悪役令嬢は夜告鳥をめざす

さと/ビーズログ文庫

一章 まずは状況把握と参りますか

1-1

 

 あえぐように飛び起きると、周囲の光景は想定とはまったく異なるものだった。

 窓にかかる一目で高価とわかるカーテン、細やかなしゅうえるベッドカバー。

 視線を下した先の手は幼く、かたからはらりと下りたひとふさかみあわい金色をしている。

 ……ん? ……金?

「リーゼリット様、お早いお目覚めですね」

 落ち着いた色のドレスを身にまとった女性がり返り、やわらかく微笑ほほえむ。

 なぜか、どちらさまですか、とはならない。じょのナキアだ。

 呼ばれた名前も聞きなじんだものだった。

 でもどこかおかしい。私はごくつうのマンションに一人暮らししている黒髪の日本人で、リーゼリットとかいう名前ではなかった。仕事に明け暮れ、おでネット小説を読むのが日々の楽しみという立派なじょだったはずだ。

 それもついさっきまで入浴中で、すいに負けたのか、頭の先までお湯に包まれていたはずで……。

 すう、と大きく息を吸い込むと、最後に感じたはずの息苦しさはみじんもなく、部屋にかざられた花が柔らかく香る。窓から差し込む光が部屋をあざやかに染め──

「……熱でもあるのですか?」

 額にえられたてのひらからは、じんわりとした温かみを感じた。

 これが夢でないなら何なのか。考えたくはない、けど、疑いようもない……っ!

 ──私、お風呂でおぼれて転生しました。

 う、う…うそでしょ……よりによってでき……? ぱだかで……?

 この場合、発見っていつだれがするの。仕事は?

 今日の会議の議事録にまだ手をつけてないし、休講のれんらくは誰がしてくれるの?

 一週間後にせまった看護実習の準備も、年内に発表予定だった科研費での論文も。

 レポートの評定だってまだつけ終わってないんだけど、え、これどうしたら……。

 あまりのことにうなれ、頭をかかえるしかない当人をよそに、ナキアは着々と私のたくを整えていく。

「昨日のつかれが出たのでしょうか。体調がすぐれないようでしたら、医者をお呼びしましょうか」

 おだやかに声をかけられながら、背中まである髪をていねいかれる。

 するするとくしが通るたびにじょじょどうがおさまり、思考も落ち着いてきたように思う。

 しきさいも温度も香りもかんしょくも、今はこれが現実なのだと伝えてくる。

 ……あちこちにめいわくをかけるけど、前世のことはもう考えたって仕方ない。

 まずは、ここがどういう世界なのかをかくにんしなくては。

 たしか私は、昨日初めて領地を出たのだった。

 半日はかかるきょを延々と馬車にられ、王都のべっていとうちゃくしたところなのだ。

 二年後にむかえるデビュタントを前に、少しでも王都に慣れさせようという親の意向のもと、社交シーズンをこっちで過ごすために。

 今日は王都を散策する予定だったから、現状をあくするにはもってこいのはず。

「いいえ、予定通りでだいじょうよ」

「かしこまりました、ではそのように。さあ、整いましたわ」

 差し出された大きな鏡に映るのは、勝気そうなエメラルドグリーンのひとみが印象的な少女だ。ゆるいウェーブをえがきんぱつは二つにい上げられ、きゃしゃな体にうすももいろのドレスが似合っていた。

 リーゼリット・フォン・ロータス、おんとし十四歳。

 あちこち読みふけったうちの一つかなあとは思うのですが。

 悲しいかな……どの小説の登場人物か、わかりません。


 侍女のナキアと護衛のカイルをともない、いざ行かん王都散策へ。

 本日の予定は、数日後にかいさいされるお茶会のドレス調達がメインだ。

 時間が許せば図書館にも寄ってみたい。

 ほうとか聖剣の伝承とか、何かこの世界のヒントがあるかもしれないしね!

 馬車はぎょしゃふくめた四人を乗せ、今日も今日とてごとごと進む。

 車窓からのぞむレンガ造りの町並みは、古き良きヨーロッパを思わせるものだ。

 馬車のう大通り沿いにはガス灯が並び、のきを連ねるてんにぎわいを見せている。

 前世でヨーロッパに行きたくても行けなかった身としては、目にも楽しいプチ旅行感覚。

 ただ難点を言わせてもらうとすれば、いしだたみそうされた道は昨日さんざん馬車に揺られたおしりにはきついってことと、車窓からながめるだけでは世界観のヒントはまるで出てこないってことね。

 せめて消去法でしぼっていこうと試みてはいるんだけど、しきの中にも町にもばつな髪色の人はいないし、魔法を使っていたり、人ならざる者がばっしている様子もない。

 れんさい・完結含めざっと五十は読んだ転生もの小説のうち、年代や地域が異なる作品を省いてみても、西洋風の世界観が大半すぎてほとんど絞れないのだ。

 カタカナの名前ってどうにも印象が似通うしなあ。おくりょくお察しの私には、どの小説の登場人物が何て名前だったかという組み合わせすらあやしい。

 ……というか、そもそも私は主人公なの?

 もし悪役れいじょうなら早めに対策をとらないといけないけれど、モブや主人公の友人レベルなら第二の人生をおうしたっていいのよね?

 今世の私はなかなかにかわいらしい外見で、あとぎもいる名門はくしゃくの三女だ。

 お姉様たちのとつぎ先をまえると、政略けっこんひっという立場でもないように思う。

 前世ではひたすら喪女をつらぬいてしまった私だが、大れんあいひろげることだって不可能ではないのだ。

 どうかここは一つ、モブでお願いしたい!

 誰にともなくいのっていると、大きな音と何人かの悲鳴が耳に届いた。

 そちらに目を向けるやいなや、反対車線を馬車がもうスピードで通り過ぎていく。

 車窓から身を乗り出せば、今の馬車にかれたのだろう、道路わきに青年がたおれているのが見えた。人は集まっているがそうぜんとしていて、適切な対処がとられている様子はない。

「止まって! 止まりなさい!」

 がさで馬車のてんじょうたたいて合図を送り、かいちゅうけいで時刻を確認する。

 ほどなくして速度が落ちた馬車から飛び降りると、すぐにひとがきへとけ出した。

「リーゼリット様?! 危なっ……、お待ちください!」

 一分一秒でもしいこんなときに、待ってなんていられるわけないでしょ?!

 ドレスをひるがえして人波をすりけ、カイルを振りきり駆けつける。

 人垣の中心である歩道の一角には、血を流し力なく横たわる青年の体を、二人の黒髪の青年が揺り動かしていた。友人だろうか、すっかり血の気の引いた顔になっている。

 周りの大人たちは今もなおっ立っているだけだ。

 ──っ、誰も、何もしないつもり?!

「揺すらない!」

 見ているだけの大人たちにいかりすら覚え、ずかずかと前に進み出る。

「ゆっくりと、あおけに横たえて」

 青年たちの手が止まるが、いぶかしむように私を見るだけで動こうとしない。

 いっかいの少女に何ができると思ったんだろう。

 気持ちはわかるが、今ここで問答したところで状況は好転しないのだ。

「迷っているゆうが?」

 一刻を争うとの意を込めて告げれば、二人は指示した通りの行動をとる。

「医者は呼んだのよね? ご両親への連絡がまだなら、あなたがしらせなさい」

 近くにいた背の高い方の青年に声をかけると、いっしゅんだけもう一人の青年を見やったのち、はじかれたように駆け出していった。何人かの大人も、医師を呼びに走り出したようだ。

 それを視界のはしとらえながら、横たわる青年のそばひざをついた。

 体格から見るに、おそらくは十六、七歳くらいのねんれい。ざっと見てわかる外傷は二センチほどの額の傷くらいか。流れた血が茶色の髪を赤黒く染めてしまっている。

 取り出したハンカチの上から額をあっぱく止血し、そのままあごを持ち上げて気道を確保する。

 ほおを口元に寄せ、いきむなもとの動きがないか確かめるが、どちらもなし。

 顎に添えた指をスライドさせてけいどうみゃくれてみても、はくどうは感じられなかった。

 懐中時計の針はあれからすでに五分が経過したことを示している。

 ……呼吸が止まってから、心臓が止まってから、何分だ。

 額にいやあせが伝うけど、立ち止まっている時間はない。

「そこのあなた、手を借りるわ。同じように固定して」

 残った方の青年に頭部を任せ、そくに手を組み胸骨圧迫を開始する。

 ひじばし、自分の体をしずみ込ませるように押しながら、周囲へと指示を飛ばす。

「事故の状況が、わかる人はいる? 医者が来たら、説明できるよう整理を。それ以外の人は、やり方をよく見て、覚えなさい! 右の人から順に、代わってもらうわ!」

 AEDなんてもの、絶対ここにはない。

 大人たちの様子からして、しんぱいせいほうを知る人がこの中にいるとも思えない。

 だからといって、医師が来るまで私一人で続けられるものではないのだ。

 ただの野次馬になんてさせてやるものか!


 時折コツの説明を織り交ぜて続け、五十回を過ぎたあたりで交代をする。

 流れる汗をぬぐい、乱れた息を整えながら手技を見守った。

「テンポがとてもいいわ。もう少し上体をかぶせて、両の掌が沈み込むように」

 青年の体格からすれば、力加減はこのくらいがとうだろう。

 その場の誰もが初めてだろうに、思いのほか形になっている。周りを囲む大人たちの表情は今や、自分たちで助けようというがいが感じられるものになっていた。

 ただ、横たわる青年はまだ意識がもどる様子はなく、くちびるは青くかさついていて、どう考えても酸素が足りているようには見えない。

 前世で受けた直近の講習では人工呼吸不要とあったけど、ろくに酸素を含まない血液を回したところで蘇生率は上がらないという論文もあった。

 その場に正確な方法を知っている者がおり、かんせんなどのおそれがない場合は、これまで通り人工呼吸がすいしょうされるというものだ。

 逆に、胸骨圧迫のみを絶え間なく行う方が蘇生率が高いというものもあったが、データのろんきょはどうだったか。

 ……しょうしていないで、どちらが正しいか検証しておけばよかった。

「ナキア、ハンカチを貸してくれる?」

 不安げな顔の侍女からハンカチを受け取り、横たわる青年の口元に広げ、青年の鼻をつまんで顔を寄せていく。

「お、おい」

 向かいの青年からも、周囲からもまどいの声がれるが、構うつもりはない。

「リー、……っ」

 ちょうど胸骨圧迫の担当だったカイルを掌で制して、ハンカチしに唇を合わせた。

 いや、正確には唇をおおった、だな。

 青年の口全体を覆うように目いっぱい口を開いて、ため込んだ空気をき出す。

 片目で青年の胸がふくらんだことを確かめて、もう一度空気を送り込んだ。

「カイル、すぐに続けて。三十回押したら、今のを繰り返すわ」

 こちらをぎょうしたまま時が止まったようになっているカイルをうながす。

 再開された胸骨圧迫に一息ついたところで、向かいの青年と目が合った。

 キャスケットを深々とかぶり、目元までかかった黒髪のせいでわかりにくいが、赤みの強いかっしょくの瞳だ。

 意志の強そうなその目が、理解できないといった風にひそめられていた。

「……こんな往来で、つつしみがないのか」

 周囲の反応や、その訝しげな表情から察するに、人前でのキスなんてものは、この世界ではたしなめられるのがいっぱん的なのだろう。

 人工呼吸の知識などかいだろうし、今のをりょうこうだとは思いもしないか。

 うん、まあ、なんとなくそんな気はしていたよ。

「慎みで人が救えるならそうするわ」

 これは交代しないから安心して、と言い添え、三十の合図に再び唇を寄せた。


 何人か胸骨圧迫を交代し、五回ほど人工呼吸を繰り返したところで、吹き込んでいた空気にていこうがかかる。

 あわててハンカチを外すと、軽いむせこみの後、青年の呼吸が戻ったのがわかった。

 うっすらと青年のまぶたが上がり、あちこちからかんせいあんの吐息が聞こえてくる。

 しょうてんがまだ定まっていないのか、色素の薄い金の瞳がぼんやりとこちらを見ている。

「よかった……。まだ動かないで、あとはお医者様にてもらって」

 時刻を確認すると、事故から二十分というところだった。

 確実に助かるという保証はなかったのだ。なんとかなって本当によかった。

 ねらいすましたかのようなタイミングで医師も到着し、大人たちから状況を確認している。

 一見しただけではわからない部位のりょうが必要だとしても、私にできるのはここまでだ。

みなさまがいなければかないませんでした。ご助力感謝いたします」

 周囲に向けてしゅくじょの礼をとり、仕事は終わったとばかりにきびすを返す。

 浴びるほどのはくしゅや歓声の中、ふらつきそうな足をしっして。

 子どもの体力のせいか安堵からくるものか、ひどく疲れた。

 手や服に血もついてしまったし、いったん出直しね。

 この後の予定をナキアと打ち合わせながら歩き出すと、背後から呼び声がかかった。

「待ちなさい。……君は、医者なのか」

 まさかの医師当人の口から出た言葉に、思わず目をしばたいてしまった。

 こんなむすめつかまえて何をと言いたいところだが、この世界では前世よりも医学的知識が周知されていないのだろう。もしくは、医学自体が進んでいない世界なのか。

「残念ながら」

 前世では看護師をしていた。その後、博士はくし課程を経て看護大で教職に。

 一般人よりは知識があるだろうけど、医師ではない。加えて、医療現場からはなれてずいぶんたつから、じっせんともなるといろいろあやふやだ。

 だからもうこれ以上は無理ですよ、と念を押すようながおを返し、よごれたスカートのすそを翻して、今度こそその場を後にしたのだった。


「待て!」

 カイルの手を借り、さあ馬車に乗り込もうというところで誰かにうでを取られた。

 急なことにおどろき手を引くと、そのひょうに指先が触れたのか、キャスケットのつばが上向く。黒髪の奥へと陽がし、その『誰か』の瞳を照らす。

 白銀のまつふちどられた、ルビーのようなこうさいがいっそうきわった。

 ああ。誰かと思えば、頭部固定を手伝ってくれた青年か。

 赤みの強い褐色だと思っていたけれど、明るい陽のもとだとずいぶん印象が変わるのね。

 青年は弾かれたように手を放し、一歩下がるとキャスケットをぶかにかぶり直した。

 とっさにとったおのれの行動をじているのか、視線がうつむく。

「……驚かせてすまない」

「気になさらないでください。私の方こそ、手がお顔に当たりませんでしたか?」

 らされた視線を追ってのぞき込むと、青年は一度まばたきをして、ああとうなずいた。

 再びこちらへと向き直った青年は、なぜだかどこかきんちょうしたおもちをしている。

「……さきほどの医者から、あの処置がなければ兄は助からなかったと聞いた。礼がしたい。屋敷に届けさせるから、名を教えてくれないか」

 なるほど、あの子とはご兄弟だったのか。

 ちゃんとしつけられてそうだし、この口ぶりだといとこのボンボンだろう。

 格好から察するに、商家のご子息あたりか、それにふんしたおしのびの貴族といったところか。歳はおそらく私と同年代くらい。となると、社交界で出くわすかもしれない。

 身元がバレるのはけたいな。主に、はしたなさの面で。こんが遠のきそう。

「当然のことをしたまでですわ。お兄様が一日も早く回復されますよう」

 名乗るつもりはないことをにじませた笑顔で返すが、相手は引き下がる様子を見せない。

「こちらから名乗れと言うのならばそうしよう。俺は──」

 おっと。これ、ことわれない流れってやつか。

 思わず口元がひきつりそうになっていると、カイルが私をかばうように進み出た。

「おじょうさまは望んでおられません。おひかえを」

 何の目配せもしていないのに、ぜつみょうな助け船。なんってできた護衛だ!

 青年の視線が外れたすきを狙い、馬車へと乗り込む。

 背後で呼び止める声が聞こえるが、気にしたら負けだ。

 三十六計げるにかず、これにて退散いたします!

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