第16話 そんな武器渡されても困るのですが。

「さて、では次の問題に移りましょう。エルネスティーネ様。

 アーデルハイト様よりお話は受けまわっております。まずは貴女のお体を調べさせていただきます。」


 アーデルハイトからの速達の伝書鳩によって、エルネスティーネの状況は知っているらしい。エルネスティーネのように、混沌の象徴のシンボルを刻まれた者たちは時々存在しており、彼らはほぼ例外なく混沌に体を侵され、怪物へと変貌する。

 特に混沌領域に近いこの領地ではそういう人たちは比較的多い。

 それを嫌った彼らの頼る先は、言うまでもなくここ、中立神の神殿である。

 もう変質してしまった肉体を元に戻す事は不可能ではあるが、そうなる前に肉体のバランスを整え、それ以上混沌に傾かなければ肉体の変質は起きない。

 そして、そうしたバランスを整えるという事において、中立の神々は専門家と言ってもいい。

 寝台の上に横になったエルネスティーネの肉体を様々な魔術的感知や魔術的検査を行ったオーレリアは、エルネスティーネに対して話しかける。


「さて、貴女の体を調べさせてもらいました。どうやら、貴女が混沌の神の加護を受けているというのは本当のようですね。

 そのため、貴女は混沌から事実上無限の魔力を引き出す事が可能なようです。混沌とは無限の可能性を秘めていますから、それを引き出す事ができれば、事実上無限の魔力を有している事になります。

 ……ですが、多用はしないほうがいいでしょうね。多用すれば貴女の肉体が混沌に侵食されて肉塊になったりする可能性もあるでしょうね。」


 やはり、エルネスティーネの危惧は正しかったらしい。

 肉塊になるか、毛穴から触手が生えてくるか、それとも全く予想できない怪物に変化してしまうか。どの道であっても人間の姿を保てなくなった者たちはそれでおしまいだ。人間としての意思をもっていても、そのまま介錯される事がほとんどである。

 それが、この世界の住人たちの慈悲の一撃(クーデグラ)という物である。


「まだそんなに魔術を使っていないようでしたので、問題はなかったのですが、念のため混沌の加護に対して、灰色の神々の加護を付与する事により力を抑制しましたが……調子はどうですか。」


「はい、問題ありません。」


 確かに魔力を引き出すのに違和感は感じるが、それほど大きな物ではない。

 ルーン魔術の使役も問題はないだろう。

 混沌の魔力を引き出す時でも、中立神の加護が施されているのならば自動的に混沌の魔力も緩和化され、肉体の変質する可能性も低くなる。


「通常の魔術の使用なら問題ありませんが、大規模な魔術行使、混沌から大規模な魔力を引き上げれば、当然肉体の異形の可能性も高くなります。

 大規模な魔術を行う際にはくれぐれも気を付けて。」


 言うなれば、蛇口を絞って魔力の放出を抑え、さらに蛇口にフィルターをつけたような物だ。これで混沌の魔力の引き出しは比較的中和されるが、それでも無理矢理蛇口をひねればフィルターも吹き飛んでしまう。

 そうなれば、せっかく彼女が施してくれた加護も無駄になってしまう。

 その辺は気を付けなくてはならない。


「あのぅ、それでお話したい事があるのですが……。」


 そう言いながら、エルネスティーネは持ってきた羊皮紙に書かれた、木版印刷用の版木の設計図と、その内容について書かれた物を見せる。

 木版印刷による聖書の大量生産。

 木の板(木版)に文章や絵を彫って版を作る凸版印刷である木版印刷の技術は、この文明レベルならば広がってもいいのだが、法の国によって人々に余分な知識を与えないようにされている現状では、書籍の大量生産の技術発展が大きく阻害されている。

 そして、その影響はこのノイエテール国にも及んでいた。

 未だに人力での写筆に頼っている現状では、到底、本、聖書の大量生産などできるはずもない。それでは、中立神の教えを大勢の人たちに教える事はできない。

 これは、ただでさえ国力が劣り、人口も少ない中立神の国において痛い点であった。

 それをカバーできる技術に、オーレリアが大いに興味を示したのも当然と言えるだろう。


「ふむ、本の大量生産、ですか。」


 これら木版印刷の技術や、中国や日本では極めて広く普及したが、西洋ではほとんど普及はしなかった。それは西洋の直線状が多い文字と、東洋の曲線が多い文字という違いはあるが、時期が悪かったとも言える。

 ヨーロッパに木版印刷が普及したのは13世紀ほどとされている。

 14世紀には布に印刷する技術が作成され、15世紀には宗教画や教会の免罪符、トランプカードなど次第に普及していったが、それらはあるきっかけでほとんど姿を消す事になる。

 それは、グーデンベルグの活版印刷技術である。この新しい印刷技術によって、木版印刷はほとんど姿を消す事になった。

 だが、まだ活版印刷技術がない以上、木版印刷は極めて大きな力になるはずである。 


「了解しました。エルネスティーネ様の要求を引き受けましょう。

 中立神の聖書の大量生産に取り掛かる事を条件に、我々は貴女の力となる。

 貴女の望みのらのべ?というのはよく分かりませんが、本の大量生産、知識の分布は我々にとっても好ましい物です。」


 そう、オーレリアのみならず、中立神の神官たちは法の国の知識を特権階級のみ保存し、民に与えない愚民政策に反感を覚えていた。

 それはつまり、世界は我々が維持する。民は何も考えずただ労働だけ行っていればいいという法の国の上層部こそ至上とする考えである。

 確かに秩序を維持するのはそれが最も簡単で容易いやり方だろう。

 しかし、それでは世界の発展は望めず、世界はずっとこのままの現状維持のままだろう。


「言うまでもなく、現在混沌の勢力はほぼ姿を消し、法の勢力が世界を支配しつつあります。……ですが、それは世界のバランスを大きく乱す行為。このままでは世界は滅びると我ら中立、天秤の勢力は強く危惧しています。」


 そう呟くと、黒髪をかきあげながらオーレリアはため息をつく。

 それは女性であるエルネスティーネも思わず見とれる仕草であったが、彼女がこの世界を憂慮しているのは事実なのだろう。

 

 オーレリアは中立神、灰色の神々を信望する女性神官である。

 法の神の神殿では男尊女卑傾向があるが、中立神の神殿ではそこまで男尊女卑ではないので、女性の高位の司教も存在する。

 これはやはり、天秤に属する中立神という事で万物のバランスを取るという教義が強く影響している。そのために、女性の社会進出も法に属する国より遥か進んでおり、神殿でも高位の立場につける女性の司祭もかなりの数が存在している。

 とは言え、やはり男性の方が有利に立てる傾向があり、女性であり年齢も非常に若い彼女が政治的に優れた手腕を持っている事は言うまでもない。


「そのため、我らの大義を人々に広く知ってもらう必要があります。

 そして、そのためには我らの聖書を大量生産できる印刷技術は必要なのです。」


「あのぅ、それって法の勢力に喧嘩を売っているんですがいいんですか?」


 自分から提案しておいて何だが、これは明らかに法の国の愚民政策に喧嘩を売っていく政策である。法の秩序で世界を維持しようとする者たちにとって、知識を広めようとする彼女のやり方は正面から逆らう事である。

 中立の勢力が広まるのを、彼らは決して好みはしまい。


「ともあれ、了承しました。こちらの方もそちらに援助を行う事を約束します。

 聖書の内容も問題ありませんし、このまま版木?の方を作って頂いても結構です。」


「あ、それと提案があるのですが、いいですか?この聖書にイラストをつけたいのですが、そちらの神殿には絵画を描かれる方はいますか?

 中立神の教えを簡単に絵画化して聖書に添えれば分かりやすいのでさらに広まると思うのですが。」


 そう、それはラノベから閃いたエルネスティーネのアイデアである。

 この世界にはまだまだ文盲の人間たちが多い。しかし、文盲の人たちに対しても、イラストの力は強力である。

 文字が読めない人も、イラストならば理解する事ができる。

 ラノベの世界でも表紙のイラストの力は極めて強力であり、ほぼ全て売り上げがそれで大きく左右されるといっても過言ではない。

 恐らく、修道士や司祭のような人物があちこちに旅をする事によって、口伝で中立神の教えを広めるのだろうが、その時に農民たちに口伝だけでなく、イラストを見せることによって、更に分かりやすく理解させるという事を目的としているのである。


「なるほど……。絵の力ですか。分かりました。検討してみます。

 ではこちらで試作を作ってみて、そちらにお送りするという形で。

 それが通れば、試作品を作成してみましょう。」


 元より、宗教と絵画との関わりは非常に深い。

 中世初期の時代、絵画を描く芸術家たちに資金を与えるスポンサーたちはまだ存在していない。そのため、絵画を描く人間たちは、それを必要とする場所、つまり宗教画を描く事で生計を立てる事が多い。

 この時代は、教会が一番金も権力も持っているので、そこを頼るのは当然と言える。

 宗教の方でも、自分たちの教えを広めるためにも、絵画や彫刻と言った芸術を利用するのは非常に効果的であるため、両方ともウィンウィンの関係だったのである。


「ともあれ、話は了解しました。後、貴女には私の権限で、こちらの方を与えます。どうぞ。」


 そう言いながら、オーレリアは先ほどアルシエルの攻撃を防御した兵器、”天秤”の小さな破片を法と混沌の力で鍛え上げた可変神域兵器であり、今はメイス状に変形している”中立の鉄槌”を差し出す。

 灰色の神々の名前の通り、一面灰色で塗装されており、装飾もない飾り気のないメイス。

 だが、それがどれほど強力な武装であるかは、実際にオーレリアが実証してくれた。

 天秤と中立神を崇める彼女たちにとっては、まさしく神器と言ってもいい。

 そんな物をポン、とエルネスティーネに与えるなど、まさしく異例の事だった。


「万能可変神域兵装 "中立の鉄槌" 

 かつて地上に堕ちた天秤の一欠けらを、法と混沌の両方の力で鍛え上げた武器です。

 この武器は、法と混沌のバランスを保つために、我々が作り上げた神域兵装。

 これを使用すれば、法の神や混沌の神すらも打倒する事が可能なはずです。」


 それほどの大神殿の神器とも呼べるほどの貴重な武具を与えるオーレリアに、一斉に他の神官たちは抗議の声を上げる。

 だが、抗議の声を上げる神官たちに対して、オーレリアは毅然と反論する。


「では問いますが、今度彼女が暴走したらどうするのですか?

 最早我々に彼女を止める手段はこれしかありません。

 万が一暴走した時の安全装置として、近くにいる彼女にこれを託すのが一番なのでは?」


 そのオーレリアの言葉に、神官たちは一同シン、と黙り込む。

 いや、それつまりあの人が暴走したら私が始末しろって事ですよね?とエルネスティーネは思わず聞き返したくなったし、返したくもなったが、確かにこれはアルシエルの暴走を止められる事のできる唯一の武装である。

 そして、彼女を止められるのは自分しかいないという事もエルネスティーネはよく知っている。ならば、これを受け取るしかあるまい、と彼女は決断した。

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