第50話 法と混沌と天秤
「―――バカな!」
ノイエテール国から遠く離れた法の狂信者たちが統べる連合。
その連合を統治する統治者たちが会議を行う円卓では、信じられないと言わんばかりの叫びが上がっていた。
静寂と秩序を重んじる彼らにとっては、マナー違反ともいえる行為だが、それほど彼らにとっては予想外のイレギュラーな状況になっているのだ。
「世界のバランスが元に戻りつつある!
これは、我らが作り上げようとしている絶対的な法の世界を破壊しようと企む勢力による物に他ならぬ!」
この会議室の円卓の中央には、小型の天秤のガリガチュアが設置されている。
片方には法の象徴である一方向の矢が刻まれた分銅。
もう片方には混沌の象徴である八方面の矢が刻まれた分銅。
これは法の神が齎した神具であり、これにより現在の世界のバランスを一目で理解する事ができる。
そして、その天秤は明らかに異変を示していた。
今までは大きく法の方に振れていた天秤が少しづつバランスを取り戻しつつあるのだ。
混沌の勢力をほとんど滅ぼした現状で、こんな事が起こるはずはない。
何かの理由があるはずだ、と探ってみた結果、どうやら天秤の国が様々な技術革新を次々と行っているため、その結果世界が混沌へと傾きを取り戻しつつあるらしいのだ。
基本的に、何かを生み出す、新しい技術を発明する、というのは混沌の領域である。
このため、様々な発明家には混沌属性の者も多い。(これは邪悪な混沌とは関わりがない)
混沌=邪悪ではなく、法=正義ではない。
どちらも世界にとって必要な要素であり、それが偏ると大きな災害が世界に齎せるのである。だが、ここに存在するのは、全世界を完全な法と秩序の世界で塗り固めようとする者たちだ。
広大な会議室の中心に存在する円卓に座っている一人の豪奢な服に身を包んだ中年の男性が乱暴に円卓に拳を叩きつける。
円卓に座っている他の人間たちも、同じように激しい怒りを宿しているのは、その身に纏った雰囲気で理解できる。
そんな中、円卓に拳を叩きつけた男性は乱暴に声を上げる。
「愚民どもめが!我ら”連合”の崇高な目的を理解せんとは!!
法と天秤と混沌との三すくみの世界など不安定に過ぎる!
いつ世界も人類も滅んでもおかしくない状況なのだ!
それゆえ、存在凍結を用いて全人類と世界の全てを永遠に”保存”する!
これが人類にとっての救済だと何故理解できぬ!!」
法の勢力の中でも最右翼であり過激派でもある”連合”
混沌の勢力をほぼ滅ぼしたその功績で、彼ら”連合”は、もはや法の勢力の中でも最も力を持っている主流派へと姿を変えていた。
当然穏健派も存在していたが、もはや主流派から弾き出されてしまった穏健派に、”連合”の暴走を止める力は残ってはいなかった。
”連合”の主要な都市で実験的に起動されている巨大魔導装置”ユーダイモニア”によって吸い上げられた住民たちの感情のエネルギーは、生体エネルギーとして法の神々へと捧げられている。
その代償として、この世界には法の神々の神聖力と加護が強く与えられ、世界が強く法にバランスが傾いているのだ。
「このままではアポクリュフォン計画……。
世界を法の力による秩序で満たし、世界を永遠の静寂に凍り付かせ、人類と世界を永遠に保護する我らの偉大なる計画が大きく遅れますぞ!
否!計画自体が破綻する可能性すらある!
我ら連合の邪魔をするなど最早不要!天秤の国、我ら連合の総力を上げて根こそぎ滅ぼしましょうぞ!住人どもも一人残らず生かしておくべからず!完全に一人残らずジェノサイドするべきだと判断します!!」
再びその中年の男性は、ダン!と円卓を激しく叩いて絶叫した。
だが、彼の発言は過激に過ぎるが、その発言内容について異論を唱える物はいなかった。世界を法の力で埋め尽くし、世界の全ての存在を存在凍結によって永遠に保存する。この多元世界は非常に不安定であり、今まで幾多の世界が泡のように発生し、そして滅んでいった。
世界の全てが混沌に沈んだ世界もあれば、バランスを追求しすぎて全ての勢力を滅ぼし衰退して消え去ってしまった世界もある。
そんな不安定な世界を凍り付かせ、永遠に保存し存在させ続ける。
我々人類は無価値で無意味な存在ではなかった、と永遠に証明し続ける。
全てがただ熱を失い、消え去って滅び去っていく、そんな絶対的な世界の真理に抗う人類存続のための誇り高い計画。
それこそがアポクリュフォン計画なのである。
だが、その意見に当然反対する者たちも存在していた。
「だが、理由が、大義名分がありますまい。きゃつらは我ら連合に事実上膝をついた形になっておる。膝をついた者を何の理由もなく滅ぼすのは……。」
現状、天秤に属するノイエテール国は、”連合”に対して大人しく従っており、面と向かって反抗してきている訳ではない。
ただ、ノイエテール国で様々な新発明や新しい技術が生み出されているため、結果として法の力が弱まり、世界のバランスの偏りが元に戻りつつあるだけである。
おまけに、中立神に属する神官たちは、多数発行された聖書と共に他国へと向かい、中立神の教えを布教している。
このエルネスティーネが作り出した多数の聖書と共に、エルネスティーネが発案した天秤の教えをイラストをしたパンフなども見せ、彼ら神官たちは布教活動を行っている。文字が読めない文盲の人たちでも、イラストは理解でき、しかもそのイラストの力は読み聞かせなどより遥かに強い。
それにより天秤の教えも法の国々でも広まりつつあり、これも彼らの頭の痛い事態である。これらの要因により、法の偏りが是正され、世界のバランスが戻りつつあるらしい。
だが、それでは、”連合”は大いに困るのである。
しかし、膝を屈している国をなんの理由もなく武力で殲滅するのは流石に反発が大きすぎる。それではただのジェノサイドに他ならない。
「然り。我ら連合とて一枚岩ではない。しかも連合に属さぬ穏健派の法の国々も存在する。なんの理由もなく滅ぼしてはそやつらが反発しましょうぞ。」
”連合”内部にも様々な勢力が存在する。
その中には、穏健派に近い考えを持った勢力も存在し、そんな強硬手段を取ったら穏健派は間違いなく反発するだろう。
混沌への大侵攻は、相手が人類に仇をなす存在を討伐する、という大義名分があったからスムーズに行ったが、同じ事を人類圏に属する国家に行う事は難しい。
「ふむ……ならば、天秤の隣の国のリュストゥング国に侵攻を指示しては?
元々、基本的に隣国同士というのは仲が悪い物。
リュストゥング国内部の我らの支持者に働きかければ、自動的に暴発して侵攻を開始するでしょう。」
リュストゥング国は法の国々に属し、”連合”にも所属しているが、いかんぜん辺境に存在している国なので、完全に”連合”に心酔しているわけではない。
言うなれば、穏健派にかなり近い立場である。
だが、隣国というのは基本的に仲が悪く、領地問題で一触即発の睨み合いというのも珍しくない。しかも、彼らはノイエテール国の混沌領域の開拓を面白くは思ってはいない。これならば嗾けるのも簡単である。
「いざという時には、リュストゥング国が暴走しただけだ、と切り捨てばいいだけの話ですしな。
リュストゥング国ごとき、辺境の国など無くなろうが我ら連合にとっては痛くも痒くもない。」
その初老の男性の言葉に、その場にいる皆は頷く。
ノイエテール国の隣に存在し、エーレンベルク領とも隣接するリュストゥング国は、法の国家には所属しているが、”連合”からすれば辺境の国。
別段辺境の国を一つ失ってもどうという事はない。
それが法の国々を統べる”連合”の力なのである。
「然り。あの程度の国などどうでなろうが我らの知った事ではない。
それより、問題はあの辺境拍の小娘ですぞ。」
「然り。様々な発明を行い、我らが作り上げた法の世界を覆し、世界を混沌へと引き戻そうとするとは……大罪にもほどがある!!」
エーレンベルク領にいるエルネスティーネの話題は、彼らの情報網にも入っていたらしい。たかが一人の小娘ごとき”連合”にとってはどうでもいいが、彼女の巻き起こした影響は放置できない。
これ以上の世界のバランスの均衡を防ぐために、始末する必要がある、と彼らは判断した。リュストゥング国の侵攻が成功してノイエテール国を亡ぼせばよし。
もし失敗しても、確実にエルネスティーネを始末する必要がある。
「混沌に通じる者としてプロパガンダを広げて始末しては?」
「否。あの国はただ混沌だからといっても処刑されますまい。
我ら法の国ならともかく、あの国は法と混沌のバランスを重視する国ですからな。」
喧々諤々と様々な意見が出る中、一人の男性が手を挙げて発案する。
「提案があります。アサシンを差し向けて、彼女だけ命を奪うようにしてみては?
そうすれば、ノイエテール国ごときなどどうとでもできるのでは?」
その意見に、円卓の皆は頷く。あの小娘を始末すれば、ノイエテール国ごときどうなってもいい。リュストゥング国の侵攻が成功しようが失敗しようが些細な事だ。
まずは、
「分かった、許可しよう。全ては人類存続のため。
悪意に満ちた宇宙からこの世界と人類という種を保護しなければならぬ。
そう、我々は、我々だけがこの世界の『真実』を知っている。
―――この世界が、何十回となく滅んでやり直ししているという事を。」
「そう、この世界は滅んでいる。何回も何回も、何十回となく滅んで、やり直しをさせられている。それに気づいているのは、法の神々の加護により記憶を保持し続けられる我々だけだ。
諸君らも覚えているだろう?何十回にも渡る無残極まりない世界の終焉を。
我々自身の死を。」
円卓に座っている者たちは一斉に頷いた。
ループ以前、”天秤の女王”と呼ばれていた謎の存在が作り上げた千年間の平穏、千年王国の時はよかった。だが、人々が自由を求め、千年王国を滅ぼした瞬間、それまで抑え込んできた物が弾け、法の力の暴走による存在凍結と、混沌の暴走による存在融合が襲い掛かってくる事により、世界は無残な終焉を迎えた。
そして、これが世界のループの始まりだったのだ。
何回も世界は様々な姿の終末を迎え、混沌の力が暴走した時は世界の全ての存在が無機物、有機物問わず融解し、混ざり合う存在融解を迎え、ある時は世界の存在力が保てず、緩やかに世界が消え去っていった。
彼ら”連合”に属する者たちは、法の加護により記憶を保持し、何度も世界を救うべく活動したが、結果迎えたのは滅びであり、ただの人間がそれに抗う手段はなかった。
そのため、彼らは決断したのだ。法の力の暴走による存在凍結により、人類を永遠に保持・保存する事を。
「そう、世界の滅びは避けられない。どうしようもない事なのだ。
故に我らに成しえる事は最悪の中でも最善を選ぶしかない。
存在凍結によって人類を永遠に凍結保存して、我々の生きた証を残していく。
我々の道は、それだけしかないのだ。」
その言葉に、そこにいる皆は大きく頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます