第47話 モールドボード・プラウと救荒食物
「ちなみに、何か他に気になる点はある?」
「そうですね……。例えば、農具。鋤など、ですか。」
そういうと、エルネスティーネは自分で作り上げた紙に、さらさらとインクにつけたペンを走らせて新しい鋤の形を描きだす。
これは、モールドボード・プラウという名前の鋤である。
モールドボード・プラウは三つの仕組みから成り立っている。
まずは地面を縦に切り裂くナイフ。
そして、地面を水平に切れ目を入れるシェア(この先端は金属で作る)
最後に縦横に切り裂かれた土を持ち上げて、ひっくり返すための斜めにねじれた板、モールドボードである。
これにより、通常の単純な鋤よりも遥かに効率的に地面を耕す事ができる。
だが、一見チ-トに見えるこの農工具にも弱点がある。
「弱点?」
「ええ、それは、急速に土の栄養分……ええと、土の生命力を多量に消費してしまう可能性があるという事です。」
確かにモールドボード・プラウは極めて効率的に地面を耕す事ができるが、それを繰り返す事によって、長期的に見ると畑に悪影響を与える可能性があるのである。
大きな問題点は、土壌の下層に固い堅盤が構築され、植物の根の育成が阻まれる可能性があるという事である。
この硬盤層により、植物の根が十分に伸ばせず、さらに水がこれより下に浸透しないため、水が溜まり植物を根腐れさせる可能性が高くなるのである。
さらに、これにより、土壌の栄養分を多大に消費させ、土壌流出を招く可能性もある。モールドボード・プラウによって作られたサラサラの土は農作物にとっては一見良く見えるが、非常に土壌浸食される率が高く、それにより土の力を通常より急速に失わせてしまう事になる。
「なので、限られた畑で試験的に運用してみたらいかがでしょうか?
それで様子を見てみて、状況を見て改善していくのがいいかと。」
農業試験場を作って新しい農業や作物を試してみる事は、現代の日本でも行っている。これによって実際に起こる影響や悪影響を把握する事ができるのだ。
そこでエルネスティーネが言った堆肥やら何やら試して見て、有効性を示す事ができれば農民たちからの支持も取り付けやすいだろう。
農民たちと共に農業を行っているため、ディートリンデに対する彼らの信頼は厚いが、それも大きな失敗を行ってしまっては信頼度が低下してしまう。
それはエルネスティーネにとっても、ディートリンデにとっても、エーレンベルク領にとっても望ましいことではなかった。
「そうですね……。後簡単に作れる農工具と言えば……。千歯扱きなどどうでしょうか。これなら簡単な構造で脱穀が楽になります。
ただ、今まで脱穀に使っていた労働力が浮いてしまって、収入源を失う人がいるかもしれないので注意してください。」
千歯扱きの仕組みは簡単であり、木の台から鉄製の櫛状の歯が水平に突き出した形をしている。この櫛状の歯の部分に麦やコメの穂を叩きつけ、引き抜く事によって一気にコメの場合は脱穀が可能になるのである。
(麦の場合は穂が落ちるので、それをさらに脱穀する必要がある)
これがない時代は、手に持った扱箸という器具で脱穀を行っており、それは未亡人たちの貴重な収入源であり、千歯扱きはそれを奪ってしまったため「後家倒し」と揶揄されてしまう状況になってしまったのである。
元より、このノイエテール国では法の国々に比べて人口は少ないので、効率的な農業器具を開発したところで悪影響はさほどあるまい。
法の国に持ち込めば様々な悪影響があるかもしれないが、はっきり言ってそこまでエルネスティーネの知った事ではないし、責任も取れない。
さらにこれを発展させた足踏み式脱穀機などもあるが、簡単でやりやすい方が遥かに普及しやすいという考えである。
後は、水を高台に輸送する事ができる踏み台、竜骨車なども思いついたが、踏み台の作成には高い精度が必要となり、下手な作成では隙間から水が漏れてしまう事になる。しかも、基本的に水が多量にあるこのエーレンベルク領ではそこまで必然性はないだろう、と思い一旦考えを引っ込めておく。
「後、話は変わりますが、もし凶作の時に備えて痩せた土地でも育てられる事ができる生命力の強い植物も今のうちに栽培しておいた方がいいと思います。
ソバやキビ、アワなどがお勧めですね。」
つまり、現代でいう救荒食物である。
戦争や災害、飢饉などに備えて育てやすい備蓄できる食物を備えておいたほうが不安定な社会情勢においては利益になる。
しかも、冷蔵庫など食料の保存が効かないこの時代では、そういった救荒食物の重要性はますます増す事になる。
いかに混沌領域からの豊かな地脈や中立の神殿による地脈制御により豊かな土地になっているとはいえ、飢饉は起きるときは起きる。転生したのに飢え死になど真っ平ごめんである。
サツマイモはかなりチートな救荒食物だが、まだ見つけられない以上仕方ない。
ソバは痩せた土地や酸性地、乾燥した土地でも育ち、3か月で育つという優れた救荒食物である。日本ではこれにより蕎麦などが作られるが、ヨーロッパではガレットが作成される事が多い。
アワはヨーロッパでも古くから栽培されており、この地方でも栽培されている。
アワはヒエと同様に貴重な庶民の食糧だった。
昔からアワはコメの下、代用植物としての扱いを受けてきたが、救荒植物としては優れた植物である。
キビは救荒植物には含まれていないが、ヨーロッパでは有史より古くから栽培されているらしいので、十分代用にはなるだろう。キビは育成時間が短く、乾燥に強いので十分飢饉の時に力になってくれるはずだ。
元々、ヨーロッパではジャガイモも救荒食物として利用され、広く普及した食物である。それまではその外見から食べるのを嫌がられていたが、度々人々の飢えを癒してくれたため普及したのが事情である。
個人的には、さらに寒さに強く、土質を選ばない栄養価の高いヒエも救荒食物として取り込みたいのだが、ヒエは東アジア原産なのでこちらにあるか不明である。
ヒエは、飢饉のときの非常食として高く評価されており、二宮尊徳が農民達の反対を押し切ってヒエの栽培を奨励したおかげで、天保の大飢饉の際に多くの農民が救われたといわれている。
もし見つけられたら救荒食物として力強い。しかもそれだけではなく、ヒエからも麹があれば味噌や醤油を作ることができるのである。
エルネスティーネにとってはぜひとも欲しい一品である。
もし存在していれば儲けものというやつだ。
「了解。分かったわ。私たちにとっても飢饉は恐ろしい物だもの。
備えておくのはいいことだわ。」
そこで、ディートリンデは真剣な表情をして、エルネスティーネに対して向き直る。
「まあ、利用するだけ利用しておいてこういうのもアレだけど……。ティネ。貴女は危険よ。知識は人に恩恵を与えるだけではない。知識は人を不幸にし、多大な死傷者と大破壊を世界にバラまく可能性もある。」
それはそうだ。エルネスティーネにも知識と技術進歩によって生み出されたダイナマイトや原爆、水爆、毒ガスなどがいかに大勢の人を傷つけるのを知っている。
技術革新を続ければそういう例はいくらでも出てくるだろう。
それは避けようの無いことだし、しっかりとそれに向き合って少しでも被害を少なくしていかなければいかないのである。
技術チート・知識チートを繰り返して、自分が選ばれた存在だと思い込めば、絶対に世界に対して有害な存在になり果てるだろう。
常に自分に対しての疑念、謙虚さを有していなければ、たちまちそんな存在になり果てることは、エルネスティーネ自身も理解している。
「とは言っても、そこは可愛い妹だし?私たちも全力で守るつもりだわ。
けど、貴女を目障りに思う勢力もいるのを忘れないで。できればエーファを四六時中傍に控えさせてほしいわね。」
「ご安心ください。ディートリンデお嬢様。できる限り私もエルネスティーネお嬢様に付き添わせていただきます。」
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