第43話 次女ディートリンデ登場。

「ところで、個人的なお話があるのですが……。

 そちら、”天秤”の戒律的に魔術師や学者たちはセーフなんでしょうか?

 開発した紙を彼らに売り出したいのですが。」


 未だ紙が大衆に広まっていないこの状況で紙を必要とする職業は何か。

 それは、学者に加え魔術師に他ならない、というのがエルネスティーネの考えである。魔術師たちも大量の魔術本や魔術のスクロールなど、紙を多量に必要とする。

 それら全てを羊皮紙で賄うとなれば、多量の金がかかる。

 しかし、手軽に手に入る紙が手に入るとなれば、一気にエルネスティーネの作り出した紙は彼らにも求められるようになるだろう。


「魔術師たちは……まあ、神殿の立場としてはあまりいい目では見れませんね。

 特に、その性質上、魔術師たちは混沌から魔力を汲み上げる事が非常に多いので、法の国の神殿では排斥されるのが大半ですね。

 まあ、私たちの”天秤”の立場なら、目をつぶってスルーする、という立場でしょうか。積極的にバランスを崩そうとする魔術師は別ですが。」


 基本的に、魔術師というのは圧倒的に混沌に関与している者たちが多い。

 混沌は上手く利用できれば、無限の魔力を汲み上げることができる、まさしく魔術師たちにとっては理想的な魔力の源だからだ。

 混沌に属する魔術師たちは言うまでもなく、そうでない魔術師たちも多かれ少なかれ混沌には関係している。

 そうではない”天秤”の魔術師もいるが、彼らは天秤を研究する事によって世界の成り立ちや仕組み、運行などを研究するという、ある意味修行僧に近い立場である。

 そして、”法”の魔術師というのは大抵魔導装置の研究・開発者となる。

 法から人間が直接魔力をくみ上げるより、魔導装置を通じて魔力をくみ上げてそれを発動させる方が遥かに効率がいいからである。


 そうした極少数の魔術師たちを除き、大半の魔術師たちは混沌に触れる存在として、法の国々では排斥・弾圧される運命である。

 そうして排斥された魔術師たちが流れ着く先、それがこのノイトラール国である。

 この国ではよほど凶悪だったり、混沌の力を暴走されるような悪意のある、あるいは人道から外れた魔術師でもない限り、受け入れる方針である。

それはここエーレンベルク領も同様である。


 これは、ノイトラール国が法と混沌のバランスを重視する”天秤”を国教に奉じているというのもあるが、この国は法の国々に比べ弱小国であるため、少しでも力を求めているという事情もある。

 極めて短期間で作業用のスリヴァルディが開発できたのも、彼ら魔術師が協力してくれたからである。


「あのぉ~、一応お聞きしたいのですが、そちら何か書かれたくない物はありますでしょうか……?」


「それは当然、天秤の教義に反する事です。いかにエルネスティーネ様と言えど、天秤の協議に明確に反する悪意のある事を書かれるのであれば、我々は容赦しません。」


 まあそれはそうだ。いかに基本的に寛容とは言っても宗教である事には変わりがない。当然の事ながら宗教的なタブーを犯した本は禁書として発禁されるのが普通である。だが今はお互いそれどころではない。

 本すら広く普及していない時期に、明確に神殿を敵に回すような真似はできない。

 ともあれ、少なくとも今は神殿も表現規制やら禁書指定やら行う気はないらしい。

 あれだけ混沌の魔力を引き出す魔術師たちをお目こぼしすることからも明らかである。これら禁書には魔術書も含まれる事も多い。

 せっかく作りだした本が焼かれたり死蔵されるのは、エルネスティーネとしては不本意の極みである。


「分かりました。ともあれ、私はこれで失礼させていただきます。それでは。」


 エルネスティーネはそう言いながら、アーデルハイトの執務室から退出した。

 ただでさえやる事は一杯だというのに、さらに金儲けの手段を見つけ出せ、というアーデルハイトの使命を受けて、エルネスティーネは思わず大きくため息をついた。

 まあ、思いつく手段はいくつかある。

 まずは、学者や魔術師たちに羊皮紙ではなく、エルネスティーネが作り出した安価な紙を売り出す事。もう一つは市民たちに貴族たちから注文も受けている匂いつきの石鹸を市販する事。そして、エルネスティーネが作っているハンガリー水……もといノイトラール水の簡略版を売り出す事である。


 紙は確かに売れるだろうが、それだけでスリヴァルディの予算を賄えるとは思えない。石鹸は貴族たちだけで手いっぱいで市民たちの注文を賄える生産量が作り出せない。ノイトラール水の簡略版は、ローズマリーをアルコールに漬けた物か、アルコールなどにハンガリー水やローズマリーの精油を少量混ぜただけのもので作り出す事はできる。だが、これも勝手な事をすると王妃の権威に傷つけることになってしまう。

 これはアーデルハイトに相談する必要があるだろう。


 うーむ、と私服のドレスに着替えたエルネスティーネが腕を組みながら屋敷内を考えて歩いていると、ばったりとエルネスティーネは、彼女によく似た顔立ちの女性と出くわす。

 肩で切りそろえた綺麗な金髪のミディアムヘア、吊り上がったネコっぽい釣り目、

 だが、エルネスティーネやアーデルハイトと極めてよく似てるその顔は、エルネスティーネと姉妹である事の明らかな証だった。


「げっ、ディートリンデ小姉様……。」


 そう、彼女こそ、エルネスティーネの姉であり、アーデルハイトの妹、つまり辺境伯家の次女であるディートリンデ・エーレンベルクである。

 アーデルハイトが何らかの理由で領地から離れる際は、次女である彼女がこの領地のトップになる事になる。

 普段は屋敷には住んでおらず、別の屋敷で暮らしているのだが、混沌領域にアーデルハイトが向かう際に、何かあった時の対応のために屋敷に訪れていたのである。

 軍事を司るアーデルハイトと異なり、ディートリンデが主に司るのは”農業”である。

 このエーレンベルク領は混沌領域から流れてくる活性化された地脈のエネルギーに、それを管理する中立神の神殿により、豊かで肥沃な土地になっている。

 その土地を開墾し、豊かな作物を作り出し、領民を飢えさせず、さらに他国に食料を輸出する事によってこの領地を支えている一人である。

 貴族の一員でありながら、自分も土に触れて作物を作っているというかなりの変わり者であるが、そもそもエルネスティーネ含めここの三姉妹変わり者しかいないな……と当の本人の一人であるエルネスティーネですらそう思ってしまう。


「ほほう、久しぶりにあう姉に対して言うセリフがそれ?

 ティネ、貴女随分偉くなったわね?」


「い、いえ。小姉様。御機嫌よう。お久しぶりです。」


「ええ、御機嫌よう。それでティネ。貴女アーデルハイト姉様には随分色々な知識を与えてるっていうじゃないの。それで私には何も力を貸さないなんて、随分不公平ね。そうは思わない?」


「は、はいぃ……。しばらくは小姉様のために頑張ります……。」


思わず、がくりとエルネスティーネは肩を落とすのだった。

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