悪役令嬢は夜告鳥をめざす
さと/ビーズログ文庫
一章 まずは状況把握と参りますか
1-1
窓にかかる一目で高価とわかるカーテン、細やかな
視線を下した先の手は幼く、
……ん? ……金?
「リーゼリット様、お早いお目覚めですね」
落ち着いた色のドレスを身にまとった女性が
なぜか、どちらさまですか、とはならない。
呼ばれた名前も聞きなじんだものだった。
でもどこかおかしい。私はごく
それもついさっきまで入浴中で、
すう、と大きく息を吸い込むと、最後に感じたはずの息苦しさはみじんもなく、部屋に
「……熱でもあるのですか?」
額に
これが夢でないなら何なのか。考えたくはない、けど、疑いようもない……っ!
──私、お風呂で
う、う…うそでしょ……よりによって
この場合、発見っていつ
今日の会議の議事録にまだ手をつけてないし、休講の
一週間後に
レポートの評定だってまだつけ終わってないんだけど、え、これどうしたら……。
あまりのことに
「昨日の
するすると
……あちこちに
まずは、ここがどういう世界なのかを
たしか私は、昨日初めて領地を出たのだった。
半日はかかる
二年後に
今日は王都を散策する予定だったから、現状を
「いいえ、予定通りで
「かしこまりました、ではそのように。さあ、整いましたわ」
差し出された大きな鏡に映るのは、勝気そうなエメラルドグリーンの
リーゼリット・フォン・ロータス、
あちこち読みふけったうちの一つかなあとは思うのですが。
悲しいかな……どの小説の登場人物か、わかりません。
侍女のナキアと護衛のカイルを
本日の予定は、数日後に
時間が許せば図書館にも寄ってみたい。
馬車は
車窓から
馬車の
前世でヨーロッパに行きたくても行けなかった身としては、目にも楽しいプチ旅行感覚。
ただ難点を言わせてもらうとすれば、
せめて消去法で
カタカナの名前ってどうにも印象が似通うしなあ。
……というか、そもそも私は主人公なの?
もし悪役
今世の私はなかなかにかわいらしい外見で、
お姉様たちの
前世ではひたすら喪女を
どうかここは一つ、モブでお願いしたい!
誰にともなく
そちらに目を向けるやいなや、反対車線を馬車が
車窓から身を乗り出せば、今の馬車に
「止まって! 止まりなさい!」
ほどなくして速度が落ちた馬車から飛び降りると、すぐに
「リーゼリット様?! 危なっ……、お待ちください!」
一分一秒でも
ドレスを
人垣の中心である歩道の一角には、血を流し力なく横たわる青年の体を、二人の黒髪の青年が揺り動かしていた。友人だろうか、すっかり血の気の引いた顔になっている。
周りの大人たちは今もなお
──っ、誰も、何もしないつもり?!
「揺すらない!」
見ているだけの大人たちに
「ゆっくりと、
青年たちの手が止まるが、
気持ちはわかるが、今ここで問答したところで状況は好転しないのだ。
「迷っている
一刻を争うとの意を込めて告げれば、二人は指示した通りの行動をとる。
「医者は呼んだのよね? ご両親への連絡がまだなら、あなたが
近くにいた背の高い方の青年に声をかけると、
それを視界の
体格から見るに、おそらくは十六、七歳くらいの
取り出したハンカチの上から額を
顎に添えた指をスライドさせて
懐中時計の針はあれからすでに五分が経過したことを示している。
……呼吸が止まってから、心臓が止まってから、何分だ。
額に
「そこのあなた、手を借りるわ。同じように固定して」
残った方の青年に頭部を任せ、
「事故の状況が、わかる人はいる? 医者が来たら、説明できるよう整理を。それ以外の人は、やり方をよく見て、覚えなさい! 右の人から順に、代わってもらうわ!」
AEDなんてもの、絶対ここにはない。
大人たちの様子からして、
だからといって、医師が来るまで私一人で続けられるものではないのだ。
ただの野次馬になんてさせてやるものか!
時折コツの説明を織り交ぜて続け、五十回を過ぎたあたりで交代をする。
流れる汗をぬぐい、乱れた息を整えながら手技を見守った。
「テンポがとてもいいわ。もう少し上体をかぶせて、両の掌が沈み込むように」
青年の体格からすれば、力加減はこのくらいが
その場の誰もが初めてだろうに、思いのほか形になっている。周りを囲む大人たちの表情は今や、自分たちで助けようという
ただ、横たわる青年はまだ意識が
前世で受けた直近の講習では人工呼吸不要とあったけど、ろくに酸素を含まない血液を回したところで蘇生率は上がらないという論文もあった。
その場に正確な方法を知っている者がおり、
逆に、胸骨圧迫のみを絶え間なく行う方が蘇生率が高いというものもあったが、データの
……
「ナキア、ハンカチを貸してくれる?」
不安げな顔の侍女からハンカチを受け取り、横たわる青年の口元に広げ、青年の鼻をつまんで顔を寄せていく。
「お、おい」
向かいの青年からも、周囲からも
「リー、……っ」
ちょうど胸骨圧迫の担当だったカイルを掌で制して、ハンカチ
いや、正確には唇を
青年の口全体を覆うように目いっぱい口を開いて、ため込んだ空気を
片目で青年の胸が
「カイル、すぐに続けて。三十回押したら、今のを繰り返すわ」
こちらを
再開された胸骨圧迫に一息ついたところで、向かいの青年と目が合った。
キャスケットを深々とかぶり、目元までかかった黒髪のせいでわかりにくいが、赤みの強い
意志の強そうなその目が、理解できないといった風にひそめられていた。
「……こんな往来で、
周囲の反応や、その訝しげな表情から察するに、人前でのキスなんてものは、この世界ではたしなめられるのが
人工呼吸の知識など
うん、まあ、なんとなくそんな気はしていたよ。
「慎みで人が救えるならそうするわ」
これは交代しないから安心して、と言い添え、三十の合図に再び唇を寄せた。
何人か胸骨圧迫を交代し、五回ほど人工呼吸を繰り返したところで、吹き込んでいた空気に
うっすらと青年の
「よかった……。まだ動かないで、あとはお医者様に
時刻を確認すると、事故から二十分というところだった。
確実に助かるという保証はなかったのだ。なんとかなって本当によかった。
一見しただけではわからない部位の
「
周囲に向けて
浴びるほどの
子どもの体力のせいか安堵からくるものか、ひどく疲れた。
手や服に血もついてしまったし、いったん出直しね。
この後の予定をナキアと打ち合わせながら歩き出すと、背後から呼び声がかかった。
「待ちなさい。……君は、医者なのか」
まさかの医師当人の口から出た言葉に、思わず目をしばたいてしまった。
こんな
「残念ながら」
前世では看護師をしていた。その後、
一般人よりは知識があるだろうけど、医師ではない。加えて、医療現場から
だからもうこれ以上は無理ですよ、と念を押すような
「待て!」
カイルの手を借り、さあ馬車に乗り込もうというところで誰かに
急なことに
白銀の
ああ。誰かと思えば、頭部固定を手伝ってくれた青年か。
赤みの強い褐色だと思っていたけれど、明るい陽のもとだとずいぶん印象が変わるのね。
青年は弾かれたように手を放し、一歩下がるとキャスケットを
とっさにとった
「……驚かせてすまない」
「気になさらないでください。私の方こそ、手がお顔に当たりませんでしたか?」
再びこちらへと向き直った青年は、なぜだかどこか
「……さきほどの医者から、あの処置がなければ兄は助からなかったと聞いた。礼がしたい。屋敷に届けさせるから、名を教えてくれないか」
なるほど、あの子とはご兄弟だったのか。
ちゃんと
格好から察するに、商家のご子息あたりか、それに
身元がバレるのは
「当然のことをしたまでですわ。お兄様が一日も早く回復されますよう」
名乗るつもりはないことを
「こちらから名乗れと言うのならばそうしよう。俺は──」
おっと。これ、
思わず口元がひきつりそうになっていると、カイルが私をかばうように進み出た。
「お
何の目配せもしていないのに、
青年の視線が外れた
背後で呼び止める声が聞こえるが、気にしたら負けだ。
三十六計
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