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 ……はい? 突然、何のじょうだんだ。単なる思いつきにしてもおたわむれが過ぎるだろうに。

 小説内で主人公と結ばれた相手だとしても、みゃくらくがなさすぎて意図が読めない。

「いえ、別によろしいですわ……」

「おまえのようなてんこうな令嬢に、まともなえんだんが来るとは思えないが」

 よしきた。そのケンカ、言い値で買おう。

 心の内でジャブを繰り出していると、殿下は腕組みをして柵にもたれ、取引とばかりに口の端を上げた。

「俺は第二王子だ、王室に入るとはいえ、多少は自由がきく。おまえの夢とやらも叶えることができよう。だがあの様子では、兄がおまえをにんしきすれば自由などなくなるだろう。俺がぼうていになった方がいいのではないか」

「私のメリットはわかりましたが、ギルベルト殿下のメリットはございますの?」

「当然だ。兄の相手が決まれば、次に縁談が山と積まれるのは俺だからな」

 そう答えた殿下はうんざりした表情を見せる。なるほど、利害のいっか。

 語って聞かせる夢なんてまだ持ち合わせていないけれど、小説ではこの王子との恋物語を中心に進んでいったのだ。婚約者になった方がこの先の展開がわかりやすいのだろうか。

 でも、婚約する時期はもっとずっと後だったような気がするんだよねえ。

 第一王子が助かったことで婚約時期が早まったのかな。

 もしそうなら、ここで婚約したとしても小説とはちがった展開になってしまうのでは。

 ツンデレこそ至高、が前世からの私のこうだし、主人公とこの王子のかけあいにきゅんきゅんしていたのも事実だから、楽しく過ごせそうではあるが……。

 ああでも、あの主人公だからうまくいっていただけで、今のリーゼリットは私なのだ。

 乙女ゲームの設定と同様に、ギルベルト殿下が後でヒロインにかれることだってある。

 その場合、私がヒロインに嫉妬する図式ができあがってしまうのか?

 わからない……どうするのが正解なのか、もう何も考えつかない……。

「……とりあえずお父様に相談しますわ……」

「そうだな。ロータス伯爵に近々会わせてもらおう」

 おい、それは相談と言えるのか。

「そうと決まれば善は急げだ」

 腰を浮かせた殿下が、しろぶくろをつけた掌をずいと向ける。

 ……お手か?

「違う。貸せ」

 訝しみつつ手を重ねてみたが、違ったらしい。

「兄は心を決めたようだし、それをつけたところで今さらどうということもないだろう」

 なるほどと頷いた私の手から髪飾りをぶんると、髪束をくるくるねじってつけてくれた。鏡がないため出来のほどはわからないが、ハーフアップになっているようだ。

「器用ですのね。……そういえばお礼もまだでしたわ。いりませんと突っぱねてしまいましたが、てきな細工で、一目で気に入ってしまいましたの。感謝しておりますわ。殿下は贈り物のセンスもありますのね」

 心からの謝辞を告げると、殿下はふんと鼻を鳴らして再び掌を見せた。

「……もう何も持っておりませんわ」

「だからだろう。行くぞ」

 そう言って手を取り先を行くギルベルト殿下の耳が、心なしか赤い。

 今ので照れちゃったのか〜と心臓にぎゅんとくるものを感じながら、私は広間へと戻っていったのだった。


 手を取られ連れていかれたのは、さきほどまでファルス殿下とエレノア嬢が踊っていたスペースだ。エレノア嬢は妃殿下、ファルス殿下と同じテーブルについている。

 えーっと、なんだろうね……そこはかとなく嫌な予感がするんだけれど。

 注目を浴びて笑顔がひきつる私をよそに、傍にいたギルベルト殿下の合図で再び演奏が変わる。ファルス殿下のときよりもアップテンポな曲調だ。

「おまえ、そういえば踊れるんだろうな」

 この場合、事前にりょうしょうを取るべきかと存じますが? 王子様よ。

 ジト目を向けそうになるが、我慢だ我慢。

 マナーのように体にみついたものは、どうやら問題なくできるようだし。

「ええまあ、それなりには……」

 それはよかった、と口の端を上げた殿下は左手を上げ、私を迎え入れた。

 両手を滑らせてホールドを組み、殿下のリードに合わせて体を動かす。

 社交界でもよく踊られるウィンナーワルツだ。

 定番のスリーステップで浮き沈みしつつ、右に左にとくるくる回る。音楽に合わせてドレスの裾がきれいに広がり、まさに花が咲いたかのようになっていることだろう。

 余計な力のない自然なホールドに、安定感のある重心の運び方。

 ギルベルト殿下のリード、むちゃくちゃ踊りやすい!

 しかも時折おおわざをぶっこんできたりと、まるで何かのアトラクションだ。

 背をそらして体が伸びあがるたびに、テーブルから小さな歓声が上がる。

 何これ、すっごく楽しい!!

「お気にしたか」

「ええ! とっても!」

 楽しそうな気配を感じ取ったのだろう。問いかけに思いのほかはずんだ声を返してしまった。傍でくつくつと小さな声が漏れる。

 うそ、今もしかして笑っているの?

 さっきから口の端で薄く笑うところしか見たことがないのだ。

 いったいどんな顔しているんだと振り返ろうとして、ぐいと大きく腕を引かれた。

「ひゃ、わ」

 ほとんど強制的にくるりと回転させられて、演奏しゅうりょうとともに一礼をする。

 拍手と歓声の中、導かれるよう隣へと顔を向け。

「おまえなら、そう言うと思った」

 楽しげに目を細め、いたずらが成功したみたいにくったくなく笑う殿下を目にしてしまった。

 ……あー、こういうギャップずるいんですけど……。

「お手をどうぞ、リーゼリット嬢?」

 殿下が肘を軽く曲げ、促してくる。

 少しばかりくやしい気持ちになりながら、開けられたスペースへと手を滑り込ませ、エスコートされるまま足を進めた。向かう先は、まあもうわかりきっていたけれど、やはりというか何というか、妃殿下と同じテーブルだ。

「とても素敵なダンスだったわ。見ているこちらまで踊りたくなってしまうような。ファルスにもギルベルトにもいい方が見つかってよかったわ」

 それはもう楽しそうな妃殿下に、のどかわいたでしょうと促され、味のしない紅茶を飲み下す。

 エレノア嬢がとっても嬉しそうにしているのだけが救いか。

「ギルベルトはどちらで見染めたのかしら?」

「少し風に当たりに行った先のテラスで。とてもかいな方ですよ」

「まあ、ほほほ」

 おいぃ、この失礼千万王子め! 他に言い方はなかったのか?

 許されるなら、この場でむなぐらつかんで揺すってやりたいくらいだ。

「……私、まだ了承した覚えはございませんが」

 ギルベルト殿下に耳打ちすると、しれっとした顔で言い返してくる。

「何を言う。私も母に『相談』したまでだが。たがいの親に言わねばフェアではなかろう」

 もう一度問おう、相談の定義とは。

 ああ、そとぼりからめられていく……家に帰ればお父様とお母様がもろを挙げて賛成するんだろう、きっとそうだ……。


 屋敷へ送ろうなどと言いだした殿下の申し出をていちょうにお断りして、うのていで帰宅すると、すでに先ぶれが届いていたようで屋敷中はだいえんかいの様相をていしていた。

 ……お断りできるわけがなかった。

 祝い酒をふるまおうとするお父様を引きがし、ドレスをいだところで力尽き、自室のベッドにダイブする。

 はんない情報量ととうすぎる展開のせいで、もう何も考えられない。

 ここよいシーツのはだざわりとぬくもりに、そのまま意識が遠のいて……いこうとして、がばりときた。

 小説のぼうとうを、思い出したわ。

 私と同じタイミングで前世の記憶を取り戻した主人公が、ファルス殿下の救助をヒロインに一任しようとして、街中散策を避けたのだ。

 その結果、ファルス殿下は助からず、国葬からのスタートに至ったと。

 以降は主人公が先んずる形で対策をとり、がいを食い止めていた。

 それすなわち、物語の主人公たる『リーゼリット』が逃げれば、人が死ぬということだ。

 だんぺん的に思い起こされるエピソードが、私を責めるかのようにおそってくる。

 押し寄せる負傷兵、まんえんする疫病、限りある物資での最善の治療──

 今は平和なこの国だけれど、私がデビュタントを迎える年に隣国との争いが始まってしまう。薬が完成しなければ、適切な治療が行えなければ、救えるはずの命が失われてしまう。

 私に婚約を持ちかけたギルベルト殿下もしかりだ。

「なんって世界に転生しちゃったの…………」

 頭を抱えてうなりたくもなるけれど、わめいたところで状況は変わらない。

 もうこうなったら腹をくくろう。

 医師ではないから、悪役令嬢の役回りはこりごりだからと逃げおおせて、たとえへいおん無事に過ごせたとしても。憂いなく笑えるわけがないのだ。

 私が何もしないせいで、人が死んでいるとわかっていて。

 主人公と同じ医学知識や技能は持ちえない。すべてを思い出したわけでもない。

 全員を助けることは難しいかもしれない。それでもせめて、私にできることを。

 いわく、看護力の向上だ。

 感染予防、トリアージの伝授、疫病対策。原作になくとも、心肺蘇生法も伝えていこう。

 それらがこの先に起こることを少しでも良い方向に導くかもしれない。

 やることはとんでもなく多いけれど、時間も能力も限られている。

 今の私にも行え確実性があり、効果のほどが目に見えてわかりやすいものといえば──

 先日、青年の様子を窺うためにとおもむいた病院の、すえたにおいが頭によぎる。

 ──衛生かんきょうの改善、か。

 これならば薬は作れなくとも、感染対策の一助となりうるだろうけれど……。

 は、はは……私ってば、前世でとんでもなく有名な『あのお方』と同じことをするのね。

 あれほどのぎょうは逆立ちしたって無理だけれど、何のとっかかりもないよりは。

 道は示されている。やるっきゃないでしょ!

 私この世界で、な、なな……くぅっ、……ナイチンゲール、めざしてやりますわ〜!!

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