1-2
いったん屋敷へと戻った私は、血で汚れたドレスを
何しろあの事故、とっさに首を突っ込んでしまいはしたが、イベントだったのかもしれないのだ。助けた相手による
そう考えてあの青年の顔を思い出そうとしてみたけれど、状況が状況だっただけに、顔なんてろくに見ていなかった。無念だ……。
もしくは、
傍に控えるカイルへちらりと横目を向ければ、瞬きとともに小さな
ダークブロンドの毛足を一つに束ねた、二十歳そこそこの
グレーの瞳に太めの
護衛との恋物語もいくつか読んだけれど、カイルという名にピンとこない。
……そもそも、心肺蘇生法が必要なエピソードなんてどの小説にもなかったしなあ。
あの場は
いや待てよ、……私の読んでいない小説が
ふとよぎった考えにぞっとする。何の予備知識もなくバトルで死亡とか、急に
思わず遠い目になってしまうが、今頭を
何しろ情報が少なすぎる。
今日は予定が押してしまったことだし、図書館での情報収集は後日に見送るとして、機会を見つけて病院には立ち寄りたいところだな。
名乗り出るつもりこそなくとも、あの青年の経過が気にはなるのだ。
「おくつろぎのところ失礼いたします」
口にした紅茶にほっこりしていたが、
全神経を総動員させて優雅に振り返ると、
「血だらけでのご帰宅をお見かけしたときは、たいへん
ですが、危ないことはほどほどになさってくださいねと締めくくるのは、ほっそりした
目じりのしわと
その所作は指の先まで美しく、かつて夢見た理想のロマンスグレーそのものだ。
家の執事に五体投地する令嬢は外聞が悪いだろうと
「本題でございますが、予定されておりましたお茶会は中止となったようです」
「まあ、それは残念ね」
王都での初めてのお茶会だったのに。その分、空いた時間を情報収集にあてればいいか。
「王家
へ? ……いきなり、王家主催ですと?!
令嬢もの小説の恋のお相手として、王子は鉄板だ。王家主催なら有名な貴族が集まるだろうし、情報収集にもってこい……なんだけれど、さすがに急すぎて心の準備が。
「お母様はご
「いいえ。奥様はその日のご予定は何があろうと外せないとおっしゃっていました」
な、なんと……。たしかお父様とのデートじゃなかったか、放任が過ぎるぞ。
「リーゼリット様のマナーに関しましては、私から見ましても申し分ございません。ご安心ください」
「まあ………」
ベルリッツからの突然のお
「わ、私、必ずやロータス家に恥じないふるまいをしてみせますわ……!」
◇◆◇
「う、ぐ……、ぅぅ」
これが城と、いうものか。
目の前に広がる
唇に
ちょっとでも気を抜くと、観光したい病が化けの皮をバリッと破って出てきそうでね。
さて。いったい今、私がどんな状態かというと。
エスコート役のナキアと連れ立って城内をしずしず歩いているところなのだ。
すでに限界が近いというのに、なんとこの後、侍女は別室で待機だという。
ダメだ……一人でこの感動に耐えきれる気がしない。
「リーゼリット様、
ドナドナされていく子牛にでも見えたのだろうか。
別れ際、ナキアはすぐ離れずに、結い上げた髪をそっと整えてくれた。
「髪飾りがよくお似合いですわ。本日もとてもお美しいですよ」
ナキアが褒めてくれた髪飾りは、淡いピンクゴールドの花と
実はこれ、先日助けた青年からの
あの後、隙を見つけていくつかの病院を回ってみたところ、『訪ねてきた
無事かどうかを確認したかったのに、青年は病院に
その後の経過は結局わからずじまいだったものの、一目ですごく気に入ったのと、
あの青年でも、手伝ってくれた大人たちでも誰でもいい。私に力を貸してくれ。
──本日のミッション。
丸テーブルが点在するその場へと足を踏み入れたとたん、
というのも、その場にいる令嬢が皆金髪なのだ。目の色も似たり寄ったり。
偶然かとは思ったけれど、その後続々と現れる令嬢も同じ色味をしている。
さすがにエスコート役や
色味指定で
王都に知り合いがいるわけでなし、空いている席に着き、楽団の演奏に混じる周囲の会話に耳をそばだてていると、傍らから
「こんにちは、お
振り向けば、同じ
首元でふわりと巻かれたまばゆいほどの金髪に、ブルーグリーンのぱっちりとした瞳。
まるでお人形のようなかわいらしさに、生き生きとした表情が
どうぞと促すと、ふんわりとしたピンクのドレスを上品に押さえて
「あなたもおひとりですの?」
「まあ、あなたも? お母様とは予定が合わず、侍女と参りましたの。初めての王城ですのに、おかげで心細い思いをしておりますわ」
お姉様は皆
「ふふ、私も同じですわ。まあ、ご覧になって。おいしそうなケーキ」
給仕のカートがちょうど近くを通りかかったようだ。
王家主催とあって、ケーキ一つひとつですら洗練されている。
好きなケーキを選んでよいシステムらしく、二人できゃっきゃと選ぶ。
え……楽しい……。何これ、すごく楽しい……。
彼女がいなければ、今頃一人で興奮の
「声をかけてくださってありがとうございます。ご
「まあ、ロータス伯爵家の? お会いできて光栄ですわ。私はエレノア・ツー・マクラーレンと申します」
エレノア嬢か、お名前までかわいらしい。ひとりぼっちでお茶会になるところを鮮やかに救ってくださった、王都での初めてのお友達……!
なにせ私は、人の名前と顔が覚えられないことに定評があるのだ。
ひとしきり唱えた頃、まるで神の
……リーゼリットと、エレノア……? この組み合わせって……!!
カチャン、と足元で金属音が鳴る。
私の腕が触れてしまったのだろう、
かがむ給仕へと視線を移すが、私が俯いたのはそれだけが原因ではなかった。
ようやく思い出せた世界観にほっと一安心、なんて場合じゃない。
リーゼリットは、とある小説の主人公なのだ。
『
小説ではハッピーエンドを迎えていたが、うまく立ち回らなければ悪役令嬢人生待ったなしになる。
「リーゼリット様? 顔色が優れないようですが」
「お、お構いなく。腰回りを少し、締めつけすぎたようですわ……」
なんとかごまかしはしたものの、エレノア嬢の
今隣で心配そうにしているエレノア嬢こそ、『乙女ゲームのヒロイン』であり、『乙女ゲームのリーゼリット』は、このヒロイン
……自分が何者なのか知りたかったけれど……できれば、モブがよかったです…………。
ふいに
青ざめた顔のまま、周囲に
妃殿下は
「ようこそおいでくださいました。
参加者の緊張をほぐす柔らかな笑み。令嬢たちがほっと息をつくのがわかる。
そう、私も。そうありたい。妃殿下の笑みを凝視して、心を落ち着かせにかかる。
一度は読んだことのある小説の世界なのだし、処刑直前というわけでもないのだから、うまく立ち回りさえすれば私も小説の主人公のようにバッドエンドを回避できる。
乙女ゲームを題材にした小説とあって、恋のお相手になりうる攻略キャラが何人かおり、小説ではそのうちの王子がメインヒーローとなっていた。
労せずしてその王子に会えるのだ、このお茶会で記憶の整理をさせていただけばいい。
だから今は出てこなくていいの。頭の中を駆け巡る、いろんな小説の王子たちよ。
静まりたまえ、
「招待状に記載しました通り、
妃殿下の口上にご令嬢たちがにわかに色めき立……ったようだけれど、ちょっと待って。
息子、たち? おかしいな、王子が二人も登場する話だったかな。
私が覚えていないだけで、
一人で混乱に
プラチナブロンドの髪に金の瞳を持つ方が第一王子のファルス殿下。
アッシュブロンドの髪に
どちらも目を引く
──兄ならばこの程度、造作もない──
──別におまえのためにしたわけじゃないからな、俺は兄の教えに従ったまでで──
褒められたり好意を示されると兄を引き合いに出して突っぱねるくせに、
小説の主人公の恋のお相手、この王子だよ!
うわあぁ、あの
ギルベルト殿下を一言で表すと『残念なイケメン』、これに尽きる。
王道の王子様キャラとは
一方、ファルス殿下は
こちらは典型的な王子様タイプだから記憶に残っていないのかな。
ただ、その落ち着いた
どうぞご
待たれよ、なぜ触れぬ。触れたらダメな部類の話題なのか。
王家によくあるドロドロ案件とか。暗殺
そういえばあの青年も、ちょうど同じところを怪我していたなあ、と。
……額の傷と、金の目……それに弟が、赤褐色の瞳……?
「……っ!!」
数日前のおぼろげな記憶と、目の前の二人とが重なり、思わず目を
よく見ればこの二人、あの青年たちだわ!
確かにあのとき、お忍びの貴族かもとは思ったよ。でもよりによって、王子って!
転生を自覚した初日にいきなりメインヒーローの兄が死にかけているとか、誰も思わないでしょ?!
もし救えていなかったら今頃どうなっていたことか……って……。
……そして私は、そこで思い出した事実に本気で頭を抱えたくなった。
小説に出てくる乙女ゲーム内での攻略キャラの王子は、もともと二人いる設定だったわ。
誰あろうファルス殿下こそが、『乙女ゲームのメインヒーロー』だ。
原作小説に出てこなかったのは序盤で
ギルベルト殿下が
私が手を出したことで、物語の前提が変わってしまったと。そういうことになりますね。
なんということでしょう。第二の人生、
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