第51話 今度こそ、バッドエンドは迎えさせない。
―――アルシエルはただ眠っていた。
オーレリアの診断によると「神としての力を使ったのでそれを回復するために休眠モードに入っている」との事だった。
今の彼女は人間の姿はしているが、混沌の勢力が生み出した神の分霊を収めるための器でしかない。その内部は完全なブラックボックスで、オーレリアですら全く解析不可能な存在である。当然、人間の医者などに理解できるはずもない。
故に、彼女の望むままにするしかないのだ。
そして、アルシエルは深い深い眠りに落ちている間、想像もできないほど遥か昔の記憶を思い出していた。
―――それはアルシエルがまだ天秤に属する中立神だった頃の話。
世界のバランスを正すべく、他次元を通じて天秤によってこの世界に転生・来訪したのがエルネスティーネの同位体だった。
彼女は今のようにラノベ云々などとは言わず、自らの願望も明らかにせず、何の疑問も持つことなく自らの使命を行っていった。
そして、中立神のアルシエルも何の疑問も持たずに使命に従った。
それは、世界を救う事、世界を維持し続けることだ。
人類に仇なす混沌の勢力の大部分を滅ぼし、バランスを取るために人類サイドの法の勢力も大部分を滅ぼした。
今まで共に戦ってきた法の仲間を躊躇いもなく殲滅していく彼女のそのやり方を悪魔と罵る輩もいたが、彼女はそんな声にも眉一つ動かす事無く殲滅していった。
そして、千年にも渡る天秤の時代が訪れる事になった。
天秤の両方に重さがなければ、そもそも天秤は傾かない。
法も混沌もほとんど滅ぼし、この世界に天秤の世界が訪れたのだ。
千年にも渡る平和を築き上げた事により、彼女は『天秤の女王』として称えられる事になった。だが、彼女の行う事は変わりない。
法の勢力も混沌の勢力もある程度は残し、膨れ上がろうとしたら両方とも公平に攻撃して勢力を減らす。
技術進歩や文化発展、産業革命などは許さず、農民たちはただ自然と向き合い、農作物を作り、それを女王へと捧げ、彼女はその食料を公平に分配する。
彼女以外の王族、貴族階級など全て有害でしかない。全て農民にされるか、社会を維持する文民になるか二つに一つしかない。それは言うなれば、原初的な共産主義にも等しいものだった。
そうして、人々は作物を作り、子を育て、死んでいくだけの世界が千年間続いた。
退屈極まりない世界であったが、食料がきちんと配給されていれば、文句をいう農民たちは少ない。女王はそれを千年間やり通したのだ。
言うなれば、それは原始共産制にも等しい。
千年王国とも呼ばれるその平穏な時代。だが、そのあまりにも長い単調すぎる日々に嫌気が指している人々がほとんどだったのも事実である。
千年間ただバランスの維持を務めた女王は、天秤からの加護として不老長寿を賜っていた。これによって千年間にも渡る長い間生き続けて統治してこれたのである。
だが、それもついに破綻する時が来た。
文明の発達も技術進歩も天秤を乱すと排除していた女王に対して、反感を持っていた人々と、法と混沌の勢力が手を結び、レジスタンス活動を行い、ついに女王へと反旗を翻したのである。
千年間にも渡る安寧によってすっかり形骸化していた治安機構に、これらを防ぐ力は残っておらず、いともあっさりと女王の統治は崩壊する事になった。
今まで平穏に生きてきた農民や市民たちは「革命」という楽しみに瞬時に夢中になってしまい、レジスタンスたちに力を貸してしまったのである。
反乱した市民や農民、レジスタンスにより、瞬時に千年王国は崩壊し、女王も燃え盛る王宮の中で捕えられる事になった。
『いたぞ!女王だ!何が天秤だ!何がバランスだ!
俺たちを好き勝手弄びやがって!』
千年間存在していた女王の膨大な魔力ならば、首都ごと反乱分子を消滅する事も容易い事ではあるが、女王は大人しく縄に囚われていた。
事実、彼女も千年間に渡る統治に疲れ果てていたのである。
人間ならば百年もすれば統治に空き、全てを破壊してしまう退屈極まりない統治をずっと行っていた彼女の精神は疲弊しきっていた。
縄に縛られ、暴徒に殴られながら、女王は大人しく彼らに従っていた。
『この千年、俺たちがどれだけ苦しんだのか分かっているのか!?
あれもダメこれもダメ!ほんの少しでも生活を良くしようとすれば、何もかもバランスを崩すからダメとか抜かしやがって!
この千年、俺たち人類はまるで進歩していない!ただ同じ事の繰り返しだ!』
「それは仕方のないことなのです。全ては、世界のバランスを維持するために……。」
その女王の反論に、暴徒の一人は槍の石突きで迷いなく彼女を殴りつける。
どのみち、彼女は処刑されるのだ。リンチにあって全身ズタズタにされていないのが不思議なぐらいである。
これぐらいは当然だろう、と彼女の冷静な部分は判断していた。
『うるせぇ!バランスなんてうんざりだ!俺たちは俺たちのやりたいようにやる!
お前はさっさとくたばれ!』
その間も、暴徒たちに女王は殴られながらも、地下の牢屋へと無理矢理入れられる。
女王の統治は終わったと皆に証明するため、市民の前で公開処刑する気なのである。縄に縛られ、暴力を振るわれ、体中傷だらけで青あざだらけで寝転がっている女王の前に、アルシエルは姿を現す。
天秤からは、もう干渉しなくともよい、という通達が出ているが、アルシエルは半ば無理矢理干渉を行い、この世界に現れたのである。
アルシエルはずっと千年間彼女が苦労して、この世界を統治しているのをずっと見てきた。その末路がこれだとは、到底認められなかった。
逃げよう、と提案した。干渉は禁じられているといっても、彼女を逃がす程度ならばできるはずである。
だが、女王はその言葉を首を振って拒否した。
「……。いえ、神様。これは仕方ない事なのです。
確かに彼らの怒りは正当な物です。世界を保つために、私はずっと彼らを踏みにじってきた。それを考えれば、これは当然の事でしょう。どうぞ、静かに末路を迎えさせてください。」
縛られ、寝転がされながらも、天秤の女王は全てを諦め切った穏やかな表情で、静かに言葉を続ける。暴力を振るわれ、痛む体を持ち上げて、ふと彼女は何かを思い出したように最後の言葉を放つ。
「……ああ、でも、残念な事が一つだけあります。
ラノベ、書いてみたかったなぁ。……本、読みたかったなぁ。」
そして、彼女はその言葉に殉じた。
暴徒たちに公開処刑され、切断された彼女の首は槍の切っ先に吊り下げられ、肉体は串刺しにされて晒しものにさせられた。
どうして!どうして!どうして!
あの子は頑張った!世界を救うためにずっとずっと頑張った!
その結果がこれなのか!
アルシエルはそれを見ながらそう絶叫した。
そして、天秤の女王を失った世界は、天秤の抑えを失い、完全に暴走した。
暴走した法の力は世界の半分を存在凍結させ、もう半分は暴走した混沌の力によって全ての存在を融解する存在融解の状態へと変化させた。
当然、そんな状況で人類が生き延びられるはずもなく、人類や全ての種族は全滅した。そして、世界を覆いつくした存在融解と存在凍結はぶつかり合い、全てが解け果てている混沌の肉の海と、全てが停止して凍り付いた世界に二分割され、肉の海と停止された空間がぶつかり合う、無意味な食らい合いが永遠に続く世界へと変貌した。
女王……エルネスティーネを無残な最期を迎えさせた人類たちには当然の末路だ、とアルシエルは思った。だが、それでは納得がいかない。
あんなに頑張った人間が、最後に報われないなんて納得がいかない。
……要は、これは「潮時」だったのだろう。
平行世界、多元世界はそれこそ無数の世界が存在する。
その中で一つの世界が滅びた所で、天秤にとっては大した痛手ではない。
この世界は、もう潮時、維持していても意味がない、と天秤によって見捨てられ、ゴミ箱へと捨てられたのだ。
中立神、天秤に属する存在として、過剰なその世界に対する肩入れは禁じられている。過剰な神の干渉、それ自体が均衡を乱す行為だからである。
これも天秤が選択した事であり、中立神はそれに対して異を唱えられない。
天秤には人格が存在しない、世界維持システムそのものなのだ。
異など唱えた所で何ら意味もないし、聞き入れることはない。
―――ならば、中立神である事を辞めるしかない。
そう判断したアルシエルは、中立神である事を辞め、混沌神へと堕落する事を選択した。たかが一人の人間ごときに何をやっているのだ。一つの世界が滅んだ所で我々には関係ない。他の中立神の反応は例外なくそんな感じであった。
それが当然だろう。神々というのはそんな物だ。
だが、私は納得がいかなった。あんなにも頑張った人間があんな最後を遂げるなんて納得がいなかったのだ。
混沌神へと変貌したアルシエルは、存在融解された混沌の海から膨大な魔力を吸い上げ、世界を再構築させ時間を巻き戻し、流転させた。
せめて、エルネスティーネが満足する最後を迎えさせてやりたかったのだ。
だが、ただ「世界を救う」という目的で行動するエルネスティーネの末路はいつも同じだった。
全世界を統治する女王へと変貌し、法と混沌の均衡を正し、全世界を天秤の世界へと変貌させ、最後は無残に処刑される。
何度ループさせても、細かい個所は異なっても、大きなその流れは変えられない。
まるでそれが彼女の”運命”であるかのように。
ならば、と今度は法と混沌のルートを進ませてみたが、末路が処刑である事は変えられなかった。
法のルートでは混沌の力を宿した魔女として処刑され。
混沌のルートでは混沌を統べる女王と化したが、結局は世界に害を与える存在として処刑された。
全てを捨てて平穏に暮らすルートでは、戦争に巻き込まれ悲惨な最後を遂げた。
ならば、とそもそも彼女を召喚しないルートでは、私が関与しない所で知らない内にエルネスティーネの同位体が生まれ、そして何も成しえずに無残に死んだ。
(何やら法の力を借りて、この無限ループでも記憶を保持している法の集団がいるらしいが、そんな事はアルシエルにとってはどうでもいい事である)
ここに来てようやく悟った。これが彼女の”運命”なのだと。
都合のいい道具として召喚して、そして用が済んだら処分される。
使えない、動かない道具ならば処分される。
それこそが、天秤が、エルネスティーネに定められた”運命”なのである。
……確かに、それは世界全体を見て正しいのかもしれない。
道具はただ道具として扱い、捨てられた道具に感傷を持つべきではないのが、神々としては遥かに正しいのだろう。
だが、そんなものは、最早混沌神と化した私にとってはクソ食らえである。
だが、いかに世界を流転させる力を持ってしても、《運命》を覆す事はできなかった。《運命》は一説では《天秤》の上位に位置し、《天秤》であっても《運命》には逆らえないという説すらあるのだ。
(一介の元中立神であるアルシエルに、それが正しいのか分かるはずもない)
そして、何度も何度もループする内に気づいた。
エルネスティーネが《自らの望みを果たし》つつ《世界を救い》なおかつ《世界を支配する女王にはならない》。
この三つを満たせば、無残な最期を迎えるルートから外れるのではないか?という推測である。
そのために、アルシエルは自分の肉体を作らせて、それに自分の分霊を付与させて地上に受肉する事すら行った。
世界を何十回も流転させるほどの力を保有している本体に比べ、受肉したアルシエルはその億分の一も使用できない。
だが、エルネスティーネがバッドエンドを迎えないようにさせるために誘導するのは、これが最善なのである。
世界を救い、エルネスティーネも救う。今度こそ、無残な最期は迎えさせない。
それが、アルシエルの本当の想いだった。
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