第49話 白粉とバラ水

 アーデルハイトとエルネスティーネの話は今度は貴族たちに献上している石鹸についての話になる。

 今まではただ汚れを落とすだけの用途であり、優雅さの欠片もなかったが、それが良い匂いがついて、さらに色鮮やかな染色も行っているとあって、貴族の女性たちは一気に引き付けられる事になった。


「ともあれ、今は貴族の令嬢たちは貴女の作り出した石鹸に夢中ですが……いつまでも安泰とは言えません。必ずどこかの人間たちが似たような商品を開発してくるでしょう。」


 匂いのついた石鹸というのは確かに貴族の女性の心を掴んだが、ずっとこのままエルネスティーネの一党独裁という訳にはいくまい。

 石鹸の作り方自体はそれほど難しいものではないため、絶対にどこかの人間が真似をして必ずこちらのシェアを奪おうとしてくる。

 それに対抗するためには、こちらも新商品を開発して対抗していくしかない。

 それはある意味正しい商売の論理ではある。


「そして、それにさらに対抗するためには、令嬢たちが魅力的に感じる新商品を開発する事……ですか。」


「ええ、その通りですわ。貴族の令嬢や奥方の支持層があれば、ティネの望みを叶えるのも非常にスムーズになるのは分かりますでしょう?王妃からの支持があれば言う事なしですわ。」


 この世界にやってきてもやる事は新製品の開発と商品のアピールとは全く持って泣ける限りである。

 やはり、人間、異世界に行っても基本は変わらないという事なのだろう。

 ともあれ、世の悲哀を嘆いていても仕方ない。


「そうですね……。やはり女性が好む物は、肌を綺麗する商品かと。

 一番手軽に作成できるのは、ローズウォーター、バラ水でしょうか。

 これはバラの花びらを水蒸気蒸留する時に、バラ油の副産物として作成できる水です。」


 ローズウォーターは、その匂いによって心の鎮静効果をもたらし、同時に抗酸化作用や女性ホルモンエストロゲンの活性化により、アンチエイジング効果や美肌効果もあるとされているため、化粧水として効果的なのである。

 おまけに、水蒸気蒸留を行うことによって、香水の元になるバラ油、エッセンシャルオイルを作成する事ができる。

 これも良い匂いを好む女性に対して高く売れる代物なので一石二鳥である。

 とはいえ、エルネスティーネもハンガリー水ならぬノイエテール水を作るので手一杯のため、新しく魔術師か錬金術師を雇う必要があるだろう。


 女性が好む物、と言えばやはり香水に加え化粧だろう。

 化粧は古来は純粋な魔術、魔除けとされ、それが社会に組み込まれていき、美を求める女性たちに必要とされ、より効果的に洗練されていった。

 そして、この時代の化粧として代表的なのは、肌を白くする白粉である。

 だが、この時代の白粉は鉛白が含まれているため、鉛中毒を起こす女性たちが多かったと聞く。(それは日本であろうと西洋であろうと例外ではない)

 白粉には水銀製と鉛の白粉が存在しており、鉛製の白粉は安価な上にのびがよくて落ちにくかったため庶民に人気だったのである。


「……そうですね。少しズレますが白粉とかいかがでしょうか?白粉には鉛が含まれており、体には有害です。水銀製の白粉は危険のため使用を控えるように通知していただけますか?本当は鉛の白粉も危険ではあるのですが……。」


 鉛の白粉を禁止するという事は、白粉自体を禁止すると同義である。

 そうなれば、女性層の支持を集める所ではない。むしろ反感を買うのは当然である。


 人体に無害な白粉を作るためには、酸化亜鉛を開発するしかない。

 だが、これがまた作るのには(この時代では)厄介な代物である。

 溶かして液体状にした金属亜鉛をさらに加熱し、その蒸気を空気酸化させ、冷却して分離させなければならない。

 それがどれだけ危険な事なのかは言うまでもないだろう。

 蒸気化した亜鉛など吸い込んでしまえば、たちまちのうちに鉛中毒になるのは目に見えている。


 もう一つ手段はある。

 それは、湿式法と呼ばれる方法であり、塩化亜鉛または硫酸亜鉛溶液をソーダ灰溶液につけて、塩基性炭酸亜鉛の沈殿を利用して作成する方法である。

 紙作りの関連から、今エルネスティーネの手元にはソーダ灰溶液は余るほどある。

 問題は、塩化亜鉛である。

 金属亜鉛に塩酸を加えて作成するが、その際に有毒な微粉末(ヒューム)を発生させ、眼、呼吸器あるいは皮膚を刺激する。ヒュームを大量に吸引するとチアノーゼを起こす危険性も十分にありえるのである。

 そして、問題になってくるのは、塩酸である。

 塩酸の元になる硫酸は、アルカリ性と違って自然界からは作りにくい。だが、ここでそれを作れる簡単な手段がある。

 それは硫黄と硝石である。水蒸気を通じながら、硫黄を硝石と一緒に燃やす手法を取る事によって、分解された硝石が硫黄を酸化させて、三酸化イオウを作り、三酸化イオウと水の化合物として硫酸が出来上がる。

 火薬の原料として硝石と硫黄は用意されているが、大量に硫酸を作ろうとすれば、その分だけ貴重な硝石が減少し、肝心要の火薬の量が減ってしまう。

 この硫酸を使用する事によって、骨粉に含まれるリン酸をより植物に吸収されやすくする効果がある。いわゆる、過リン酸石灰である。

 だが、これにもどの道、多量の硫酸、つまり硝石が必要となり、軍事を司るアーデルハイトが頷くとは到底思えない。


「うーん……。流石に貴重な硝石を多量に使用するのは許可できないですわねぇ。

 まあ、試作として多少の使用なら許可しますわ。

 白粉の危険性を広め「ウチの白粉は安全!」と広めれば売れそうですし。

 後は、魔術師たちに相談してみるのはどうかしら?」


 確かにそれが一番の手段かもしれない。

 他の手段としては、ミョウバン鉱脈から取れたミョウバンを加熱することによって硫酸を取る方法がある。

 ミョウバンの歴史は古く古代ローマでは、制汗剤(デオドラント)、消臭剤、薬品にも多く使用されていた。

 他には、鉱石の一種である緑礬を水に加えずに蒸留すれば、硫酸が取れる。

 つまり、ミョウバンか緑礬を見つけ出すことができれば、硝酸を使うことなく硫酸を作ることができるのだ。

 これならばアーデルハイトが反対する理由もない。ともあれ、現状では少数の安全な白粉を作るだけで手いっぱいだろう。エルネスティーネもそれで納得した。

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