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 とっても気が重いけれど、ひとまず思い出したことを整理してみよう。

 私が転生したのは、『転生先でも医師になってみせますわ』というネット小説の世界だ。

 乙女ゲームの悪役令嬢に転生した主人公が、医療系の試練を乗り越え、ラブラブハッピーをめざすというストーリー。

 ちなみに魔法や聖剣のたぐいどころか、電気すらない世界でだ。

『乙女ゲームのリーゼリット』は、しっにかられてヒロインへの悪行を重ね、果てはヒロインたちが開発した新薬のデータをぬすみ、りんごくに売りつけようとする。

 弾劾されて絞首刑行きか、隣国に裏切られて殺される典型的な悪役だ。

『小説のリーゼリット主人公』は、ファルス殿下メインヒーローこくそうというこくなスタートにもかかわらず、さまざまな難局を乗り越え、ギルベルト殿下攻略キャラの一人をゲットして幸せな余生を送っていた。

 ただし、それが可能だったのは、主人公が前世で医師だったからだ。

 新しい術式で人を救い、そっせんして新薬を開発し、えきびょう対策に加えて戦地医療にも着手するという、ものすごい知識と技術でもって問題解決していったからなのだ。

 記憶力お察しの一介の看護師、ちょっとだけ教師かじりました、程度の私ごときにとうしゅうできるものではない。

 しかも、小説だからルートぶんもなく、道を逸れた後どうなるのかがわからない……。

 つまり。ファルス殿下が今ここにいる時点ですでに詰んでいるってことですよね。

 うん、……帰っていいですか。

「リーゼリット様、皆様挨拶に行ってらっしゃいますわ。列が落ち着いた頃を見計らって、私たちも参りませんか?」

 エレノア嬢のすずのような声に、マントルあたりをさまよっていた意識がじょうする。

 王子たちのテーブル前には、アトラクション前の子どもたちよろしく、ご令嬢やお付きの方々がずらりと列をなしていた。

「それとも医務室の方がよろしいでしょうか。給仕を呼びましょうか?」

「そ、そうねぇ、どうしようかしら……」

 あいまいに答えながら、ふるまわれた紅茶をがぶがぶあおる。

 ヒロインのかがみたるエレノア嬢が私を置いて行くわけもなく、丁寧にさそってくださるけれど、できることなら挨拶になんて行きたくはない。だからといって医務室に逃げ込めば、この場から姿を消した者として王子たちに情報が渡る可能性もある。

 もし一人だったら、周りの賑わいにまぎれてブッチを決めていたところだ。

 急遽開かれたお茶会、普段臨席しないという王子たち、この場にいる令嬢の似通い方。

 どんなににぶくてもさすがに気づく。このお茶会が、私をさがすためのものだってことに。

 見つかったらどうなるのか。

 一、王子の命の恩人よ、ありがとうと祭り上げられる。

 二、ぜひ妻にとか言って次期おうにされる。

 三、王子暗殺の予定をくるわせやがってこのろう的な、ようこそ王家のどろぬまドボン。

 四、公衆の面前で俺のくちびるうばいまくったはじらずさん大・公・開!

 ………どれも、嫌だ……!!

 あの場で助かったのはせきだし、小説の主人公みたいなかつやくは期待できない。

 祭り上げられたところでもう何も出ない。

 私の性格からして王妃って柄でもないし、その道を進めば、ヒロインの前に立ちはだかる悪役令嬢としての役回りがついて回る気がする。

 王室のドロドロ案件なんてもってのほかだ。巻き込まれれば生き残れるとは思えない。

 人前でぶちゅぶちゅすごかったんだって、などとうわさでもされたら本気で婚期遠のくわ。

 速攻で詰んでいるとは言ったけれど、まだ人生をあきらめてなんかいないんだからね!

 こうなったらもう、知らぬ存ぜぬを決め込むしかない。

 ばやく髪飾りを外し、手の中ににぎり込む。まとめていた髪がすっかり下りてしまったが気にしない。しょうひんとなりうるタネはしまっておくに限る。

 とはいえ、ポケットは小さすぎて入らないし、引っかけてドレスを破いてしまったら、私ののみのような心臓が火をいてしまう。

 挨拶のときだけテーブルに置いておいてもいいけれど、もしそれでなくしてしまったらと思うと踏みきれない。だって、気に入っているんだもん。

 小さな子どもの掌ほどの大きさだから、手の内にかくしておけばなんとかなるだろう。

 こう、手品師のように。

 テーブルの陰でこっそり練習を始めた私を、エレノア嬢が不思議そうな目で見ている。

 聞かれたらこう答えよう。サプライズの練習ですわ、おほほのほ。


 そうやっておうじょうぎわ悪く逃げ道を探していたせいで、最後から二番目になってしまった。

 だんしゃくの私がリーゼリット様より先にご挨拶なんてできませんわ、と順番をゆずられたため、最後はエレノア嬢だ。

 ぼちぼち順番なので、二人でそろそろと近づいてみたのだが。

「まあ、おいたわしい。お怪我をされたのですね、うるわしいお顔に傷が残りませんように」

「うむ、ありがとう」

「ごげん麗しゅう。ファルス殿下のお怪我が一日も早く治りますように」

「うむ、ありがとう」

 令嬢たちが名乗ってひと声かけあって下がる、という流れをさっきからずっと繰り返している。まるで、次の方ぁ〜とアナウンスでも入っているかのような流れ作業だ。

 最初のうちはちゃんと返事していたのかもしれないけれど、ギルベルト殿下に至っては半眼で無言貫いているし、ファルス殿下は今やオウムと化している。

 疲れからか、もはや義務感しか存在しない空間。

 おや、おやおや? この分ならなんとかいけるんでない?

「妃殿下、両王子殿下におかれましてはご機嫌麗しく存じます。ロータス伯爵家が三女、リーゼリット・フォン・ロータスと申します。どうかお怪我が早く良くなりますよう」

 当たりさわりない挨拶をすませ、手の内の髪飾りが見えないように淑女の礼をとる。

 仕事は終わったとばかりに腰をかしかけたところで、あなたは、という声がかけられ肩を揺らした。そっと目線を上げてうかがうと、あのときの金目がじっとこちらを見ている。

「あまりお見かけしない方ですね」

 さっきまで、うむありがとうしか言わなかったファルス殿下が、ここにきてまさかの別ゼリフだと?

 とたんに心臓がどっどっどっと自己主張を開始する。

 ファルス殿下が何事かをギルベルト殿下に耳打ちし、赤い目がまっすぐに私を捉える。

 王家主催のお茶会のため着飾ってはいるし、髪型も変わってはいるが、あの日の私は変装をしていたわけではないのだ。

 あんなに近くで、言葉まで交わした私をギルベルト殿下がのがすとは思えない。

 これはもう本当に詰ん……、……いや、まだ終わらんよ!

「……先日、領地から出てきたばかりですの。お目にかかれて光栄ですわ」

 わずかにひきつる唇でどうにか弧を描き、なんとか言葉をひねり出す。

 心臓バクバク内心ひやひやながらも、うやうやしいしぐさで再度深々とこうべを垂れた。

 ほら見て、髪飾りないでしょ、という無言のアピールが功を奏したのだろう。

「……うむ、ありがとう」

 よっし、きた! 下がっていい合図きたー!

 気づかれないように小さくガッツポーズを決めながら、エレノア嬢へと順番を譲る。

 無事にひと仕事終えた安堵感から、今すぐテーブルにしてしまいたいくらいだが、一緒に来たのにさっさと一人だけ戻るわけにもいかず、エレノア嬢が挨拶を終えるまで少し離れた場所に控えることにした。

 エレノア嬢は、さすがヒロインと言わんばかりのにゅうな笑みをたたえている。

 王族を前にしても生き生きして見えるのは、ヒロイン補正なのか強心臓なのか。

 なんとも頼もしいことである。

「お近くで拝見すればやはり。あの方はファルス殿下だったのですね。回復されて安心しましたわ」

 ……ん?

「その場にいた全員が一丸となって殿下を救おうとされて、とても感動的なひと時でした。まるで、この国の未来を見ているかのような」

 おお?

「君は、この怪我のことを知っているのか」

「もちろんですわ。ご挨拶が遅れました、私、エレノア・ツー・マクラーレンと申します。以後お見知りおきを」

 深々と一礼するエレノア嬢の髪には、髪飾りが彩りを添えている。

 それも、瞳の色と同じ宝石のついた髪飾りが。

 ファルス殿下がゆっくりと腰を上げ、エレノア嬢の前へと歩み出る。

 まだ一礼したままの彼女の手を取り立ち上がらせ、なんとも甘い声でささやいたのだ。

貴女あなたを捜しておりました」

 ……な、なんとーっ!

 ファルス殿下は驚きを滲ませたエレノア嬢をダンスに誘い、広間の中央へと歩み出る。

 空気を読んだらしき楽団による、しっとりした曲をバックに、二人でゆっくりと体を揺らし始めた。

 最初こそ戸惑いを隠せない様子のエレノア嬢だったが、ファルス殿下のとろけそうな甘い視線に、今や頰を赤らめるばかりになっている。

 もちろん、周りであっけにとられていた他の令嬢たちも。

 まばゆいほどの美男美女の仲むつまじい様子に、皆れていた。

 ──一方、私はというと。

 どっと押し寄せただつりょくかんから、その場で見守ることはおろか席へと戻る気にもなれず、一人テラスへと向かったのだった。


「……っ、疲……れた……っ」

 誰も見ていないのをいいことに、へろへろと石造りのさくに寄りかかる。

 私のあのどうようやら、必死になって考えた時間はいったい何だったんだ。

 つっこみたい思いは山のようにあるが──

「まあとにかく、ヒロインのおかげで、助かった……のかな……?」

 もしこの場で私が命の恩人だとバレていたら、私自身が第一王子とのこんやくしゃとしてヒロインの前に立ちはだかったのだろうが、その心配はなくなった。

 私をはさまずに二人がくっつくなら大団円のはずだ。

 原作小説とは異なるスタートな上、主人公と同じ活躍は望めないと悲観していたけれど、エレノア嬢に関して言えば上々なすべり出しなんじゃないの?

 この先、私がエレノア嬢に嫉妬する予定もその必要もないから、彼女と普通に仲良くなれば何事もなく過ごせるのではないだろうか。

 加えて、エレノア嬢は『乙女ゲームのヒロイン』なのだ。

 彼女ならば、医療系の試練も難なくこなせるってことだもんね?

 これで憂いなく第二の人生を謳歌できるわ、とウキウキして振り返り、そのまま固まる。

 なぜいるとか、いつからいたとか、たずねることなどできるはずもない。

 彼は慎みのを尋ねたあの日のように、ぜんとした表情を隠そうともしなかったのだ。

「人魚ひめとやらにでもなるつもりか」

 テラスの入口をふさぎ、私にそう告げるのは、第二王子のギルベルト殿下だ。

 銀糸で刺繡がほどこされたこんいろの正装に身を包み、まとうふんにはあつかんすら覚える。

「本来あそこでおどっているのはおまえだったろう。リーゼリット・フォン・ロータス嬢」

 うっ、やはり気づいていたか。しかも完全に名前まで把握されている。いや、確かに自己しょうかいはしたけれども。よくまあそんなにも軽々とフルネームで覚えられますなあ!

「……何のことでございましょう」

「ハンカチのもんしょうを調べた」

 そう言って胸ポケットから取り出されたのは、止血のために使用したあのハンカチだ。

 布地と同色の糸ではすの花の文様が刺繡してあり、それが血のあとでくっきりと浮き上がっていた。

「ただの模様では……?」

 近づいてくるギルベルト殿下から逃れようと後ずさるが、すぐ柵に行き当たり、なすすべもなく立ち尽くす。

「淡い金の髪にエメラルドをかしたような瞳。それに……」

 殿下は手首を取り、ぐいと引かれた掌の中身をいちべつすると、くちはしだけで薄く笑った。

「この髪飾りには見覚えがある。なにせ、俺の選んだものだからな」

 慌てて手を離してはみたものの、物証が二つもあってはこれ以上の言い逃れは厳しい。

「兄はもうろうとして、おおまかな特徴しか把握できていなかった。俺に目印となる髪飾りを贈るよう言い渡して、すぐ気を失ったからな。あの令嬢は記憶にないが、ちょうどあの場に居合わせ、その上、条件に合う髪飾りをつけていたんだろう。運のいいことだ」

 殿下がするどい視線を向けた先では、今もなお二人が踊っている。

 引っ立てられて『こいつこそが本物だ!』をやらされるのか?

 真実はいつも一つだとしても、この場合、空気が読めないどころの話じゃない。

 お呼びでもないし、あの幸せ空間に割って入る勇気なんてみじんも持ち合わせていないよ。

 それこそ本当に二人の仲をはばむおじゃま虫人生待ったなしじゃないか!

「おまえの反応を確かめようと、だまっていた俺が言うことでもないが。ちゅうで髪飾りを外したところを見るに、俺たちがあの兄弟だと理解しているのだろう? どういう意図で身を引いたのかは知らんが、横から功績をさらわれたんだぞ。名乗り出なくていいのか」

「私なぞに王太子妃が務まるとは思いませんわ」

 かぶりを振ってそう答えると、訝しげだった表情にわずかな驚きが混じる。

「本当に変わっているな。兄にめられて王太子妃になるのが令嬢の夢ではないのか」

 イケメン王子にとろとろに甘やかされるのは乙女のあこがれかもしれないけれど、私にはこそばゆすぎていたたまれない。

 次期王妃などもってのほかだし、二人の仲をじゃするつもりもないわ。

「夢など、人の数ほどありましょう」

 それこそ好みも、とにっこり微笑めば、殿下は顎に手をやり私をまじまじと見やる。

 その視線を間近で受け止め、念を込めて見返す。

 ここでなっとくしてもらえなければ終わりの始まりだ。

 お願い、見逃して!

「おまえ婚約者はいるのか」

「いませんけれど」

「では俺がもらってやる」

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