1-3
とっても気が重いけれど、ひとまず思い出したことを整理してみよう。
私が転生したのは、『転生先でも医師になってみせますわ』というネット小説の世界だ。
乙女ゲームの悪役令嬢に転生した主人公が、医療系の試練を乗り越え、ラブラブハッピーをめざすというストーリー。
ちなみに魔法や聖剣の
『乙女ゲームのリーゼリット』は、
弾劾されて絞首刑行きか、隣国に裏切られて殺される典型的な悪役だ。
『小説の
ただし、それが可能だったのは、主人公が前世で医師だったからだ。
新しい術式で人を救い、
記憶力お察しの一介の看護師、ちょっとだけ教師かじりました、程度の私ごときに
しかも、小説だからルート
つまり。ファルス殿下が今ここにいる時点ですでに詰んでいるってことですよね。
うん、……帰っていいですか。
「リーゼリット様、皆様挨拶に行ってらっしゃいますわ。列が落ち着いた頃を見計らって、私たちも参りませんか?」
エレノア嬢の
王子たちのテーブル前には、アトラクション前の子どもたちよろしく、ご令嬢やお付きの方々がずらりと列をなしていた。
「それとも医務室の方がよろしいでしょうか。給仕を呼びましょうか?」
「そ、そうねぇ、どうしようかしら……」
ヒロインの
もし一人だったら、周りの賑わいに
急遽開かれたお茶会、普段臨席しないという王子たち、この場にいる令嬢の似通い方。
どんなに
見つかったらどうなるのか。
一、王子の命の恩人よ、ありがとうと祭り上げられる。
二、ぜひ妻にとか言って次期
三、王子暗殺の予定を
四、公衆の面前で俺の
………どれも、嫌だ……!!
あの場で助かったのは
祭り上げられたところでもう何も出ない。
私の性格からして王妃って柄でもないし、その道を進めば、ヒロインの前に立ちはだかる悪役令嬢としての役回りがついて回る気がする。
王室のドロドロ案件なんてもってのほかだ。巻き込まれれば生き残れるとは思えない。
人前でぶちゅぶちゅすごかったんだって、などと
速攻で詰んでいるとは言ったけれど、まだ人生を
こうなったらもう、知らぬ存ぜぬを決め込むしかない。
とはいえ、ポケットは小さすぎて入らないし、引っかけてドレスを破いてしまったら、私の
挨拶のときだけテーブルに置いておいてもいいけれど、もしそれでなくしてしまったらと思うと踏みきれない。だって、気に入っているんだもん。
小さな子どもの掌ほどの大きさだから、手の内に
こう、手品師のように。
テーブルの陰でこっそり練習を始めた私を、エレノア嬢が不思議そうな目で見ている。
聞かれたらこう答えよう。サプライズの練習ですわ、おほほのほ。
そうやって
ぼちぼち順番なので、二人でそろそろと近づいてみたのだが。
「まあ、お
「うむ、ありがとう」
「ご
「うむ、ありがとう」
令嬢たちが名乗ってひと声かけあって下がる、という流れをさっきからずっと繰り返している。まるで、次の方ぁ〜とアナウンスでも入っているかのような流れ作業だ。
最初のうちはちゃんと返事していたのかもしれないけれど、ギルベルト殿下に至っては半眼で無言貫いているし、ファルス殿下は今やオウムと化している。
疲れからか、もはや義務感しか存在しない空間。
おや、おやおや? この分ならなんとかいけるんでない?
「妃殿下、両王子殿下におかれましてはご機嫌麗しく存じます。ロータス伯爵家が三女、リーゼリット・フォン・ロータスと申します。どうかお怪我が早く良くなりますよう」
当たり
仕事は終わったとばかりに腰を
「あまりお見かけしない方ですね」
さっきまで、うむありがとうしか言わなかったファルス殿下が、ここにきてまさかの別ゼリフだと?
とたんに心臓がどっどっどっと自己主張を開始する。
ファルス殿下が何事かをギルベルト殿下に耳打ちし、赤い目がまっすぐに私を捉える。
王家主催のお茶会のため着飾ってはいるし、髪型も変わってはいるが、あの日の私は変装をしていたわけではないのだ。
あんなに近くで、言葉まで交わした私をギルベルト殿下が
これはもう本当に詰ん……、……いや、まだ終わらんよ!
「……先日、領地から出てきたばかりですの。お目にかかれて光栄ですわ」
わずかにひきつる唇でどうにか弧を描き、なんとか言葉をひねり出す。
心臓バクバク内心ひやひやながらも、
ほら見て、髪飾りないでしょ、という無言のアピールが功を奏したのだろう。
「……うむ、ありがとう」
よっし、きた! 下がっていい合図きたー!
気づかれないように小さくガッツポーズを決めながら、エレノア嬢へと順番を譲る。
無事にひと仕事終えた安堵感から、今すぐテーブルに
エレノア嬢は、さすがヒロインと言わんばかりの
王族を前にしても生き生きして見えるのは、ヒロイン補正なのか強心臓なのか。
なんとも頼もしいことである。
「お近くで拝見すればやはり。あの方はファルス殿下だったのですね。回復されて安心しましたわ」
……ん?
「その場にいた全員が一丸となって殿下を救おうとされて、とても感動的なひと時でした。まるで、この国の未来を見ているかのような」
おお?
「君は、この怪我のことを知っているのか」
「もちろんですわ。ご挨拶が遅れました、私、エレノア・ツー・マクラーレンと申します。以後お見知りおきを」
深々と一礼するエレノア嬢の髪には、髪飾りが彩りを添えている。
それも、瞳の色と同じ宝石のついた髪飾りが。
ファルス殿下がゆっくりと腰を上げ、エレノア嬢の前へと歩み出る。
まだ一礼したままの彼女の手を取り立ち上がらせ、なんとも甘い声で
「
……な、なんとーっ!
ファルス殿下は驚きを滲ませたエレノア嬢をダンスに誘い、広間の中央へと歩み出る。
空気を読んだらしき楽団による、しっとりした曲をバックに、二人でゆっくりと体を揺らし始めた。
最初こそ戸惑いを隠せない様子のエレノア嬢だったが、ファルス殿下のとろけそうな甘い視線に、今や頰を赤らめるばかりになっている。
もちろん、周りであっけにとられていた他の令嬢たちも。
まばゆいほどの美男美女の仲
──一方、私はというと。
どっと押し寄せた
「……っ、疲……れた……っ」
誰も見ていないのをいいことに、へろへろと石造りの
私のあの
つっこみたい思いは山のようにあるが──
「まあとにかく、ヒロインのおかげで、助かった……のかな……?」
もしこの場で私が命の恩人だとバレていたら、私自身が第一王子との
私を
原作小説とは異なるスタートな上、主人公と同じ活躍は望めないと悲観していたけれど、エレノア嬢に関して言えば上々な
この先、私がエレノア嬢に嫉妬する予定もその必要もないから、彼女と普通に仲良くなれば何事もなく過ごせるのではないだろうか。
加えて、エレノア嬢は『乙女ゲームのヒロイン』なのだ。
彼女ならば、医療系の試練も難なくこなせるってことだもんね?
これで憂いなく第二の人生を謳歌できるわ、とウキウキして振り返り、そのまま固まる。
なぜいるとか、いつからいたとか、
彼は慎みの
「人魚
テラスの入口を
銀糸で刺繡が
「本来あそこで
うっ、やはり気づいていたか。しかも完全に名前まで把握されている。いや、確かに自己
「……何のことでございましょう」
「ハンカチの
そう言って胸ポケットから取り出されたのは、止血のために使用したあのハンカチだ。
布地と同色の糸で
「ただの模様では……?」
近づいてくるギルベルト殿下から逃れようと後ずさるが、すぐ柵に行き当たり、なすすべもなく立ち尽くす。
「淡い金の髪にエメラルドを
殿下は手首を取り、ぐいと引かれた掌の中身を
「この髪飾りには見覚えがある。なにせ、俺の選んだものだからな」
慌てて手を離してはみたものの、物証が二つもあってはこれ以上の言い逃れは厳しい。
「兄はもうろうとして、おおまかな特徴しか把握できていなかった。俺に目印となる髪飾りを贈るよう言い渡して、すぐ気を失ったからな。あの令嬢は記憶にないが、ちょうどあの場に居合わせ、その上、条件に合う髪飾りをつけていたんだろう。運のいいことだ」
殿下が
引っ立てられて『こいつこそが本物だ!』をやらされるのか?
真実はいつも一つだとしても、この場合、空気が読めないどころの話じゃない。
お呼びでもないし、あの幸せ空間に割って入る勇気なんてみじんも持ち合わせていないよ。
それこそ本当に二人の仲を
「おまえの反応を確かめようと、
「私なぞに王太子妃が務まるとは思いませんわ」
かぶりを振ってそう答えると、訝しげだった表情にわずかな驚きが混じる。
「本当に変わっているな。兄に
イケメン王子にとろとろに甘やかされるのは乙女の
次期王妃などもってのほかだし、二人の仲を
「夢など、人の数ほどありましょう」
それこそ好みも、とにっこり微笑めば、殿下は顎に手をやり私をまじまじと見やる。
その視線を間近で受け止め、念を込めて見返す。
ここで
お願い、見逃して!
「おまえ婚約者はいるのか」
「いませんけれど」
「では俺がもらってやる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます