっと……いや、かなり切ないけれど。

 お父様からヘネシー卿へお手紙も書いていただけることになったし、ひとまずは安心か。

 悲しいかな、こういうことは子どもがふんとうしたところでどうにもならないものなのだ。

 なんて日だとばかりにソファに身をしずめると、隣に腰かけていたセドリック様がぜんとした表情でこちらを見やった。

「君だって巻き込まれたようなものだろ。怒らないの」

「まあ怒ってはいるわね。おたがい何にも言わないで勝手にこうだって決めつけて、あげくこれだもの。……あなた、ヘネシー卿に言いたいことがあったんじゃないの?」

「別に何も」

 ……ちょっとくらいは優しく話を聞いたげようと思ったのに、これだよ。

「しゃべりたくないなら、何も聞かないであげる。その代わり、あなたは明日私と図書館に行くのよ。今日借りられなかった分の本を借りに行くわ。語学はたんのうみたいだし、私にわかるように教えなさい」

 腰に手を当て、びしっと指をさした私に、君の素はそれか、とあきれた声が上がったのは言うまでもない。

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