第44話 ノーフォーク農業と塩水選。
ともあれ、立ったまま話もするのも何だから、という事で、ディートリンデは客間にエルネスティーネを連れ込み、メイドたちに飲み物を用意するように頼む。
ディートリンデは、普段はこの屋敷ではなく別の屋敷に住んでいるが、そこは勝手知ったる我が家、というか実家。
我が物顔で自由に過ごしているが、皆それに大人しく従っている。
それは、アーデルハイトが何らかの理由でこの領土を離れる際には、自動的に次女であるディートリンデがこのエーレンベルク領のトップになるからである。
もしアーデルハイトがいない間に、他国の侵攻や怪物の侵攻があった場合は、ディートリンデが軍を率いてその迎撃に当たらなければならない。
そのための情報収集や指令を出すのは、この屋敷に詰めるのが一番効率的なため、普段住んでいる屋敷からこちらに移る事も多々あるので、勝手知ったる我が実家、という奴である。
「あのぅ……。小姉様。言っては何ですが、この土地は十分に肥沃な大地ですので、私が力を貸さなくても別にいいのでは……?」
「何言ってるのティネ。ここの食糧の輸出がこの領地にどれだけ貢献しているか知っているでしょ?しかもノイエテール国だけじゃなくて、法の国々にまで輸出されているのよ?食料は力。食糧はパワーよ。いざという時は食糧輸出を止めると言えば向こうも震え上がるほどの生産力があれば、この領土の大きな力になるんだから。」
どこぞの国の減反政策を行っている所にも聞かせてやりたいセリフである。
だが、実際に多量に作るだけ作っても適切に食料を保存・輸出する運搬能力や、調整能力がなければ、ただ作物を腐らせたり、大量すぎて売り物にならない値崩れを起こす可能性もある。
豊作が過ぎた場合は需要に対し供給過多となり、しばしば価格低下を起こす。この現象を豊作貧乏と言う。
必要な物を必要なだけ作るという調整能力が農家には必要とされるのであり、その辺はディートリンデも理解しているだろう。
だが、農作物は気候に左右される以上、凶作に見舞われる可能性も十分にある。
さらに、法の国々の人々にさらに適切な量の食料を輸出する事ができれば、その分この領土が儲かる事はディートリンデのいう通りである。
「ふむ……。小姉様。まずは現状の農業のやり方について教えていただけますか?」
「ええ、いいわよ~。」
ディートリンデから教えてもらったが、基本この土地では二圃輪栽式農法らしい。
農地を半分に分け、片方を小麦や大麦など栽培し、もう片方は土地の力を回復させるために休耕させるやり方だ。
このやり方は土壌を回復させるというやり方では正しいのだが、やはり効率という面では劣ってしまう。まったく何も植えず休耕させるのは、土地がもったいないからだ。
これをカバーするためには、休耕している土地に土壌の力を回復させる植物を植えるのが効率的である。
つまり、小麦の後にカブを植え、その後大麦を植える。そしてその後にクローバーを植えて土壌を回復させ、再び小麦を植えるという四圃輪栽式農法、つまりノーフォーク農法である。
三圃輪栽式農法までは休耕地だった場所にクローバーなど窒素を土壌に注入する力を持つマメ科植物やカブなどを植える事によって土壌を回復させるのと同時に、家畜の餌を作って冬場でも家畜を養えるようにし、家畜の飼育量を増やす。さらに増えた家畜の糞尿から堆肥を作り、土壌を豊かにする。
こうして好循環を作り出し、農作物を作り出す効率を向上させる。
この問題は、土地の所有権で所有権があちこちに散らばっていると効率的に行う事は難しいが、昔から農業に携わっているディートリンデなら上手くやるだろう。
辺境伯領主の次女であるディートリンデに正面切って逆らう農家などいるはずもない。
さらに、混沌領域で見つけ出した炭酸カルシウムの鉱脈も、農業においては役に立つ。炭酸カルシウム、石灰石は土壌の酸性を中和させ、土壌の力を回復させる力を持つ。それはこちらからそちらに分け与えるとディートリンデに伝える。
「ええ、分かったわ。試してみるわね。」
後、個人的に食べたいのは、やはりコメ。お米である。
前世では日本人のサラリーマンだった彼女にとって、やはりコメはソウルフードとも言える食べ物である。
この土地の気候は、エルネスティーネが感じ取っただけだが、地中海気候に近い気温、つまり、温暖湿潤気候に含まれると思われる。
それならば、後は十分な水資源さえあればコメの栽培は可能である。
自然豊かで近くに川もあり、水資源も十分にあるこの土地ならば、コメの栽培も可能だろう。
「コメ?ん~、聞いた事ないけど、まぁ可愛い妹の頼みだし……。無理言ったのも事実だし……。まあ、私の方でも探してみるわね。」
「それで、ついでと言ってはアレですが……。実際に農地に行って見てもいいですか?」
「いいわよ~。それじゃ行きましょうか。姉さんも戻ってきたし、私がここにいる必要もないしね。」
そうして、ディートリンデはエルネスティーネと共に馬車に乗って郊外へと向かう。城塞都市であるこの都市内部で農業を行う事は難しい。
自然と、農業は城塞都市外部となる。これがディートリンデがアーデルハイトたちが暮らしている屋敷と共に暮らしていない理由である。
農業生産に拘る彼女は、すぐに畑に行けるようにできる限り城塞都市外周部の家に住んでいるという貴族としては非常に変わった存在なのだ。
「確かに貴女のアイデアはいいけど、もっと手軽に出来る方法はあるかしら?
速やかな成果を見せれば、農家の皆もティネの言う事きくでしょうし。」
「もっと簡単で手軽に……ですか。ああ、あれなどいいかもしれません。」
農地へと辿り着いたエルネスティーネは、小屋にあった小麦の種籾を掌の上に乗せ、ディートリンデに見せる。
エルネスティーネによって選り分けられた種籾は、明らかに大きく中身が詰まった種と小さく貧弱な種とに分けられていた。
「ええと、この作物の種がありますよね?種の中にはスカスカで小さい種と、中身がたっぷり詰まった大きい種があります。当然の事ながら、小さい種は栄養が少なく、植えても生産率が悪い作物しか生えません。一方、栄養満点な種なら、その分豊富な作物が取れます。この大きな種だけ植えれば作物がより多く育つ可能性は向上します。」
それはディートリンデにも理解できる。栄養のない小さな種よりも、栄養満点の大きな種の方がより沢山の農作物を作るというのは道理である。だが、いちいち種籾の大きさを一粒一粒寄り分けてなどいられない。それだけで日が暮れるほどである。
「けど、いちいち、一粒一粒種の重さを計る気?それは効率悪すぎるわ。」
「ええ、ですから、種の重さを区別するために、水を使います。
しかも、ただの水ではなく、塩を多量に使った濃い塩水を使います。
この塩水に種を沈めて、浮いてきた軽い種は植えずに、重い種だけを植えればいいのです。」
「ええっ、し、塩水?ち、ちょっと大丈夫?塩水なんかに漬けたら種がダメになるんじゃない?」
ディートリンデの心配はもっともである。
カルタゴを滅ぼした際に草木一本生えないように塩を撒いた逸話は有名だが、植物と塩が相性が悪いという事は古来から経験上理解されてはいた。
そんな濃い塩水に種籾を漬けたら、種籾がダメになるのではないか、と考えるのは至極当然である。
「大丈夫です。種籾は表皮で塩水の浸透を防ぐので、内部まで塩水が入って種籾をダメにするという事はありません。
なんなら、少数の種籾を試しに行ってみて実際に植えてみたらいかがでしょうか?」
「う、うーん。分かったわ。やってみるわ。」
渋々ながらも、ディートリンデはエルネスティーネの言葉に頷く。
確かにエルネスティーネの提案はディートリンデにとっては半信半疑ではあるが、試してみる価値は十分にあると判断したのである。
他にも、エルネスティーネは実際に農地を歩いて様々な作物などを見て回る。
現在、この世界にどんな農作物が存在しているのか、それによって取るべき手段が異なってくるからである。
通常の作物だけでなく、凶作の時に備えて救荒植物の準備なども整えたい。
チートな救荒植物と言えば、享保の大飢饉の結果広まった痩せた土地でも育つサツマイモが代表的な作物だが、確かあの原産国は南アメリカ大陸、ペルー熱帯地方だったと聞く。同様にトマトなども向こうの作物だったはずだ。
この世界で見つけることが出来ればいいのだが、見つけられない場合他の作物で代用しなければならない。運よく元は向こうの世界ではアンデス山脈原産であるジャガイモもすでにこちらの世界では栽培されているようなので、見つけられる可能性はあるだろう。
そんな風に考えながら、畑を踏み荒らさないように慎重に歩き回るエルネスティーネだが、ふと一つの作物が目に入る。
「小姉様、これは?」
「ん?ああ、それはビートよ。飼料根菜として使用したり、葉っぱや茎の部分を調理に使ったりする事があるわね、それがどうしたの?」
ビート、ビート。確かどこかで聞いたような……。
ああ、そうだ。甜菜である。甜菜といえば、サトウダイコンと言われるぐらいで、サトウキビと並んで砂糖を取る事ができる主要材料である。
根の部分に多量の糖分を蓄える事ができ、その根を絞って煮詰める事によって砂糖が生産できる代物である。
向こうの世界では、全世界の砂糖生産量のうち約35%を占めるほどの砂糖生産量を誇るほどである。本来は寒さに強い寒冷地作物であるらしいが、この気候でも問題なく生産できているようだ。
流石に、そのままのサトウテンサイを見つけるのは難しいかもしれないが、似たような物ならば見つけることはできるはずである。
そして、砂糖を生み出す事ができるのなら、これはアーデルハイトの注文通り、大きなこの領地の収入源になる事は間違いない。
エルネスティーネの瞳は鋭く輝いた。
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