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 いったん屋敷へと戻った私は、血で汚れたドレスをえ、サンルームでティータイムに興じていた。表向きはゆうに、脳内ではばっちり作戦会議である。

 何しろあの事故、とっさに首を突っ込んでしまいはしたが、イベントだったのかもしれないのだ。助けた相手によるつるの恩返し風ストーリーとか、ありえそうじゃない?

 そう考えてあの青年の顔を思い出そうとしてみたけれど、状況が状況だっただけに、顔なんてろくに見ていなかった。無念だ……。

 もしくは、だっしゅつうんの呼吸を見せてくれた、この護衛がこいのお相手ってことも?

 傍に控えるカイルへちらりと横目を向ければ、瞬きとともに小さなみを返してくれる。

 ダークブロンドの毛足を一つに束ねた、二十歳そこそこのじょう

 グレーの瞳に太めのまゆが勇ましく見えるが、落ち着いていてとてもたよりになるのだ。

 護衛との恋物語もいくつか読んだけれど、カイルという名にピンとこない。

 ……そもそも、心肺蘇生法が必要なエピソードなんてどの小説にもなかったしなあ。

 あの場はぐうぜん行き合ったようなものだし、気にする必要はないか。

 いや待てよ、……私の読んでいない小説がたいってことも?

 ふとよぎった考えにぞっとする。何の予備知識もなくバトルで死亡とか、急にだんがいされてこうしゅだい行きなんてのはごめんこうむるよ。前世はぜんで溺死、今世は無抵抗でバッドエンドまっしぐらとか、どんな悪行を積めばそうなるっていうんだ。

 思わず遠い目になってしまうが、今頭をなやませたところでどうにもならないか。

 何しろ情報が少なすぎる。

 今日は予定が押してしまったことだし、図書館での情報収集は後日に見送るとして、機会を見つけて病院には立ち寄りたいところだな。

 名乗り出るつもりこそなくとも、あの青年の経過が気にはなるのだ。

「おくつろぎのところ失礼いたします」

 口にした紅茶にほっこりしていたが、かたわらからかけられた声に身を引きしめる。

 全神経を総動員させて優雅に振り返ると、やさしげなそうぼうにかち合った。

「血だらけでのご帰宅をお見かけしたときは、たいへんきもが冷えました。おをされたわけではないとうかがっておりますので、だんさまおくさまには内密にしておきましょう」

 ですが、危ないことはほどほどになさってくださいねと締めくくるのは、ほっそりしたたいえんふくに包んだ我が家のしつちょう、ベルリッツだ。

 目じりのしわとうれいを帯びた表情に、細身の老眼鏡がとても似合っている。

 その所作は指の先まで美しく、かつて夢見た理想のロマンスグレーそのものだ。

 家の執事に五体投地する令嬢は外聞が悪いだろうとまんしているが、心の中はれるあらしでいっぱいになっている。

「本題でございますが、予定されておりましたお茶会は中止となったようです」

「まあ、それは残念ね」

 王都での初めてのお茶会だったのに。その分、空いた時間を情報収集にあてればいいか。

「王家しゅさいのお茶会がきゅうきょ同日に開催されるためだとか。招待状がこちらに」

 へ? ……いきなり、王家主催ですと?!

 わたされた招待状には、もんしょうの刻印とともに、王子もりんせきするとのさいがある。

 令嬢もの小説の恋のお相手として、王子は鉄板だ。王家主催なら有名な貴族が集まるだろうし、情報収集にもってこい……なんだけれど、さすがに急すぎて心の準備が。

「お母様はごいっしょなさるのかしら」

「いいえ。奥様はその日のご予定は何があろうと外せないとおっしゃっていました」

 な、なんと……。たしかお父様とのデートじゃなかったか、放任が過ぎるぞ。

「リーゼリット様のマナーに関しましては、私から見ましても申し分ございません。ご安心ください」

「まあ………」

 ベルリッツからの突然のおめの言葉に、じわじわと頰がほてっていく。

「わ、私、必ずやロータス家に恥じないふるまいをしてみせますわ……!」


◇◆◇


「う、ぐ……、ぅぅ」

 これが城と、いうものか。ごうけんらんそうしょくひんに、一糸乱れぬ衛兵たち。

 目の前に広がる空間にせいを発しそうになったけれど、傍らのナキアの腕にすがりつき、どうにかえきった。

 唇にを描き、腹に力を込めてかかとを上げる。視野はせまく、極力狭く。

 ちょっとでも気を抜くと、観光したい病が化けの皮をバリッと破って出てきそうでね。

 さて。いったい今、私がどんな状態かというと。

 エスコート役のナキアと連れ立って城内をしずしず歩いているところなのだ。

 すでに限界が近いというのに、なんとこの後、侍女は別室で待機だという。

 ダメだ……一人でこの感動に耐えきれる気がしない。

「リーゼリット様、ぐしが」

 ドナドナされていく子牛にでも見えたのだろうか。

 別れ際、ナキアはすぐ離れずに、結い上げた髪をそっと整えてくれた。

「髪飾りがよくお似合いですわ。本日もとてもお美しいですよ」

 ナキアが褒めてくれた髪飾りは、淡いピンクゴールドの花とちょうのモチーフに、私の瞳と同じ色の宝石が散りばめられたもので、レースの細やかな黄色いドレスによく合っている。

 実はこれ、先日助けた青年からのおくもの……と思わしき品なのよね。

 あの後、隙を見つけていくつかの病院を回ってみたところ、『訪ねてきたきんぱつすいがんのご令嬢あてたくされた』と言って、病院職員から手渡されたのだ。

 無事かどうかを確認したかったのに、青年は病院にはんそうされておらず、どうふうのカードには『あなたに感謝を』とだけ。

 その後の経過は結局わからずじまいだったものの、一目ですごく気に入ったのと、とつじょランクアップしてしまったお茶会でのお守り代わりにと、つけてきたのだ。

 あの青年でも、手伝ってくれた大人たちでも誰でもいい。私に力を貸してくれ。

 ──本日のミッション。

 じょさいなくお茶会を終えることと、記憶を取り戻せ王城編、だ。

 じゅうに案内された広間には、すでに何人かの令嬢が到着していた。

 丸テーブルが点在するその場へと足を踏み入れたとたん、かんを覚える。

 というのも、その場にいる令嬢が皆金髪なのだ。目の色も似たり寄ったり。

 偶然かとは思ったけれど、その後続々と現れる令嬢も同じ色味をしている。

 さすがにエスコート役やきゅうにまでは手が回らなかったようで、令嬢のみが同系色という、なんとも不思議空間になっている。

 色味指定でしゅこうらしたお茶会なのだろうか。さすがは王家主催、手が込んでいる。

 王都に知り合いがいるわけでなし、空いている席に着き、楽団の演奏に混じる周囲の会話に耳をそばだてていると、傍らからすずやかな声がした。

「こんにちは、おとなりよろしいかしら?」

 振り向けば、同じとしごろの令嬢が人好きする笑顔をこちらに向けていた。

 首元でふわりと巻かれたまばゆいほどの金髪に、ブルーグリーンのぱっちりとした瞳。

 まるでお人形のようなかわいらしさに、生き生きとした表情がいろどりを添えている。

 どうぞと促すと、ふんわりとしたピンクのドレスを上品に押さえてこしを下ろした。

「あなたもおひとりですの?」

「まあ、あなたも? お母様とは予定が合わず、侍女と参りましたの。初めての王城ですのに、おかげで心細い思いをしておりますわ」

 お姉様は皆かいにん中で王都におらず、お母様はいつだってあてにできない。

「ふふ、私も同じですわ。まあ、ご覧になって。おいしそうなケーキ」

 給仕のカートがちょうど近くを通りかかったようだ。

 王家主催とあって、ケーキ一つひとつですら洗練されている。

 好きなケーキを選んでよいシステムらしく、二人できゃっきゃと選ぶ。

 え……楽しい……。何これ、すごく楽しい……。

 彼女がいなければ、今頃一人で興奮のうずたたかい、うめごえの絶えないおかしな人になっていたことだろう。危ないところだった。

「声をかけてくださってありがとうございます。ごあいさつおくれましたわ。私、リーゼリット・フォン・ロータスと申しますの」

「まあ、ロータス伯爵家の? お会いできて光栄ですわ。私はエレノア・ツー・マクラーレンと申します」

 エレノア嬢か、お名前までかわいらしい。ひとりぼっちでお茶会になるところを鮮やかに救ってくださった、王都での初めてのお友達……!

 なごやかに会話を続けながら、絶対に忘れないと頭の中でお名前をはんすうする。

 なにせ私は、人の名前と顔が覚えられないことに定評があるのだ。

 ひとしきり唱えた頃、まるで神のけいのようにそれは突然降ってきた。

 ……リーゼリットと、エレノア……? この組み合わせって……!!

 カチャン、と足元で金属音が鳴る。

 私の腕が触れてしまったのだろう、ゆかに落ちたカトラリーに、給仕がすかさず対応する。

 かがむ給仕へと視線を移すが、私が俯いたのはそれだけが原因ではなかった。

 ようやく思い出せた世界観にほっと一安心、なんて場合じゃない。

 リーゼリットは、とある小説の主人公なのだ。

乙女おとめゲームの悪役令嬢に転生し、無残にも殺される未来をかいする』という物語の。

 小説ではハッピーエンドを迎えていたが、うまく立ち回らなければ悪役令嬢人生待ったなしになる。

「リーゼリット様? 顔色が優れないようですが」

「お、お構いなく。腰回りを少し、締めつけすぎたようですわ……」

 なんとかごまかしはしたものの、エレノア嬢のづかいにほっこりする余裕すらない。

 今隣で心配そうにしているエレノア嬢こそ、『乙女ゲームのヒロイン』であり、『乙女ゲームのリーゼリット』は、このヒロインようするこうりゃくキャラたちに弾劾され、しょけいされてしまう役回りなのだ。

 ……自分が何者なのか知りたかったけれど……できれば、モブがよかったです…………。

 ふいにかなでられていた音楽がじゅうこうなものへと変わる。

 青ざめた顔のまま、周囲にならって視線をめぐらせると、一人の女性が奥のとびらから現れるのが見えた。金糸の刺繡がまばゆいしんのドレス。このお茶会の主催者である殿でんだ。

 妃殿下はゆうぜんと奥のテーブルの前まで進むと、ぐるりと見回して満足げに頷いた。

「ようこそおいでくださいました。はなやかなご令嬢がたくさんいらして、無骨な城に花がいたようだわ」

 参加者の緊張をほぐす柔らかな笑み。令嬢たちがほっと息をつくのがわかる。

 そう、私も。そうありたい。妃殿下の笑みを凝視して、心を落ち着かせにかかる。

 一度は読んだことのある小説の世界なのだし、処刑直前というわけでもないのだから、うまく立ち回りさえすれば私も小説の主人公のようにバッドエンドを回避できる。

 乙女ゲームを題材にした小説とあって、恋のお相手になりうる攻略キャラが何人かおり、小説ではそのうちの王子がメインヒーローとなっていた。

 労せずしてその王子に会えるのだ、このお茶会で記憶の整理をさせていただけばいい。

 だから今は出てこなくていいの。頭の中を駆け巡る、いろんな小説の王子たちよ。

 静まりたまえ、たのむから。

「招待状に記載しました通り、むすたちも臨席させていただく予定ですの。このような席への参加は二人とも不慣れですから、大目に見てくださるとうれしいわ」

 妃殿下の口上にご令嬢たちがにわかに色めき立……ったようだけれど、ちょっと待って。

 息子、たち? おかしいな、王子が二人も登場する話だったかな。

 私が覚えていないだけで、じょばんのみ登場するとか、そういう?

 一人で混乱におちいっている中、妃殿下に促されて二人の王子が姿を見せた。

 プラチナブロンドの髪に金の瞳を持つ方が第一王子のファルス殿下。

 アッシュブロンドの髪にせっかっしょくの瞳の方が、第二王子のギルベルト殿下らしい。

 どちらも目を引くたんれいな容姿だが、ギルベルト殿下のとくちょうとつんとましたような様子に、記憶のふたがぱかりと開く。


 ──兄ならばこの程度、造作もない──

 ──別におまえのためにしたわけじゃないからな、俺は兄の教えに従ったまでで──

 褒められたり好意を示されると兄を引き合いに出して突っぱねるくせに、かげでめちゃくちゃ喜び、くし度が増していく、あの王子か……!

 小説の主人公の恋のお相手、この王子だよ!

 うわあぁ、あのすいぜんもののツンデレを間近で見られるかもしれないのか!

 ギルベルト殿下を一言で表すと『残念なイケメン』、これに尽きる。

 王道の王子様キャラとはほどとおく、乙女ゲームを題材にした小説のメインヒーローとしてありなのかと思いはしたが、無類のツンデレ好きである私は主人公とのかけあいをたいへん楽しく読ませていただいたのを覚えている。

 一方、ファルス殿下はそうめいそうで優しげな印象だが、原作小説でどんなキャラだったのかまったく思い出せない。

 こちらは典型的な王子様タイプだから記憶に残っていないのかな。

 ただ、その落ち着いたふうぼうに反して、額に巻かれた包帯がやけに目立っている。

 どうぞごかんだんなさって、と締めくくられた妃殿下の挨拶では、息子の怪我には一言も触れられなかった。

 待たれよ、なぜ触れぬ。触れたらダメな部類の話題なのか。

 王家によくあるドロドロ案件とか。暗殺すいか、ただの事故か、はたまたドジっ子属性持ちかと想像を巡らせているうちに、とある考えが頭をよぎった。

 そういえばあの青年も、ちょうど同じところを怪我していたなあ、と。

 ……額の傷と、金の目……それに弟が、赤褐色の瞳……?

「……っ!!」

 数日前のおぼろげな記憶と、目の前の二人とが重なり、思わず目をく。

 よく見ればこの二人、あの青年たちだわ!

 確かにあのとき、お忍びの貴族かもとは思ったよ。でもよりによって、王子って!

 転生を自覚した初日にいきなりメインヒーローの兄が死にかけているとか、誰も思わないでしょ?!

 もし救えていなかったら今頃どうなっていたことか……って……。

 ……そして私は、そこで思い出した事実に本気で頭を抱えたくなった。

 小説に出てくる乙女ゲーム内での攻略キャラの王子は、もともと二人いる設定だったわ。

 誰あろうファルス殿下こそが、『乙女ゲームのメインヒーロー』だ。

 原作小説に出てこなかったのは序盤でくなっていたためで。

 ギルベルト殿下がたびたび引き合いに出していた兄は、故人だったと。

 私が手を出したことで、物語の前提が変わってしまったと。そういうことになりますね。

 なんということでしょう。第二の人生、そっこうんでます。

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