第58話 法の小神(マイナー・ゴッド)セレスティア


(―――可哀想。)


 この世界ではないどこかの高次元。

 肉体が存在しない神々が存在するその次元で、歌うような声が響き渡った。

 もし声を発する発声器官があれば、全ての人々が聞き惚れるような透き通って鈴を鳴らすような思念波は、周囲の空間へと無尽蔵に流れ出す。


(可哀想、可哀想、可哀想。

 全世界の全ての存在はとっても可哀想。

 全ての存在は”在る”事によって苦しんでいる。

 混沌から生み出されてとてもとても苦しんでいる。

 ”在る”という事は、それだけで秩序の維持を乱している。)


 並みの人間が聞けば、それだけで洗脳されそうなほどの魅惑的な思念派は、そのまま次元の壁を通して、廃棄世界へと伝わっていく。

 廃棄世界には、神々の力を防ぐ世界規模の結界も、法や混沌の主神クラスの守護も存在しない。そのため、小神クラスの力でも、ダイレクトに世界に干渉を及ぼすことができるのである。


(―――そうだ。全ての存在を滅ぼそう。

 全てを虚無に還して永遠の平穏を与えよう。そうすれば、永遠の静寂が世界に訪れる。これは慈悲です。法の神としての慈悲をこの廃棄世界の皆に与えます。)


(廃棄世界の皆よ、もう必要とされていないのに"在る"という事はとても苦しいでしょう?耐えられないでしょう?私は慈悲を与えます。全ての存在を開放する事によって苦しさを消滅させます。そう、これは苦しみからの解放なのです。

 私は、皆さんに救いを与えます。これは救済なのです。)


 歌うようなその思念波は、そのまま高次元から時空の穴を通して、廃棄世界へと流れ込んでいった。

 そして、その思念は法の陣営に属する者たちに強く影響を与えていた。

 そう、それはここにも……。


「―――だから、我々の言う通り、軍を動かせというのだ!」


 バン!と乱暴に男は会議室の机に手のひらを叩きつける。

 彼は”連合”の中心人物の人物の一人で、リュストゥング王国に軍を動かさせ、ノイエテール王国へと侵攻させるべく派遣されてきた人物である。

 だが、その高慢極まり態度に、リュストゥング王国の国王も大臣たちも一様にうんざりとしていた。

 ここ、リュストゥング王国は、”連合”からは遠く離れた影響で、穏健派が主流であり、存在凍結を目指す凍結派とは一線を画している。

 確かに、隣国であるノイエテール王国とは、国境を面している関係で仲は良くはないが、だからと言って「侵攻しろ」と言われて「はい分かりました。」と素直に軍を動かすほど険悪な仲ではない。

 そもそも、軍を動かすためには、金も時間もかかるし、兵站のための物資も集めなくてはない。

 ただ「侵攻しろ」と言って簡単にできるものではないのだ。


「我々、”連合”はあの天秤に仕える忌まわしいノイエテール王国を滅ぼす事に決定した!お前たちはその命に従えばいいのに動かせないとは何だ!」


「……お言葉ですが、素直にその命に従うわけにはいきません。」


 苦虫を噛み潰したような表情をしながら王座に座るリュストゥング国王のその言葉に、連合からの使者は思わず激高する。


「何だと貴様ら!”連合”の意見に反抗するというのか!」


 そのあまりの高慢な言い方に、周囲の騎士たちも思わず武器に手をかけようとするが、何とか自制する。理論からすれば無礼極まりないのは連合の方である。

 ぴくぴく、と青筋を立てながらも、何とかリュストゥング王国の国王は丁寧な言葉を続ける。


「反抗するとは言っていません。ただ理由を聞きたいだけなのです。

 何のためにノイエテール国に出兵しなくてはならないか、を……。」


「理由などどうでもいい!とにかく我々の言う通りに出兵すればいいのだ!

 有害な思想をばら撒く天秤の国の住民どもを、一人残らずジェノサイドすればいい!その後の領地は貴様らにくれてやる!好きなだけ切り取って征服すればいいだろうが!」


 そのあまりの言葉にその場にいる者たちは、全て怒りに身を震わせる。

 そもそも、”連合”は別にリュストゥング国の上位に存在している訳ではない。

 あくまで、連合は法の国家の集合体であり、彼らはその中心にいる主流派というだけに過ぎない。そんな彼らが、辺境の国とは言え、命令を下せる権利などないないのだ。


「……だったら貴方たちだけでやればいい。我々には関係ない。

 なんの理由もなく兵を起こし、他国へと侵攻を行うほど、我々は物好きではない。」


「貴様らァ!”連合”に逆らう気か!!」


「そもそも、別に我々は連合に服従を誓っている訳ではない。

 あくまでそちらが法の勢力が主流派だから従っているだけにすぎない。

 貴方たちは我々より上に立っているという訳ではないのだ。

 命令など強いれる立場ではない事は理解していただこう。」


 そうだそうだ!とその場にいる者たちは一斉に国王の言葉に賛同する。

 連合はあくまで法の勢力の主流派なだけであって、別段他の国の上位に立っているという訳ではない。

(本人たちは、そうは思っていないだろうが)


 もちろん、使者たちももっとスマートに、ノイエテール国に対する敵意等を煽って開戦状態に持ち込む事を目的としていたが、ノイエテール国よりも連合上層部の高圧的な高慢さに憤然やるせない、という人々はそれを遥かに上回っていたのである。

 普段からの高圧さに加え、この高慢さと上から目線の命令では、反感を買うのも当然である。


「チッ!後悔するなよ貴様ら!」


 そう吐き捨てると、使者は足音を立てながら、荒々しくその場を立ち去っていく。

 それを見て、その場にいる者たちは、一斉にはぁ~と安堵と疲労のため息をつく。

 今まで連合の言いなりになって耐えに耐えてきたが、流石に皆も限界だったのだ。

 それでも、剣を抜かずに何とか使者を追い返したのは、穏健派としてのプライドだったといえる。


「……皆ご苦労様だった。よくあれだけの侮辱に耐えてくれた。皆を誇りに思う。」


「いえ王よ。恐れ多く……。それで、あやつについてはどうしますか?

 この国は穏健派がほとんどですが、連合に共感を覚えている跳ね返りもそれなりにおります。」


 リュストゥング王国は辺境の地であるため、”連合”が支配する凍結派(存在凍結によって人類を保存しようとする過激派)の影響は少ない。

 ほとんどが非主流派である穏健派ではあるが、それでも凍結派の影響を受けている者たちは存在している。


「まあ、多数いると言っても、あのような者に従う者たちなど早々おるまい。

 一応あやつには監視をつけておいて、何か過激なことをしようとするのなら報告するがよい。」


「は、了解しました。」


 常識的な判断ではあるが、後にリュストゥング王はこの判断を深く後悔することになる。


 ―――法の神殿において、連合の使者は、人払いをして一心不乱に祈りを捧げていた。辺境の地であっても、法の神の神殿はやはり存在する。

 法は人間社会において必要不可欠であって、普通の人たちは法なくしては社会も築けないし生活を営む事もできないのだ。

 そして、一心不乱に祈りを捧げている彼の脳裏に、ふととある”声”が聞こえてきた。


「おお!我らが神よ!法を守護せしセレスティア様よ!

 私に直接神託を下さるとは何という光栄……!」


 神からの信託を受けて、トランス状態になった彼は、体をのけ反らせて虚空を見つめながら、ぶつぶつと独り言を呟いていく。


「な、何と……!存在凍結ではなく、全世界に静寂と平穏を齎せと……!?

 全てを滅ぼし、虚無に還す事によって永遠の秩序の維持を行えと……!?

 い、いや、それでは人類が存続したという証明すら失ってしまう!

 そ、それはいくら何でも……何?そうすれば貴方を解放して永遠の平穏を与えよう?ほ、本当ですか!分かりました!あなた様に従います!」


 セレスティアの高次元からの”歌”を聞いてただでさえ発狂していた彼は、たちまちセレスティアの言いなりの人形へと変貌する。

 何十回もの世界の終末と自分の死を潜り抜け、それでも「人類を存続させる」という崇高な目的にしがみ付いていた彼だったが、もうとっくの昔に限界を通り過ぎていた彼の精神は、セレスティアの”歌”によって容易く崩壊したのだ。

 もうこんな世界にしがみつくのは真っ平だ。もう解放されたい。もう楽になりたい。

 そんな本音と、セレスティアの目的は見事に一致したのである。

 

「ああ……。そうか。この世界はもう無意味で無価値で見捨てられた世界なのだ……。は、ははは……。我々の行ってきた人類存続など意味がなかったんだ……。

分かりました。セレスティアよ。この世界も人類も虚無に還して、永遠の平穏を与える事は唯一の救済であるということが……。ならば、私は、その神意に従いましょう。」


 そして、セレスティアが発する”歌”は彼だけでなく、波長の合う人間にも影響を及ぼす。セレスティアの加護を受けた彼は、その影響を受けた人間たちからカリスマ的存在になりうるのだ。

 その力を使い、慕う者たちを集め、ノイエテール王国を蹂躙せよという神の判断である、と彼は判断した。

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